Side Paul.「悪党に言えるのは」
※ポール視点の三人称です。
ポールは暗闇のなかで途方もない恐怖と、それと同じだけの納得を感じていた。
こうなって当たり前だ、俺は。真っ暗闇の地獄。責め苦すら与えてもらえない虚無。永遠に続く空っぽな時間に置き去りにされるだけの罪が、俺にはある。誘拐も拷問も殺しもやった。ドラッグを売り捌いて、どこの誰とも知れねえ被害者を無数に作って、それで少しも悪いだなんて思ってねえ。実の娘――ビスクが死んだのだって、もとをたどれば俺が敵を作りすぎたからだ。本来は俺が味わうのが筋の拷問を、神は、病弱で優しくて人見知りの可愛いビスクに下しやがった。
ビスクは俺のせいで死んだ。俺は、自分の命よりも大切なものを凌辱されて失う罰を受けたわけで、ビスクはただの被害者。そう、俺はすでに罰されてる。だからこの虚ろな暗闇は別の罪に対するモンだ。
俺は人形になったビスクから目を逸らし続けた。負い目があったんだ。ヨハンの指名した女――ビスクの親友の言葉と態度で、はっきり分かっちまった。俺は実のところ、レオンに対しても、あの女に対しても、ちっとも怒りなんて持っちゃいねえ。人形を娘の名前で呼ぶあいつらを憎めねえ。生前のビスクへの冒涜だとも思ってねえ。俺はあいつらが羨ましかったんだ。逆立ちしても人形をビスクだなんて思えねえ自分のことを分かりすぎちまってるからこそ、なんにも見えてねえふりをして、自分の感情に戸を立てるのに必死だった。
それがこの暗闇の正体だ。俺は正真正銘、なんにも見えねえ地獄で永遠を過ごす。
不意に、暗闇の先に光の粒が表れた。それらは徐々に数を増し、輝度を高め、ポールの視界を白く焼いていく。
「ビスク……」
白光の下、ポールは自分が仰向けに横たわり、天井へと手を伸ばしていたことに気付かなかった。隣に死神めいた男――ヨハンが座り込んでいることにも。
自分がガラスの小部屋を囲う回廊にいるのを知ったのは、しばらく経ってからである。
身を起こし、胡座をかくのにも苦労した。全身が気怠い。そして渇きがある。喉の渇きではなく、水蜜香への飢えだ。
横目でヨハンを眺め、ポールは深く吐息した。
「なんで俺を助けた」
自然と言葉が流れたのは、まだ水蜜香が抜けていないからだろう。
死ぬつもりだった。ガラスの小部屋に致死量の水蜜香を焚きしめて、ヴィハーンともども。
奴だけを閉じ込める策なんてない。あの部屋を安全だと思わせるためには、自分が率先して入るしかなかった。
ガラス部屋の床には、目に見えないほど小さな穴が無数に空いている。真下のフロアには水蜜香を焚く炉のような装置があった。昇降機を経由して作動可能な装置。そいつの出力を限界まで高めたわけだ。視えざる煙が部屋に満ちるまで相応の時間が必要だったが、ヴィハーンが頂上まで寄り道してくれたおかげで充分な濃度に達したのである。
「俺はヴィハーンと相討ちするつもりだった」
「ええ。知っています」とヨハンは平然と返す。「査定の様子を見て察しがつきました」
死ぬ覚悟があるか。
そのように問うたヨハンの声を思い出す。
おそらくこの男は、こっちが査定で水蜜香を持ち出した時点で計画をおおむね把握したに違いない。ほかならぬこの部屋でクロエを、水蜜香の餌食にしたことを知っていても不思議はないのだから。
「むざむざ死なすわけにはいかねえとでも思ったか? そもそもどうやって俺を助け出したんだ。お前さんは水蜜香の味を知っちゃいないだろう。そんな奴がひと呼吸でもしたら一発で立てなくなるくらいの濃さだ」
ポールは事実を口にしている。ヴィハーンがあれほど長い間、立っていられたのが不思議なほどだ。奴にはもともと耐性が備わっていたのだろう。
ポールの疑問に、ヨハンは呆気ないほどシンプルな答えを寄越す。「分身だからですよ。香りは感じますが、肉体が侵されることはありません。それに、査定の段階で救出する算段を立てていましたよ。ですから貴方のそこに魔術をかけたんです」
ヨハンが手で示したのは、ポールの心臓だった。
そういえば、と思い出す。小部屋にいる間に妙な感覚があった。心臓のあたりが急に苦しくなって呼吸が出来なくなり、それから暗闇に真っ逆さま。水蜜香の作用なんかじゃない。それは良く知っている。
「なんの魔術だ」
「仮死魔術。頃合いをみて起動させました」
「聞いたことねえ魔術だな」
「まあ、あまり使う機会はありません。一時的に心臓を止めて死を偽装するだけの魔術ですから。肉体の魔力は健在ですので、魔力が視える手合いには死んだふりにすらなりません。相手の意識を奪うという意味では便利に聞こえるかもしれませんが、心臓あたりに触れなければ仕掛けられない。そんな接近を許すような相手は、はなから問題になりませんよ」
ヨハンは査定での態度とは打って変わって、いつものへらへらした調子に戻っていた。
冷酷さと軽薄さ。どちらが本当の彼なのか見通せない。が、はっきりさせる必要は感じなかった。人間の本性なんて探るだけ無意味だ。側面だけが存在する。状況に応じて一変し、時間の歩みとともに刻々とかたちを変えるのが人心だ。
自分はヨハンの魔術で一度死んで、こうして助けられた。心臓が止まれば呼吸も止まる。濃厚な甘い毒に侵されることはない。
ポールはじっと、ガラス張りの小部屋の一点を見つめていた。
「俺を助け出すだけが目的じゃねえだろ。……ヴィハーンはなにか言ってたか?」
「なにもかも。全軍との視覚と聴覚の共有も解除したようです。交信魔術もろくに使えません。今の彼は無力です」
「だろうな」
尻をべったりと床につけ、壁にもたれて天を仰ぐヴィハーンの姿はどう見ても正常ではない。目に光はなく、涎を垂らしている。ときおり身体が蠕動することから、生きてはいるのだと知れた。その反応さえなければ死体同然である。あるいは人形同然。
人形。
「お前さんに言うのは筋違いだが、俺は今のビスクを認められねえ。きっと永遠に」ヨハン相手に口にすべき事柄だとは思えないが、今しか口に出来ないような気がした。「そんな自分が腹立たしいんだ。お前さんの救った女……ビスクを親友だって言って庇ったろう? あれを見て腹が決まった。俺は命をかけてあの女やレオンに報いなきゃならねえと思ったんだ。今のビスクを、生きてた頃のビスクと同じように愛してる奴らを不憫な目には遭わせられねえからな」
ヴィハーンさえなんとか出来れば反撃に繋がる。否、繋げてくれる奴がきっとこの町にいる。それはロットかもしれないし、レオンかもしれない。誰であってもかまわなかった。もちろん、ヨハンであっても。
ヨハンは「一度死んだ身ですから、自分に腹を立てる謂れも消えたでしょう」なんて知ったような口を利く。
「そうだな。一度死んだ。殺されたって言ってもいいかもな。で、殺し屋に聞きたいんだが、俺が死んでからどのくらい時間が経ってる?」
「もうじき三十分といったところです」
ポールはそれを聞いて立ち上がった。身体に力が入らない。それでも一歩一歩足を進めていく。昇降機のほうへと。
やがて昇降機の壁に触れ、魔力を流し込んだ。これで炉は停止する。水蜜香は小部屋に流れない。
ポールはその足で小部屋に入ると、なかば引きずるようにヴィハーンを回廊に出した。
脳を溶かす甘さに満ちた部屋の扉を閉めると、その場で脱力し、座り込んだ。その一場を、じっとヨハンが見下ろしている。
「こいつはもうなにも出来やしねえ。殺す意味もない」
言い訳じみた言葉だと自嘲してしまう。とはいえ、この行動に後悔はない。
暗闇に落ちた自分の耳が、はっきりと捉えたのだ。ひとりにしないでくれと泣く声を。おそらくヨハンの仮死魔術とやらが発動して間もなくのことだろう。
ヴィハーンはもう正気に戻れないだろう。もとより殺すつもりで仕掛けた罠だ。ただ、悪党には悪党なりの情ってモンがある。ヴィハーンの哀訴は、助けを乞うそれじゃなかった。長い時間をかけてようやく吐き出された本心のように思えたのだ。どこからどうみても優秀としか感じられないこの男にも、それなりの人生があったに違いない。己の成功のために許した悪事の数々は、心の奥底で澱となる。ポールがそうであるように。
ヨハンはポールのそばを通り抜けて、昇降機へと入った。
「……どこへ?」
「頂上ですよ。待ち人がいるので」
相変わらず不敵な表情を浮かべるヨハンに、ポールはよほど『お前さんは誰の味方なんだ?』と問いたい気がしたが、やめておいた。
代わりに「上手くやれよ」と口にする。
ヨハンは少しばかり口の端を持ち上げて、返事なく昇降機で上昇してしまった。
上手くやればいい。敵であれ味方であれ。
捻じ曲がった悪党の自分に言えるのは、いつだってこんな言葉ばかりだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ビスク』→レオンの妻であり、ポールの娘。故人。ポール曰く、控えめで優しい性格とのこと。彼女の死後、レオンはその姿を模した人形を所持するようになった。彼は人形もまたビスクと呼び、大切にしている。レオンが傷付くと、人形は彼の魔力を吸い上げて駆動する。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『レオン』→ビスクの夫。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて




