169.「生の実感」
わたしの場合、魔力の察知は視覚に依存する。呪力に関しても同様だ。つまり、暗闇では察知力が弱まり、死角に対しては全く気付くことが出来ない。
この弱点を指摘したのは騎士団ナンバー9のシンクレールだった。はにかみ屋で繊細な青年だが、魔術の腕は確かである。他人の見落とした点に良く気付く人だったので、プライドの高い騎士たちからはあまり好かれていなかった。わたしも孤立しがちなタイプだったので、彼とはなんとなく馬が合ったのだ。多分、騎士時代で唯一友達と言っていい人間かもしれない。いや、でも、やっぱり、ただの同僚だ。
彼に指摘されて以降、わたしは弱点の克服のために彼の魔術を何度浴びたか分からない。視覚に頼らずに魔力――そして呪力――を察知するのは困難を極めた。生傷の絶えない訓練だったが、必要な過程だ。呪術を巧みに扱う魔物に直面したときの絶望を考えれば安いものである。
わたしが編み出したのは決して高度な技術ではなかった。魔物の気配を読むように魔力を読む。魔物の気配ならば漆黒の闇の中にあってもはっきりと把握出来た。
一時的に魔物の気配を捉えられなくなる代わりに、瞳に頼ることなく魔力を察知する。そう長い時間維持することは出来なかったが、瞬間的に敵の術を凌ぐには充分だ。加えて、イメージの力で集中力を高めて高速で刃を繰り出せば敵の攻撃が何発あろうとも脅威にはならない。
狂い舞う刃から名付けて『百花狂乱』。
「驚いたな……。目を閉じてあれだけのことが出来るのか……」
帽子屋は素直な口調で言った。
「目を閉じると集中力が高まるのよ。あなたもやってみたらどう?」
「遠慮しておく……」
帽子屋はレイピアを抜き取り、奇術帽を振り上げて円を描いた。その軌跡が複製帽子を生む。
合計八つの複製。先ほどよりも困難な状況――とは思わなかった。奴は一度『百花狂乱』を目にしている。迂闊に有効範囲内に入れば跡形もなく切り裂かれることは経験済みなのだ。数は多くとも慎重にならざるを得ない。その分、こちらが先手を取れる。
『百花狂乱』自体はそう何度も連発出来る技ではない。通常の重さの武器で使用したら、すぐに腕が駄目になるだろう。手にしているのが長年使い込んだ魔具ならともかく、今のサーベルではやはり違和感が強い。腕の負担を考えても、せいぜいあと二回使えるかどうかだ。
充分牽制にはなった――はずだった。
「生の実感を与えると言うなら、これしきで終わってくれるなよ……」
帽子屋は奇術帽にレイピアを挿入する。八つの複製帽子による奇襲は諦めたのだろう。代わりに前方で浮く八つのレイピアがこちらに切っ先を向けた。
――複製帽子が迫る。
休憩する暇なんてない。八本の斬撃は想定していたような慎重さは一切なかった。容赦のない攻撃の雨。受け流し、弾き、かわす。火花が散り、網膜に光が焼き付く。
そんな攻撃が些細に思えるほど集中力を高め、一撃一撃を適切に捌いていった。
見立てが甘かったか。圧倒的な攻撃を見せても帽子屋は怯むどころか余計にヒートアップしているように思える。彼にとって生の実感とは苛烈な戦闘において得られるものなのだろうか。だとしたら、彼も立派な戦闘狂だ。
複製帽子は徐々に距離を詰めてくる。それにつれてこちらの対応速度を上げざるを得ない。八つの帽子に囲まれ全ての斬撃に対処しなければならず、視界は目まぐるしく変わった。常に八方を意識して身を翻しつつサーベルを振るう。必然的に帽子屋の姿を捉えている時間も少なくなる。
良くない兆候だ。複製とはいえ八つの魔具を正確に操ることは生半可な能力では出来ない。この状況で帽子屋にどれだけの余裕があるのかは分からなかったが、もしなにか仕掛けてこられたら対処出来るかどうか……。
やむを得ない。
一旦この嵐を消し去ってしまわなければ帽子屋への接近はおろか、一方的に踊らされるだけだ。そして徐々に消耗させられ、動きが鈍ったところを致命的な一撃が襲う。およそそんなところだろう。
なら、こちらから仕掛けてやる。
脳内のイメージを展開し、そこに没入した。花散らすつむじ風となり、一切を狂乱の舞いに巻き込んでいく。武器同士が打ち鳴らす金属音は遠くなり、散る閃光は白の花びらと同化する。
もう視界を頼る必要はない。魔力の気配は手に取るように分かる。
「百花狂乱!」
風が八方へと流れ、花弁が舞い散る。
――いや、なにかおかしい。
瞼を開けると、裂かれた帽子の黒の先で無傷の複製帽子が浮いていた。
こちらの攻撃を読んで咄嗟に帽子を引いた?
合計四つ。半分も残っている。
四つの複製帽子が接近するとともに、帽子屋自身もこちらへ駆けてくるのが見えた。彼との距離は約三メートル。複製帽子は一メートル強まで迫っている。
有効範囲内に入ると、四つのレイピアは先ほどよりも急激に攻撃速度を上げた。『百花狂乱』の反動か、捌くので手いっぱいだ。呼吸は乱れたままで、目は刃の閃きを追ってしまう。
だからこそ、帽子屋がぐっと身体を落として接近速度を上げたのに気が付かなかった。意識に入る頃には、彼の左手が奇術帽に触れていた。
――来る。
咄嗟にサーベルを振り下ろすと、帽子屋が魔具から引き抜いたレイピアと激突した。威力が完全に乗る前の刃――わたしのサーベルは帽子屋の斬撃に弾かれる。
右腕に痺れが伝播した。魔具を鞘代わりにして、抵抗を乗せた重い一撃を放ったのだ。これも『アカデミー』で見たはずの攻撃である。
サーベルを腕ごと跳ね上げられても、決して柄を離すことはなかった。しかし、決定的な隙であることに変わりはない。
帽子屋の膝が伸びるのが見え、半身になって腿で受けた。痛みが走り、わたしの身体は転がるように吹き飛ぶ。
即座に立ち上がると、帽子屋の周囲に八つの複製帽子が創られるところだった。一切の油断を断ち、最短の勝利を望んでいるのだろう。
深呼吸を繰り返す。まずは冷静さを取り戻す必要があった。
『百花狂乱』を一度目にしただけで破り、なおかつベストなタイミングで反撃を繰り出したのだ。見事と言うほかない。
一方でこちらは奇術帽を鞘にした攻撃も体術も身をもって知っているにもかかわらず、対処しきれていない。――いや、対応出来ない瞬間を見切って仕掛けたのだ、帽子屋は。自らが持つ攻撃のバリエーションを最適に扱うことが出来ているのだ。
思わず奥歯を噛み締める。
当初の考えでは、『最果て』で『百花狂乱』を出すつもりはなかった。繰り出せる重量の武器と、使用するに足る敵が現れると思っていなかったのだ。しかし、今はどちらも存在する。
「もうお手上げか……? グレキランスの騎士……」
帽子屋は沈んだ口調で呟く。
呼吸に集中し、返事はしなかった。
「俺に実感をくれるんじゃなかったのか……?」
磨り減る命や散る火花に、生きている手応えを感じるのだろう、きっと。分からないではない。けれど、そこに足を取られて憂いに落ちていくのはナンセンスだ。
「焦らなくても、たっぷり味わわせてあげるわ」
「期待に応えてくれ……グレキランスの騎士……」
結構。応えてやるつもりよ。――そんな強がりを口にする余裕はなかった。今は帽子屋の攻略方法に思考を割かねばならない。
しかし、いくら考えてもスマートな突破口は見出せなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『呪力』→魔物の持つ魔力を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『呪術』→魔物の使う魔術を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。『タソガレ盗賊団』元リーダーのジャックに酷似している。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』にて
・『奇術帽』→シルクハット型の魔具。能力は①帽子の複製②帽子の操作③帽子本体と複製帽子の内側を繋げる。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。倒壊済み。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地。通称『王都』。




