幕間.「徒花の蹉跌㊱ ~本物の異常者~」
すべてを語り終えて、またぞろしくしくと泣き出したイアゼルを、ルシールはやんわり抱きしめた。そして背中をゆっくり叩いてやる。幼い頃からこうして落ち着かせてきた。なにより、抱いていれば顔を見られる憂いはない。ルシールはこの状況に、歓迎出来るものと決してそうではない側面の両方を看取していた。
まず、街の崩壊はどう贔屓目に見ても喜ばしいとはいえない。賭場に出入りする生産性のない者が消え去るのはどうでもいいが、官吏までいなくなってしまった。これでは上納品の受け取りや計算もままならない。なにより、本邸まで焼失してしまったのが痛かった。
重要な書類や侯爵の印まで消えてしまったわけだ。離れも無事ではない。印はラガニア城に再発行を依頼すればいいだろうが、自分さえ目にしていない書類の数々は取り戻しようがない。
「ルシール、ごめんなさい。プレゼントした黒百合も……消えちゃった」
耳元の泣き声を聞いてルシールは苦笑した。そんな物、憂いのうちには入らない。アルブルとともに侍女たちも死んだ。侍女の皮肉めいた象徴たる黒百合も消えてなくなったことは、ある種の再出発を意味しているのかもしれない。そも、街が消えた時点ですべてをいちからはじめなければならないのは自明だ。
そして、街に太陽が落ちたことで喜ばしい点もあった。頭領の一件だ。半年以内に沙汰を付けねばならないという約束そのものが燃え去ったと言えよう。
「イアゼル様、落ち込まないでください。黒百合は残念ですけれど、物はいつか失われてしまう運命にありますから。それより、魔術を使えるようになったことが、わたくしにはとても嬉しいです」
「でも、ちゃんと制御出来なかった」
「それはおいおい学んでいけばいいのですよ。最初の一歩が大事なのです」
魔術を発現させること。それで一挙にイアゼルの魔術的な才能が開花するとルシールは確信していた。まあ、肝心の第一歩が前代未聞の事件なのだが、それはどうにか出来る。否、どうにかする。
ルシールはすでにこの状況からの復帰策へと思考を傾注していた。こうなってしまった以上仕方ない。だから次の手を考える。これは彼女の歩みの顕著な特徴だった。たとえ失敗としかいえない物事が起きたとしても、すぐにその地点から出来る行動を計算する。死産を経験したときもそうだった。
しかし、不穏はすぐそこまで迫っていたのだ。
夜明けの光のなか、フラティリア近郊の森林に火災が広がっている。朝と炎の光のなか、いくつかの馬蹄の音が響いた。
「こいつは、どういうことだ」
イアゼルとルシールの前で馬を止めたのは、ウィステリアの現町長である東の男だった。彼は異常を悟り、早々とこの地まで馬を走らせたに違いない。ご丁寧に武装した部下も連れて。その末端にはダンテの姿もある。ウィステリアの動きを交信魔術で事前に知らせてくれればいいのに、と苦々しく思った。義理堅くとも、気が利かない。
「おい、なんで街が消えてやがるんだ! 叔父貴はどこだ!」
東の男が剣を抜いた。切っ先はルシールへと向いている。もとより彼はフラティリアのやくざ者のひとりなのだから、頭領の行方を案じるのは当然だろう。
ルシールは声と表情を整え、イアゼルを自分の後ろに下がらせた。
「街は焼けました。わたくしは生憎不在でしたので仔細は存じませんが、街の中心で魔術師が自爆したようです。わたくしがいればこんな事態は防げたかもしれません。その意味では――」
切っ先が喉元数センチ先で止まった。
「俺に嘘が通用すると思うなよ、乳母様」
東の男の背後では男たちが弓を引いている。号令ひとつで身体中に矢が突き刺さることだろう。むろん、標的はルシールである。
「乱暴はやめてください! 状況確認のためだって言ったじゃないですか!」と叫んだのはダンテだ。
「うるせえぞ、ダンテ! 街を見ろ! なにも残っちゃいねえ! 生き残りは二人。お前がなにを言おうと、俺はこいつらを絞り上げる。侯爵の息子だろうが乳母だろうが関係ねえ!」
東の男は正しい。これは弔い合戦であるとともに、千載一遇のチャンスでもあるわけだ。アルブルもブランも死んだ以上、侯爵の生存者はイアゼルただひとり。乳母もまとめて口封じしてしまえば、アルブル侯爵領は実質的にラガニア城の所有物となる。領主なき土地に存在する町村は、首都ラガニアに租税を納めるだけで領地経営者が管理可能だ。そして課される税は、アルブルやルシールの課したそれよりもずっと低い。なにより、土地の支配者は領地経営者となる。町村がほかの貴族に売り渡される条件は、領地経営者がその地を手放すと明言した場合のみ。そのあたりの制度はルシールも心得ている。
背後のイアゼルに交信魔術を送ったのは、東の男が叫んでいる途中のことだった。
部下に魔術師がいるのだろう、ルシールが魔術を行使したのを把握したらしく、東の男は即座に部下に命令を送る。
「殺せ!!」
「やめろ!!」
剣呑な指令とダンテの嘆きが迸る。飛んだのはそれだけではない。一斉に放たれた矢がルシールへと迫っていた。
魔術の多くは肉体の末端を介して展開される。魔力の放出がもっとも容易であるからだ。
しかし、ルシールはその手の凡才ではない。
矢はルシールに激突する寸前で、防御魔術によってことごとく弾かれた。そして、それだけではない。彼女の背後で動きがあった。
イアゼルが至福充溢の彫られた小指を多幸の喇叭の末端に差し込み、幸福の魔術を展開したのである。ルシールの指示通りに。
これで全員が骨抜きになる。自分も例外ではないとルシールは察していた。だから、自分にかけた至福充溢だけは即座に解除するように命じたのだが――。
恍惚とした表情を浮かべて馬上で呆ける男たちを見据え、ルシールは無意識に深く息を吐いていた。
ルシールの異変を目ざとく発見したのだろう、イアゼルが顔を覗き込む。
「なんでルシールは幸せにならないの……? もしかして――」
「イアゼル様」とルシールは遮った。「以前、わたくしに幸せの魔術をかけてくださったことがあったでしょう? イアゼル様は解除したとお思いでしたが、実はずっと解けずにいたのです。意思はそのままに、わたくしはずっと幸福だったのですよ。ですから、わたくしは異常者ではありません。ご安心を」
上背のあるイアゼルの頭を撫でる。それで彼は安心したらしい。納得までしているかは分からない。彼が自分以上に魔力に敏感なのはもう知っている。それゆえ、嘘を見抜いている可能性はあった。
だとしてもかまわない。問題は、彼がそれと知って乳母を受け入れるか否かだけ。
「うん……分かった。実は、指に魔紋を彫ってから魔力があんまり視えなくなったんだ。だから、ママの居場所ももう分からない。でも、きっと生きてる。絶対」
ロゼッタと彼の魔力的な紐帯が不可視となったことについては、ルシールにとって重要ではない。自分の嘘を信じてくれたらしいという点だけが重要。
ルシールは気を取り直し、ウィステリアからの襲撃者を見やった。例外なく幸福に身を浸している。
ダンテを目に留めて、彼女は少しばかり落胆した。大粒の涙を流して天を仰ぐその姿は、誰より深く幸せに魅入られている状態を示している。ルシールへの罪悪感を抱え続け、ウィステリアを平定に導いた正義の男。それがこうも簡単に幸せに溺れてしまうなんて。いや、彼が一番それを求めていたのかもしれない。
私は違うのだろう。ルシールは内心でそう独白した。自分だけは至福充溢にかからなかったのだ。一瞬たりとも。イアゼルの言う『本物の異常者』とは、私だ。長の年月を計画に費やし、他人を計略によって陥れ、イアゼルを道具のように扱った。
明白な事実を前にして、ルシールは感傷さえ薄い自覚があった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『魔紋』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた者の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて




