137.「帽子屋の奇術帽」
息を呑んで『帽子屋』を注視する。彼はこちらに背を向けて扉を閉めた。それも、随分と時間をかけて。
その無防備に見せかけた背に飛び込むのはあまりにも危険だった。敵前で背を向ける行為を単に余裕の表れと判断するような迂闊さは持ち合わせていない。そこに罠の影がちらついている。
きっちりと扉が閉まっていることを確認し、『帽子屋』はこちらに身体を向けた。そしてわざとらしく首を傾げて見せる。
「てっきり攻撃してくると思ったが……。慎重だな……」
その怜悧な顔は、どこか見覚えがあった。ノックスに似ていなくもないが、どうも違う。雰囲気は不機嫌なニコルに近いが、顔立ちは全く別物だ。王都で見たのだろうか、それとも騎士団で、あるいは魔具訓練校で……。
緊迫した状況にあっては、正確に記憶を辿ることが難しかった。いつ、どのような方法で繰り出されるか分からない攻撃に神経を注ぎながら追憶出来るほど器用ではない。器用な器用なクロエさんにも限度がある。
「だんまりか……」と『帽子屋』は興が乗らない様子で呟いた。
レオネルを見ると、彼は鋭い目付きで『帽子屋』を睨んでいるばかりで、魔術を行使する気配はない。それもそのはずで、『帽子屋』はヨハンの隠蔽した魔術に気が付くほど魔力の察知に長けているとの前情報だ。彼に魔術を使おうものならたちまち暴かれ、不意を打つことなど出来ない。するとヨハンの告げた通り、戦うべきはわたしであり、レオネルは隙を見て援護をする役割になるだろう。
もっと作戦を立てておけば良かった、と今更になって後悔する。レオネルの得意とする魔術も知らないし、彼は彼でわたしの戦闘スタイルを把握していないはずだ。
もとよりそのつもりではあったが、ほぼ独力で戦う必要がある。
「あなたが『帽子屋』?」
「そうだ。……お前は……いや、お前らのことはどうでもいい。ただの鼠だ……」
冷めた口調。いかにもこちらには興味がないような、そんな様子である。
こちらから動くべきだろうか。いや、無策に飛び込んで成果を上げられるとは思えない。
『帽子屋』のシルクハットに視線を送る。彼は魔力を一切持たないようだった。隠蔽しているのかもしれないが、所持している魔具によって彼が魔術師でないことは明らかである。
シルクハット。そこから魔力を感じた。溢れる魔力の質からいえば、『黒兎』の魔力写刀に近い。
逆に腰のレイピアにはなんら魔力が視られなかった。だからといって飾りではないだろう。
「魔術師に……魔具使い。二人一遍にやるか……? それとも、ひとりずつやるか……? 俺はどちらでも構わない……」
やはり、見抜かれている。ヨハンの二重歩行者を看破したのであれば、『親爺』が製造したサーベルに宿った微弱な魔力を読み取るくらい造作もないだろう。
「一対一か二対一か選ばせてくれるなんて親切なのね」
「親切……? どちらでもいいだけだ……」
言って、『帽子屋』はシルクハットを脱いだ。非対称の瞳が暗く光る。
肌が粟立った。神経を尖らせ、敵の挙動を見守る。
『帽子屋』はシルクハットを左右に振った。すると、帽子が通った軌道の一部――右と左にひとつずつ、シルクハットの像がピンで留められたように宙にとどまる。
それは残像ではなかった。彼が手に持ったシルクハット本体と、左右にそれぞれ静止した複製、それら全てに魔力が籠っている。
「奇術帽……。面白い魔具だろ……?」
宙に浮いたシルクハットの複製物を見つめて、『黒兎』の魔力写刀を思い出した。あれと似た魔具なのだろうか。
ただ帽子を複製するだけなら脅威でもなんでもない。なにかあるはず。
「さて……はじめよう」
左手にシルクハットを持ったまま、彼はレイピアを抜いた。同時に、宙に浮いたシルクハットがそれぞれ曲線的な軌道でこちらに迫ってくる。ひとつはレオネル、ひとつはわたしを標的にしているようだった。
サーベルを構え、レオネルの前に出る。『帽子屋』と複製シルクハットのそれぞれを視界に収めて、均等に注意を払った。有効射程に入ったら斬り落としてやる。
シルクハットが一メートル先まで迫る。
こちらから迎え撃ってやる――。
一歩踏み込んでサーベルを振るった。
ふたつの複製帽子はサーベルの軌道を読んだようにひらりと避け、帽子の内側をこちらを向ける。同時に『帽子屋』がレイピアを、左手に持ったシルクハットに突き刺そうとする様が見えた。
ぞくり、と嫌な感覚に襲われる。
思わず後方に跳ぶと、目の前にレイピアの切っ先が交差するように伸びた。命中することはなかったものの、不穏な気配を察して後退しなければ今頃首を貫かれている。
複製帽子。その内側からレイピアの刃が伸びていた。『帽子屋』はというと、レイピアをシルクハットに突き刺して――いや、語弊がある。彼のレイピアは柄から先のみ奇術帽に隠れており、そのシルクハットを貫いてはいない。そしてレイピアの柄の部分で固定されているように、奇術帽は支えなく宙に浮いていた。
彼がレイピアを振ると、それに合わせて奇術帽も左右に動く。尚且つ、複製帽子はレイピアの動きをトレースするように刃を薙いだ。咄嗟にしゃがんで避け、数歩後退する。
実に妙な魔具だが、おそらくは『帽子屋』が持つシルクハットが本体であり、複製帽子は本体の内部に入れられた物までもコピーするという能力なのだろう。
複製帽子はそれぞれの意思を持っているかのようにわたしを追跡する。そして、二本分のレイピアがこの身を貫くべく刺突し、切り裂くべく流麗な軌道を描いた。
刺突は身をかわし、斬撃はサーベルで受け止めて弾く。
これ以上の後退をするつもりはなかった。あと一歩でも退けばレオネルが複製帽子の――つまり、そこから伸びるレイピアの標的になりかねない。
次々と繰り出される斬撃を弾き、逸らし、受け止めた。速度も重さも思ったほどではない。刺突は鋭いものの、避けられないスピードではなかった。
『帽子屋』が一瞬口元を緩めるのがちらりと見える。
瞬間、複製帽子から放たれるレイピアの攻撃速度が上がった。『帽子屋』が、手元にあるレイピアの斬撃速度を上げたのだ。
歯を食い縛り、一撃一撃を捌く。火花が散り、集中力が自然と上がった。一瞬でも目を離せば串刺しになる運命は容易に想像出来る。
一度でもその攻撃を身体に受けてしまえば、どうあがいても痛みで動きが鈍くなる。そこから先は一方的に蹂躙されることだろう。
呼吸を整えつつ攻撃を弾いているうちに、目の前の斬撃が、その軌跡も含めて明瞭に映る。それに対するサーベルの初動も、自分でも分かるほど早くなっていった。これなら、あと何段階か速度を上げられても対処出来る。『黒兎』戦の胸の痛みを除けば調子は良い。
と、不意に複製帽子が『帽子屋』のもとへと帰還した。彼の身体の前で、レイピアの突き出た二つの帽子が静止する。
「お前はもしかして……」彼の瞳に好奇の色が浮かぶ。「もしかして……『白兎』と戦った女か……?」
あえて否定するような問いではない。それに、あの一幕の情報だけでこちらの技量を見抜かれるとは思えなかった。
「そうよ。『白兎』さんには随分とお世話になったわ。そろそろお礼をしたいところね」
直後、『帽子屋』は「ハハ……」と声に出して笑った。控えめな笑いである。「『白兎』に後れを取るようじゃ相手にならない……」
『帽子屋』の目は、嘘や挑発、あるいは過大な自意識が籠っているようには見えなかった。ただ事実のみを伝える淡々とした口調と、動きの少ない瞳。
彼の自己評価通りなら、『白兎』よりもずっと強い存在が目の前にいることになる。
望むところ。
『帽子屋』を討ち倒さなければノックスとシェリーを救えないというのなら、いかに強敵であろうとも全力で挑むのみだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。
・『魔具訓練校』→王都グレキランスの騎士団予科。魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。訓練内容に関しては『92.「水中の風花」』参照
・『黒兎』→ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。詳しくは『127.「魔力写刀」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの騎士。魔術師。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』にて




