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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」
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Side Paul.「官吏と創始者の贈答」

※ポール視点の三人称です。

 もうすっかり陽が落ちて、じき魔物の出現時刻に入る頃だったが、ポールのいる空間は時間の喪失した白光に満たされていた。


 ガラス張りの小部屋を囲う回廊から出たのは一度きりだ。昇降機から向かって反対側にある扉の先に、食料やら水やら酒やらの備蓄がある。もちろん水蜜香(すいみつこう)も。さすがに空腹と渇きがあったので、昼前にそれらをいくらか回収し、回廊に持ち込んだのだ。昼前までずっと無反応で中空を虚ろに眺めていたヴィハーンが、帰るなり「ひとりにしないでくれ」と呟いたのには、ポールも苦笑いを浮かべたものである。


 すっかり廃人になっていたものと見受けられたが、実際のところヴィハーンは多少なりとも回復したらしく、それからぽつぽつと言葉を発した。相変わらず目は虚ろだったし、呂律(ろれつ)の回っていない感じもあったが、高濃度の水蜜香を三十分近く吸引し続けた者にしては随分まともと言える。


 ヴィハーン(いわ)く、ポールが食料等を取りに消えた際、不夜城の入り口付近を警護していた部下に交信を送ったらしい。好きにしろ、と。ポールが疑問を(てい)す前に、ヴィハーンは事の次第を打ち明けた。身を(むしば)む煙に脳を(おか)された状態にあって、そばにいるポールだけが精神的な支えだったらしい。それゆえ彼が一時的にではあるが姿を消したことで、希望のすべてが(つい)えた気分になったヴィハーンは、孤絶に死にゆく(さだ)めを悟り、せめて部下を解放しようと思ったわけである。交信が正しく届いているかどうかは自信なさげだったが。


「ポール。ひとつ聞いていいでしょうか」


 宵の口になり、だいぶ正気を取り戻した雰囲気のヴィハーンが呟いた。彼の手には保存用の硬質なパンが握られている。両手で(すが)るように持っているそれは、ほんの一口か二口(かじ)った程度しか減っていない。


「なんでも聞きゃいい。素直に答えるかは保証出来ねえが」


「今朝は意識があってないような状態でしたが、今は深い酩酊(めいてい)のような気分です。悪くない。このくらいが一番心地良いのですが……水蜜香が抜けてきている証拠でしょうか。私はこれから、どうなってしまいますか?」


 ヴィハーンの手が微かに震えているのが、ポールの目に映った。その恐怖心は理解出来る。最高の気分のときほど、だんだん正気に戻っていく――つまりは脳の快楽が()せていくのが察せられて恐ろしいものだ。


「今のお前さんは水蜜香が抜けてきてる。そりゃ確かだ。水蜜香の症状は三段階あってな、まず快楽。次に、脳と身体が活発になる」


「それは嫌です!」


 急に叫び出したものだからポールはぎょっとしたが、ヴィハーンの目には確固とした恐怖の色が浮かんでいた。


「悪いことじゃねえだろ。身体がすいすい動くのは」


「肉体については確かに悪くないでしょうが、脳は駄目です」


「なんでまた」


「……血族には固有の異能を持つ者がいます。ほかならぬ私がそうなのです。脳だけが高速になる能力と言ってもピンとは来ないでしょうね。世界全部が停止しているかのごとく、ごくゆっくりに感じられる状態で、しかし思考だけは当たり前の速度で出来る。こう言えば分かってくれますか?」


 分かるような分からないような気がしたが、ポールはとりあえず頷いた。そんな状況は経験したことがない。それが自由自在に扱えるとなれば、まあ、頭は良くなるだろうと雑感を(いだ)いた。


「そりゃいいことじゃねえか」


「……ポール。私はもう、この異能を使いたくない。水蜜香の危機に(さら)された瞬間、それまではぼんやりと見て見ぬふりを出来ていたものが、はっきり理解出来てしまったのです。私は凡庸(ぼんよう)だ。それを異能で誤魔化していただけで、ちっとも優秀じゃなかったのです。ひとより多くの時間をこっそり隠し持っていただけで……。悟ってしまったからには、もううんざりなのですよ。いい加減、私は(ひと)(なみ)の時間を歩むべきなのです。それで誰かに後ろ指さされようとも、自業自得。だから、脳が活発になるなんて歓迎出来ないわけです。どうしたら回避出来ますか? 教えてください」


 ヴィハーンの告白に嘘は感じられなかった。そもそも嘘をつけるような状態ではないだろう。しかし共感は出来ない。ひとと違う時間を歩めるなんて稀有(けう)な力だ。わざわざそれを手放したいと思うなんて馬鹿げた迷妄(めいもう)に思えるが、しかしヴィハーンの哀訴(あいそ)には切実なものがある。彼が歩んだ彼だけの時間のなかで育まれたなにかがあるのだろう。ヴィハーンと同じ時間を歩んでいない自分には、一生分かることの出来ないなにかだ。


「水蜜香の中毒になりゃ、脳も身体も活発にならねえ。お前さんはどっぷり煙を吸ったわけだから、たぶん、活性化はしねえよ」


「……だといいですが」


 (うつむ)いたヴィハーンの黒髪が、パンに垂れて(くず)が付着する。それを気に留める様子は一向になかった。


 肝心なのは最後の症状――水蜜香への飢餓感だが、それを説明する必要はないとポールは判断した。中毒になれないのが怖いだなんて奴は聞いたことがない。普通は逆だ。


 ポールは無言で(ふところ)を探り、パイプと、水蜜香を密閉した小袋を差し出した。


「どうしても不安なら、抜けかけたと思ったときにまた吸いな。そうすりゃ中毒者になれる。活性化することもねえ」


嗚呼(ああ)っ、ありがとうポール!」


「感謝する前によく考えろ。中毒になるってのがどういうことか。この先、水蜜香なしじゃ生きられねえってことだ」


 煙宿にも王都にも中毒者をはびこらす元凶になった自分がそれを口にしている滑稽(こっけい)さに、呆れとも(あざけ)りともつかない感情が(しょう)じた。


 ヴィハーンはポールの警告など意に(かい)していない様子で、陶然(とうぜん)と返す。


「ポール。私はもう充分、これまでの人生で考えた。考えることだけが人生の営みのすべてだった。私はもう考えたくないんです。……いや、それは正確じゃないな。人並み以上には考えたくない、が正しい。うん、そうだ」


 ポールから受け取ったパイプを、まるで宝物かなにかのようにうっとり眺めて撫でさすっているヴィハーンは、もう充分中毒者と呼べる風情(ふぜい)である。


「まあ、なんでもいい。お前さんのことはお前さんが決めりゃいいことだ」


「ええ、人並みに決めます。しかし、受け取ってばかりというのも申し訳ない。なにか私に出来ることがありますか?」


 ない、と言おうと口を開きかけて、ポールは一考した。


 ヴィハーンを無力化したというだけで自分の役割としては上々だが、それ以上に出来ることがあるとすれば、どうだろう。現状ヨハンは頼りにならない。どっちの味方かもはっきりしない男だ。


「例の檻から、煙宿の連中を解放してやってくれないか? 査定だっけか。あのときやったみたいに」


 いいアイデアだと思ったのだが、ヴィハーンは哀しげに首を横に振った。


「申し訳ないが、それは無茶です。今の私はちゃんと歩くことも出来ません。それに、私が塔から出れば成果を求められるのは必定(ひつじょう)。水蜜香の回収目的で塔に来たわけですから。なにより、ポール。私は貴方とここにいたいのです。この空間はとてもいい。現実の時間が流れながらも、外界から閉ざされている。余計なことは考えなくて済む」


「……お前さんの意思は尊重する。まあ、立場上、出たら面倒なことになるもの道理だな。……ところでお前さんは、自軍だけじゃなくて煙宿の連中にも交信出来るのか?」


「檻のなかの人々に、ですか。可能ですよ。私の魔術だけは檻を通過出来ます。私の身体がそうだったように。ルドラの檻は私だけには(ゆる)いよう、調整されていますから。ただ、双方向の交信は無理です。届けるだけ。なにをお伝えすればよろしいですか?」


 考えたくないとしきりに言っていたのに、この男は頭が回る。こちらの意図なんて簡単にお見通しだ。長年の思考で積み重ねられたものだろうが。


 ポールにはひとつ、後悔がある。戦略的降伏を肯定したことだ。やむを得ないものだとしても、その行動を取らせた責任はある。そして自分が出来ずとも、誰かがきっかけを作るはずだという予感があった。煙宿の連中は曲者(くせもの)ばかりだ。誰が糸口になってもおかしくはない。だから、火を絶やしてはならないと考えたのである。


「いつなんどき機会が訪れてもいいように備えろ。俺たちは負けちゃいねえ。それどころか、まだなにもはじまってすらいねえんだ。今は耐えて、知恵を絞れ。そのときが来たら、遠慮なくブチかませるように。以上だ」


 この言葉を何人が正確に読み取ってくれるだろうか、とポールはやや疑問を(いだ)いたが、言葉通りに受け取ってもらっても一向にかまわない。その裏にある意図を読んでくれれば重畳(ちょうじょう)


 煙宿がトリクシィに焼かれたとき、人々は不夜城の地下通路から町の外に脱出した。その後の復興の際に、ポールは口酸っぱく言ったものだ。これは必要な備えだ、と。


 おそらく例の檻は地上だけでなく地下をも格子で閉ざしていることだろう。ゆえに、檻がなんとかならなければ意味はないが、もし檻が崩壊するチャンスがあれば、それを有効に使ってほしい。


 復興と並行して、各家々の地下に迷路のごとく通じる道を敷設(ふせつ)するよう手配したのは、ほかならぬポールである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて


・『水蜜香(すいみつこう)』→微睡草(まどろみそう)と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて


・『不夜城(ふやじょう)』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて

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