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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」
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Side Vihaan.「甘き快楽に溺れて」

※ヴィハーン視点の三人称です。

 魔術は正常な精神により、正確に行使される。水蜜香(すいみつこう)(おか)された時点でメフィストは終わりだ。ポールの身に(ほどこ)された謎の魔術が発動しない点も、それを証明している。ただし、いっときドラッグに侵されただけでは不充分。廃人になってもらう必要がある。死んだも同然の状態に。


 数歩先で対面したポールに、ヴィハーンは問いかけた。


「水蜜香の過剰摂取で人体が再起不能になるまで、およそどの程度の時間がかかりますか?」


「……濃度によるが、濃けりゃ大体三十分ってとこだろうな。個人差もあるが。中毒者の場合は耐性がついてるんで、もう少し時間がかかる」


 嘘ではないのは看破魔術で把握できた。三十分の連続摂取で廃人になるという理屈も不自然ではない。査定の場で部下に摂取させたとき、すぐに恍惚(こうこつ)状態になった。あれで三十分ずっと吸引し続ければ戻ってこれないだろう。


 ヴィハーンは部下ひとりに水蜜香の毒味をさせたことを、妥当な判断だと見做(みな)していた。メフィストは純血ではないが血族の血を引いている。水蜜香が血族の肉体にも有効であるか(いな)かは、奴を罠にかけるうえで重要な情報だった。


「メフィストは水蜜香を(たしな)んでおられますか?」


「いや。俺の知る限りは一度も水蜜香をやっちゃいない」


 言って、ポールは座り込み、ガラスの壁に身体を預けた。その表情は虚ろで、目はなにを見ているのか分からない。


「なんの真似を――」


 視界が揺れ、言葉が途切れる。


 ヴィハーンが即座に持ち前の異能を発揮したのは言うまでもない。異常時には周囲の時間を遅延させる――というよりも自分の脳だけを活性化させる――のは習慣化していた。もとよりルドラ領で視覚と聴覚の共有を蔓延(まんえん)させたことにより、脳の活性化はしばしばおこなわれている。戦時に至ってはほぼ常態化していた。


 ヴィハーンは考える。自分だけに許された、特別な時間の流れのなかで。


 ――なにが起きている? なぜ視界が揺れた? メフィストの魔術か? すると奴は階下で水蜜香を吸引していないことになる。それはあり得ない。昇降機は確かにバーで停止したのだから。私が焚いた高濃度の煙のなかで身悶えするには一秒もかからないはず。ましてや昇降機はバーに到達してから稼働しなかった。つまり階下に(とど)まったまま。奴が下に行ってからすでに数分が経過している。恍惚状態でまともな思考など不可能。となるとこの視界の異常はメフィストの罠ではない可能性が高いが、いや、待て、査定の場でメフィストがポールに施した魔術が遅効性で、なんらかのトリガーによって発動するものだとしたらどうだ。いや、ない。ポールの肉体に固着した魔力に変化がないからだ。するとやはり、メフィストが原因ではないのか。異常は視界だけか? 違う。足。足に妙な不能感があったように思われる。私が膝を折ろうとしているのか? 無意識に? なぜだ? ポールがなにかした素振(そぶ)りもない。私自身が勝手に膝を折ろうとしている。麻痺ではない。そんな兆候(ちょうこう)はなかった。脱力に近いが、脱力する理由などどこにあるというのか。ポールが口を開いている。なにか言おうとしているのか。忌々(いまいま)しい。異能を解除しなければ声は極度に間延(まの)びして正確に聞き取れないなんて、能力上の欠陥だ。しかし、今異能を解除していいのか? この異常事態に? ありえない。しかしポールの言葉を聞き逃すのもナンセンス。ああ、こいつが交信魔術で私に言葉を届けてくれたなら間延びなんて現象は起きないのだが。


「ヴィハーン。お前さんはよくもったほうだよ。褒めてやる」


 一時的に異能を解除したヴィハーンは、ポールの言葉ののち、再度異能を発動した。


 ――なにが言いたいんだ、この男は。それよりも明白な点がある。私の身体は今や完全に崩れ落ちつつあるのだ。力がどこにも入らない。()もなく床に倒れ込むだろう。この調子ならポールを視界に収めた状態で倒れられるが、一体どういうことだ? 腹立たしい! 分からない、なにひとつ確かなことがない! 感情が(たか)ぶって仕方ないのはなぜだ? そしてそれを不愉快に感じていない私はなんなのだ? 嗚呼(ああ)、ガラスに映った私の顔! なんて間抜けな表情だ。まるで、まるで、まるでまるでまるで阿呆のようではないか! ……ようやく分かった。私の身体は今、水蜜香に侵されている。しかし前兆はあるはずなのに、どうしてだ。部下に水蜜香を吸わせたとき、私は確かに独特な甘い香りを嗅いだはずだ。あれが水蜜香を示す目に見えない証拠。すると私の注意不足? ありえない。この塔に足を踏み入れてから、匂いには(こと)に注意を払っていたはずだ。なんの匂いもなかった。なにひとつ、どんな匂いも。どんな匂いも? そうだ。まったくの無臭だった。それはいつからだ? いつから私は。嗚呼、そうか。査定の場でメフィストが私の鼻先に手をかざしたあのとき。あのときか、私の嗅覚が奪われたのは。感覚奪取は一発で看破(かんぱ)出来る特徴的な魔術ではない。そもそも看破する必要などないのだ。通常なら触覚や聴覚、視覚を奪うものだから。嗅覚を奪うなんて話は聞いたことがない。しかし水蜜香を吸引させる目的であれば理に(かな)っている。ポールにかけた正体不明の魔術は目くらましのフェイクか。なんでもいい! 極度に遅延しているとはいえ、時が止まっているわけではないのだ! 余計な思考に時間を()くな! この状況を打開する方法が手持ちの魔術にあるかどうか。そしてそれを充分に扱えるかが問題だ。転移魔術がベストだろう。ともかくここに留まってはいられない。脱出が最優先。座標を(さだ)めろ。階下のバーは無しだ。バーより下の階段部分は……無し。下にはメフィストがいる。奴が薬漬けなら問題ないが、万が一ということもある。出来れば部下のいる最下部が望ましいが、そこまで転移するのは私の力では困難極まる。となると上。上のフロア。ただ、構造が分からない。頂上まですべて空洞なんてありえない話だ。当てずっぽうで座標を指定して壁に埋まったら一巻の終わり。となると頂上まで転移するか? 負担が大きい。いや、平時であれば可能だが、今の私の状態で頂上まで無事に転移出来る可能性は低い。博打(ばくち)は嫌いだ! 確実なもの。手堅く、失敗の恐れがない場所。考えろ。私が水蜜香に侵されたのはいつ、どの時点だ? メフィストの本体に会う前からか? ナンセンス。では、バーに踏み込んでから? 部下が恍惚状態になるまでの時間を(かんが)みて、それはない。観察するに、五回の吸引で忘我(ぼうが)(おちい)った。メフィストを階下に降ろしたときには侵されていた? それも無い。昇降機の付近で私とポールは数分間過ごした。となると可能性はひとつ。このガラス張りの部屋にのみ水蜜香の姿なき煙が満ちている。部屋を取り巻く回廊は安全。となれば、回廊までの転移で済む! 酩酊(めいてい)状態であろうともその程度なら可能だ! そしてこの厄介な状態から脱したのち、ポールを始末すればいい。


「転、移!」


 異能を解除し、転移魔術を行使するまで一瞬だった。しかし、ヴィハーンの身は僅か数センチ横に転移したのみである。


 ヴィハーンは床に倒れ込み、それから鼻と口を押さえてすぐさま立ち上がると、小部屋の扉へと、もつれた足で駆けた。なかば転ぶように取っ手を掴む。しかし、望んでいた手応えはない。押しても引いても一向に開かない。


「お前さんはもう終わりだ。この部屋は内側からは開かない。俺の勝ちだ。といっても相討ちみたいなモンだがな。それでいい。お前さんを潰せりゃ、俺は満足だ」


 振り返ったヴィハーンは、そのまま倒れ込んだ。全身が気怠(けだる)い心地良さに侵されている。ポールを見つめたまま、ヴィハーンの脳が活性化した。周囲のすべてが遅延していく。自分だけが所有する時間の孤独のなか、思考だけが奔放(ほんぽう)に跳ねた。


 ――ポール。全部貴様が計画したのか? 私を(あざむ)くために? それならメフィストの嗅覚奪取の説明がつかない。いや、説明は付くか。奴が私の鼻に細工をしたのは、ポールが水蜜香の存在を暴露し、私が部下に吸引させたあとのことだ。あの時点で奴はこの展開を読み、こちらの嗅覚を奪った。音吸い絹(カルム・シルク)の内部でおこなわれた密談は長いものではなかったが、水蜜香で無力化しろという指示だけならば充分な時間だ。私がメフィストの二重歩行者(ドッペルゲンガー)を見破ることまで()り込み済みだったと? それは考えすぎな気はするが……奴も迂闊(うかつ)ではない。二重歩行者(ドッペルゲンガー)を見破るような手合いは水蜜香で抹殺する、といったところか。罠にかけようとした側が逆に罠にかけられた構図。笑えるな。そして哀しい。私は異能に頼らなければ凡人だ。普段ならこんなふうに自己批判することはないが、どうやら魔の煙は思考まで(ゆる)めてしまうらしい。もし私がポールを警戒していたら。この小部屋に入らなかったら。そうだ。入る必要性などなかった。昇降機付近は突き落とされる懸念があったにせよ、単にメフィストを廃人にするまでの時間稼ぎなら回廊ですれば良かったのに。ポール。ポール、どうして心臓を押さえる? なにをしている?


 ヴィハーンが異能を解除するや否や、ポールは苦悶の表情を浮かべ、やがて目の光を失った。


「ポール」


 ヴィハーンは四つ這いで彼ににじり寄る。ポールの顔に生気がない。


 やがて彼のもとにたどり着くと、ヴィハーンは震える手で彼の心臓に指を這わせた。


 ――鼓動がない。死んでいる。水蜜香の影響か? まだ三十分も()っていないじゃないか! おかしい! なぜ死んだ!? やめてくれ、私をひとりにしないでくれ。せめて一緒に廃人になってくれ! それが(すじ)だろう? ポール。ポール! この永遠ほど長い時間のなかに私を取り残すのか? やめてくれ。私が悪かった。メフィストを始末したのち、お前を殺そうと企図(きと)していたのも白状する。だから頼む。生き返ってくれ! こんなところでひとりぼっち、快楽に溺れて死ぬなんて嫌なんだ。お前は査定の場で、水蜜香を吸えば神の音楽が聴けると言ったな? 私には無理なんだ! 引き伸ばされた時間のなかでは、どんな音もノイズになってしまう。私に神の音楽を教えてくれ! 逝くな! ……嗚呼、そうか。そうだ。簡単な話だ。捨てればいいのか。私を私たらしめている、この特別な力を。


「ポール。私をひとりにしないでくれ。ポール! 頼む……」


 異能を解除して()もなく、ヴィハーンは扉が開く音を耳にした。が、首を持ち上げる力もない。ポールに(すが)り付き、恍惚に身を委ねていた。


 やがてポールの身体が奪われた。それでようやく顔を上げると、不敵に()む悪魔の姿を見たのである。


「メフィスト……貴様、水蜜香は……」


二重歩行者(ドッペルゲンガー)に効くわけがないでしょう?」


「本体では、なかったのか」


「ええ。魔力で分かりそうなものですが。勘繰(かんぐ)りすぎですね」


 ヴィハーンはもはやなにもかも諦めていた。抵抗する気力も湧かない。自分の描き出した論理が最初の一歩目から間違っていたのだと認めるのは、今の彼にとって容易(ようい)なことである。


 メフィストはポールを回廊に運び出すと、部屋に戻ってきた。


「さて、いくつか質問させてください。まず肝心な点を。貴方はルドラさんの兵員ほぼすべてと視覚と聴覚を共有しているようですが、どうやってそれを実現しているのです? 脳の処理が追いつかないでしょうに」


「私の、異能だ。遅延。脳以外。時間が。遅延。耳の情報、目の情報、魔力の塊で、届く。遅延してるから、脳だけ動いてるから、ひとつずつ、処理」


「なるほど。ときに、その異能を知っているのは誰かいらっしゃいますか?」


「いない」


「しかし、聞かれたことはあるでしょう? 核の部分は伏せて、ある程度の情報――それが貴方にしか実現不可能だと説明した相手はおりますか?」


「ひとりだけ」


「どなたです?」


 ヴィハーンは壁を背にべたりと座り込んだ姿勢で、ゆらゆらと左右に揺れた。


 誰に聞かれたか。よく覚えている。戦争が決まってから、その男に呼び出されたのだ。


 ヴィハーンは隠し立てすることなく、その名を口にした。「ヴラド」と。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『水蜜香(すいみつこう)』→微睡草(まどろみそう)と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて


・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』


・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『感覚奪取』→五感の一部を一時的に奪う魔術。奪った感覚は術者が得ることも可能。詳しくは『531.「複製玩具」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『音吸い絹(カルム・シルク)』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて

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