149.「或る奇蹟」
暫くの間、空中に佇んでいた。怒りを冷まそうとしたのではない。破壊すべき城を目に焼き付け、討ち倒すべき敵を思い描いていたのである。
想像の玉座は魔王の城と重なった。ニコルと魔王に比べればハルキゲニアの敵はどれほどちっぽけだろう。なのに――。
頭の中で鮮血と悲鳴が渦を巻く。子供たちもセシルも、目の前で死んだ。既に致命的な実験がなされていたとはいえ、その事実に打ちのめされそうになる。わたしは目前の命さえ救えない。
手のひらに痛みを覚えたが、それでも拳を握り続けた。
敵地――女王の城ではどれだけの命が消えようとしているのだろうか。その灯火は、あとどのくらいもってくれるだろう。
ノックスとシェリーを想って、胸が張り裂けそうに痛んだ。もはや一刻の猶予もない。
深呼吸をして地面を見下ろすと、瓦礫の隅で小さな影が動いた。もしや、と思って一歩ずつ空中を降りていくと、予感は確信に変わった。
テンポを早めて駆け降りる。瓦礫の間に小さな頭が見えた。
子供だ。
「待ってて! すぐ行くから!」
叫ぶと、子供はこちらに顔を向けた。女の子だ。
生きてる。小さな命が、この壊滅的な悲劇を越えて生きている。
瓦礫に降り立つと、その悲惨な状況に胸苦しさを覚えた。その子は腹から下を板状の巨大な瓦礫に挟まれていたのだ。救いを求めるような瞳と視線が重なる。
「動かないで。お姉ちゃんがすぐに助けてあげるから」
女の子は小さく頷いた。
その小さな身体と瓦礫の間は、腕一本がようやく入るほどの狭さである。瓦礫を掴んでなんとか持ち上げると、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。その子の両足は滅茶苦茶な方向に折れ曲がり、赤黒く変色していたのである。
もう歩けないかもしれない。
けれど。
瓦礫を吹き飛ばし、そっと彼女の身体を抱き上げた。
けれど、生きている。あの悪夢のような実験と『アカデミー』の崩壊から逃げ切ったのだ。代償は大きいだろう。しかし、命と釣り合うものなんて存在しない。
「痛いよね。ごめんね」
女の子はわたしの胸でふるふると首を横に振った。「……が、まん……する」
涙と痛みを必死で堪え、なんとか絞り出した、そんな声だった。なんて強い子だろう。
レオネルとヨハンが走り寄って、双方目を見開いてこの奇跡的な生命を見つめた。
老魔術師が手をかざすと、そこから煌々と魔力が溢れた。治癒魔術は彼女の全身を覆い、それでもレオネルは魔力を注ぎ続けた。
女の子は苦しげに、それでもぎこちなく笑ってみせた。「おじいちゃん……ありがと」
レオネルは顔中に汗を滴らせながら「痛いの、飛んでけぇ」と呼びかけた。笑顔まで浮かべて。強い人だ。
「アジトに戻りましょう。ここに長居すべきではありません。一刻も早く安全なところへ移すんです」
女の子はレオネルが抱き、わたしたちは『アカデミー』をあとにした。
入ったときとは違って、正門が開いていた。それはビクターの慢心か傲慢さの表れとしか思えない。ルフ五体など倒せまい、という嘲笑。あるいは、鍵をかけたところでルフの群を突破するような人間には打ち破られる、という論理的諦念。ビクターに付随するなにもかもがわたしの神経を逆撫でした。正直、二度と会いたくない。けれど、避けて通れない相手なら徹底的に叩きのめすだけだ。
アジトへ向かう道中、わたしたちは随分と早起きな富裕街区の住民に取り囲まれた。が、意外なことに警戒の必要はまるでなかった。
彼らはわたしたちを囲んで、女の子の傷やわたし自身の傷に同情し、薬や包帯を恵んでくれる住民までいた。なにがなにやら理解出来ない。彼らは女王側の人間なのではないのか。
「大丈夫かしら」「良かったら私の邸で休んでいくといい」「どうしてそんな目に……」
口々に心配や疑問を露わにする彼らに向けて、ヨハンは高らかに告げた。「『アカデミー』から助け出したんですよ、この子を。あの施設は女王のおぞましい実験場でした……。残念ながら他の子はひとりも……」
ぎょっとした。
どうして女王政権に批判的なことを、よりにもよって膝元の富裕街区で口走るのか。警備兵か騎士団を呼ばれて捕縛されるのは目に見えている。
しかし、結果としてそうはならなかった。住民たちは怒りを隠すことなく言葉にしたのだ。
「女王は悪党だ」「なんて酷いことをするんでしょう……」「生かしておけん!」
今までわたしが抱いてきた住民像とは正反対だった。等質転送器を破壊したことによってこれほど極端な結果が表れたのだろうか。その魔道具がどれほどの効力を持っていたのかは知りようがなかったが、今はこの幸運と、革命の機運に乗るしかない。
ヨハンは彼らを煽るように告げた。「数日以内に私たちは女王の城を攻めます。もし勇気ある住民で、なおかつ女王を許せないのなら、共に手を取って戦いましょう。――ハルキゲニアの正しい未来のために」
ささやかな歓声が富裕街区に響いた。
去り際にヨハンは「革命の時は近いうちに訪れます。あなたがたにも分かるかたちで……。ですから、それまでは政府の人間に無茶な抵抗はしないでください。今まで通りの態度で過ごすよう、お願いします」と釘を刺した。きっちりしている。
アジトに戻る頃には、空は濃い群青に染まっていた。夜明けの一歩手前である。
レオネルの継続的で献身的な治癒魔術のお蔭で、女の子の顔に血色が戻っていた。いくらか安心したが、そもそもが足を治せるほどの魔術ではない。こればかりは経過を見る必要があるだろう。
帰還したわたしたちをレジスタンスと盗賊一同は囲んだが、ともかく子供の安全を優先しなければならなかった。結果報告は後にしてアジトのベッドに女の子を寝かせると、レオネルは膝を突いた。
ぜえぜえと喘ぎ、肩で息をしている。
「レオネルさん……すみません。あなたのペースも考えずに魔術を使わせてしまって……」
熟練の老魔術師といえども、一晩中魔術を使いっぱなしだったのだ。並の魔術師ならとっくに倒れていてもおかしくない。
しかし彼は気丈にも治癒魔術を継続した。
「ご心配なく。……儂は未来へ希望を繋げられればそれでいいのです」
礎。思わずその言葉が頭に浮かんだ。ザクセンやビクターが口にした同じ単語とは根本的に異なっている。レオネルはハルキゲニアの健全化のためなら枯渇を恐れず魔術を使い続けるかもしれない。
思えば、革命を始めたのはレオネルだ。何年もかかって、ようやくそれを叶えようとしている。あとは最後の――そして最大の壁を破壊するだけ。
決定的な場面から途中参加したわたしには分からないような苦痛があったんだろう。気の遠くなるような時間を革命に捧げてきた。全てはハルキゲニアのために。
「あとは儂が看ておきます。なに、無理はしません。休み休み、魔術を使いますから」
老魔術師は優しげに微笑んで見せたが、有無を言わさぬ口調だった。
わたしとヨハンが廊下へ出ると、ドレンテとレジスタンスがずらりと並んでいた。
「ご苦労様です」と彼は深々と頭を下げる。「『アカデミー』の方角から非常に大きな音が聴こえたもので、心配していたのです」
確かに、それはそれは大きな音だったろう。
「『アカデミー』は倒壊しました」とヨハンが答えると、ドレンテは目を輝かせた。
「すると、また一歩革命に近付いたのですね?」
ヨハンは苦々しく首を振って否定する。「要所は破壊しましたが……今晩の戦いは勝利と呼べるものではありません」
わたしも同じ気持ちだった。『帽子屋』に見逃され、メアリーとビクターは去っていった。『アカデミー』の子供はひとりを除いて全滅。勇気を振り絞って協力してくれたセシルも無残な最期を遂げた。
これをどうして勝利と表現出来るだろう。
どこからどう見てもわたしたちの負けだ。
ドレンテはわたしたちの様子を察したのか、それ以上はなにも言わなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ノックス』→クロエとともに旅をした少年。本来は『アカデミー』に引き取られたはずだったが、現在行方不明。
・『シェリー』→ハイペリカムで保護された少女。クロエによって『アカデミー』に引き渡された。ノックスと同様に、現在行方不明。詳しくは『94.「灰色の片翼」』、『98.「グッド・バイ」』にて
・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。実際はビクターの実験施設。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』『121.「もしも運命があるのなら」』『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『等質転送器』→拡声器型の魔道具。声を均等に届ける効果を持つ。ビクターの発明品であり、ヨハンが破壊した。詳しくは『118.「恋は盲目」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。詳しくは『98.「グッド・バイ」』にて
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダー。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』にて




