997.「陥落報告」
尾根の洞窟を出ると、真昼の光が眼球を刺激した。
「眩しいですなあ」と隣のヨハンが当たり前のことを口にする。日頃から不健康そのものな風体の男だ。健全な昼の陽射しより路地の影が似合いだろう。皮肉ではない。ただ単純にそう思っただけ。排除すべき無駄な思考だが、どうも洞窟内での数時間におよぶ他種族連合との対話が尾を引いているらしい。
後ろで「ん~、素晴らしい太陽だ。景色も文句なし。旅立ちに相応しい」なんてナルシスが言っている。言葉の合間に聴こえた欠伸はスピネルのものだろう。彼には洞窟内で睡眠を摂ってもらったわけだが、何時間眠れたのか定かではない。飛行に支障なければいいが。とはいえ、ここからは休み休みの道行きであり、そう負担の大きいものではないはず。
「それにしても、クロエ嬢は健気だ。感情がなくとも、皆とコミュニケーションを取ろうとする姿は感動的だった」
ナルシスは相変わらず大袈裟だ。ヨハンの指示通りに対話を試みただけの話で、しかもことごとく失敗していた気がする。適切な距離感も語句の選択も、発話のタイミングも抑揚も今のわたしには巧拙の判断がつかない。少なくとも、上手くいった感触はなかった。ヨハンのフォローも大抵『クロエお嬢さんはお疲れみたいですね、戦争がはじまってからあちこち飛び回っていますから』なんて具合で、わたしの変調を納得させるものばかりだったように思う。
どうせならヨハンが交信魔術で耳打ちして、わたしが口にすべき台詞を教えてくれればいいのに。それなら多少はマシな会話になったことだろう。しかしそうしないあたり、ヨハンは今のわたしのままで以前のようなコミュニケーションを期待しているらしい。それに意味があるとは思えない。わたしにとっては無益だ。少し前にユランを含めたオブライエン討伐組全員と握手したりハグしたり、それらしい別れの挨拶を演じたのだが、これが彼らにとって想い出になるのか甚だ疑問である。答えを模索する意味はないが。
「さて」とヨハンが伸びをして、わたしに水を向けた。「お嬢さん。わたしは二重歩行者を解除しますので、ここで一旦お別れです。魔力を維持するのもひと苦労ですからね。お嬢さんがたはのんびり煙宿を目指してください。明日の夜にお会いしましょう」
分身のヨハンが今ここで離脱するとは聞かされていなかったが、特に異論はないので返事はしなかった。魔力維持が本当の理由なのかどうかもはっきりしない。ヨハンの言動に含みがあるのなんていつも通りだ。追求する必要性はない。そもそもわたしが知るべき事柄を言い漏らす男ではないから。
「お嬢さん、手を出してください」
手を差し出すと、ヨハンはわたしに小箱を渡した。王都の庭先で回収した交信用の魔道具、漆黒の小箱である。正式名称は知らないし興味もない。
「なにかあればこれで連絡を取ります。握れば交信出来ますので、ご安心を。なに、四六時中握っている必要はありません。こちらが交信を送った際には小箱が震えるようになってますので、胸ポケットにでも仕舞っておいてください」
彼の言う通りに仕舞ったところで、ヨハンは小さく舌打ちをした。なにか彼の意に沿わない仕舞い方だったろうかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「マグオートが制圧されました」
なるほど。煙宿にいるヨハンの本体が、今しも地図上で制圧旗のマークを確認したのか。
「相手は誰?」
「悦楽卿イアゼル。洗脳魔術に長けた男ですよ。会ったことはありませんが、領民を洗脳によって支配しているという噂です」
であれば、マグオートの人々の秘密は丸裸か。ベアトリスの戦場での計画も含めて。問題はそれが夜会卿に伝わるか否かだが、悪いケースを想像するほうが容易い。
「なら、ベアトリスの使い方を変えるほうがいいわね」
「いえ、ベアトリスさんの役割は変えません。お嬢さんもご承知の通り、血族も一枚岩ではありません。貴族間の信頼関係も異なります。夜会卿と悦楽卿が昵懇という噂は聞いたことがありませんね。領地が接しているにもかかわらず、です。没交渉でしょうな。あるいは互いを快く思っていないか。……なんにせよ、ベアトリスさんの裏切りをイアゼルが交信したとして、夜会卿が鵜呑みにするとは思えません」
「じゃあなにも心配要らないわね」
ベアトリスに影響がないのであれば問題はない。ところがヨハンとしては違うらしく、深い溜め息を吐いた。
「マグオートとヘイズを繋ぐ転移道具が破壊されるのを危惧しているのですよ。あれは唯一無二の代物です。それに、マグオートの出版関係の専門家が無事であってほしいですが……」
ヨハンの懸念はわたしにはさっぱりだ。なにか企んでいるのだろうが、戦争に関係しているようには思えない。
わたしの無反応に呆れたのかなんなのか、ヨハンは「なんにせよ、お嬢さんがたは煙宿を目指してください」と告げて文字通り姿を消した。霧散した二重歩行者の残滓である魔力が周囲に漂っている。
「わたしたちも出発しましょう」
そう言って振り返ると、スピネルは不安気で、ナルシスは思案顔だった。
胸ポケットの小箱が震えたのは、その日の真夜中のことである。休憩にお誂え向きの洞窟で、スピネルとナルシスはすでに寝入っていた。入り口は岩で塞いであるので魔物の心配はない。
小箱を取り出して握りしめる。すると、景色は真っ暗闇の洞窟から一変した。
波紋ひとつない水面に設えられた木椅子にわたしは座っていた。対面ではヨハンが同様の椅子に座している。水平線がどこまでも続いていて、わたしから見て左側には遥か遠くに大樹のようなものがそびえていた。水面には大樹が鏡写しになっている。上を見上げても、空にはなにひとつない。そもそも本来の空に在るべきグラデーションが存在せず、淡い青が延々と広がっているだけ。
これが小箱での交信の正体か。現実と隔離した空間で会話するものなのだろう。以前のわたしであれば、この景観についてなにかしら思うところはあったろう。でも今はなにも感じない。
「せっかくなら」とヨハンが口を開いた。「景色の感想でも伺いたいところですが、生憎立て込んでまして、状況と用件だけお伝えします」
ちゃんと聴こえていると示すために頷く。
用もないのに交信するわけがない。ただ、立て込んでいると言う割にヨハンの声は落ち着いていた。
「まず状況ですが、煙宿が陥落しました」
それは一大事だ。おいそれと戻るわけにはいかないと思ったものの、ヨハンは平然と続ける。
「次に用件を。お嬢さんがたは当初の予定通り、丸一日かけて煙宿に帰還してください。ただし、スピネルさんとナルシスさんは不夜城の上空で待機をお願いします。お嬢さんだけで不夜城に降り立っていただければ結構です」
帰還するなら早いほうがいいはずだが、ヨハンなりの算段があるのだろう。明日の夜までに煙宿奪還の手はずを整えたところでわたしを投入する、といったところか。中途半端なタイミングで戻って来られても困るのであれば、そうするまでのこと。奪還が厄介な仕事になるなら、戦力にならないスピネルとナルシスを遠ざけておくのは適切だ。
「それで、相手は誰?」
「ルドラ卿。別名、縫合伯爵です」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『漆黒の小箱』→ヨハンの所有物。交信用の魔道具。箱同士がペアになっており、握ることで交信が可能。仮想空間の生成と精神抽出の魔術で成立している。初出は『69.「漆黒の小箱と手紙」』
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『制圧旗』→旗状の魔道具。血族に配されたグレキランスの地図と連動しており、旗が刺された地点が地図にマークされる。制圧旗は通常の手段では破壊出来ず、各軍の指揮官が死亡した場合に消滅する。その際、地図のマークは髑髏に変化する。諸侯同士による獲物の横取りを防ぐために開発された。血族の部隊長クラスがそれぞれ所有しており、旗を突き立てる仕草を行うことで出現し、効力を発揮する。詳しくは『幕間「落人の賭け」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『転移道具』→ヘイズ内の『層間転移』や、ヘイズとマグオートとの行き来を可能とする魔道具。詳しくは『922.「技術の源」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて




