170.「覚悟の報酬」
帽子屋が奇術帽にレイピアを挿す。宙を漂う複製帽から八本のレイピアが現れた。
うぬぼれ。その四文字が胸に広がる。八つの帽子を裂くには『百花狂乱』を使うしかなかったのだが、それでなんとか出来ると考えていた甘さを修正する必要がある。今、わたしの目の前で冷えた表情を浮かべるオッドアイの男は、『最果て』で出会った誰よりも強い。
油断。甘え。斬撃を鈍らせるあらゆる要素を振り落としてはじめて互角に戦える相手……。そのくらいに思ったほうが良さそうだ。
「さて……振り出しに戻ったが、どうする……?」
冷めた声が広間にこだまする。
どうもこうもない。前進するだけだ。「あなたがびっくりするようなことをしてあげる」
一度見せた攻撃は通用しない。こちらの斬撃速度もある程度把握されてしまっている。そして『百花狂乱』を使わなければ八つの複製帽子を突破出来ないことも見ぬかれている。
なら――。
八本のレイピアが飛ぶ。大きく戦法は変えず、一旦は全ての攻撃を凌ぎ続ける。長く息を吐き、深く吸う。呼吸のリズムを意識して、奴の攻撃を捌いた。
そして、扉の先を想う。
ノックス。シェリー。そしてビクターに捕らえられた子供たち。燃え上がる怒りと焦り、それを冷静な心で見つめた。衝動に身を任せたら破滅する。かといって冷静一辺倒では永久に複製帽子の包囲網を突破出来ない。なら――どちらも捨てなければいい。
覚悟だけは一瞬で出来る。騎士時代の財産であり、ある意味では呪いかもしれない。身体に染みついた習慣や信条はわたしを助け、同時に酷く傷付ける。
けれど、それで構わない。
腕に意識を、足に力を込める。一瞬だけでいい。帽子屋のクールな面の皮を剥がす力を――。
呼吸を止め、サーベルを最高速度で振る。それと同時に帽子屋へと疾駆した。右肩と背。脇腹と左腿。それぞれに焼けるような鋭い痛みが走った。
――構わない。手足を決して止めるな。
追い縋る複製帽子の斬撃を弾き、駆けた。帽子屋まで残り五メートル程度。この速度で直進すればこっちの刃が届く。
帽子屋は酷く冷めた目付きでこちらを見据えていた。
「突っ込んでくるだけか……。策でもあるのか……? さっきの技はもう出せないだろうに……」
『百花狂乱』の使用が出来る状態でないことまで見抜かれているわけか。どれだけこちらを深く捉えているかが分かる。単なる冷静さだけではその鋭さには到達出来ないだろう。相応の経験と、それを下支えする才覚と性格。必要なものを全て兼ね備えている目の前の男に嫉妬すら覚えた。彼ほどの男ならきっと王都でも重宝するだろう。しかるべき訓練を受けていれば今頃とんでもない怪物になっていたかもしれない。
しかし。
その心はどこまでも哀れだ。生きている実感とやらのためにビクターの醜悪な実験に目を瞑るなんて、強者のすることではない。彼ならビクターに反抗することも、そして女王に抵抗することだって造作ないだろうに。
歯噛みして駆ける。残り四メートル。
ウォルター。あなたは多分、思い違いをしていた。彼は決して周囲を見てなどいない。自分の欲望を満たすためにハルキゲニアで仰々しい役職と、とぼけた名前をもらうような人間だ。
正しく振るわれない力は、いつか破滅の道を辿る。それを与えてやるのはわたしの役目だ。
残り三メートル。
全身が痛みを訴えている。それがレイピアに裂かれた傷のせいなのか、『百花狂乱』の反動や帽子屋の膝蹴りによるものなのかは判断出来ない。今は自分の身体を心配している余裕などないのだ。
この接近戦で全てを終わらせられるとは思っていない。けれど、勝利の鍵は必ず掴んでやる。そのためなら多少の傷なんてどうってことない。扉の先にある小さな魂を思えば痛みなどささやかなものだ。ハルキゲニアで彼らが味わった悲劇とは、とてもじゃないが比べ物にならない。
女王の城まで来たんだ。あと一歩のところに救うべき子供たちがいるのだ。立ち止まってたまるものか。
残り二メートル。
帽子屋の顔にすっかり冷めきったような呆れが広がった。
「突っ込んでくることを読んでいなかったとでも……?」
彼の言葉とともに、その背後から四つの複製帽子が現れる。
帽子屋の奇術帽はレイピアを挿入していないときのみ複製出来るはずである。にもかかわらずこうして新たな帽子が現れるということは――。
心の底から帽子屋を敬服した。彼は八つの複製帽子を二度見せ、それが限界数だと刷り込もうとしたのだろう。現に八つ以上の複製には考えが及ばなかった。そして彼は、わたしを蹴り飛ばした次の瞬間には合計十二の帽子を創り出し、八つのみこちらに放ったのである。残り四つに関しては今のように接近されたタイミングで使用出来るように。
どこまでも鋭い男だ。こちらの衝動までも勘案に入れているのかもしれない。
四本の刃が身体に突き刺さる。右胸、左肩、腹に二本。致命的かもしれない。『黒兎』にナイフを突き立てられたときよりもよほど深刻な傷。
完敗だ――わたしが覚悟を決めていなかったなら。
帽子屋の瞳が震えた。それもそうだろう。四本のレイピアに貫かれてなおサーベルを振るう姿に畏怖以外のなにを思い浮かべよう。
さあ。
――剣を振るえ。
「あああああああぁぁぁぁ!!」
咆哮とともに斬撃を放った。帽子屋は咄嗟に後方へ跳ねる。
サーベルは彼の身体には届かなかった。帽子屋は一滴の血液さえ流していない。一方でこちらは随分とダメージを負ってしまった。しかし、決して無策とも無謀とも思わなかった。わたしは確かに、一歩進んだのだから。
帽子屋の手には奇術帽が半分のみ残っていた。真っ二つになったもう半分は床に転がっている。切断面から霧状の魔力が流れ出し、霧散した。
「なるほど……」
言って、帽子屋はもはや魔具として体をなしていない奇術帽を床に放り捨てた。わたしが本体を裂いた瞬間、今まで複製されていた合計十二の複製帽子も同時に消えたのである。
「……これで面倒な攻撃はおしまいよ。魔具を使ったトリッキーな攻撃も、不意打ちもなし。純粋な剣術勝負」
サーベルの切っ先を向けると、帽子屋は目を丸くして口元を緩めた。そして、その顔に少しずつ微笑が浮かんでいく。
「先ほどは侮るようなことを言ってすまない……。お前のような人間に俺は会いたかった……」
言って、帽子屋は半身になった。そして真っ直ぐこちらにレイピアを向ける。
「生憎だけど、こっちはあなたに会いたくなかったわ。叶うなら今すぐそこを通してほしいくらい」
「悪いが、それは出来ない……。敵の排除は女王から与えられた役割だ……」
忠実な戦士。持ちうる意志といえば強者との戦闘欲求のみ。悪党にとってこれほど都合の良い手駒はないだろう。そして帽子屋自身も手駒であることを知ってなお、女王に平伏している。
「生きている実感はあるかしら?」
訊くと、彼は短く首を振って否定した。「まだない……。お前が与えてくれるんだろう……?」
流れる血が肌を伝う。皮肉なことに、自分自身がまだ生きて戦えることを幸福に感じた。決して戦闘狂としての意味ではなく、果たすべき目的のための安堵である。
子供たちの救出。ビクターと女王の打倒。そして――ニコルの撃破。
遠く薄く、しかし繋がり合っている。この一瞬が未来へ続くはずだと信じた。
「今からが本番よ」
そう。彼はまだ魔具を失っただけの立場だ。決して戦闘は終わっていない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。『タソガレ盗賊団』元リーダーのジャックに酷似している。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて
・『奇術帽』→シルクハット型の魔具。能力は①帽子の複製②帽子の操作③帽子本体と複製帽子の内側を繋げる。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在はビクターに捕らえられている。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。




