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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」
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999.「嘘の身体に運ばれて」

 水蜜香(すいみつこう)の症状の第一段階――恍惚感(こうこつかん)と、羞恥(しゅうち)(もよお)してやまない神経への刺激は、時間が()つにつれ強くなるのは経験済みだ。吸引した瞬間から起きるものではない。どれだけの量を摂取したのかにもよるだろうが、急勾配の山なりな上昇と下降を(えが)く。とまあ、冷静なわたしはこのように俯瞰(ふかん)しているわけだが、現実のわたしはというと、どうにもならないぐちゃぐちゃの感情に揉まれている。


 ヨハンに背負ってもらえるのが嬉しくて、でもその嬉しさが妙に腹立たしくもあり、水蜜香を借りてしか口に出来なかったことを言ってしまった軽率さへの怒りや悔しさも同居していた。それに加えて肉体の快楽がある。ヨハンが階段をひとつ降りるごとに、揺れが身体の奥の柔らかいところを一瞬撫でるみたいな、悶えを惹起(じゃっき)するものがあった。そうした肉の否応(いやおう)ない反応を抑制しようと自制心が頑張っているものの、敗色濃厚である。もうじき不夜城の入り口で、わたしはそれを確実に惜しんでいるのだから。


「……これじゃ、戦えない」


 ようやくマシな言葉が自分の口からこぼれた。実際、恍惚感はピークに達しつつある。戦闘はおろか、歩くのも難しいくらいだろう。恥ずかしいと思うし、本当にそう感じる。消えたはずの感情の数々が、甘やかな香りの毒で無理矢理に引きずり出されていた。


「大丈夫です。手は打ってありますから」とヨハンは平然と返す。


「なんで水蜜香を吸わせてくれたの?」


「お嬢さんはもう充分頑張りましたから、そろそろご褒美を与えても良いかと思いまして」


 なにがご褒美だ、と激昂(げっこう)するわたしがいる。


 この男は嘘しか言わない、と冷徹に聞き流すわたしがいる。


 もっと頂戴、と甘えるわたしがいる。


 あえて分類するなら、以前のわたしと、感情喪失後のわたし、そして酔っ払ったわたしか。まるで多重人格みたいだ。戦闘狂のわたしが引っ込んでいるのは当然だろう。猛者と対峙しなければ表れない(たぐい)の人格だから。


「ねえ、ヨハン」


 声が漏れる。なにを言おうとしているのか分からない。自分で自分が分からないなんて、異常だ。でもこれは水蜜香のせいばかりじゃないだろう。シフォンとの戦いのあとでも起きた事象だから。冷静なわたしはシフォンを戦場で使い潰そうと考えていたのに、口にしたのは全然別の内容だった。それに関して、以前の弱いわたしが表出して、肉体の主導権を奪ったと考察したし、今でもそう思っている。わたしのなかに異なるわたしが複数いて、それらは別個に肉体を奪い合っているのだ。無感情なわたしは水蜜香の影響で、以前のわたしや酔っ払ったときのわたしにすっかり肉体を明け渡してしまっている。思考さえ一定しないのは、脳の領域もまた肉の一部というわけだ。そして今肉体を操り、なにごとかを口にしようとしているわたしが何者なのかも不明。とにかくはっきりしているのは、わたしの内部にいるわたしを含めた三人の女性――戦闘狂も入れると四人か――は、お互いにお互いのことをちっとも理解していないし、分断されている。


二重歩行者(ドッペルゲンガー)でも触感はあるの?」


「……ありますよ。一応は」


「痛みも感じる?」


「ええ。ですが、痛覚を遮断するようにも調整出来ます。それで、なにを言いたいんです?」


 ほんと、なにを言いたいんだろう。分かってるのに、分からない気持ちでいたい。わたしは哀しくて、悔しくて、それなのにこうして甘えているのがまんざらでもなくて、気持ち良さに溺れていたい感情も否定出来ないくらい強くて、だから余計に苦しくて。


 ヨハンのシャツの上から、彼の鎖骨の下あたりに爪を立てた。腕にも力を込める。


「……痛かったら、ちゃんと痛覚は遮断して頂戴。本当に情けないし、嫌なんだけど、力を入れてなきゃ負けちゃいそうなの」


 ちょうど、不夜城の一番下にたどり着いた。ヨハンはやや歩みを緩めながらも、閉じた扉へと足を運んでいる。


「お好きになさってください。なんなら、なにか噛むといいですよ。頸動脈は勘弁していただきたいですが、私の首ならいくらでもどうぞ」


 骨と皮ばかりの細い首。簡単に折れてしまいそう。恍惚状態のわたしと、ある意味とても似ているのかもしれない。


 わたしは快楽に負けたくない。正しくないことは全力で拒否したい。失敗ばかりの道のりを歩む、馬鹿みたいに真っ直ぐなわたしを捨てたくなんかない。強いとか弱いとか関係なしに、わたしはわたしで()り続けたいんだ。


「ごめん、ヨハン。愛想が尽きたら、捨てていいから」


 そう言って、彼の首元に歯を立てた。


 強く。


 強く。


 ヨハンの言う通りだ。なにかを噛めば意思が少し強くなる。


 痛みは感じたはずだ。だって、彼の身体が反射的に震えたから。足取りも多少、安定を欠いている。


 これが本物の身体なら、きっと血が(にじ)んでいるはずだ。でもそんなことはない。仮に肉を噛み千切ったとしても、一滴も血は流さないのは当然。これはヨハンの分身でしかなくて、つまりは魔力の塊なのだ。血の代わりに魔力が流れている。それはもしかしたら、血液よりもずっと濃いものなのかもしれない。


 ヨハンの首に噛みつきながら、わたしは案の定、泣いていた。顎の力が弱まったり、強くなったりしているのが自分でも分かる。首に食い込む歯の強弱にあわせて、ヨハンの身体が震えたりよろめいたりした。きっと、痛覚を(たも)っているのだと思う。なんで痛いのにそのままにしておくのか分からない。でも、分からなくていいんだという気持ちが先行して、わたしを慰撫(いぶ)し、(かえ)って涙腺を緩めていく。


「本当に謝るべきなのは、私のほうですよ」


 言葉の直後、ヨハンは扉を開け放った。霧海(むかい)に閉ざされた曖昧な夜闇が広がっている。


 彼はわたしを背負ったまま、ゆっくりした歩調で進んでいく。痛みからか、足取りに乱れはあるものの、道に迷う様子はなかった。


 あちこちで血族の気配がする。魔物の気配も。視線がちらと上向いて、左右へと流れ、視界にキュクロプスの影を認めた。霧の先に整列するそれらが煙宿を包囲していることは察しがつく。血族の姿も道々で目に入った。


 どうやらこの町が制圧されているのは確からしい。にもかかわらずヨハンが堂々と、血族たちに干渉(かんしょう)されず歩を進めることが出来ているのは、ゆえあってのことだろう。彼のことだ、縫合伯爵ルドラに取り入って、暗躍出来るポジションを確保したに違いない。煙宿の人々がどこにいるのかは(さだ)かではないが、視界に人間の姿が入ることはなかった。


「おい、メフィスト」と男の血族が声を上げた。「背中の女は誰だ。査定の場にいなかったが」


 血族は簡易鎧を身につけており、槍を手にしていた。構えてはいるが、攻撃の意志は感じられない。そういうのは肉の動きで分かる。


 ヨハンは平然と「貴方の気にすることじゃありません」と返して、一歩も足を止めなかった。彼らは行く手を阻むことこそなかったが、声を張り上げて援軍を呼ぶ。『ほろ酔い桟橋』の大通りに、声を聞きつけた血族が集まっていく。


 そのうち、誰かがわたしの正体に気付いたらしい。『クロエ』という囁きが波のように広がり、一気に血族の数も増していく。ニコルの関係者である以上、わたしが血族の社会においてある程度の知名度を得ているのは道理だ。しかし、道に血族が(ひし)めくような状態にもかかわらず、誰ひとりヨハンの歩みを止める者はいないし、彼のほうでも足を止めない。


 水蜜香に(おか)された状態。血族と魔物の軍勢。劣勢どころの話ではないが、ヨハンの算段が見えない。いったいなにをしようとしているのか。分からない以上考えるのは無駄なわけだが。


 何度か路地を曲がると、やがて広い空間に出た。これまでの道のりと同じく木板が張りめぐらされているが、左右に家屋がなく、湿原に接している。拡張途中といった風情(ふぜい)。空間の先には、胡座(あぐら)をかいた巨大な青い身体が見えた。


 視界が持ち上がる。キュクロプスよりも遥かに巨大な、立ち上がれば不夜城に達する程度の体躯(たいく)が映った。


 これがルドラか。


 不夜城の頂点で確認したシルエットの(いびつ)さの正体がようやく分かった。無数の腕が遠目からの輪郭を曖昧にしていたのだ。


 不意にヨハンが膝を折り、背負ったわたしを木板に横たえた。その直後、半透明の糸が天上――おそらくはルドラの腕から流れ出て、わたしの肩口から下をぐるぐるとめぐり、あっという間に捕縛される。至極当然だが、糸が身体に触れた瞬間に快楽が全身を駆けた。顔はすっかり弛緩(しかん)していることだろう。肉体の主導権は今も別のわたしが握っているようで、視線ひとつ、身動きひとつ、わたしの制御下にはない。


 背後では物見高い血族が密集しているようだ。


 やがてヨハンが両腕を開いて、不敵な笑みを頭上――ルドラへと向けた。


「勇者ニコルの仮の花嫁、クロエを献上します。契約通りに」


 眼圧を感じ、視界がやや広がった。わたしの肉体はヨハンを凝視している。


「よかろう。お前は契約を果たした。これでクロエは(わし)のものだ」


 遥か上から、しわがれた声が降ってくる。それがルドラのものであるのは考えるまでもない。


「これで契約完了というわけではないのはご承知おきください。身の安全と自由は引き続き保証していただきますよ」


「分かっておる」


 歯噛みしてヨハンを睨む肉体の所有者は、きっと裏切られた思いに駆られていることだろう。


 感情のないわたしには、その怒りや困惑に共感することは不可能だが、理解は出来る。


 この男はまたしてもわたしを騙し、裏切ったというわけだ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『水蜜香(すいみつこう)』→微睡草(まどろみそう)と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて


・『不夜城(ふやじょう)』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品(ギフト)『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場


・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて


・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『ほろ酔い桟橋(さんばし)』→『煙宿』のなかで、一般的な住民の住むエリア。『不夜城』以外の部分はすべて『ほろ酔い桟橋』にあたる。居住区よりも娼館や酒場、賭博場といった広義の娯楽施設のほうが多い。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて

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