Side Paul.「煙の町の甘き宝物」
※ポール視点の三人称です。
レオンの査定が終わった時点で、それまで多くの人々を閉じ込めていた半透明の檻は消え去っていた。もはや不要というわけだ。踵を返して一目散に逃げ出すなんて選択肢はポールにはない。いずれ捕らえられるだとか、連行されていった人々に害がおよぶだとか、そのような懸念は頭に浮かびもしなかった。やるべきことをやる。彼の念頭にあったのはその一事のみである。
広場の中央へと歩み出るなかで、ヨハンに一瞥を向けた。彼はもうラニの背後にはおらず、自由を与えた女と一緒に広場の左側に佇んでいる。いかにも無関心といった表情が演技なのか本心なのか、ポールに見抜くことは出来なかった。そう長い付き合いでもない。もとより詐術に長けた男だ。そう易々と内面が計れるようでは参謀として起用した意味も薄い。ともあれ、彼がルドラの言った通り正真正銘の風見鶏であり、反撃の意図さえないのだとしたら、参謀云々と考えたところで虚しいだけだが。
背後でヴィハーンが息を吸う音がして、ポールは促されるより先に口を開いた。
「名前はポール。齢は四十九。自分を魔術師だと見做したことはねえが、建築がらみの魔術は使える。独学なんで、魔術に名前なんざ付けちゃいねえ。物をくっつけたり動かしたり、その程度だ。あれも――」
ポールは靄の先にそびえる塔を振り仰いだ。
「俺が建てた。自慢するつもりはねえが、俺はこの町の創始者でボスだ。この戦争に限らず、煙宿は俺が仕切ってる」
誰も口を挟む気配はない。クマールが不機嫌そうな顔をしているのはレオンの件が尾を引いているからだろう。ラニはぼんやり塔の方角を見やっているが、瞳に関心めいた光はない。さっさと終われとでも思っているのが見え透いている。
「昇るのに苦労する高さですが、昇降は階段で?」
背後から問いが流れた。いかにも自然を装ったその声はヴィハーンのものである。
これまで定型的な尋問しかしなかったというのに、探りを入れてきている。何事か目論んでいるのは明らかだ。それは、自分を最後まで取っておいた点にも表れている。
「途中までは階段だが、行き止まりになってる。そこからは昇降機を使って昇る」
「昇降機は誰にでも使用可能ですか?」
「いや、限られた人間しか使えねえ」
「限られた人間とは誰です」
ヴィハーンはどうしても塔に用があるらしい。それも、査定がはじまってから生まれた動機と見て間違いないだろう。でなければ、不夜城の入り口から檻に至るまでの道々で問いただせば済む程度の質問なのだから。
却って都合がいい。ヴィハーンが個人的に塔への興味があるのなら、願ってもない話だ。
「誰が昇降機を操れるのかは言えねえな。ただひとつ明かしてもいいのは、俺がその限られたひとりってことだけだ」
背後で無表情を繕っている痩せた血族を意識する。ヴィハーンがなにか言う前にポールは続けた。
「ところで、お前さんがたに取引がある。悪い取引じゃねえ。塔には宝物があるんだが、そいつはさっき言った昇降機を使わなきゃ回収できねえ代物でね。そいつを大前さんがたに献上しよう。条件はレオンと、あいつの後生大事に抱えてる人形の解放だ。自由と安全を保証してやってくれ」
この取引に激したのは当然、クマールである。彼は棍を木板に叩きつけた。木切れが無惨に飛び散る。
「聞き捨てならねえな、オッサン。オマエもオレをナメてんのか!?」
「お前さんがご立腹なのは分かるが、これは取引だ。最後まで聞いてくれなくちゃ困る。で、肝心の宝物ってのはこいつだ」ポールは懐から乾燥した葉の詰まった袋を取り出し、一同の目に晒した。「水蜜香。焚いた煙を吸えば神の音楽が聞ける。頭がとろける。最高の気分になれる逸品。パイプや煙管の先に詰めて吸うモンだ。中毒性があるが、だからこそこいつは金になる」
ラニは「穢らわしい」と呟いたが、交渉相手は彼女ではない。大仰に鎮座する青の巨人――ルドラだ。そいつが沈黙している以上、是とも非とも判断は下されていない。もし迷っているなら、実演すれば済む話だ。
「誰か吸ってみな。そうすりゃ分かる」
ポールがパイプをゆったりと左右に振る。
沈黙が場を領していた。
やがてヴィハーンの指が鳴り、粗野な顔立ちの血族の男がひとり、ポールへと歩み寄った。意図を察し、パイプを渡してやる。
「火をつけてやるから、その間に吸引しろ。でなきゃ上手く葉が燃焼しねえ。……そうじゃねえよ。もう一回。そう、そう、それでいい。肺まで入れて、しばらく溜めてから煙を吐き出せ。ハハッ。そりゃ最初は咽るモンだ。気にすんな。そのまま吸ってりゃ慣れてくる」
ポールが手解きして数秒で、血族はその場に胡座をかいた。呆けた顔をしたり、ハッとして引き締めたりと忙しない。彼の内心の抵抗は手に取るように分かる。自制心と魔法の煙とのせめぎ合いは誰しも経験するものだ。しかし水蜜香を吸った時点で勝敗は決している。自制心なんて紙切れ同然。
血族はぼんやりした顔で身体を左右に揺らしはじめた。
「ヴィハーンさん、これ、いいっすよ。最高だ。頭が、こう、どろどろ、ってして、全身気持ちいいんす。余計なことなんて、なぁんも考えられねえ。ていうか、考える必要ねえって感じで」
周囲に甘い香りが漂っては、朝の湿った風で吹き消えていく。
ポールが「そのへんにしときな」とパイプを回収すると、男は恨めしそうに睨んだが、表情はとろけている。身体も弛緩しきっており、さしたる抵抗はなかった。
それから数分間、沈黙が続いた。これが無意味な思案の時間ではないことは、すでにポールも察している。ヴィハーンはこの部隊の交信を一手に担っていると言ったのだ。今も自分には聞こえない声で、侃々諤々のやり取りが続いていることだろう。
天上で青の巨体が身じろぎした。どうやら結論が出たらしい。
「水蜜香とやらは回収する。ただし、条件は呑めん。儂と貴様とでは立場が違う。なにより儂はこの町を制圧した。であるからに、一切の品はすでに儂の所有物と言える。貴様が昇降機を動かさんと言うなら、塔を破壊して品を取り出せば良いだけのこと」
「瓦礫のなかから水蜜香を探すのは難儀だ。それに、枯れ葉に見えても案外繊細なモンでね。塔を破壊して取り出すってんじゃ台無しだ。それじゃ条件を変えよう。レオンと人形の解放は今すぐしなくていい。ただ、お前さんがたがお国に帰る際には自由にしてやってほしい」
「断る。あれは一等の品だ。手放すつもりはない」
「なら、お国に連れていってもいいが、せめてまともな暮らしが出来るよう手を尽くしてくれねえか。……これが落としどころだ。もう譲歩できねえ」
「それであれば、よかろう」
ルドラの返答に、クマールがまたしても木板を叩き割ったが、激昂しているのは彼ひとりだ。そして癇癪を起こしているだけで、表立ってルドラに反発する声は吐かない。腸が煮えくり返っていることだろうが、それが行動に発展しない限り、駄々をこねているのとそう変わらないようにポールは感じた。
「貴方にはこれから、塔を案内していただきます」とヴィハーンが淡々と告げる。ポールを縛めていた半透明の縄が靄となって消滅した。「捕縛はしませんが、下手な真似をしたら命はないとお考えください。貴方の査定結果は三等。欠けたところで大した損失ではありま――」
不意にヴィハーンが言葉を切り、なにか凶器でも避けるかのように身を翻した。それからも次々となにかを回避している素振りを見せている。こちらに背中を向けて。
呆然とヴィハーンを眺めていると、ヨハンが彼の鼻先を触れるか触れないかのところでひと撫でし、ポールに近寄った。ヴィハーンの目にはヨハンなど入っていないかのようで、相変わらず背を向けている。ポールとヨハンの周囲には、いつの間にか音吸い絹が展開されていた。
ヨハンは冷徹な表情を一切崩すことなく、息を吸う。
「手短かに言います。指示がひとつと、確認がひとつ。次に私と再会するまで、ヴィハーンに従ってください」
「ああ、分かった。で、確認ってのはなんだ」
「死ぬ覚悟は出来てるってことでよろしいでしょうか」
ポールは思わず薄笑いを浮かべた。
「もちろん」
直後、ポールの心臓のあたりにヨハンの指先が触れ、魔術が迸った。それがいったいなんなのか不明だが、身体に異常はない。今のところは。
ヴィハーンが振り返ったのは、ヨハンの手が離れ、音吸い絹が解除されてからのことである。猛禽類に似た、獰猛で、奸智に長けた、執念深い視線が二人を射た。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『レオン』→ビスクの夫。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて




