Side Paul.「あまりに妥当な降伏命令」
※ポール視点の三人称です。
血族のグレキランス一帯への侵攻から七日目の深夜。
鳴り響く地響きを耳にし、煙宿の創始者であるポールは不夜城内のバーカウンターでひとり水蜜香を吸っていた。パイプに詰めた葉が微かに焼ける音がする。脳を侵す煙が漂った。
「いよいよか」
呟きに、返る言葉はひとつもない。バーには客はもちろん、ポールの部下も店員の姿もなかった。誰もが煙宿の防衛に繰り出している。現場の指揮は部下に一任しているため、ポールが出張る必要はない。ならず者との交渉事ならともかく、血族相手の戦闘とあらば、夜間防衛の経験のない彼は実質お役御免である。ただ、大筋の方針だけはポールよって下された。
「なに考えてるんだか、あの野郎は」
ポールが頭に描いたのは、血族と人間のハーフであるヨハンの姿だ。
当初は、霧中を行軍してくる血族や魔物に対し、奇襲攻撃を仕掛けては迂路をたどって煙宿へ帰還するという戦略だった。ところが数日前に方針転換があったのである。当のヨハンからポールへと秘密裏に伝えられた内容だった。
『敵は煙宿の位置を知っています。ですので、ここを拠点にして奇襲を仕掛けるのは上手くない。かといって、煙宿をものけの空にして別の拠点を急造するのも時間的に不可能』
『ならどうするってんだ、参謀さん』
『真っ向勝負ですな。こうなっては仕方ありません。意味をなさない奇襲に血道を上げるのではなく、手堅く戦いましょう』
『手堅くねえ……。それなら現場のモンに任せりゃいいな』
『ただ、最低限の方針は立てておきましょう。ひとつは、敵わないと思ったら即時降参すること。兵士の方々には念を押していただきたいです。死ぬくらいなら敵の捕虜になれと。……命懸けで戦うのが本望のかたもいらっしゃるでしょうが、とりあえずは厳命してください。むしろ、戦わずに尻尾を巻いて煙宿に逃げ帰るほうがマシですね』
『そんな滅茶苦茶な命令出せるか。恥知らずもいいとこだ。それに、煙宿に侵入されたらどうなる。好き放題されちまうだろうが。捕虜になったところで、遊び半分で殺されちゃ意味がねえ。そもそも、連中には捕虜を受け入れる筋合いなんてねえだろ。皆殺しにされるだけだ』
『いいえ、濫りに殺すような真似はしませんよ』
『なんでそう言い切れる』
『ポールさんも耳馴染みがあるでしょう? 人身売買ですよ。もちろん、皆さんが売られる未来はないと約束します。……ともかく、敵の掌中に入って機を窺うことです。油断した相手の首元に噛みつく。そのための合図は出しますので、勝手な行動は厳に慎んでいただきたい』
今頃煙宿の外に展開した兵士たちは、一目散に逃げ出しているだろうか、とポールは自問する。どちらが自分の望みだろうか、とも。
押し問答の末、ポールはヨハンの指示を受け入れることとなった。かくして部下へと口伝えで戦略的降伏を命じたのである。ともあれ、誰もが命令通りに動くわけでもないだろう。勇敢に命を散らそうとする奴も出てくる。そいつらの面目は最大限保ってやりたいものだ。
もしヨハンの言う通りに全員が撤退して捕虜になったら、とポールは思い描く。そうなれば、針屋には申し訳ないことになる。
魔術師を除く煙宿の兵士ほぼ全員が、身体のどこかに魔術の籠もった墨を彫ってもらっている。墨の力を使えば血族相手にもマシな戦いを出来るだろう。本来なら。
墨は三日に一度は抜いて、また彫り直さねばならないため、血族の侵攻が伝えられてから針姐が寝る間もないほどの激務に追われているのは知っていた。足を運んで直接労おうとしたのだが、針屋の外まで行列が伸びているのを見て、そっと踵を返したものだ。戦争が終わり次第、手厚く労ってやらなきゃならない。
不意にバーの扉が開いた。横に流した紫の髪に、上等なスーツ。義理の息子のレオンである。彼はポールの隣に腰を下ろすと、淡々と告げた。
「敵は巨人の魔物の大群を引き連れている。あれが相手では対処は難しい。尖兵が撤退するのを窓から見た」
「どうりで地鳴りがひどいわけだ」
巨人の魔物キュクロプスは滅多にお目にかかる機会がない。それが大群となれば、勇敢な意志もへし折ってしまうだろう。
レオンが前線にいない理由を、ポールは問いただす気になれなかった。察しがついており、なおかつ、気分が良くなる類の物事ではないから話題にはしたくない。
ポールの娘であるビスクはレオンとの結婚後に亡くなった。その骨の一部を埋め、生前のビスクそっくりになった人形と一緒にレオンは暮らしている。彼が傷付くと、ビスク人形は否応なく、敵を屠るために刃を閃かす。戦略的撤退において、不退転の人形を持つレオンがこの場に留まっているのは妥当な話だ。彼は人形を生前のビスクに近しいくらい愛している。人形が破壊されるような憂き目は避けたいだろう。
人形になったビスクを、ポールは殊更に避けていた。命はなく、言葉も発さず、無表情で、しかしビスクそのものの姿で立って歩いている。実の父親として、そこに本物のビスクの魂を見出してはならないと感じていた。これは自分自身の心の問題で、戦場に持ち込むつもりはないが。
それから二人は顔を合わせることもなく、無言で座っていた。状況が状況だ。憂いなんて山ほどある。いかに腹を括ろうとも、完全に落ち着けるような人間はそういない。ならず者との胡乱なやり取りを長年に渡って継続してきたポールにとって、表面を繕うのは容易かったが、心に浮かぶ水泡のような憂いまでは消し去れない。
巨大な地鳴りが接近し、カウンターの酒類がいくつか床に落ちて割れても、ポールは平静を保っていた。やがて天に轟く胴間声が室内にまで流れ込んでも。
「この地は儂が制圧した。全員降伏せよ。無闇な殺生はしないが、町の外へ逃げようとした者はその限りではない。大人しくしていれば悪いようにはせん。新たな支配者の名を心に刻め。儂はルドラ。爵位は伯爵である」
声を契機に、二人は同時に立ち上がった。そしてそれぞれ別の場所へと足を向ける。レオンは離れへ向かうのだろう。ビスク人形を回収して捕虜となるために。
ポールはただただ階下を目指した。自分だけ不夜城に引き籠もるつもりはない。余計な疑念を持たれないためにも、捕虜になる必要がある。
地上に近付くにつれ、悲鳴や怒号が強くなった。地鳴りはすでにやんでいる。
捕虜になったとして、売られる保証がないわけではない。あのヨハンという男の口先に惑わされただけで、どうしようもない道のりを歩んでいるのではないかという気はした。クロエに恩義があるのでヨハンを受け入れはしたものの、血族とのハーフであるという点において、信を置くには足りない。裏切られる懸念は常にあった。
「こいつは……」
不夜城の外に出たポールは思わず苦笑した。レオンから聞いてはいたものの、なるほど、巨人の軍勢か。そして不夜城よりも頭ひとつ高い青い肌の巨人が親玉だろう。
町を囲むキュクロプスの足元にはグールなどの小型魔物が整然と隙間を埋めている。そうして包囲網の内側では、紫の肌のひと――黒の血族が闊歩していた。男は緩いひだのあるズボンに、だぼついたシャツ。女はというと、踊り子のような装束だった。男女ともに木靴を履いていることは音で分かるが、それぞれ彩色や紋様が異なる。女性のそれは殊に艶やかな彩りで、形状も爪先の部分が先細って上向いていた。まるで植物の蔦のように。
血族は男女問わず、誰もが華美な耳飾りやら首輪や腕輪、あるいは足輪を身に着けていた。おおむね総合的な美観で地位の差を誇示しているように見える。人間たちを組み伏せては運んでいく男たちは、装飾に乏しい者がほとんどだった。
ポールはあらためて巨人を見渡し、嘆息した。
この軍勢に誰が勝てるというのか。その意味においては、たとえ売られる運命にあろうともヨハンの選択は正しいように感じられた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態に誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている。詳しくは『393.「甘き煙の宿場町」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『針屋』→『針姐』が『煙宿』で営む針治療の店。刺青を彫り込む仕事も請け負っている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『墨の魔術』→『針姐』の施す刺青のこと。魔力を籠めた墨を彫ることにより、相手に様々な力を与える。ただし、放っておくと皮下に染み込んでいき、抜く際の痛みも激しくなる。詳しくは『408.「墨虫」』にて
・『針姐』→『煙宿』で針治療の店を営む、本名不詳の女性。派手な着物姿。語尾の上がる独特の喋り方をする。ザッヘルの妻。食後に、煙管で水蜜香を一服するのが好き。魔力を込めた墨を彫り込み、対象に強化魔術を付与することが出来る。ただし、墨は能力の使用や時間経過に応じて肉を蝕む。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『レオン』→ビスクの夫。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『ビスク』→レオンの妻であり、ポールの娘。故人。ポール曰く、控えめで優しい性格とのこと。彼女の死後、レオンはその姿を模した人形を所持するようになった。彼は人形もまたビスクと呼び、大切にしている。レオンが傷付くと、人形は彼の魔力を吸い上げて駆動する。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて




