230.「和音ブドウと夜の守護」
王都近辺の町は、魔術師によって守られるのが通常である。その土地に住まう代々の魔術師や、他の町からの移転者がほとんどらしいが。
男の口にした『毒食の魔女』とやらも町の守護者なんだろう。けれど、引っかかる点がいくつかある。
その魔術師がノックスを攫ったのなら、なんのために?
そして魔女のことを口にした男の、いかにも気乗りしない態度も妙である。魔女の二つ名も不穏極まりない。
探っておくに越したことはないだろう。
「魔女ね……。どんな人なのかしら?」
「さあ……会ったことはないから分からんよ」男はぐっとワインを飲み干して立ち上がった。「さて、そろそろ帰らなきゃ。それじゃ――」
帰りかけた男に、アリスは睨みを利かせる。「待ちなよ。せっかくこうして知り合ったんだ。ゆっくりしてきな。あんたの分のワインも頼んでやったんだからさ」
直後、給仕の娘がちょうどグラスを四つテーブルに置いた。
アリスめ……どうしてわたしの分まで頼んだんだ。
「座りなよ。乾杯しよう」
アリスの有無を言わせぬ口調に気圧されたのか、男はおずおずと席に戻った。
「ほら、グラスを持ちな。お嬢ちゃんもだよ――乾杯」
彼女の言葉に続いて、グラスが打ち鳴らされる。控えめに口をつける男とは対照に、アリスは喉を鳴らして深紅の液体を半分ほど飲んだ。
無論、わたしはひと口も飲まずにグラスを置く。
「ああ――旨いねぇ。良いワインじゃないか。産地はここなんだろう? イフェイオンと言ったね?」
彼女の視線は男にしか向けられていない。必然的に彼が答えるほかないといった具合だ。
「あ、ああ。ここの酒蔵で造ってるんだ」
「へぇ。じゃあワインが特産品なんだねぇ」
男はおずおずと首を横に振る。「もちろんワインも王都に卸してるが、一番の名物は『和音ブドウ』だ」
「聴いたことないねぇ。ヨハン、さっき頼んだかい?」
ヨハンは同調するように頷き、ちょうどやってきた給仕に視線を送った。彼女の手にした盆から、次々と料理が置かれていく。
木のボウルいっぱいに盛られたサラダに、深紅のソースがかかった厚切りの肉。拳大の丸パン。そして大皿に乗った三房のブドウ。
「これが名物かい?」
アリスがブドウを指さしてたずねると、男は「ああ」と答えてワインを口に運んだ。
和音ブドウは王都でも何度か口にしたことがある。目の前のそれは鮮やかな紫色をしていた。
房から取った親指大のブドウを、半開きにした唇につける。そして実を圧迫するようにぎゅっと押し出すと、ポン、と小気味良い音がして実が飛び出た。それを舌で受け止めて奥歯で噛むと、溢れた果汁が口いっぱいに広がった。
少しの酸味と、芳醇な甘味。思わず頬がゆるんでしまう。
男はこちらを見つめ「あんた、和音ブドウははじめてじゃないだろ?」とニヤニヤしている。ご名答。
アリスもわたしに倣って、和音ブドウを唇につける。直後、ブチ、といかにも不器用な音が鳴った。
彼女はもぐもぐと平気で咀嚼しているが、その様子を見た男は控えめに笑った。「あんたははじめてみたいだな」
和音ブドウは皮から押し出す際に、大袈裟なくらい音が鳴るのだ。実の成熟具合や、食べる人の器用さによって出る音が変わる。同時に食べると綺麗なハーモニーになったりもするので和音ブドウと呼ばれるのだ。
アリスの向かいで、ヨハンも器用にポォンと音を鳴らした。
「あんたも食ったことがあるみたいだな。はじめてだとそんな綺麗に音が鳴らないからな」と男は得意気に笑ってブドウを手に取ると、ポンッ、と綺麗に食べて見せた。
ヨハンは口をもぐもぐと動かしながら「私はずっと『喉打ちブドウ』と呼んでいましたが、いやはや、久しぶりに食べると旨いですなぁ」なんて言っている。
「アハハ。言い得て妙だね、こりゃ。確かに、慣れないと喉に当たるもんなあ」
男はすっかり和んだ様子で笑顔を浮かべた。わたしの横でアリスがまたもブチッと音を鳴らし、「ウッ」と唸った。多分、喉に直撃したのだろう。彼女はゴクリと喉を鳴らすと、誤魔化すように肉をぱくついた。
アリスがこんな失態を演じるなんてなかなかない。からかってやろうかと思ったが、本気で暴れられても困るのでやめておいた。
「あなたも料理を摘まんでください。四人分くらいはありそうですから」とヨハンはニヤニヤと言う。相変わらず笑顔の下手な男だ。
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
それからは他愛のない話題が続いた。この町は和音ブドウの樹に囲まれており、その世話を欠かさなければ町が衰退することはないらしい。知らなかったけど、和音ブドウは通年採取が可能とのことである。それを王都へ出荷し、応分の利益で町が回っているらしい。王都とその近辺の町や村は、様々な産業で結びついていることは知っていたが、こうして産地を訪れるのははじめてだった。
男はブドウ畑で働いているらしく、今年の出来についてあれこれと語ってくれた。窪地で育つ和音ブドウの品質の高さだとか、イフェイオンの土壌が豊かだから上質な仕上がりになるだとか、和音ブドウのシェアはイフェイオンがほとんどだとか……。
「すると、王都のブドウはこの町に支えられているわけですね」とヨハンが盛り上げる。
「そう。ブドウの町イフェイオンさ」と男はおどけて笑う。
「じゃあ」とアリスはわたしの分のワインに手を伸ばし、半分ほど飲んだ。「魔物のことは悩ましいんじゃないかい?」
男は軽々と首を横に振り、少しだけ顔をしかめた。「いや、この町で魔物の被害が出たことはないよ」
「魔女のおかげかい?」
アリスはじっとりと男を見つめる。
ようやく話が本筋に戻った。男はだいぶリラックスしている様子で、その話題を頑なに避けるような雰囲気は出していない。
「まあ、魔女のおかげさ。……けどなあ、俺たちだって身を切ってるんだよ」
ヨハンがすかさず挟む。「と言いますと?」
男はやや沈黙したあと、悔しそうに顔を歪めた。
「王都への出荷で得た利益の一割。それが町の守護費用って名目で魔女に吸い取られるんだ。それと、毎日魔女の召使いが来て和音ブドウを持っていきやがる。……それさえなけりゃ、この町はもっと発展するはずなんだが……」
収益の一割も持っていかれたら随分と痛手だろう。和音ブドウの生産者だからこそ余計に悔しがる気持ちも分かる。
「だったら、ほかの魔術師を雇ったらどうかしら? 一割ももらうなんて暴利よ」
すると男は俯きがちに首を横に振った。
「駄目さ。町長が連れてきた魔術師はひと晩で逃げ出しちまった。おおかた『毒食』に脅されたんだろうよ。……で、町のほうもタダじゃ済まなかった。その月だけ収益の二割を要求されたんだ」
「横暴ね」
「ああ。もちろん、そんな条件呑まなかった。で、『毒食』はひと晩考えるよう町長に言って帰っていったんだ。……その夜、魔物に町が襲われた。和音ブドウはデリケートでよぉ、あんまり乱暴に樹を揺すると簡単に落ちるんだ。町の連中は家に籠ってたから被害は少なかったけど――ブドウはひどい有様だったよ」
彼の言葉通りだと魔女はその晩、町を守らなかったのだろう。ひどい話だ。
「で、次の日、魔女が町に現れた。その月の収益は絶望的だったけど、魔女は二割で譲らなかったんだ。けど、こっちは承知しなくちゃならない。でなきゃ町は崩壊するからな。……まあ、そういう奴なんだよ、あいつは。容赦なんて欠片もないし、交渉する気もないときてる。関わり合いにならないほうがいい」
段々腹が立ってきた。町の弱点を握っているからこそ、そんなふざけた要求が出来るのだろう。町長が呼んだ魔術師というのも、実は魔女と手を組んでいたのかもしれない。住民が自分をお払い箱にしないように。
王都はほかの町や村の自治には干渉しない方針だった。まさかこんなことがおこなわれているなんて、誰も知らないだろう。
「ところで、その召使いってどんな人なのかしら?」
聞くと、男が不審そうにこちらを見つめたので慌てて付け加えた。「ほら、顔を知っておかないと失礼な真似をして魔女を怒らせちゃうかもしれないでしょ?」
「なんだ、そういうわけか。……エプロンをした小娘か、後ろにひらひらのついた服を着た男だよ。そのどっちかが必ず和音ブドウを取りに来る。二人とも黒服だから、見ればすぐに分かるさ。なんでも、魔女の邸で執事とメイドをしてるんだとよ。……いい気なもんだ」
男は毒づいて、房だけになったブドウに目を落とした。
アリスとヨハンに目配せすると、二人とも軽く頷きを返す。
これではっきりした。この町を守護し、暴利をむさぼる『毒食の魔女』。奴の邸にノックスが捕らえられている。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場




