表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
1526/1573

幕間.「徒花の蹉跌㉞ ~とても愛してるのに~」

 池の(はた)でかつて自分が罠にかけた元侍女――ロゼッタを前に、ルシールは奥歯を噛み締めた。噛み殺さねばならない感情や言葉がいくつもあって、それらを表出させてはいけないと、なかば無意識に感じたのだ。


「お元気そうですね、ルシールさん」


 ロゼッタの声は、木々のざわめきにかろうじて()き消されない程度には弱々しいものだった。こうしてまじまじと眺めてルシールが思うのは、ロゼッタの変化である。顔のパーツこそ以前のままだが、随分やつれていた。手足は病的に細い。衣服で隠れて見えないが、おそらくは肋骨が浮き出ているだろう。


 流刑地の地下での暮らしがどのようなものか、ルシールは知らない。ただひとつ言えるのは、流刑地内の村民や、大樹の根本にいた男は食うに困っているほどの様子はなかった。彼女だけがなんらかの疾患(しっかん)を抱えているのかもしれないし、地下で暮らす人々が一様(いちよう)に貧相なのかもしれない。それらの内情を確かめるつもりはルシールにはなかった。


 今は挨拶さえもどかしいほどの焦りがある。


「単刀直入に言うわ。私と一緒に来て頂戴。流刑地を抜け出すの」


 ぼんやりと首を(かし)げたロゼッタは、それでも口元に寂しげな笑みを浮かべている。癖になっているのだろう。そんなふうに哀れっぽい表情をするのが。


 もしロゼッタが怒りを爆発させて罪の清算を求めたならば、ルシールは応じるつもりだった。鞄に収納してあるのは食料だけではない。相応の金貨も収めてある。


 貨幣が流刑地内で意味を()さないことくらい知っている。だから用意した金は、もっぱら流刑地脱出への誘惑の材料として価値を持っているわけだが――今のロゼッタには怒りが見出せない。内心は分からないが、侍女時代に見聞きしたロゼッタは、怒りには程遠い人物であることも事実だ。いつも謝ってばかり。鈍臭(どんくさ)くて、失敗は数え切れない。アルブルへ食ってかかったときも、それは主張というより懇願に見えた。


「流刑地を抜け出して、自分の子供に会いたいと思わない?」


 ルシールの問いに、ロゼッタは一瞬目を見開いた。一歩足を踏み出しかけた様子だったが、すぐに顔を(うつむ)けて足を引っ込ませる。


 黙して地面に視線を向けるロゼッタに痺れを切らし、ルシールは口を開いた。


「私は貴女の子供の世話をずっとしてきたの。乳母として」


「そう……ルシールさんが……。その子の名前は?」


「イアゼルよ」


「イアゼル……男の子でしょうか」


 目に涙を溜めて問うロゼッタに、ルシールは頷きを返した。


 ロゼッタは自分の産んだ子供の性別さえも知らないのか。アルブルが出産直後に赤ん坊と母親を即座に引き離して、なにも教えることなく流刑に処したのを裏付けている。ただ、ルシールに驚きはなかった。あの男ならそうするだろうと、むしろ納得さえ覚える。家庭内での暴君ぶりは知り抜いていた。


「ロゼッタ。イアゼルに会いたいなら、私と一緒に来て」


 十五年越しであれ、再会を望んでいる。相変わらず儚さの残る笑みに喜びの影が(きざ)しているのを看取(かんしゅ)し、ルシールはそう確信した。が、ロゼッタは彼女の手を取ることはなく、名残惜しさに満ちた様子で首を横に振る。言葉はない。


「会いたくないの? それとも、私を憎んでるから? もしかしてアルブルのことを気にしてる?」


 ロゼッタは小さな仕草で否定を示した。


 ルシールの口から、思わず溜め息が漏れる。苛立ちと失意と物悲しさが、ひとまとまりの空気となって流れ出した。


「……イアゼルは貴女に会いたがってるの。とても。たとえ一度だって顔を見ていなくても、貴女が母親だってちゃんと分かってるわ。ロゼッタ。よく聞いて。あの子を幸せに出来るのは、いえ、あの子に幸せがなんなのか教えてあげられるのは貴女しかいないの」


 言って、ルシールは下唇を噛んだ。不甲斐なさではない。最後の言葉が震えたからだ。鼻の奥がつんと()みたからだ。


 演技で泣くなんていくらでも出来る。しかし感情的に泣いたことなど、かれこれ八十年以上ない。それなのに今ルシールは涙の兆候を感じ、()いて押し(とど)めたのだった。


 ルシールの言葉の間、ロゼッタの顔には喜びや(かつ)えのようなものが滲んだが、それらはすぐに沈鬱へと落ちていった。


 ロゼッタの薄く開いた唇から吐息混じりの声が流れる。


「わたしね……ここに連れてこられてすぐに、男爵のお(めかけ)さんになったんです」


 なんの話だと(いぶか)ったが、ロゼッタの瞳にありありと浮かんだ諦念(ていねん)に、ルシールは口を(つぐ)んだ。


 それから彼女はぽつぽつと、躊躇(ためら)いがちに語った。


 ロゼッタは流刑地にたどり着いたその日に森へと案内され、地下にある町へと連れられたという。そこの長である男爵位の男から妾の話を持ち出された。流刑地に男爵がいるというだけでも意外というか眉唾な話ではあったが、せっかく恵まれた子宝から引き離されて()もない傷心のロゼッタは、気が付くと男爵の提案を受け入れていた。彼はアルブル同様、血の継承に強い(こだわ)りを持っており、なおかつ子供がいない。違ったのは、正妻がいたという点のみ。ロゼッタは流刑地に入ったその日のうちに男爵に抱かれ、二ヶ月もする頃には妊娠が発覚したのである。イアゼルとは一歳違いの男児。子供が産まれて数年間は喜びに満ちた生活を送っていたが、徐々に風当たりが強くなっていった。男爵も正妻も彼女に厳しく接し、ときには手を上げるようになったのである。暴力は日増しに激しくなり、やがて虐待めいたものへと発展したが、住民は見て見ぬふり。ロゼッタ(いわ)く、地下空間はいくつかの層や居住区に分かれており、区域の外に男爵の暴虐模様が漏れることはないそうだ。それでもロゼッタが地下に居続けたのは、地上への脱出方法が分からなかっただけではない。息子を愛していたからだ。息子のほうでも彼女を(かば)い、ときに優しい言葉をかけ、ときに甘えてくれた。ほかならぬ息子も、正妻からいびられているというのに。彼と会えるのはほんの(つか)()で、幸せはすぐに去ってしまう。ほとんどの日々が辛く苦しい。度重なる加虐に疲れてしまったとロゼッタは呟く。


「イアゼルには会いたいんです。でも、地下にいるわたしの子供を見捨てたり出来ません。自分だけ逃げるなんて、そんなの……嫌です。でも今のままでいるのも嫌で……もうどうしたらいいか分からなくて――」


 ときどき、消えてしまいたくなるんです。あの子のこと、とても愛してるのに。


 ロゼッタは笑顔でそう締めくくった。カーブを描いた美しい目から、涙が(すじ)となって流れている。


「なら、貴女の息子も一緒に逃げればいいだけよ。私が手引きする」


「今は無理なんです。あの子は邸の奥に閉じ込められているようなものですから。最後に会ったのは一ヶ月も前……。同じ邸にいるのに、こんなにも会えないだなんて」


 今日は偶然男爵も正妻も息子も邸を留守にしているらしい。だからこそ例の男の手引きで地上に来ることが出来たとの話だ。


 引き離されたイアゼルに会うために、この地で育てた子供を見捨てる。そんな選択はナンセンスだとさすがのルシールにも分かった。


 ルシールは深く息をつき、ロゼッタへと歩み寄ると、彼女の右手を両の手で包んだ。相手の瞳から決して目を()らすことなく。


「しっかり計画を練って頂戴。貴女が息子と一緒に地上に出る計画を。どのくらい時間があればやれそう?」


「……分かりません。わたしにはちっとも」


「一ヶ月で計画を練り上げて。いつでも抜け出せるように。次に私が来るのがいつになるか分からないけど、なるべく急ぐわ。だから準備だけは(おこた)らないで。それと、気をしっかり()ちなさい。きっと全部良くなる。約束する」


 ロゼッタの手首の自傷痕に触れながら、ルシールははじめて本心から、この薄幸な女に同情めいた感情を寄せているのを自覚した。かつて彼女を軽蔑した日々は消えないし、それを悔いるつもりもない。


 すべてはイアゼルのために必要なピースであり、流刑地訪問も計算の上でのことだ。ただ、この日このときこの場所で手を握る感情には、計算ではない気持ちが確かに存在した。


「ところで、貴女の息子の名前は?」


 手を離して問う。ロゼッタは目を(つむ)り、祈りを捧げるように、そっと呟いた。


「ベアトリス」




 それから丸一日の飛行を実施し、もうじきフラティリアにたどり着くかといった頃、ルシールは奇妙なものを目にした。遥か遠くの街の上空に浮かぶ太陽に似たなにかを。本物の太陽は別の方角に沈みかけている。太陽を模倣(もほう)した巨大ななにかが、フラティリアを中心に付近を赤々と照らしていたのだ。


 太陽は徐々に沈んでいき――。




 木々が燃え、住宅のほぼすべてが地形ごと溶け落ちた街。街だったもの。夜の入り口で、炎が周囲の木へと燃え広がっていた。燃焼し尽くした街の中心部は、火炎に囲まれて静かに残骸を(さら)している。


 ルシールが降り立ったのは、ウィステリアへと続く街道の入り口付近だった。夜を裂く声が彼女の耳に届いたのである。


「ルシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシールシー」


 滂沱(ぼうだ)の涙を流してパニックを起こしているイアゼルは、どうしてか右手に多幸の喇叭(カタルシス)を握っていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ