Side Lot.「惨めな随身」
※ロット視点の三人称です。
槍を手に、ロットはラニの斜め後ろをとぼとぼと歩いていた。例の台座はアリスとの立ち回りの際に、ラニの放った水の斬撃で持ち手の部分が破損したため、彼女としては仕方なしに徒歩で移動している次第である。どこへ向かっているのかロットには見当もつかないが、大通りの中央を堂々と進む彼女に侍っているものだから、自然と血族の視線に晒された。蔑視よりも憐憫の眼差しのほうが胸に食い入る。
トリクシィに隷属していた時代は、こうまで誇りが貶められはしなかった。騎士として、王都を裏切った大罪人を始末するという大義名分があったからだ。しかし今のこの状況は自分を慰めるよすがさえ失われてしまっている。反撃のために耐え忍んでいるのだと暗示をかけるのは、ロットにはもう無理だった。誇りや使命の占めていた席に恐怖心が居座っている。
恐怖がこれほどまでに重く、強く、巨大であるとは知らなかった。思えば、夜間防衛も単独でおこなったことはないし、命の危機に晒されるような場面も経験していない。ひとりぼっちで血族の有力者に歯向かう度胸があったのは、ラニを騙しおおせてから、ほんの半刻程度である。査定中に仲間のエデンたちから一顧だにされなかったのは彼らなりの配慮なのだと分かってはいても、叫びたくてしょうがなかった。助けてくれ、と。代わってくれ、と。それを口に出したら騙した意味すらなくなるが、それでも心は叫んでいた。実際に口に出さなかったのは矜持や大義のためではない。身勝手な真似をしてラニに半殺しにされるのが恐かっただけ。殺されるならそれでいい。まだマシだと思う。でも、この女は絶対に命を奪わないという確信めいた予感があった。徹底的にいたぶって、心だけ壊す。それに喜びを感じる性質はひしひしと伝わってきて、だから恐怖が刻々と肥大するのだ。
大通りに散在する五つの檻。そこを通る際に、ロットは目を伏せた。五等の檻に元騎士見習いはいない。それでも引け目はある。厄介なのは四等の檻だった。ジークムントも含め、元騎士見習いの四人がそこに収容されている。開放された戸口からは通りの様子が丸見えだ。今の自分の姿が彼らの目にどう映るか、考えたくもない。
やがて近付いた四等の檻で、運の悪いことにラニが足を止めた。ロットも立ち止まらざるを得ない。視線はラニの木靴に固定していた。
「あんた……なんて名前だったかしら」
「ハリッシュです」
ちらと視線を上げると、檻の前に四腕の血族が立っていた。筋骨隆々な肉体こそ威圧的であるが、顔は朴訥である。
「そう。あんた、いつもヴィハーンと一緒にいるイメージだけど、なんでひとりでここにいるのかしら?」
ハリッシュが困ったように眉尻を落とし、やや俯いた。
「好きにしろと言われました」
「へえ。交信魔術で?」
「はい」
「肝心のヴィハーンはどこなの? あたくしにはちっとも交信が来ないんだけど」
ラニの刺々しい口調に、ロットはじっとりと汗をかいている自分に気付いた。不機嫌の矛先がいずれ自分に向くのを、嫌でも思い浮かべてしまう。
「ヴィハーンさんがどこにいるのか、分かりません。俺は塔の入り口で待ってるように言われて、それから、好きにしろと言われました。でも、俺は、好きにする、ってのが分かりません。だからヴィハーンさんに聞いたんですけど、答えてくれなくて、俺と一緒に塔の入り口で待ってたひとに同じように聞いてみたんです。好きにするって、どうするのか。そしたら、檻の見回りでもしろって言われて、だから見回りしてます」
話の間中、ラニはずっと木靴をカツカツと踏み鳴らしていた。ハリッシュの声は歯切れがいいものの、語り口は冗長である。彼女の性格上、苛立つのも自然だ。
「それで、この檻をじっと見てたわけなのね」
「じっと見てました。でも見回りというか、そこの男の描いた模様が分からなくて」
ラニの視線が戸口に向く。格子の前に端然と座した禿頭の男が一枚の紙を掲げていた。彼がザッヘルという名であり、刺青師の『針姐』の夫であることはロットの預かり知らぬことである。もとより彼の関心事は禿頭の男の背後に居並ぶ人々――そのなかでも知己の存在にあった。昼なお暗い室内で、いくつかの顔がぼんやり浮かんでいる。そのなかにエデンとミルファを見つけてしまい、ロットは絶望的な気分になった。悪いことには、二人のそばにジークムントもいる。檻の内部では魔術が行使出来ないとはいえ、真偽師として長年王都の罪人やらの真贋を見抜いた者には、今の自分の心境が見通されてしまうに違いないと感じられた。
「模様じゃなくって文字よ。あんた、字も読めないの?」
「読めません」
ザッヘルの掲げた紙には達筆な筆致で『虜囚の身では御座いますが、不躾を承知でお頼み申し上げます。細の無事を伺いたく。能うならば如何な様子かお報せ下さい。若し苦吟あらば、何卒ご深慮賜りたく存じます』と書かれていた。
ラニは文章に目を通したのち、鼻で笑った。そしてハリッシュに向き直る。
「なんて書いてあるか教えてあげる。この男はあんたを殺したくてたまらないらしいわぁ」
ザッヘルが首を横に振って否定したが、ハリッシュはラニを見つめて目を丸くしているばかりで、視界には入っていない様子である。
「殺されるのは、嫌です」
「なら殺すことねぇ。まあ、檻から出せるのはお父様とヴィハーンだけだから、あんたは今すぐどうこう出来ないでしょうけど」
「どうすればいいですか?」
「知らないわよ。自分で考えなさいな」
すげなく返すラニに、ハリッシュは気落ちした様子で「考えるのは、嫌いです」と呟いた。続けて「考えても、どうすればいいか分かったことがありません。考えるだけになる。そのうち、なんだか苦しくなるんです。頭も痛くなる。どうすればいいか、誰かに決めてほしいんです。そうすれば、考えなくて済む」とも。
このままだとハリッシュに付きまとわれそうな気配を察したのだろう、ラニは素早く「ならずっとここにいなさいな」と言い捨てて檻の前を去った。ロットもあとに続く。ようやく解放された安堵と、嫌なところを見られてしまったという不快感を抱きつつ。
後方から「俺は殺されたくないから、殺すしかない」という声がしたが、頓着することはなかった。
三等、二等の檻は一瞥もなしに通過していく。途中、自由だのなんだの嬉しそうに声を上げながらスキップしている女性と擦れ違ったが、ラニは舌打ちしただけだった。彼女はヨハンから指名され、自由と安全を保証された身である。いかにラニといえども手出しは出来ないようだった。
一等の檻の前では、降ろした台座に仰臥した血族――ルドラの長兄クマールがいた。道の真ん中にいるものだから嫌でも目に入る。
「なにしているの、お兄様」
「監視」
「お父様の檻が破られるとでも思ってらっしゃるの?」
「んなこと思っちゃいねえよ」ただ、とクマールは付け加えた。「一等の連中は目付きが妙だ。なにか企んでやがる」
「そう」とラニは聞き流して、クマールと檻との間を堂々と歩み去ろうとした。ルドラの檻が絶対破られない以上、謀略などあってないようなものと彼女は見做していたのである。加えて、どうせ兄の興味は自分を侮った人形と、その所有者にあると見抜いていたのもあった。それらしい理由を繕う兄を内心で嘲笑っていた向きもある。
「待て。ラニ、オマエはどこに行くんだ?」
クマールの声に、ラニは振り返って欠伸をしてみせた。
「寝床を探してるだけ。この町って、ろくな場所がないじゃない。あの仰々しい塔なら、少しはあたくしに適う寝所があると思うの」
返事を聞くことなく、ラニは足を進めた。ロットも当然、随伴する。
ロットは知るよしもないが、このときのラニの言葉は偽りだった。アリスの看破した通り、ラニには鋭敏な勘が備わっている。血族固有の異能ではなく、理屈で説明の出来るものではない。
彼女はもとより他人を信用するタイプの性格ではないが、特段不信を抱いている相手は少ない。その僅少なひとりがヴィハーンだったのである。彼が水蜜香の回収の名目でポールと不夜城に向かったのは朝。それから一向に交信が絶えている。彼の身になにかあったのかと心配しているわけでは決してない。むしろ、そこに裏切りの予兆を感じ取っていた。先ほどハリッシュから聞き出した、手下を塔の入り口で待機させていたという言質も、それを裏付けているように思える。肝心の懐刀のハリッシュを自由の身にしたのは疑問が残るが、それも計略の一環かもしれない。
ポールとヴィハーンが手を組んだとしても脅威ではないが、部隊で唯一の交信魔術師が反旗を翻したとなれば自軍に混乱を招く憂いがある。ラニがロットのみを連れて塔へと向かったのは、慢心ゆえではなかった。誰がヴィハーンと通じているか分からない以上、下手に人員を引き連れるわけにもいかない。それに、彼女は自身の力であればヴィハーンごとき簡単に捻じ伏せることが出来ると確信していたのである。
かくしてラニとロットは、一路、塔を目指した。
霧海に閉ざされた宿場町は正午過ぎの陽射しを遮り、曖昧模糊とした時間の裡に人々を閉じ込めていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『エデン』→かつてトリクシィと行動をともにしていた見習い騎士。水の魔術を得意とする少年。トリクシィによる『煙宿』襲撃後、クロエの導きで『煙宿』に残ることになった。詳しくは『幕間.「追放行路 ~落涙~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて
・『ジークムント』→初老の真偽師。王への謁見前に、クロエを真偽判定にかけた。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『261.「真偽判定」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『ザッヘル』→『針姐』の旦那。身体能力を強化する墨を身体に彫り込んでいる。被虐嗜好。喋ることが出来ないので、筆談でコミュニケーションを取る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『針姐』→『煙宿』で針治療の店を営む、本名不詳の女性。派手な着物姿。語尾の上がる独特の喋り方をする。ザッヘルの妻。食後に、煙管で水蜜香を一服するのが好き。魔力を込めた墨を彫り込み、対象に強化魔術を付与することが出来る。ただし、墨は能力の使用や時間経過に応じて肉を蝕む。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『ミルファ』→トリクシィと行動をともにしていた見習い騎士。軟化の魔術が施された鉄製の鞭の魔具を所有する少女。トリクシィによる『煙宿』襲撃後、クロエの導きで『煙宿』に残ることになった。詳しくは『幕間.「追放行路 ~落涙~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて




