幕間. 「ヘルメス先生の魔術講義 ~三限目~」
血族がグレキランス一帯に侵攻して七日目の昼。アリスは半馬人の隠れ家で昼食を摂っていた。ヘルメスから分け与えられた長期保存に適した硬いパンと干し肉である。ほとんど身ひとつで滞在しているアリスにとって、実にありがたい施しだった。食事を渡す際の嫌味ったらしい口振りには閉口したものだが、ヘルメスの口の悪さにも慣れている。
ガーミールと戦闘した広場で摂取する食事は、どことなくピクニックめいた印象があった。森の地下だというのを忘れてしまうほど光に溢れ、尻の下には柔らかい苔。空気は清澄。
「食事中も集中したまえ」と対面のヘルメスが言う。同じような食事を摂りつつ喋るものだから、咀嚼中の干し肉が目に映った。
アンタの食事マナーはどうなってんのさ、と言い返したい気持ちを抑えて、魔力に意識を注ぐ。彼女の背後では、いくつもの魔力の筋が触手のようにうねっている。ヘルメスのものではない。自分自身の、魔術になる以前の魔力の操作をしているのだ。朝からずっと。
魔力の操作をマスターすること。昨晩課されたヘルメスからの課題である。自分の思い描く通りに魔力を魔力のまま体外でコントロールするのは難事ではあったが、半日がかりでようやくモノになりつつあるように思う。
魔力に意識を向けつつ食事をしていると、ヘルメスがグレキランス一帯の地図を広げ、いかにも不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
アリスも紙面に目を落とし、苦々しい思いを味わった。またひとつ地図上に旗のマークが立っていたのである。マグオートという土地にゆかりはないが、どこであれ侵略されるのは好ましいものではない。
「よりにもよってイアゼルか」
舌打ちでもしそうな声音でヘルメスが言い捨てる。
「面識があるのかい、ヘルメス先生」
「ほぼない」
「ほぼ?」
「話している間も集中を切らすな。一般的に見て、魔術的にどれだけ遅れているか自覚するといい。魔術師未満のアリスくん」
口の悪さはともかくとして、集中が途切れつつあったのを自覚し、意識をそちらへと向け直す。
「それで、ヘルメス先生はそのイアゼルって奴とどんな因縁があるのさ」
「因縁はない。イアゼルの扱う魔術が気に入らないだけだ。ボクはあらゆる魔術に対して寛容ではあるが、たったふたつ、個人的に許せない種類の魔術が存在する」
「具体的には?」
「ひとつは死霊術。生命への冒涜も甚だしい。ふたつ目は洗脳魔術。他者の脳に介入するのは犯罪的だ。むろん、研究はその限りではない。いくらでも研究すればいい。ただし! 濫用、悪用、秘匿は厳禁。言うまでもなく研究過程で常に適切な魔術師による監視が必要であり、成果の公表にあたっては当該魔術の解除方法にこそ重きを置かねばならない。魔術師として最低限の倫理だ」
死霊術も洗脳魔術もオブライエンの発明だ。研究者としての敬意云々はともかくとして、ヘルメスは彼のおこないを千年経っても許していないらしい。道理と言えば道理だが。アリスとしても、洗脳に良いイメージなんてひとつもない。自分の故郷を滅茶苦茶にした奴が、まさに洗脳魔術の使い手だったのだから。
ヘルメスは滔々と続ける。
「イアゼルは独自に編み出した洗脳魔術で自分の領地を支配している。先ほど述べた濫用、悪用、秘匿すべてに抵触する犯罪だ。しかし、ボクが直接乗り込んで成敗するわけにはいかなかった。前にも話した通り、ボクは二年近く前までヴラドのもとで研究をしていたわけだが、イアゼルとヴラドは不干渉。領地間の交流も皆無。下手に口出し出来ない状況だった」
「なら、放置したってことかい」
「接触はした。身分を偽って。厳密にはイアゼルへの接触を試みたわけだが……結論から言うと使用人に追い出された」
「追い出された? ヘルメス先生が?」
あらゆる魔術のエキスパートとも言えるヘルメスを追い出すなど到底不可能に思える。どんなに追い払おうとしても追跡される気がしてならない。
しかし、どうも事実らしい。普段から憂鬱そうなヘルメスの顔が、みるみる鬱気を強くした。
「相手が魔術で追い払おうとしたならボクだっていくらでもどうにでも出来たさ。当然。キミのような魔術師未満の愚鈍な生徒にもそれくらい理解出来るだろう。……あの使用人はボクの正体を見抜いたうえで、脅してきたんだ。忌々しい。思い出すだけで腹が立つ。あの女は、領地や領民に干渉するならヴラドはもちろん、ラガニア城にも正式に直訴するなんて言ったのさ。領地侵犯に該当するってね。ボクが洗脳魔術の犯罪性を説いても涼しい顔だった。ラガニアにおける領地管理法だのを諳んじるばかりで聞く耳を持たない」
つまり、言い負かされてすごすごとヴラドのもとに帰ったわけか。その使用人の女とやらの顔を見てみたい。あわよくば、ヘルメスを言い負かすだけの手管を習いたいものだ。
「アリスくん! 集中しろ!」
昼食後から夕刻にかけては、魔力の操作ではなく彼の手解きで魔術の実践をおこなう運びとなった。魔力の操作に比べて楽に感じたのは、アリスが魔術の展開や展開後の魔術の制御にある程度通じていたからだろう。ヘルメスは案の定まったく褒めてはくれなかったが、それはいい。褒められたくてやってるわけじゃない。
小休止を取った際に、ヘルメスはまたぞろ地図を広げた。彼の目は一点に固定されている。その顔には、表情らしい表情は浮かんでいなかった。
昼に見たときには旗のマークだったマグオートが、髑髏のマークに変わっている。つまり、イアゼルの死を意味していた。
「討たれたようだね」
アリスが呟いてもヘルメスは反応しない。硬直したままだ。
やがて「残念だ」と、蚊の鳴くような声が聴こえた。
「……なにがどう残念なんだい」
「解明出来ていない魔術がこの世から失われたことが、だよ。イアゼルの魔術が対象を恍惚状態にする代物だとは察していたが、どのような手続きを踏んで成立する魔術だったかは不明だ。もっと言うと、彼は指に魔紋を彫り込んでたのさ。グレキランス地方に向かう道中ではじめて見たわけだが……異様だったね。左手の五指全部、別種の魔術の魔紋だよ。おそらくはすべて洗脳の類。そもそも洗脳魔術のフローをスキップするような魔紋を作り出せる技術自体、聞いたこともない。もし彼が洗脳魔術の研究をまっとうにおこなったなら、その筋の専門家になったことだろう。非常に残念だ」
そんなにも厄介な相手を誰がどうやって討ったのか興味はあったものの、今は追求しようもない。
ヘルメスは地図を仕舞うと、気を取り直すように言った。
「さて、休憩は終わりだ。キミの懸念している煙宿が戦場になるとしたら今夜か明日の晩だろう。迅速かつ丁寧に、キミを今よりマシにしてやろうじゃないか」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『四代目ガーミール』→黒の血族で、ラガニアの公爵。二つ名は『穿孔卿』。代々家督を継ぐ者に、ガーミールの名が襲名される。鎧状の貴品『真摯な門番』を所有。自信家で、侮辱に敏感。そして口が軽い。しかし誠実。戦争には金を稼ぐために参加した。金銭を必要とする理由は、友人であるヘルメスの研究に注ぎ込むため。半馬人の隠れ家を襲撃したが、ヨハンの提示したプランの乗るべく、オブライエン討伐の可能性に賭けて犠牲になった。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『死霊術』→死体を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』参照
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『魔紋』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた者の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて




