Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」
※ヨハン視点の三人称です。
女王の城。魔力維持装置が相変わらずゴンゴンと機械的な音を立てている。スパルナが空けた亀裂からはときおり、冷たい夜明けの風が吹き込んだ。
ビクターの作り上げた巨人は、先ほど謎の魔術師によって打ち倒された。ヨハンとビクターは二人とも、亀裂付近に立ってその様を見ていたのだ。ビクターは絶望的にくずおれ、ヨハンは顎に手を当てて目を光らせたのである。
それから魔術師が地上に降り立ってなにやら騒動を起こしていたが、ヨハンは大して関心を持たず、ビクターを見据えていた。
「ビクター。あなたの研究も、その証明である実験も、これで終了です。分かりましたか? 愛だの未来だの口にしても所詮結末はこんなものです」
ビクターは立ち上がり、夜明けの空を見つめていた。まだ若いはずの彼の表情は、どこか老成した雰囲気をたたえていた。
「結末が……」とビクターはゆっくりと口を開く。「結末がどうであれ、私の研究には意味がある。未来を切り拓くための大いなる意味だ。君にそれを止める権利があるのかね?」
もはや彼には窮地を救ってくれる味方もいなければ、張りめぐらした策もない。そのことごとくが破壊されたのだ。
巨人が立っていた場所――不自然に抉れた地面を眺めながらヨハンは答えた。
「権利は必要だと思いません。女王に倣って、自由意思でどうでしょう? 生かすも殺すも私の自由というのは?」
肩を竦めて、ヨハンはおどけて見せた。
「なにも生き死ににこだわっているわけではない」とビクターはすっぱりと答える。
「では、なにが重要だと言うんです? この状況で生き死に以上の問答はないでしょうに」
「違う」ビクターは言葉を切り、痛々しく破壊された街並みを見つめる。「肝心なのは未来だ。たとえ今がどれほど残酷だろうとも、礎になりさえすれば報われるのだよ。……君には分からないだろうがね。私は私自身が礎となれるなら、死ぬのも、メアリーのように死体を工夫されるのも拒絶しない。それが遥か先の人類に繋がるのなら有意義とさえ思えるね」
「意義なんて問題にするつもりはないですよ。なるほど、確かにあなたの実験は有用な面もあるでしょう。ただ、それも悪辣極まりない過程ですべて台無しになるというものです。……こうして対抗勢力に一切合財潰されるような研究に意義など見出せませんね。賛同あってのものでしょうから」
「賛同?」言葉を切り、ビクターは短く笑いを漏らした。「賛同されるような研究で到達出来たのが、所詮は王都の防壁レベルだ。それ以上のこととなると、倫理や道徳で縛りつけられて先に進めたものじゃない。……真人間には真実など見えていないのだ」
ヨハンの顔から表情が消える。「あなたには真実が見えたと?」
ビクターは一切怯むことなく言葉を返した。
「見えてはいないさ。ただ、それらしきものを掴む寸前だった。たとえば、あと一歩グールの研究を推し進めれば魔物の発生理由まで特定出来たかもしれない。彼らの組成がなんであるか、そして、それさえ解き明かせば他の魔物についても同様のことが言えるのではないか、とね。……しかしそれもここまでだ。私が掴み損ねた真実もそうだが、対魔物の兵器さえすべて無に帰すつもりなのだろう?」
「それはハルキゲニアの自治次第でしょう。ただ、子供を利用して防壁を維持するような馬鹿げたシステムは破棄するでしょうな。……あなたならもっと健全で受け入れやすい方法を取ることも出来たのではないですか?」
ビクターは首を振って否定する。眼鏡の奥の瞳は、すっかり輝きを失っていた。「健全な考えで到達出来る地点ならば、とっくに実践済みだ。そうではないもの――毒を呑む覚悟でなければたどり着けない場所もある」
「たどり着いた場所が無であっても?」
「無にするかどうかは君たちの問題だ。私がハルキゲニアで出来ることはなくなった……。先ほどの話通り、生き死にを決するのは君だ。……ここで君に取引を持ちかけてみよう」
ヨハンは薄笑いを浮べた。「取引? いいでしょう。聞きますよ」
ビクターは一拍置いて切り出した。
「私と組んで人類の未来を切り拓くというのはどうだね? 君が適宜軌道修正をすればお眼鏡にかなった成果が生まれるのではないかな? ……私の見たところ、君は人道や正義感で動くような男ではないだろう。実は、倫理や道徳も持ち合わせていない。……必要なのは広義の報酬だ」
沈黙が広間に流れる。遠く海峡からの風が二人の間を縫って吹いた。
「是とも非とも答えたくはないですね……。それで、あなたと組むことで私はどんな報酬が得られるのでしょう?」
「未来――では納得しないだろうな」
「当然です」
「ならば、『最果て』全土でいかがかな?」
「するとあなたは、国を征服するつもりなのですか?」
ビクターは両手を広げ、不敵に笑った。「研究の維持発展のためなら、それもやってのけようじゃないか。私は研究のためならどんなことにでも協力する。……エリザベートへの助力も、結局は研究の継続が第一理由だ。ここで私がおこなおうとしていたことを知っているだろう? メアリーを筆頭として、ハルキゲニアの死体をすべて礎とする。百ではきかぬ大軍勢の誕生だ。彼らは私がタクトを振れば一斉に動き出し、あらゆるものを徹底的に蹂躙する。魔物も、人もだ。それが王都にとってどれだけの打撃になるか分かるか?」
「しかし、肝心のメアリーは魔術師に滅ぼされた」
ビクターは首を横に振った。「確かに。だが、メアリーが百体いればどうだ? 千体なら? ……君も判断に迷うところだろう。私は王都崩壊の可能性が高いと読んでいたがね」
ヨハンは素っ気なく返す。「あなたの言う通りです。この実験が成功していれば王都は破壊されたでしょうね。勢力が拮抗したとしても、あなたは別種の実験で勝ち筋を作るでしょう」
「そうだ。……私は目的の到達に限りなく近付いており、ハルキゲニアで思わぬ打撃を受けなければきっと果たしてしただろう。それもすべて、協力者であるエリザベートの願いを遂げさせるためだ。無論、私にとっても――ひいては人類にとっても――益のある手段を用いたに過ぎない。……どうだ。国を征服し『最果て』全土を君に受け渡すことも難しくないと信じていただけるかね?」
またも沈黙が訪れた。ヨハンは口を閉ざして、みるみる白んでいく空を眺めている。ビクターもまた、返答を焦ることなく泰然とかまえていた。
やがてヨハンの口が、薄く開かれる。
「信じますよ。確かにあなたの研究を遺漏なく遂行すれば、おっしゃる通りの効果を上げるでしょう。報酬としては申し分ない。説得力もある」
「なら、共に進もうではないか」とビクターは手を差し出した。
ヨハンは握手を求めるその手を見つめる。
「――お断りします」
「なぜ?」
「あなたの品性の問題……は些細なことです。……なに、こちらにも事情というものがあるんですよ」
有無を言わせぬ拒絶。ビクターは深く息を吐き、手を引っ込めた。
「そうか。ならば仕方がない。君がはじめに言った通り、これが生き死にの問題なら私を好きにするといい。一介の研究者に抵抗する手段などないからな」
ヨハンは懐からナイフを取り出し、刃を見つめた。「懺悔の言葉は?」
ビクターは真っ直ぐに彼を見据える。その瞳には一点の恐怖もなかった。自らの生還を願う望みも、打ち砕かれた絶望もない。しかしながら、諦めもなかった。
「ない。私は懺悔すべきことなどひとつもしなかった。すべては人類のために必要だったのだからな。……君は私の研究が無だと言っていたが、そうではないと確信している」
「なぜ? 先ほどあなたは、無に帰すかどうかは私たちの問題だと主張したではないですか」
ビクターは口の端に微笑を浮かべた。「そうだ。すべては君たちの問題であり、私はここで物理的に退場するだろう。しかし、種は蒔かれた。私の言葉と研究を味わった君たちの精神に残り続ける。それがどのような名を持つかはそれぞれ異なるだろう。憎しみ、怒り、悔恨……悲惨な情景を前にするとき、私を思い出すかもしれない。そして未来のためには善悪を超越しなければならないと考える日が来るかもしれんね。……私は君たちの頭から永久に忘れ去られることはないだろう。経験とはそういうものだ。きっかけさえあればいつでも蘇る」
ビクターの言葉に淀みはない。彼はさらに続けた。
「……ヨハンと言ったな。君は私を永久に忘却してしまえるかね? それとも、忘却魔術でも自分にかけるか? それは敗北の味を君の身に刻まないかね? ……私を悪党だと信じ込んでいる者もいるだろう。特にあのお嬢さんなんかがそうだ。ところで、今は正義を妄信しているが、悪を知らねばならないと気付いたとき、その頭に私が蘇らないという確信を持てるか? 私が蒔いた種は根深く、そして広範だ。すべて摘み取ることなど出来はしない。それだけでも私は充分な意義を感じる」
朝陽が亀裂から射し込んだ。ヨハンは目を閉じて、瞼の裏の光彩を視る。
「大した悪党ですよ、あなたは」
ビクターはヨハンから目を逸らし、空へと視線を注いだ。消えゆく明星を見つめたのか、それとも生まれたての太陽を直視したのかは誰にも分からない。
「そう言っていただけて光栄に思うよ」
ヨハンはナイフに付着した血液を拭き取りながら、ビクターを見下ろした。すでに息はない。目的は完遂されたのだ。
ハルキゲニアの夜は明けた。が、ヨハンは自嘲気味に呟く。
「俺だけが夜に取り残されている」
ノックスとシェリーどころか、誰にも聴こえないような声量だった。
それから首をボキボキと鳴らし、広間を見つめた。まだ魔力維持装置は残され、そこに繋がれた子供たちもいる。
ヨハンは大きく伸びをして、広間の隅でうずくまるノックスとシェリー、そして数人の子供たちに声をかけた。
「悪夢は終わりました。坊ちゃんがたも嬢ちゃんがたも、心配することなどひとつもありません。これからはすべてが良くなる。安心なさい。ハルキゲニアは生まれ変わります」
そして、はなはだ不器用な笑みを浮かべた。
◆改稿
2018/05/13 誤字修正
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『魔力維持装置』→ハルキゲニアを囲う防御壁に魔力を注ぐための装置。女王の城の設置されており、子供の魔力を原動力としている。詳しくは『151.「復讐に燃える」』にて
・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『メアリー』→ビクターの妻。既に亡くなっているが、ビクターの実験によって蘇った。意思はないとされている。詳しくは『153.「鎮魂と祝福、祈りと愛~博士の手記~」』『154.「本当の目的地」』参照
・『王都』→グレキランスを指す。クロエの一旦の目的地。
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。感情表現が薄い。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。人懐っこく、気さく。詳しくは『94.「灰色の片翼」』『98.「グッド・バイ」』にて




