Side Lucille.「逆転計画」
※ルシール視点の三人称です。
マグオートからあまり距離のない運河。渡し守がいなければ渡河困難な運河の先に、血族の一群が待機していた。ルシールが転移魔術で五十名――彼女自身とイアゼルを含めれば五十二の血族を転移させたのがこの地点である。転移直後に気を失ったイアゼルの手当てをし、今は彼の覚醒を待っている状況だった。
ルシールは横たわったイアゼルの頭に膝枕をし、じっと運河を眺めている。西陽が河面に反射して煌めいているが、そんな自然美に心奪われるような生き方はしてこなかった。
転移してからすでに数時間が経過している。ルシールにとっては過去を追想するにも、今後の計画を練るにも充分過ぎる時間だった。
生き残った血族たちは皆、疲弊している。しかしながら遁走や謀反の気配がないのは、ルシールがイアゼルの指を縫合したからだろう。収納魔術を籠めた鞄に格納しておいた裁縫道具は、もっぱらイアゼルの衣服に損傷があった場合のものだったが、こんなかたちで役立つとは。彼が自身の小指を回収していたのも幸運だったと言える。接合された小指は動かないにせよ、肉体との魔力の繋がりは取り戻しているのだから、血族たちの士気の源である至福充溢は復活したと見做せる。報酬が失われていないとあらば、幸福の奴隷である彼らが反旗を翻す理由はない。
マグオートからの撤退は紛れもなく敗走だった。ではその原因がどこにあるかというと、至福充溢の虜になっていた小娘に小指をしゃぶる許可を与えてしまった点にあるとルシールは考えていた。小指が食い千切られ、住民の至福充溢が解除されたのが一番の痛手である。それさえなければ、たった二人の援軍などどうにでも出来た。
不意に、ルシールの隣に男が腰を下ろした。男は瞳に一本気な光を宿らせ、運河を見据えている。ウィステリアの東の男が自死して以来、彼の地の町長を担ってきた男だ。
『ルシールさん』
交信魔術が耳に届き、ルシールは思わず苦笑した。
「隣にいるのにわざわざ交信する必要ないわ、ダンテ」
「それもそうですね。ルシールさんとは交信ばかりしてきたものですから、つい」
「それで、なんの用事かしら」
ダンテは視線を運河に固定したまま、ルシールを一瞥もしない。その目になにが映っているのやら。彼ももう百歳を越えている。血族としての人生の折り返しは過ぎたというのに、子供以前に伴侶さえいない。縁談はいくらでもあっただろうに。
「謝りたくて。おれがもっと注意深ければ、こんなことには……」
「貴方は尽力してくれた。前線で何人も討ち取ったでしょう?」
「しかし、味方を五十人まで減らしてしまった」
「五十人も残せたのよ」
こちらに悟られない程度の溜め息を吐いたのを、ルシールはしっかり把握していた。ダンテはずっとそうだ。罰ばかり求めている。そして自分はいつだってダンテを裁かない。決して果たされぬ贖罪を続ける人生は、どんなものだろう。彼は至福充溢を味わい、その魅力を存分に知っているわけだが、解除後に訪れる憂鬱は誰よりも濃厚に違いない。東の男のように自害を選ばなかったのは、歪な義侠心のせいだろう。罪を精算しない限りは死さえ己に許さないほどの。
自分の心の問題は究極的には自分でしか解決出来ないものだ。とはいえ、外部からきっかけを与えることは不可能ではない。罪の意識の根源にある相手からの言葉であれば、なおさら有効だろう。
いい加減、この男は自分の人生を歩むべきだ。
「ダンテ。次の縁談は断らないようになさい。むしろ、自分から積極的に奥さんを探しなさいな。そして子供を作って、平穏に暮らせばいい。過去のことなんて全部忘れて、生きたいように生きなさい」
「……貴女がそうおっしゃるなら、そのようにします」
「命令だとは思わないで。自分の好きなように生きなさい」
ダンテは長いこと沈黙していた。運河の激しい水音が鳴っている。
やがて彼はルシールに向き直り、深々と一礼をした。
イアゼルが覚醒したのは、それから間もなくのことである。目覚めてすぐに例のパニックを起こしたが、ルシールが宥め、なんとか落ち着きを取り戻した。
「……小指が動かない」
拗ねたように呟くイアゼルに、ルシールは柔らかな笑みを送った。
「今は動かずとも、そのうち動くようになります。それに、肉体と結びついたことで魔力も小指に流れておりますから、至福充溢を扱うのは可能ですよ。大丈夫。ご安心なさってください」
「でも、マグオートから離れてしまった。もうどうしようもない……」
三角座りで膝に顔を埋めたイアゼルの背を、ルシールはそっと撫でた。
「この人数での転移魔術は、あと一度しか使えないでしょう。さすがにわたくしも限界です」
「マグオートに戻ったって、多幸の喇叭がなきゃ返り討ちにされる……」
「ええ。イアゼル様のおおせの通りです」
マグオートの人々はこちらを警戒していることだろう。そんな集団をひとりひとり洗脳するのは難事である。加えて、あの地には至福充溢の効かない相手がいるのだ。ローランとやらはともかく、イアゼルを追い詰めた車椅子の女や獣人は厄介極まりない。このままマグオートに戻ったならば、厄介者が最前線でこちらの邪魔立てをするだろう。むろん、町の総勢も決死で戦うはず。五十の血族でそれらを相手取りながら、地道に至福充溢を施すのは現実的ではない。ほかの貴族に援護を依頼するのもナンセンスな話だ。マグオートの支配権を分割する事態になりかねない。流刑地への道がほかの貴族に露見するのはイアゼルも回避したいだろう。たとえその地に尋ね人がいなくとも。
グレキランスの地図はルシールの頭に入っている。計画はすでに整っていた。
「これから別の町村の人々を取り囲み、至福充溢で隷属させます。しかるのち、マグオートを再び襲撃すれば良いのです」
マグオートの人々は同族に剣を向けられない。ならば、余所で拵えた奴隷で彼の町を包囲し、転移門を使って比較的安全にマグオートの一般人どもを至福充溢で支配すれば趨勢は決する。厄介な異常者は同族で包囲して自由を奪い、遠距離の攻撃で始末すればいい。
ルシールは運河の反対方向を指さした。イアゼルはもちろん、生き残った血族の誰もが示された方角へと視線を向ける。
「わたくしの転移魔術で、ここからもっとも近い町――ルピナスを襲撃します。夜までに至福充溢で制圧したのち、魔物は彼らに討伐させましょう。わたくしたちは朝まで休んで、次の町、トードリリーへ転移して同じように人員を確保するのです。町ふたつ分の人間で事足りるでしょう」
かくして、一行は速やかにルピナスへと転移した。その町がすでに廃墟と化しているなど知らずに。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『不滅のローラン』→紫の長髪の優男。騎士団ナンバー6。剣と盾で戦うスタイル。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ルピナス』→クロエたちがフェルナンデスの襲撃を受けた廃墟。運河とトードリリーの間に位置する。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて
・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて




