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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
1532/1573

Side Lucille.「白と黒の成就」

※ルシール視点の三人称です。

 日暮れ間際の町に血族たちの動揺が広がっていた。それも当然で、ルシールの転移先となったルピナスには人間の息遣いなどひとつもなく、廃墟群が連なっていたのだから。


 グレキランスの地図を作成したのは、此度(こたび)の戦争の仕掛け人であるニコルだと聞いている。すると、彼もこの地が廃墟と化しているのを知らなかったのだろう。ルシールは魔力消費による疲労で気怠さを感じながら、長いまばたきをした。動揺はない。町ひとつぶんの戦力をあてに出来なくなっただけで、大した問題はなかった。


「皆さん、今夜はここで休息しましょう。無事な家屋を見つけて魔物の侵入を防ぎつつ、交代で見張りをするように。明朝まで身体を休めれば、わたくしの魔力も回復いたします。明日、トードリリーに転移して住民を至福充溢(ユーフォリア)で制圧する……これでなにも問題ございません」


 ルシールの指示に、血族たちがまばらな頷きを返した。イアゼルはというと、西の山脈に沈みゆく太陽をぼんやり眺めている。()るべき町が廃墟になってしまっている事実を物悲しく思っているのかもしれない。幸福の使者としての自負を持つのだから、幸せにすべき人々がいない状況を快く思えるはずがなかった。


 ひと晩かけて自分の身を休めつつ、イアゼルの心のケアもしなければ。


 ルシールは小さく息を吐いた。そして彼の手を握り、微笑みかける。


「大丈夫ですよ、イアゼル様。なにもかも上手くいきます」


 イアゼルの視線は山向こうへと沈みゆく太陽にじっと注がれている。ルシールへと顔を向けることはなかった。


「ルシール、嫌な予感がする」


 落日の光は空を染めているが、今しも太陽は山脈に隠れてしまった。


「イアゼル様。どうかご安心なさってください。確かにマグオートから撤退せざるを得なかったのは痛手ですし、この町が廃墟になっているのも想定外。ですが、これ以上の憂いはございません」


「ううん、そうじゃないんだ。なんて言ったらいいか……」


 失敗続きで自信を失い、悪い流れの渦中(かちゅう)にいるのではないかと錯覚しているのだろうとルシールは解釈した。とかくイアゼルは感じやすい。


 だが、その後に訪れた異変はイアゼルの正しさを証明していた。


 朽ちた家屋に挟まれた大通りを灰色の甲冑(かっちゅう)が歩いてくる。手には巨大な槍。いったいどこから現れたのか、ルシールにはまったく分からなかった。なんの(きざ)しもなかったのだ。


「悪魔どもがぞろぞろと……わがはいがすべて成敗する!」


 年老いた声が夜の入り口に響き渡った。甲冑姿の老人の隣には、これまた前触れなく小男が出現している。まばたきひとつしていないというのに。


 ふわり、とルシールの視界を金の髪が舞った。イアゼルが甲冑の老人たちへと飛行をはじめたのである。


 あれが何者かは分からない。だが、至福充溢(ユーフォリア)で支配してしまえばそれで済む。


「皆さん! あの連中を囲みなさい!」


 万が一にもイアゼルが攻撃を受ける兆候(ちょうこう)があれば、遠隔で防御するだけの魔力は残っている。それゆえ、ルシールは彼の先行を許し、血族たちに包囲網の形成を指示した。イアゼルにやや遅れるかたちになったものの、血族たちの動きも素早い。対処としては申し分ないだろう。むしろ、たった二人の闖入者(ちんにゅうしゃ)相手なら過剰とすら言える。相手が通常の手合いならば、だが。


 やがてイアゼルが空中で器用に身を(ひるがえ)して鈍重な槍を回避し、兜を奪って捨てると、左の小指を相手の額に触れさせた。


至福充溢(ユーフォリア)


 優美な声が流れる。しかし、甲冑の老人の抵抗は止まらなかった。その顔に恍惚(こうこつ)が浮かぶこともない。


「わがはいはなにをされたのだ、パンサー」と老人が小男に訊ねる。


「洗脳の(たぐい)です、ご主人様」と、パンサーと呼ばれた小男が返した。「幸福感で相手の脳を充溢(じゅういつ)させるようなものです」


 薬指。


空望成就(パラソムニア)


「これも洗脳ですな。願望を幻視させるといったところでしょう」


 中指。


追想自鳴琴(メモワール)


「言うまでもなく洗脳でございます。幸せな記憶に閉じ込める代物」


 人差し指。


虚空領域(メランコリア)


「また洗脳。虚脱感を()いるものです。幸福を添えて」


 親指。


万象赦免(トーテンタンツ)


嗚呼(ああ)、嘆かわしい。これも洗脳ですが、自害を強要するものです。一切から(ゆる)され、生きていなくてもいいのだと錯覚させるなんて!」


 イアゼルの五指は、ことごとく無為(むい)に終わった。パンサーなる小男がいちいち解説しつつ、その(かん)も老人はなんの(よど)みもなくイアゼルへと攻撃を仕掛けていたが、鈍い動作はイアゼルに傷ひとつ付けていない。小男が手元の紙にペンを走らせているのが、ひたすら奇妙だった。


「イアゼル様! お戻りください!」


 相手は異常者だ。イアゼルにどうこう出来る相手ではない。


 ルシールの呼びかけは聴こえているだろうに、イアゼルは空中高くに舞い上がったまま、下唇を噛んで甲冑を見下ろしていた。


「なんで……なんで幸せにならないんだ」


 絞り出すようなイアゼルの声に、悠々と返したのはパンサーである。


「わたくしめがお答えしましょう。ご主人様――フェルナンデス卿はこれ以上ないほど幸福であり、今現在の状況が願望の実現であり、追憶すべき甘い過去は数多(あまた)ありますが現在を(しの)ぐものではございません。虚脱感とは無縁。生きて悪魔を成敗するのが至上の喜び。ゆえに、粗悪な洗脳など無意味なのです」


 パンサーへと襲いかかる血族の姿が何度も見えたが、いずれも功を奏さなかった。攻撃が到達する寸前で小男の姿は消え、別の場所に出現するのである。それが転移魔術ではないことは、ルシールには明確に理解出来た。ではなんなのかというと、皆目見当がつかない。


 不意に、甲冑が明後日の方角へ吹き飛ばされた。ダンテが風の魔術で強化した肉体で甲冑を一蹴(いっしゅう)したのだ。


「速いですな。しかし天然の身体能力ではない。魔術ですね。このわたくしめにはなにもかもお見通しです」


「見通せても、お前の主人はおれの蹴りで吹き飛んだ。これで終わり――」


「まだはじまってもおりません。まずは足癖の悪い(やから)の始末といきましょう、ご主人様」


 一陣の風が吹き、ダンテの胸に老人――フェルナンデスの腕が突き刺さった。腕が引き抜かれると同時に、ダンテの身体がその場に崩れ落ちる。外傷はなかった。


「なん……だ、これ、は。動け……ない」


「魂を奪ったのです。あとは魔物の餌食になるだけ。ご愁傷様です」


 パンサーがそう返す間も、次々と血族たちに同じ現象が起こった。腕で貫かれては地に落ちる肉体。包囲網は瓦解(がかい)しつつある。


「イアゼル様! こちらへ! 早く!」


 ルシールが必死で呼びかけたのは、残り僅かの魔力を有効に使うためだった。


 イアゼルと二人で、ともかくこの場から逃げる。数キロ程度なら二人で転移するだけの魔力は残っていた。


「マドモアゼル」振り返ると、背後にパンサーがいた。「不肖(ふしょう)パンサーには、貴女のお考えは見通せております。お逃げになるつもりでしょう? あの優雅な悪魔と二人きりでランデブー……。それを許すとお思いですか?」


 悪寒を感じてフェルナンデスの方角に目を戻すと、すでに血族は全滅していた。ルシールの目には、こちらへと投擲(とうてき)された槍が光る。手元から先端に向かうにつれ細くなる形状の凶器は、防御魔術を展開するにはあまりにも速すぎた。


 死。


 その一文字が頭に浮かぶ()さえなかったろう。


 自分の前に舞い降りた人物の顔が、記憶と結びつき、小さな呟きとなって漏れた。


「……ロゼッタ?」


 違う。ロゼッタではない。理解している。でも、あってはならないことなのだ。領主が――イアゼルが、一介の乳母を身を(てい)して守るなど。


 槍はイアゼルの腹部に深く突き刺さっていた。回復の見込みのない致命傷であることは明白である。


「イアゼル様……どうして……」


 ルシールは膝を突き、倒れたイアゼルににじり寄った。


 彼は吐血し、切れ切れに言葉を(つむ)ぐ。痛いだろうに。苦しいだろうに。


 吐息を多く含んだその声は、ようやくひとつの言葉を織りなした。


 大好きだから。


 イアゼルは確かに、そう言ったのだ。


 ルシールが一切の計画を放棄したのは、その言葉を耳にした瞬間だったろう。人生のほとんどすべてを策略に費やした彼女が、だ。


 ルシールはこちらへと緩慢(かんまん)な足取りで歩むフェルナンデスに、深々と頭を下げた。手を突いて。額を地面に擦り付けて。


「なんの真似だ、悪魔め」


「……後生(ごしょう)です。どうかイアゼル様に――このお方に、貴方がコピーした魔術を(ほどこ)していただきたいのです。願望を成就させる洗脳……空望成就(パラソムニア)を」


 フェルナンデスが相手の魔術を模倣(もほう)出来ることには気付いていた。血族たちをことごとく無力化した動きは風の魔術の賜物(たまもの)である。つまり、ダンテの魔術がコピーされた可能性が高い。そしてもうひとつはパンサーの存在。小男と老人は魔術的な繋がりを持っている。でなければ、フェルナンデスに施された洗脳をパンサーが逐一(ちくいち)解説するなど不可能だ。


 どのくらいの時間が経過したろう。フェルナンデスとパンサーが何事か相談、というより言い争いじみたやり取りをしていたが、ルシールの耳には入らない。


 やがて「よかろう」と老人の声がして、ルシールは顔を上げた。


 老人がイアゼルの左手を取り、その薬指を彼の額に触れさせる。模倣した洗脳魔術を、他人の魔紋(まもん)を介して施すなど前代未聞の話だが、今のルシールはなにがあろうと、どんなことでも受け入れるしかなかった。


空望成就(パラソムニア)


 老いた呟きが夜に流れる。フェルナンデスはイアゼルの左手を解放し、じっと見下ろした。ルシールもまた、イアゼルしか見ていない。


 苦悶一色だったイアゼルの顔が(ほど)けていく。その目が丸く見開かれ、そののち、柔らかいカーブを描いた。目尻から涙が伝い、口が開かれる。嗚咽(おえつ)と吐血の入り混じった声は、しかしながら清らかに澄んで聴こえた。


「ママ」


 通常、洗脳魔術の使い手は同種の洗脳にはかからないものだが、イアゼルは例外だったらしい。そもそも魔紋を経由しての洗脳が異例である以上、そう不思議ではないだろう。


 ルシールはイアゼルを眺めて、安堵した。じんわりと胸に温かいものが染み()ってくる。たとえ妄想や幻覚だろうといい。もうこの世にいない実母に会えたのなら、それだけですべてが報われる。


 ロゼッタに会えたなら、いっぱい可愛がってもらいなさい。たくさん甘えなさい。


「マドモアゼル。貴女はどのような最期がご所望で? 不肖、わたくしめは女性のお願いは断れない性質(たち)なのでね。どの洗脳がお好みでしょう」


 ルシールは首を振って否定した。涙が流れて仕方ない。


 イアゼルが幸せになったこと。ようやく幸せになれたこと。それだけで充分だった。自分が地位を求めたのは、家族がほしかったからだ。どんな災禍(さいか)も退けられるほど盤石な家庭を持ちたかった。そこに幸せのすべてがあるように思っていた。乳母となってからは地位のことしか考えなかったけど。


 でも、家族みたいなものなのかもしれない、私とイアゼルは。ずっと前から、そうだったのかも。自分の子供ではないけど、大切な子。


 イアゼルが幸せなら自分も幸せなのだということを、今この瞬間、深く感じ入っていた。


 家族が幸せなら、それで良かったんだ。


 やがて、フェルナンデスの腕がルシールの胸を貫いた。





 トードリリーの孤児院の地下室――フェルナンデスの本体が眠る一室で、孤児院長レイラは日暮れ時からずっと、その部屋に留まっていた。夜の浅い時間帯に、フェルナンデスの妄想が奪い去った魂が次々と棚に(とも)るのを見つめていたのである。魂の色はそれぞれ異なり、おおむね炎のように揺らめいているが、揺らぎの間隔や幅は一様(いちよう)ではない。


 今宵、フェルナンデスが奪った魂は五十二。棚には五十までしか収まらず、残りふたつの魂は部屋の天井に逆さになって灯っていた。


 それらは徐々に消えていき、朝方にはひとつも残らなかった。魂と肉体は繋がっている。肉体が死を迎えれば魂も消滅するのが必定(ひつじょう)


 すべての魂が消えると、レイラは立ち上がり、部屋をあとにした。


 去り際、天井のふたつの魂を思う。一方は純白の魂で、もう一方は濁った黒の魂。双方とも同じ揺らぎ方をしていた(つや)めく魂は、どこか百合に似ていた。白百合と黒百合に。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『ルピナス』→クロエたちがフェルナンデスの襲撃を受けた廃墟。運河とトードリリーの間に位置する。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて


・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『フェルナンデス』→孤児院の地下で看病されている、寝たきりの老人。トードリリー出身であり、王都で騎士をしていた過去を持つ。実体を持つ幻を創り出す魔術『夢幻灯篭(ルシッドリム)』を使うことにより、トードリリーの夜間防衛を担っている。創り出す幻は、『守護騎士フェルナンデス』『従士パンサー』『愛馬ロシナンテ』の三つ。『夢幻灯篭』とは別に、魂を奪う力も持っており、幼少時代のクロエは彼に魂を奪われたことがある。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『パンサー』→孤児院の地下で看病されている寝たきりの老人、フェルナンデスの作り出した幻。『守護騎士フェルナンデス』の従士であり、相手を観察して主人に技をコピーさせる能力を持つ。また、決して攻撃されない特性を持つ。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術


・『魔紋(まもん)』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた者の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて


・『孤児院長』→トードリリーにある孤児院の院長。名はレイラ。鉄面皮で知られており、感情を表に出すことはなく、常に無表情。幼い頃は自分も孤児だった。寝たきりの状態であるフェルナンデスを孤児院の地下で世話している

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