表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」
1565/1573

Side Harish.「信念とはなにか」

※ハリッシュ視点の三人称です。

 四腕(よつうで)の血族ハリッシュは昼から四等の檻の前で微動だにせず、格子越しに禿頭(とくとう)の男――ザッヘルをじっと見つめていた。ラニがザッヘルの(かか)げた紙片の意味を()じ曲げて伝えてからというもの、ハリッシュの考えは一点に絞られている。


 殺されたくない。


 だから殺すしかない。


 ザッヘルがその後、何度か平易(へいい)な文章に変えてハリッシュに言葉を伝えようと試みたが、無駄である。今しも掲げられた『わたしは あなたを ころさない』という文も、ハリッシュには相変わらず紋様でしかなく、したがって意味など通じなかった。ひとつの文字も(かい)さないのだから、当然と言えば当然である。ときおりジェスチャーも()されたが、それすらハリッシュの意識を変えなかったのは、彼があまりに朴訥(ぼくとつ)とした男だったからだろう。言われたことをそのままに受け取ってしまう性格は彼の美点であり欠点だった。


 ハリッシュは母というものを知らない。彼を産むと同時に息を引き取ったからだ。その後、信心深い父は生誕した我が子が尋常(じんじょう)と異なる容貌(ようぼう)――四つの腕を持っていたことを嘆くではなく、むしろ(あが)めた。神の子であると。ハリッシュに学問の機会を与えず、文盲(もんもう)に育てたのは父が大いに影響している。神の子に、ひとの身でなにかを教えようとするなど言語道断という姿勢を貫き通したのだ。


 学問の代わりに、ハリッシュの持つ時間の多くは農作業に費やされた。父の口利きで領地内の様々な農地や耕作地をめぐり、人々から奇異な目で見られながらも命じられた仕事を黙々とこなしたのである。ときおり同年代の子供がやってきては()しざまな言葉を吐いて去っていったが、激することはなかった。()け者にされている哀しみだけがあった。


 どうして自分はこのように、ひとと違う身体を持っているのか。


 少年期の彼は何度も繰り返し考え、しかし答えは一向に見つからず、考えることそのものが苦痛になった。父の言う『神の子』という理屈もよく分からない。不明なまま放置された自問は、しばしば彼の頭で反響しては、悩ましい苦しみだけを残して去っていく。


 彼が十五歳のとき、父が処刑された。あろうことかルドラの宮殿に盗みに入り、財宝を(かか)えて脱出するところを警備の者に捕らえられたのである。父は信心深くありながらも、酒をよく呑み、賭場に足繁く通っていた。信仰も遊蕩(ゆうとう)も、妻の死と畸形(きけい)の息子に起因していたなんてハリッシュの知らぬことである。父は(あた)う限り現実から逃れていたかったのだ。


 父が死に、身寄りのないハリッシュは孤独の身の上となった。そんな彼がルドラの実子であるアビシェクと出会ったのは偶然ではない。ルドラは罪人の子など放っておけと言って(はばか)らなかったが、天涯孤独の少年がいると知り、アビシェクは黙っていられなくなったのである。


 ハリッシュは彼の家に招かれ、しばしの(あいだ)生活をともにした。


 ときに、ルドラの実子たちはほとんど豪壮な邸宅を持っていたが、アビシェクだけは違う。飾り気のない手狭な平屋に寝起きしていた。ルドラに冷遇されていたわけではなく、アビシェク自身が質素を求めたのである。ほかの貴人と違って装飾品も身に着けなかった。ただ、ルドラから労働と夜間防衛は(げん)に禁じられていたため、多くの時間を瞑想や肉体の鍛錬(たんれん)()てている。高窓から射し込む黎明(れいめい)の光のなか、石像のごとく動かずに瞑目しているアビシェクの姿を眺めて、まだ若いハリッシュは畏敬(いけい)に震えた。注ぐ光が塵の動きを映していなければ、時間が止まっているように感じたことだろう。


『俺はこの先、どうすればいいですか』とハリッシュが問うたのは、アビシェクの瞑想が終わってすぐのことである。


『君はなにがしたいのだ』


『分かりません』


『ならば、考えることだ』


『考えるのは苦手なんです。頭が痛くなって、ぐるぐるして、苦しくなる。だからアビシェク様に教えてほしいんです。決めてほしいんです』


 切実な吐露(とろ)だったが、アビシェクは困ったようにはにかんだ。そんな表情を浮かべても生真面目さが一向に失われないのはアビシェクの特徴のひとつである。


『君の人生は君が決めなければならない。しかし、考えるのが苦手となると難しいな。どうしてもしたくないことはあるか?』


『ないです。なんでもします』


 瞬間、アビシェクの瞳が鋭くハリッシュを射た。


『殺されるようなことでも、命じられればするのか』


『はい』


 即答したハリッシュに対し、アビシェクは拳を握ったが、やがてゆるゆると(ほど)いた。


『……自分の命は大事にしろ。ハリッシュ。ひとは、生まれてきたからにはなにかを()さなければならない。命を賭ける心構えがあれば立派なことだが、他人に自分の命を譲り渡すような真似はするな。それは生命への冒涜(ぼうとく)だ』


『冒涜ってなんですか?』


 大真面目に問うハリッシュに、さすがのアビシェクも破顔(はがん)した。


『しちゃいけないことだ。ひとに命令されて、むざむざ死ぬようなことはしちゃいけない。もし死なねばならないとするなら、信念に(もと)づいた行為のうえでなければ本当ではない』


『信念ってなんですか?』


『それは誰かから教わることじゃない。自分で気付くものだ』


 ハリッシュは曖昧に頷いた。今後、自分が信念とやらに気付くとは思えない。なにせ信念の意味が分からないのだから。ハリッシュとしては信念の語義を聞いたつもりだったが、アビシェクが答えたのは信念の内実についてである。こうしたすれ違いは日々の生活で往々(おうおう)にしてあった。相手がアビシェクでなくとも。


 ともあれ彼が頷いたのは、アビシェクへの尊崇(そんすう)の念があったからである。尊崇とは、ハリッシュの持つ語彙(ごい)換言(かんげん)すると、このひとの言うことならきっと大丈夫という感じ、を意味した。


 その後、何度目かの問答を()て、ハリッシュは肉体労働が得意であると知り、アビシェクは金鉱での仕事を斡旋(あっせん)したのである。鉱山付近の家を工面(くめん)してやったのもアビシェクだ。彼の住まいから金鉱までの往復は時間がかかる。


 かくして鉱夫となったハリッシュは、同僚から散々な罵倒を浴びせられる日々を送った。いかに恵まれた肉体を持っていても、考えなしに働くような者を有能とは言えない。いかに暴力的な容貌をしていても、顔は素朴(そぼく)で性格も温厚とくれば、揶揄(やゆ)が飛ぶのも自然なことである。飛び()う言葉の多くはハリッシュに理解出来ないものだったが、それでも自分が馬鹿にされているのは分かるものだ。ゆえに傷付いた。思考を閉ざし、哀しみだけをあるがまま受け止めた。そして一種異様なほど素直に働いた。それでも同僚から、爆薬に火をつけてそのまま立っていろと命じられたとき(かたく)なに拒絶したのは、アビシェクの言葉がハリッシュのなかに残っていたからである。


 そのような冷ややかな日常は、そう長くは続かなかった。宮殿で働く官吏(かんり)ヴィハーンが、視察の名目で金鉱を訪れ、鉱夫全員にハリッシュの待遇改善を厳命したのである。それからヴィハーンはハリッシュと魔術による交信を繋ぎ、なにくれとなく指示を与えてくれたのだ。ときどきは自邸に招き、食事を振る舞うことさえあった。


 ハリッシュの知り得ないことであるが、こうした厚遇(こうぐう)はヴィハーンの計略によるものである。表面的な優しさもそう。ハリッシュの肉体に宿(やど)る暴力性に目をつけ、ルドラ一党を打倒する手駒にしてしまおうという目論見だった。そんな裏面(りめん)など(つゆ)知らず、ハリッシュはヴィハーンに(なつ)いたのである。(した)ったのである。


 だからこそ、不夜城入り口でヴィハーンから放免(ほうめん)のごとき交信を受け取り、ハリッシュは途方に暮れた。見捨てられたような気がして、ちょっぴり傷付いた。


 しかし、なによりショックだったのはアビシェクの死である。ハリッシュはいまだに信念を知らない。アビシェクの死に信念があったのか、ハリッシュには分からない。きっとあったのだろうと思うが、それでも哀しくて仕方なかった。自分に厳しく他人に優しいアビシェクのことが好きだったのだ。たまの休日は、いつだってアビシェクの家を訪ねて、なにをするでもなく一緒に過ごすのがハリッシュにとってとても大切な時間だった。(うしな)われて一層、過去の平穏な時間が重みを増す。アビシェクの言葉もまた、彼のなかで比重を増した。それゆえ、自分を殺そうとする奴を捨て置けなかったのである。


 まだ信念を知らない。だから死ぬわけにはいかない。殺そうと言うのならば、先に殺すほかない。ハリッシュは短絡的(たんらくてき)で、だからこそ思い込みは強かった。


 格子の先で依然(いぜん)としてザッヘルが紙を掲げている。もう夜だというのに、なにか書いては見せ、仕草を加え、伝わらないと分かると別の事柄を記す。檻の奥でなにやら人々の移動があったが、ハリッシュの関心事ではなかった。クロエを見物するためにほかの血族がどんどん大通りを離れていくのも興味がない。ハリッシュの焦点はザッヘルのみに絞られていた。


 それゆえ、檻の消失からもっとも(すみ)やかに行動したのはハリッシュである。ザッヘルの着物の(たもと)を掴んで引きずり寄せ、後方に放ると、身を反転させて敵の腹を全力で殴りつけた。


 ザッヘルは直線状に吹き飛び、軌道上の家屋には見事に穴が()いている。


 ハリッシュは己の振るった拳を見つめ、おかしい、と思った。こんなはずではないと。


 四等の檻から、遅れて幾人(いくにん)かが飛び出し、ハリッシュへ襲いかかる。


 彼はザッヘルにやったのと同様に、全力で拳を振るう。そしてまた、おかしい、と思った。


 襲ってきた人間は腹部を拳で貫かれ、ハリッシュの腕のなかほどでぐったり身体を弛緩(しかん)させている。間違いなく死んでいた。それを見た人々が足を止め、ハリッシュから距離を取って青褪(あおざ)めている。


 こうならなければいけない。なのにあのハゲた男の腹は貫けなかった。感触も全然違う。硬かった。


 四等の檻から飛び出した人間を放置し、向かいの家屋――ザッヘルの吹き飛んだほうへと足を向ける。彼の描いた軌道で破壊された即席の道をたどって。


 檻から(だっ)した人数が異様に少なかったことなど、ハリッシュは気にも留めなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ザッヘル』→『針姐』の旦那。身体能力を強化する墨を身体に彫り込んでいる。被虐嗜好。喋ることが出来ないので、筆談でコミュニケーションを取る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『アビシェク』→縫合伯爵ルドラの次男。ルドラの指示で夜会卿に捧げられ、殺害された。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『不夜城(ふやじょう)』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ