Side Rani.「生涯得られないものに縛られて」
※ラニ視点の三人称です。
不夜城の真下に広がるアンバランスに建て増しされた家屋群のひとつ。石造りの屋根のうえにルドラの長女ラニが横たわっていた。数時間前までは身動きひとつ出来ない状態だったが、今は身を起こすのも可能である。全身に痛みは感じれど、深手は負っていない。
通常、血族であれど落下の衝撃で無傷ということはありえない。命は残っていても肉体の損壊は免れないものだ。ラニが骨ひとつ折れていなかったのは、彼女の危機察知が無意識のうちに肉体を動かし、まとった装束を帆のように扱って落下速度を抑え、屋根に直撃する瞬間には全身に衝撃を分散するよう受け身を取ったのである。それでもしばし気絶していたし、目を覚ましてもぼんやりとしていた。今もまだ、意識は泥のなかにいるかのごとく気怠く鈍い。
だからだろう、嫌なことばかり思い出してしまった。
ルドラの長女として産まれ、我儘放題を尽くしてきた日々。父は彼女を猫可愛がりして、手に入らないものはひとつとしてない。長じてからはルドラの宮殿のそばに離宮を建造してもらい、多くの下男下女を従えてなに不自由ない生活を送った。父が夜会卿のオークションに出向く際は必ず同伴して、目ぼしいものはすべて競り落としてもらう。
しかしながら、なにか手に入れるたびに、どうにも埋めがたい感覚が束の間彼女を襲った。手にしたものをガラクタに変えてしまうような、冷や水をかけられた感覚。その瞬間は、決まって幼い頃に読んだ絵本が思い起こされた。少女が或る日魔術に目覚め、人々を救済していく内容。世界に影を落とす強力な化け物を魔術で打ち破った主人公は、喝采と尊崇を総身に浴び、人々を導き、喧騒の絶えなかった世界を平和の紐帯で結び留める。
自分に魔術の才能がないと知ったのは、三人目の家庭教師が文字通り首を切られてからのことだった。三人とも優秀な魔術師とされており、彼らは口を揃えて『この子は一生かけても魔術を会得出来ない』と断言したのである。
マヤが産まれたのは、ラニが成人してからのことだ。はじめは妹を可愛がっていたものだが、あるときから疎ましくて仕方なくなった。誰が教えたわけでもないのに魔術を扱って、あまつさえ姉に披露したのである。衒いのない、幼い笑顔で。その瞬間、愛情は憎悪に反転した。平気で打擲したし、罵倒した。父に窘められたものだが、マヤが魔術でこちらを攻撃したのだと臆面もなく言ってのけると、父はマヤに領地内での魔術の使用を禁じたのである。胸がすく思いと同時に、心がどろりと溶け出すような嫌な気分になった。
それからというもの、マヤはすっかり大人しくなり、ラニに近寄ることも少なくなった。もっとも、ラニのほうで事あるごとに妹に接近しては虐めたわけだが、それで心が晴れることもなく、すっかり服従の態度を示しているのに目付きだけは鋭いものだから、却って不快感を強くした。
マヤが第三子のアビシェクと殊更仲が良かったのは知っている。よく野山へ散歩に出かけていた。或る日、こっそり二人のあとを付けると、人気のない原っぱに寝転んだアビシェクにマヤが覆いかぶさり、唇を重ねるのを目にしたのである。どうやらそれははじめてのことだったらしく、アビシェクはマヤを叱りつつも宥めていた。
マヤはアビシェクを愛している。そう確信したラニは、アビシェクを離宮に呼び寄せ、下男下女に命じて拘束し、身体を重ねたのだった。アビシェクは非難の声を叫んでいたが、そんなものは耳に入らない。マヤが自分にないものを持っているなら、それ以外の全部を奪ってやりたかった。
アビシェクと関係を持ったことを告げたときのマヤの顔は、まるで仇を睨む者のそれだった。実際、仇のようなものだろう。それでもこちらに指一本触れずに平服しているのは、長年の習いからか。マヤがアビシェクに事の次第を確認したのかどうか、ラニは知らない。そこまで興味はなかった。ただ、屈辱と疑念を妹の心の深い場所に突き刺して、永遠に血が流れ続ければいいと思っただけだ。
だからこそ、マヤがアビシェクとともに夜会卿への供物に志願したとき、ラニは内心で興醒めしたものだった。虐める相手がいなくなるのは虚しい。マヤ以外の誰かを標的にしたところで代わりにはならないのだ。
しかし妹は生還した。
愛する愛するお兄様の死体を抱えて!
査定前の一場では、破裂しそうな歓喜を抑えて、強いて嫌悪感を繕った。やっぱり妹には生き続けて、永遠に苦しみを味わってもらわなければ済まない。アビシェクだけが死んだのは啓示だ。天はマヤを罰している。姉にない力を持ってしまった妹から、なにもかもを奪うのが正しいのだと示している。
査定が終わってすぐにマヤをいびりに行ったのだが、少し気圧されてしまったのは事実だ。
彼女はアビシェクの心臓を喰った。天に見放されようと、抵抗し、なにかを獲得した気になっている。薄気味悪いほどの執着。
一方で業腹な事態も起きた。アリスとかいう魔銃使いと戦ったとき、マヤはこれ見よがしに魔術を使って見せたのである。これまでの道々では一切魔術を使わなかったし、ルドラ領でもちっともその力を発揮しなかったというのに。つまり、裏でこそこそ研鑽を積んでいたことを意味している。
許しがたかった。
途轍もない裏切りだと思った。
だからといって殺すわけにはいかない。殺してしまったら、溜飲を下げる方法が失われてしまう。だから虐めるだけに留めた。否、虐めることしか出来なかった。
ヴィハーンの裏切りの可能性は、気分転換にはいい材料だったといえる。あの狡猾な官吏の尻尾を掴み、成敗したのちに、あらためてマヤを虐めてやろうと考えていた。
濃い霧で、夜の空がぼやけている。星も月も霧海に閉ざされて見えやしない。
ラニは身を起こし、ふらりと立ち上がった。そして口を半開きにしたまま装束を整える。装飾品のいくつかは破損し、服も汚れていた。木靴が壊れていないのは幸いだったが、とてもじゃないが幸運を噛みしめる気にはなれない。
殺さなきゃならない相手がいる。
それも、たっぷり痛めつけて、泣かせて、とことんまで追い詰めたのちに殺さなきゃいけない子供が。
ラニは屋根の縁に立ち、不夜城の入り口を睥睨した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『アビシェク』→縫合伯爵ルドラの次男。ルドラの指示で夜会卿に捧げられ、殺害された。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて




