Side Vihaan.「或る官吏の反乱計画」
※ヴィハーン視点の三人称です。
ヴィハーンの人生は彼にとって順風満帆だった。ルドラ領近傍の中流家庭の生まれではあったが、学問全般において早熟の才を見せ、早くに首都ラガニアへ留学し、優秀さを遺憾なく発揮した少年時代。特に速読能力は驚異的で、分厚い書物も数分で読破し、内容を諳んじることも出来た。体力面では劣るものがあったが、判断能力は図抜けており、剣技だろうが組み手だろうが負けたことはない。
そうした速読能力と判断力が純粋な力だったかというと、そうではなかった。一部の血族に発現する異能の産物である。
彼は幼少のときから、世界のあらゆる時間が極端に――それこそ停止したと錯覚するほど緩やかに感じていた。自分の肉体の動作も例外ではないが、ただひとつ、脳だけは通常の速度で動作したのである。それが持ち前の異能であり、制御可能であると把握するのに長い年数は必要なかった。遅延した世界のなかでは速読など通常の読書と変わらない。肉の微細な初動を把握すれば剣技や組み手においても後れを取ることはない。
そんな彼が特化させたのは魔術である。己の能力を十全に活かすならそれしかないと考えたのだ。攻撃魔術こそモノに出来なかったが、ヴィハーンにとっては些事である。
彼にとって、自分よりも明らかに劣っている者が貴族というだけで下駄を履かされ、何事につけ褒めそやされるのは気に入らなかった。剣技の実技で講師から、貴族相手にはわざと負けるよう指示されたのも業腹な出来事である。そうした少年期の不平等な経験から、彼が嫉妬と野心を己の核として育んでしまったのは自然だろう。あまりに優秀であるがゆえ、不出来な者が自分の上に立っているのは許せない。それが世の理だというのなら破壊してやる。そのような意気さえあったのだが、一個人の力で世界を正すなど不可能であるとやがて思い知った。
ならば、世界のルールに沿って成り上がってやろう。
決意を固めた十代の頃、ヴィハーンの故郷が大量の魔物に襲われた。折悪しく、休暇を利用して帰郷していた彼も災禍に巻き込まれることとなったのだが、結果的に生き残ったのは彼ひとり。魔術で凌いだといえばそれらしく聞こえるが、方法としてはおぞましいものだったろう。
魔物を惹き付ける魔術――疑似餌。それを町のひとりにかけ、対象者が殺されると次のひとりに施す。血縁関係のない者から順番に犠牲にし、両親が息絶える頃、朝陽とともに魔物が霧散した。天涯孤独になった彼は、町の滅亡や両親の犠牲を意に介すことなく、隣町の男爵家に一路向かったのである。そして故郷の惨状や自分の身の上を涙ながらに語り、同情を買って男爵の養子となった。災禍を生き延びた瞬間には、すでにそのような筋立てで物事を進めていく算段が付いていたのである。
悲しみはなかった。それ以上に、人生の航路への情熱が勝っていたからだ。
やがてルドラの領地で官吏の末端に就き、徐々に格を上げていったのも計算づくのことである。看破魔術。交信魔術。視覚ならびに聴覚の共有。そして持ち前の速読能力をもってすれば、事務作業など楽に終わる。また、胡乱な魔術――欺瞞の鏡面で有力な官吏を欺いて失脚させれば、自ずとヴィハーンの地位も高まった。ルドラのもとで官吏となって僅か五年のうちに、彼は最高位の座を占めることとなったのである。ルドラからの信頼も篤く、夜会卿主催のオークションに侍るのも許された。
だが、たかが官吏の最上位で留まるつもりは毛頭ない。ルドラを標的にしたのは、なにも男爵家と彼の領地が地理的に近かったのが理由ではなかった。
金鉱。
領地内にそれを有している貴族はルドラ以外にはいない。あとの金鉱はすべて首都ラガニアの管理下にある。むろん、金の採掘量などは首都に報告する義務があったが、書類の細工はいくらでも出来た。ヴィハーンの前任の官吏も、ルドラの命じるままに採掘量を誤魔化し、過分な利益はルドラの懐を潤した。伯爵位であるルドラが公爵位の夜会卿と友好を深める光栄に浴したのも、金鉱を所有している点に尽きる。途方もない財力を持ちながら倫理観に欠陥があり、珍品に目がないルドラがオークションの常連となるのはごく自然な推移だった。
爵位だけ考えるなら公爵位の領地に潜り込むのが最適だが、そこで成り上がるのは難しい。ましてや領地の奪取などほぼ不可能。しかし伯爵となれば別。せいぜい中規模の町のひとつかふたつ程度しか治めていない。ルドラに関して言えば、領地内の町村はひとつだけだ。土地の大部分が鉱山だからである。金鉱を私有している貴族はルドラ以外におらず、夜会卿の財布のひとつとして重宝されている点も大きい。つまりはルドラを落としてしまえば、実質、公爵と並び立つだけの価値を丸ごと手に出来る。そのために今回の戦争は絶好の機会だった。
ルドラの血統が絶えるような事態が発生したあかつきには、ヴィハーンの養父である男爵が土地を守護する取り決めが事前に交わされてある。簒奪卿のような悪しき例を取り沙汰し、万が一の保険としてヴィハーンがそのように取り計らったのだ。むろん、ルドラ一族が滅亡するなどありえないと強調しつつも、戦争に名乗りを上げなかった貴族が侵略行為を起こす懸念はあると説いたのである。それは夜会卿に弓を引くことと同義であるが、だとしても金鉱に目がない賊は少なくない。ルドラの不在期間は男爵の私兵で領地を保護する条件のもと、約定が成った。
ルドラは戦争で始末する。そしてラガニア帰還後、数年の間を置いて居残りの一族を消す。血統の絶えたルドラ領は約定通り、男爵の所有地となるわけだ。男爵にはヴィハーン以外の子供はいない。もとより男色家で知られている。そのあたりも計算に入れて彼の養子になったわけだ。もし邪魔になれば消せばいい。
煙宿制圧に際してルドラと夜会卿に亀裂が入ったのは、ヴィハーンにとって願ってもない好機だった。ルドラは夜会卿の目である蝙蝠さえも追い払ったのである。つまり、この地でなにがあろうとも表立ってヴィハーンが非難される憂いは消滅したのだ。煙宿の戦力をルドラ一族に的確にぶつけ、必要に応じてサポートすれば――難事ではあるが――牙城を崩せると読んでいた。
そこにきて、新たな憂いが生じたのである。
メフィスト。
彼のことはよく知っている。夜会卿に関係する者ならば誰しも渋面を作る厄介者だ。アスターの革命騒動で生き残った前代未聞の存在。甘言を弄してニコルの懐に入り込み、彼の手駒としてグレキランスに動乱を持ち込んだ男。そして此度の戦争では人間側に与するという暴挙。いったい何枚の舌があるのか分からない。そしていずれの場面においても、奴は生き残り続けた。アスターでの革命が顕著だが、屍を糧にしているような印象さえある。歩く災害と呼んで差し支えない。
そいつが、この絶好の機会で姿を見せたのだ。しかも自由と安全が保証されているという馬鹿げた状態で。
ヨハンが査定の場に現れたときほど、ルドラの自尊心の高さを恨んだことはない。ルドラとその一族は、ひとりとしてヴィハーンと視覚および聴覚の共有を許可しなかったのだ。部隊の構成員全員にはそれを許しても、一線を引いたのである。ルドラとメフィストの間に取り決めがあったのは明らかで、それは事前に為されたものではないことも明白。でなければ夜会卿本隊の休息所として煙宿を提供するといった約束をするはずがない。ルドラと夜会卿の決裂にメフィストが一役買ったのはまず間違いないが、いかなる材料を用いたのか、今もって定かではなかった。交信魔術でルドラに訊ねても、まともな返事は寄越してくれない。
ならば、計画に取り込んでしまえばいい。
もし拒絶するなら殺すだけのこと。自由と安全を保証しつつ、殺す。
ヴィハーンの計略はすでに整っていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『疑似餌』→魔物の持つ魔力誘引特性を利用した魔物引き寄せの魔術。対象の身体に魔力を注ぎ込むので、対象者が引き寄せの力を持つ。詳しくは『83.「疑似餌」』にて
・『欺瞞の鏡面』→対象の視界を欺く魔術。詳しくは『533.「欺瞞の鏡面」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『簒奪卿シャンティ』→黒の血族で、ラガニアの子爵。過剰な装飾と肉体改造を施した、傲慢で残虐な女性。同族の土地へと侵略を繰り返す様から、簒奪卿の異名がつけられた。固有の異能である液体操作を持つが、有機物に限っては相手の意識がなければ操れないという制約がある。加えて、スライムを使役する。リクの腹違いの姉。戦争において前線基地を襲撃したが、シフォンの裏切りにより全軍壊滅。現在はシンクレールと行動をともにしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




