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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」
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幕間.「徒花の蹉跌㉘ ~懇願と出奔~」

 流刑地。ラガニアにおいてその名称は極めて具体的な土地を指している。亡き伯爵の所有していた領地がラガニア城に返還された際に、その僻地(へきち)が含まれていた。通常ならば、返還された領地はほかの貴族が城に申請して買い入れることが出来るのだが、土地の性質上、誰も買い手がつかなかった。年中毒霧のわだかまる『毒色(どくいろ)原野(げんや)』に接する小規模な領地ゆえ、()み地とする向きもある。名目上はラガニア城の支配下にあるのだが、領地経営者も置かずに放置されていたその地に目をつけたのが、夜会卿ことヴラド公爵である。例の土地の買い入れこそしなかったものの、有効な運用を申し出た。かくして流刑地が誕生したのである。地図上にも『流刑地』とそのまま明記されていた。その地を囲う壁を設置し、警備兵を置いたのもヴラドだ。


 離れのベッドで丸くなったイアゼルを撫でながら、ルシールはどうにも頭の混線が(ほど)けないでいる。


 イアゼルの爆弾発言からほどなく、昼餐(ちゅうさん)はお開きとなった。ルシールは当然のごとくアルブルからの呼び出しを受けて事の次第を問いただされたのだが、知りうる限りは率直に答えたつもりである。イアゼルにロゼッタの存在はもちろん、彼女の居場所さえ喋ったことはないと。生きていると確信しているのが奇妙だったが、そう思い込んでいるだけでは、という至極単純な推測を持ち出すしかなかった。アルブルとしてもそれで納得するほかなかったのか、ひどく不機嫌そうではあったが頷いたのである。ルシールは領地管理の座を降ろされる覚悟をしたものだったが、意外にもそうはならなかった。管理は引き続きお前に任せると明言し、ルシールを解放したのである。家庭と仕事を分ける男だとは思っていたが、この珍事においても姿勢を貫くあたり徹底している。


 安堵したのは(つか)()のことで、離れに戻るとイアゼルがベッドで泣いているので、こうして言葉なく慰めている次第だ。とはいえ、かれこれ数時間になる。その(かん)、イアゼルは少しも口を()かなかった。それをいいことに、ルシールも自身の混乱をどうにか落ち着ける論理的な筋道を脳内で模索していたのである。


 彼が流刑地を知っていたのは理解出来る。地図に記されているのだから。しかしその地に実母――ロゼッタがおり、今も生きていると確信しているのが奇妙だ。そしてアルブルを紹介していないにもかかわらず、実父と知っていたのもおかしい。胎内(たいない)記憶かとも疑ったが、であれば流刑地に送られたことは知らないはずだ。産後()もないロゼッタが、幼児のいる前で流刑地への追放を言い渡されたのでなければ。万が一イアゼルの記憶にそれらの一場(いちじょう)が残ってたとして、母親が今も生きているなどと断言した説明にはならない。思い込みの(たぐい)と片付けてしまうのも、イアゼルを長年育ててきた者としては難しいところがある。彼の言葉はむしろ逆で、自分がはっきりと知っている事柄を単に口にしただけに見受けられた。


「みんな、可哀想だった」


 ぽつりとイアゼルがこぼし、身を起こした。ベッドの縁に腰かけた姿勢になる。彼は今や、すっかり大人と見分けのつかない身体になっていた。身長はとっくにルシールを越えている。それでも彼の内面は十歳そこそこの子供でしかない。


「どうしてあんなに可哀想なんだろう」


 一番可哀想なのは貴方じゃないの、という言葉を飲み込んで、ルシールは彼の背中を上下に撫でさすった。


「イアゼル様。貴方のお父様は厳格なお方です。ですから、どうしてもレベッカ様のことをお母様と認めてもらいたかったのでしょう。お兄様――ブラン様も同じです。お食事会があんなふうに終わってしまったのはとても残念ですが、いずれ時間が解決してくれるでしょう」


 こんなことしか言えない自分に嫌気が差す。もっとマシな慰めの言葉なんていくらでもあるのに、イアゼル相手にはそうはいかないのだ。嘘で誤魔化したら、露見(ろけん)した際に放り出されるという懸念は今でもあれど、些細な虚飾で彼を癒やすくらい問題ないはずなのに。


 (ほだ)されているのかもしれない。そう考えると、無意識に奥歯を噛み締めてしまった。自分は地位を固めるために、この子をずっと利用し続けてきたし、これからもそうする。それは永劫変わらないだろう。だとしても、イアゼルを育てる瞬間瞬間、厳密な計算の隙間に、ほんの少しの喜びさえなかったか。不意にイアゼルにスカートの裾を引っ張られて、笑いかけられたとき。ルシールの子供騙しな魔術の数々に、心底嬉しそうに笑ってくれたとき。苦手な玉蜀黍(とうもろこし)を食べられるようになったとき。庭先で転んで膝を擦り剥き、けれど必死で涙をこらえているのを見たとき。不意打ちみたいに『ルシール大好き』と言われたとき。


 そんな些細な一瞬に、自分が浮かべた笑みは計算の産物だったろうか。


 数えてみれば十一年足らず。侍女になるまでの七十五年という歳月と比較すれば、なんと短いことか。


 ルシールはなかばぼんやりとした感覚でイアゼルを抱き寄せていた。


「今日のことで一番傷付いたのはイアゼル様です。あんなに楽しみにしておられたんですから。だから、思う存分泣いてください。誰を責めたっていいのです。告げ口なんていたしません。もちろん、わたくしを(ののし)っても結構です。貴方にはその資格がある」


「ううん。誰も責めない。可哀想なだけだから」


「一番可哀想なのは貴方なのですよ、イアゼル様……!」


 他人を哀れむより先に、自分の感情を、自分の行く末を気にすべき。ルシールはずっとそのようにして生きてきた。この子にそれを()いるつもりはないが、今この瞬間、イアゼルには自分の気持ちだけを大事にしてほしいと切に願ったのは事実だ。それは計算ではない。


 だからだろうか。


 計算外の言葉は計算を越えた反応を呼び寄せる。良し悪しにかかわらず。


「ママと一緒にいられたら、ぼくは可哀想じゃなくなる。ねえ、ルシール。ママに会いたい。会わせて。ママのいる場所に連れて行って」


 涙に震える声がルシールの肩で鳴った。イアゼルは彼女の肩口に額を押し付けて、どうやら泣いている。自分が哀れだという自覚はあるらしい。


「……イアゼル様。どうしてお母様が流刑地におられると思うのですか?」


 すると彼は左手を宙に浮かせ、小指を立てた。


「ぼくとママは魔力で繋がってる。パパともそう。パパは親指で、ママは小指」


 魔力感知について、ルシールは他者に引けを取らない能力を持っている自負があった。しかしながら、イアゼルの指から魔力の糸のようなものは視えない。隠蔽(いんぺい)されている形跡はないし、そもそも隠蔽魔術なんて彼は使えないだろう。


 それでも、彼が嘘や思い込みを口にしているとは思えなかった。


 イアゼルはロゼッタと繋がっている。産まれたときからずっと。その紐帯(ちゅうたい)は今も絶えていない。


「ルシール。ママに会わせて」


「……駄目です」


「なんで?」


「駄目なものは駄目です」


「なんで!」


「駄目なんです、どうしても」


 不意に、ルシールは突き飛ばされた。イアゼルは立ち上がり、ベッドに横たわった彼女を見下ろしている。失意と怒りと哀しみでぐちゃぐちゃになった顔で。


 この子はそんなにロゼッタが恋しいのか。


 私では、駄目なのか。


 それは、そうか。


 こうして激昂(げっこう)するなんてイアゼルにしては珍しいことだった。しかしながら、物珍しい感情の発露への対処に、ルシールが意識を向けることはない。かつて(おとしい)れたロゼッタ。彼女によく似た顔から発せられる感情をただただ眺めていた。


「ルシールなんて嫌いだ!」


 耳鳴りがする。甲高くて細い耳鳴り。


「そうですか。では、今日このときをもって、わたくしは居なくなります。荷物をまとめたらすぐに出ていきますので」


 そう返して、数少ない私物を旅行鞄に詰めているときも、ずっと耳鳴りがしていた。なにも考えられない。考える気になれない。


 窓辺に咲いた黒百合の造花が目に入ったが、それを鞄に入れることはしなかった。


 身支度を済まし、離れの扉を出ていく。イアゼルはむっつりした顔をしてベッドで足を組んでいるようだったが、もうどうでもいい。


 外はすっかり夜だった。


 さて、これからどうしよう。街に下りて馬車でも拾おうか。それで、侯爵領とは縁のない土地で細々と暮らす。人生のなかばは過ぎ去ったのだから、あとは長い余生とでも考えればいいのかもしれない。


 結局、なにがしたかったのだろう。なにが欲しかったのだろう。そんな問いを頭から追い出して、ルシールは邸の門へと歩んでいった。振り返ることもなく。


 しかし、運命は彼女の後ろから追いすがり、この地から離そうとはしなかった。


 離れから駆けてきたイアゼルにしがみつかれ、ルシールは足を止めたのである。


「ごめんなさい、ルシール。いかないで。ルシールのこと、本当は大好きなのに、ごめんなさい。我儘(わがまま)言ってごめんなさい」


 嗚呼、とルシールは吐息を夜風に散らす。忘我にあった脳が急激に働きを強める。


 このささやかな出奔(しゅっぽん)劇は演技ではなかったが、結果的に功を奏した。


「……わたくしの言うことをちゃんと聞けますか?」


「聞く。いい子にするから、いかないで」


 ようやく振り返ると、イアゼルはぼろぼろと泣いていて、洟水(はなみず)を垂らしていた。苦笑混じりに、ルシールはハンカチでそれを拭いてやる。するとイアゼルは随分と嬉しそうに、されるがままになった。


「それでは家に帰りましょうか」


「うん!」


 イアゼルと手を繋いで離れへと戻る道すがら。星も月もない夜の下。ルシールはイアゼルからの一方的な依存関係が不動のものとなったのを確信したのである。


 (みの)った、と。


 (おり)しも、季節は黒百合の開花時期と一致していた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『毒色(どくいろ)原野(げんや)』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて


・『隠蔽魔術』→魔力を包み込むようにして隠す術。術者の能力次第で、隠蔽度合いに変化が出る。相手の察知能力次第で見破られることもある

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