幕間.「徒花の蹉跌⑱ ~半期~」
レベッカとの面会以降は平穏な日々が続いていた。領地管理も憂いなく進行している。イアゼルの教育も順調そのもの。神学と宗教史にのめり込んでいる様子にはルシールも眉を顰めたが、ほかの科目にも真面目に取り組んでいるようなので別段咎め立てるものでもない。依然として魔術の行使は出来ていないものの、知識だけは蓄えているようだった。もはや乳母というより家庭教師じみた役割になっているものの、なにくれとなく世話はしている。毎食手料理を作るのは手間だったが、食卓で美味しいと言って笑顔を見せるイアゼルを眺めていると大した労苦には感じなくなるのだから不思議なものだ。
一緒に湯浴みし、一緒に眠り、掃除や洗い物まで手伝おうとするイアゼル。癒やしの日々と言えなくもないが、ルシールは一度たりとも適切さを忘れなかった。この小さな貴族にとって、自分がかけがえのない存在になるためにはどれほど太い心の紐帯が必要か。イアゼルの寝顔を見つめて、愛を可視化出来る魔術でもあれば楽なのに、と自嘲した夜もある。
基本的にイアゼルばかりにかまっている日常だったが、仕込んだ種を忘れる彼女ではない。ある朝、ルシールはヨーム経由でアルブルからの呼び出しを受け、本邸の書斎へ足を運んだ。
「ご無沙汰して申し訳ございません、アルブル様」
頭を下げるルシールに、アルブルは無言で対面のソファを示した。彼女が座すかどうかといったところで彼はさっさと切り出した。
「前置きはいい。お前を呼び出した理由はこれだ」
アルブルが雑にテーブルへと滑らせた一枚の紙は、イアゼルに分与した領地の上納品を大雑把な品目ごとに表にしたものである。上納品を受け取る官吏が作成したものだ。より細かい資料、あるいは上納品を貨幣換算した資料は別にあるが、それらはアルブルの執務机のいずこかに埋もれていることだろう。イアゼルの領地分与が正式に為されてから、おおむね半年ごとに目にしてきた紙切れだ。
それともうひとつ。開封済みの手紙が一通。宛名はアルブル。差出人はウィステリア領地経営者エンゾとある。
「領地管理の契約期間の定めは本年度からだったな。で、初年度の半期の結果だが、お前は俺を愚弄しているのか? 領主の顔に泥を塗るのは楽しいか?」
トントンとアルブルが音を立てて指先で叩いているのは、ウィステリアからの上納品の品目欄。見事にゼロが並んでいる。
「加えて、エンゾから俺に宛てて手紙が来ている」
達筆な文字で拝啓云々とあるが、要するに苦言だ。荷馬車が賊に襲撃されたが、新米領主が糸を引いていないか厳密に調査を願う、事と次第によっては王城に直訴する、といった内容である。エンゾがアルブルに直接手紙を送るのは想定済みだ。
「エンゾとは長年取引してきた間柄だ。イアゼルに分与した領地のなかでも、もっとも安定して収益が見込める町。そこからの上納品が半年分ゼロになるなど、前代未聞だ。これは領地管理をしているお前の手落ちにほかならん」
「では、三年の約定を反故にして今すぐ領地管理の権利をわたくしから奪うおつもりでしょうか」
「約束は違えん。三年間の収益が俺の管理していた時代の平均値を割った場合のみ、お前の権利は消える」
アルブルをじっと見据え、ルシールは目を瞑った。そして両手を大仰に鎖骨のあたりに添える。「嗚呼、賊が出るなど物騒な世の中になりました。嘆かわしいことです。半年後の上納品が無事届くことを願っております」
アルブルもひとが悪い。エンゾの求めに応じて取り調べる必要などハナからないだろうに。無反応の彼に対し、ルシールは両手を膝の上に戻し、表情も消した。
「前置き不要と伺いましたが、アルブル様はその限りではないのですね」
明らかな挑発にもかかわらずアルブルが短く一笑したのは、この男の性質である。遊戯の相手ならば意趣返しもまた愉快というわけだ。アルブルは目元に愉悦を湛えたまま口を開いた。
「半年後もゼロにしてエンゾを降ろすか。直轄地にして開墾を進めれば初年度の数字がゼロでも三年で見れば平均値に届く。以降は安定して俺の管理時代の平均値は上回る。しかし、つまらん。加えて直轄地とするのは面倒な割に危うい。領主の常駐が条件だからな」
そのあたりはルシールも心得ている。ある意味ではアルブル以上にウィステリアの実情には詳しい。
仮に直轄地にして無理に開墾を進めれば、エンゾの手の者が妨害工作に走るだろう。幼いイアゼルが攫われる危険もある。殺される憂いはなかろうが、イアゼルの身柄を盾に領地経営権の奪還を要求されれば応じる以外にない。
「お察しの通り、直轄地にはいたしません」
「ならば、いっときのみ直轄地とし、エンゾの私財を没収したのち、開墾を条件に南区域の豪族に経営権を渡すか?」
「ですから、直轄地にはいたしませんよ。一時的であれ、イアゼル様の身に危険がおよぶような真似は一切いたしません」
しばしアルブルは天井を見上げていた。やがて立ち上がり、執務机から分与した領地の書類一式をまとめると、先の品目表と合わせて、角を揃えてルシールに寄越した。
アルブルがルシールの言葉からなにを読み取ったか。実のところ、なにも読み取っていないに等しい。イアゼルの身の安全の保証のみ確認出来ればそれで良かったのだ。ルシールが腹のうちでどのような計画を立てているか、それを吐かせる無粋は承知している男である。なにより、結末の分かっている遊戯ほど興醒めするものはない。
ただ、この無粋に関し、ルシールは付け入った。
「三年間の領地管理は一任いただけると伺いましたが、管理方法への借問は干渉にあたらないとお考えですか?」
「……なにか要求があるのなら言え」
アルブルも自ら発した問いが野暮である自覚があったとみえる。いかにも不満そうな態度を装っているが、内心ではやむなしとでも思っているのだろう。
「半年後、多幸の喇叭をお借りしたいのです。用事が済んだらお返しします」
「洗脳魔術をかけるなら許可出来ん」
アルブルの即答は、ラガニアにおける倫理を正しく反映している。ラガニアでは洗脳魔術の使用は暗黙裡に禁忌とされていた。ルシールの学んだ魔術学校でも、耳が痛くなるほど聞かされた内容である。
「洗脳魔術は使えませんし、仮に会得していたとしても無意味です。洗脳には然るべき手続きが必要となりますから。魔術を拡散するだけの貴品で大多数を洗脳することは不可能でしょう」
「なら、かまわん。ただし傷ひとつ付けるな。侯爵家の代々の品だ。ガラス皿と違って」
この男は、とルシールはつい苦笑を浮かべてしまった。いつの時点かは知らないが、レベッカの件が何者かの入れ知恵だと気付いたのか。
「エンゾの手紙はこちらで適切に処置しておく。もとより俺に宛てて届いたものだ。厳密な調査も済んだしな」
「ご配慮、痛み入ります」
「それで、要求は多幸の喇叭だけか? 俺はお前に二度借問した。もうひとつ要求してもかまわん」
ブランとイアゼルの面会のことが真っ先に思い浮かんだが、すぐに破棄した。この遊戯に家庭云々を持ち出すのはそれこそ野暮の極みである。とはいえ、すでに持ち出された物事であれば無粋にはあたらないだろう。
ルシールは微笑を浮かべた。
「では、ガラス皿についてご放念ください。それでは、半年後にまた伺います」
呵々と笑うアルブルに一礼し、ルシールは辞去した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて




