Side Johann.「秘密の地下道と非戦闘員」
※ヨハン視点の三人称です。
四方十メートルほどの、天井の低い空間をランプの明かりが揺れながら照らしている。お世辞にも空気がいいとは言えないが、隠れ家として申し分ないだろう。
ヨハンはあちらこちらに空いた通路を眺めながらぼんやりしていた。意識の多くを二重歩行者および、それを介した魔術の行使に充てている。自然、本体側の意識が散漫になってしまうのは致し方ないことではあった。
「お首、まだ痛いですか?」
地べたに座り込み壁に背を預けたヨハンの隣で、崩した着物姿の女性が眉尻を下げて問う。髷を高く結い、横髪は胸のあたりまで垂らしている。この町の遊女にありがちな風体だ。髷のあたりに挿した簪がランプの明かりを反射して金色に輝いている。
「いいえ、もう痛みはありません」
「それは、ようございました」
慇懃な言葉遣いのうちに甘えを含ませるのは、彼女なりのアピールなのだろう。ときどき身体に触れてくるのもそうだ。
彼女は査定の場にいなかった。戦略的降伏が決定する以前から、この町の地下道に潜伏してもらっている。少なくとも今は戦うべきではない相手を地上にうろつかせるのは悪手と思い、ヨハンが指示したのだ。
ヨハンは虚ろな表情で首元に手をやる。傷こそないものの、二重歩行者の感じた痛み――クロエに噛まれた痛みは細大漏らさず本体も共有していた。彼女から与えられる痛みを拒むつもりなどない。どうあがいても自分は卑怯者でしかないが、誠実でありたい物事もある。
クロエを水蜜香の毒牙にかけるのは、当初の計画にはなかった。不夜城に降り立った彼女を、言葉を弄して無抵抗にし、ルドラに捕縛させる。そんな算段だった。計画を変更したのは、ヴィハーンの焚きしめた水蜜香が、クロエの行動を奪うという意味でも、その後の覚醒で本来以上の力を発揮させる意味でも有効だと判断したまでのこと。今のクロエに効力がなくともそれはそれでかまわなかったが、覿面だった。予想した以上に。
あれは、とヨハンは思う。
あれは、かつてのクロエだったと思う。演技ではない本心の言葉や行為だった。しかし水蜜香に冒された状態であることに変わりなく、そのようなかたちでこちらに相対するのは不本意だったろう。彼女の口から流れ出した言葉も、無理矢理に放たれたものだと感じられた。淀みのなかで発せられる言葉は、たとえ本心であっても真に受けるべきではない。
かつての彼女が今の彼女の心のなかにいて、表面化することなく闇に閉じ込められており、いっとき水蜜香の力で表出したように見えた。もとよりシフォンの主導権をシンクレールに譲った時点で、無感情なクロエではない人格が存在することは知れている。それがこうまで表沙汰になったのは喜ばしいが、実のところ、もとの彼女に戻ってほしいとも思っていない。彼女は自分の出自を知り、自ら無感情な自分へとバトンタッチしたようにヨハンには察せられた。彼女は彼女自身の意思で、砕けた人格を統一すべきだろう。それはかつての情緒豊かなクロエとは言えないまでも、すべてを知った彼女に相応しい新たな在り方がある。水蜜香はそのきっかけにはならない。胡乱なドラッグではなく、もっと別の外部の刺激で、クロエは互いを許し、混ざり合い、ひとりの存在として立つべきだと信じている。自分にその役割を担えるかは甚だ疑問だ。当人次第である以上、きっかけなんてどこにあるか分からない。誰が決定的な瞬間をもたらすのかも。
やがていくつもの靴音が、舗装された地下道に反響して届いてきた。ヨハンのいる場所は、各家屋に配された地下道から別の道へと進むための結節点である。むろん、ここを通過せずとも付近の家屋であれば横道から脱出できる。しかし地下を通じてより遠くへ行くのなら、自然とこの場所を通過するのだ。
「……なんでアンタがここにいるのさ」
先陣を切って地下室に飛び込んできたのはアリスだった。怪訝な表情ではあるが、怒りも混じっている。戦闘に水を差されたのを根に持っているに違いない。
「地下道を使って敵を出し抜こうとする賢い戦士を待ってたんですよ。アリスさんのような」
「そりゃ皮肉かい?」
「いいえ。アリスさんが指揮を取ってくれたようで、大助かりです」
彼女の後ろには一等以外の檻の人員も控えており、どこかで合流したとみえる。
「で、ここで待ちかまえてるってことは、裏切り者としてアタシらを一網打尽にしようってことかい」
アリスは魔銃を抜き、銃口をヨハンの額へと向けた。その刹那、銃口が遊女風の女性の手に掴まれる。ヨハンは彼女の手を軽く叩き、銃口を開放させた。このままにさせておいたら血が流れる。ほとんど一方的に、アリスの血が。
「……なんだい、そいつ」
「非戦闘員ですよ。私がここで匿っています」
「嘘つけ」
ヨハンは肩を竦め、女性が激昂する前に話頭を転じた。
「私は裏切り者ではありません。裏切ったふりをして反撃のチャンスを作ったわけでさあ。恨んでくれても結構ですが、それはすべてが済んでからにしてください」
食い下がってくるかと思ったが、アリスはすんなり銃をホルスターに戻した。
「アタシの邪魔をしたのは許さないけど、アンタが裏切り者じゃないってことはレオンから聞いてる。さっきのは挨拶みたいなモンさ」
物騒な挨拶だ。それはそうと、レオンは聡い。ココを解放した時点で、こちらの裏切りがフェイクであり、したがって反撃が約束されていると悟ったのだろう。
「それで、レオンさんは?」
「レオンもカシミールも、大通りの敵を倒しにいった。アンタが起こした騒動でも檻の前を動かなかった厄介者がいてねえ」
「なるほど」
おおかたクマールだろう。あのドラ息子はレオンとビスクへの執心を査定の場で明らかにしていた。しかし、レオンが勝てる相手だろうか。
「さて」とヨハンは不穏な疑念を掻き消して、アリスたちに呼びかけた。「ご覧の通り、壁には地下通路の地図があります。貴女がたの捕らえられていた場所は『ほろ酔い桟橋』の北東。これからアリスさんが主導して、皆さんには煙宿の南西に向かっていただきます」
「そりゃどうして? 血族どもと大将のルドラは北東あたりだろう? 檻の解放を聞きつけた血族も全部、北東に集まってくる。どうしたって戦力が必要になるのは北東じゃないか」
「血族は地上の部隊でなんとかなりますよ。問題は魔物です。今のところルドラさんの指示で静観していますが、旗色が悪くなったら動員するでしょうな。その前に、魔物を叩くのが貴女がたの役割です。南西から両翼に広がって、煙宿を包囲するキュクロプスを中心に討っていただきたい。あと、血族は捕虜にしますので、万が一対峙しても可能な限り殺さないよう、お願いします」
てっきり反論が飛ぶものと思ったが、アリスは短く頷き、後方の人々を呼びかけて通路に進みかけた。そこで足を止め、こちらへと視線を向ける。厳密には、ヨハン越しに遊女風の女性へと。
「そいつは加勢しないのかい?」
「ええ。先ほど言った通り、非戦闘員です」
「アンタの虚言癖は飽きたよ」と吐き捨て、アリスはさっさと進んでいった。彼女に続いてぞろぞろと煙宿の人々が列を為す。いずれも針姐の墨が施された人々だ。キュクロプス相手にどれだけ力を発揮出来るかは未知数だが、ひとりとして無力ではない。
やがて五人組の一団がヨハンの前に立った。元騎士見習い四人と、元真偽師のジークムントである。彼らは一様に切迫した表情をしていた。
口火を切ったのは、ローブをまとった魔術師の少年である。見習いのなかでは最年長だろう。
「ロットの居場所を教えてくれ」
「ラニさんに選ばれた少年のことですか。彼の居場所は知りません。……知ったところで、貴方がたの敵う相手ではありませんよ、彼女は」
「敵うかどうかは問題じゃない。なにか心当たりがあれば教えてくれるだけでいい」
肝の座った少年だ。口調は冷静そのものだが、瞳に炎が宿っている。
不夜城を降下している際に、二重歩行者越しに感じた特徴的な気配を思い出す。塔の膝下に広がる建て増しされた家屋群。その屋上あたりに不安定に高まっては鎮まる魔力と、どす黒い血族の気配を感じたのだ。
「不夜城付近の家屋。確信はないので、あまりあてにしないように」
ヨハンが答えると、少年少女は短く一礼して去っていった。そのあとを初老の真偽師が追う。
何人生き残れるだろうか。
目を瞑り、思いを馳せる。
血族も人間も、どれだけの生命がこの地に散るだろう。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『レオン』→ビスクの夫。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『カシミール』→マダムの養子であり、レオンの兄。血の繋がりはない。粗暴な性格だが、料理の話になると打ち解ける。人形術により自身の肉体を強化する技を得意とする。現在は『煙宿』で料理人をしている。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて
・『ビスク』→レオンの妻であり、ポールの娘。故人。ポール曰く、控えめで優しい性格とのこと。彼女の死後、レオンはその姿を模した人形を所持するようになった。彼は人形もまたビスクと呼び、大切にしている。レオンが傷付くと、人形は彼の魔力を吸い上げて駆動する。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ほろ酔い桟橋』→『煙宿』のなかで、一般的な住民の住むエリア。『不夜城』以外の部分はすべて『ほろ酔い桟橋』にあたる。居住区よりも娼館や酒場、賭博場といった広義の娯楽施設のほうが多い。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『針姐』→『煙宿』で針治療の店を営む、本名不詳の女性。派手な着物姿。語尾の上がる独特の喋り方をする。ザッヘルの妻。食後に、煙管で水蜜香を一服するのが好き。魔力を込めた墨を彫り込み、対象に強化魔術を付与することが出来る。ただし、墨は能力の使用や時間経過に応じて肉を蝕む。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ジークムント』→初老の真偽師。王への謁見前に、クロエを真偽判定にかけた。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『261.「真偽判定」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて




