幕間.「徒花の蹉跌⑮ ~神様の居場所~」
フラティリアへの上納品の献上はおおむねどの地域も半年に一度となっている。ウィステリアも例外ではない。上納品には食料品も含まれるため、上納時期は町村ごとに微妙にずらし、年間を通してフラティリアに衣食と富がもたらされるよう計算されていた。また、仮に一地域の上納品が停滞したとしてもフラティリアの地盤が揺らぐことはない。膨大な数の町村が一挙に飢饉に見舞われようとも、数十年はフラティリアの経営資金およびアルブルの私財で街を現状維持することは可能だ。要するに、ウィステリアからの上納品が年間を通して消えたところで打撃とはならない。
まずは半年後、上納品の停滞を――荷馬車の襲撃を知ったエンゾの動きに警戒すればそれでいい。
寝室の次の間、ヨームが建て増ししてくれた書斎でルシールは机に向かっていた。夜は遅く、イアゼルはすでに寝入っている。暴漢に襲われた日からすでに数日が経過していた。あの日以前と以後とで彼に変化はない。少なくともルシールの知る限りは。ウィステリアへの仕込みがおおむね済んだ状況において、気にかけるべきはイアゼルである。今もルシールは、彼のために仕入れる書籍のリストを見繕っているところだった。
イアゼルの教育は順調と言って差し支えない。実践はさておき、魔術知識の基礎は固まっている。比較対象がいないのでなんとも言えないが、語学能力は高いだろう。子供向けの辞書を片手に、易しい書物を読むことは出来ている。筆記面も申し分ない。初等の算術や科学、歴史も五歳にしては及第点。このまま学問の枝葉を広げ、地政学や経済学、論理学あたりに比重を置けば領主として独り立ち出来るだろう。もちろん、ルシールとしては領地管理は自分が担い、イアゼルは好きな分野を学べば良いと思ってはいる。ただ、領地についてなんの知識もない状態でいられるのもよろしくなかった。第二子とはいえ、領地を分与されている身で知らぬ存ぜぬは通らない。今でこそイアゼルはルシールのそばを離れないが、今後は彼だけで行動する機会も必ずある。そこで領主としての底の浅さを嗤われるのは気の毒だし業腹だ。結果的に領地管理にもマイナスの影響をおよぼすだろう。
しかしながら、イアゼルの関心はルシールの望む方面にはいかなかった。政治や経済には一切触れなかったのである。領主としては知識面で落第だが、彼女の憂いたような未来は訪れない。それはまた後年の話である。
机に向かってリストと睨み合いをしていたルシールの耳元に、交信魔術が届いた。
『夜分にすみません、ルシールさん。お時間よろしいでしょうか』
『ご機嫌よう、ダンテ。夜のほうが却って都合がいいわ』
『それは良かった。例のフラティリアからの移住者のことで報告です』
『無事到着した?』
『ええ』
地場のやくざ者が遣わした人員だ。頭領は約束を反故にはしなかったらしい。自分の手の者をちゃんと送り込んだ以上、荷馬車襲撃も確約されたようなもの。ルシールは頬杖を突いて微笑んだ。種を蒔く。芽吹く。花が咲く。やがて実を結ぶ。自然の摂理だ。
『ルシールさんの見立て通り、移住者は東区域の中心に居住を許されました』
ウィステリアの町長エンゾからすれば、新米領主が送り込んできた人材だ。普通なら厚遇する。ライバルの豪族がいる南区域は選択肢に入らない。富裕な北区域――自分の膝下で常に目を光らせておくくらいはしただろう。そうでなくとも、中間層の暮らす西区域に住まいを整えるはずだ。領主の書状付きで移住を願い出たわけで、無下には出来ない。ルシールがウィステリアを訪問する前ならば、エンゾは必ずやそのような采配をしたはず。
エンゾとの面会で無様を晒したからこそ、奴は移住者を貧民窟の東区域に配したのだ。ルシールが屈辱のあまり涙を浮かべてウィステリアへの梃入れのために移住者を用意したと思い込んでいるに違いない。そして領主気取りの乳母にさらなる屈辱を与えるべく、表面上移住者を受け入れつつも、極貧地域に放り込んだわけだ。
『それは朗報ね。貴方から移住者に接触したかしら?』
『いいえ。それはルシールさんの判断を仰ぐべきかと思いまして……』
『向こう一年は接触しないで頂戴。それ以降は好きにしていいわ』
『一年ですか……。理由は教えていただけないんですね?』
『ええ。内緒』
ルシールが交信魔術に含み笑いを添えると、ダンテはじゃれつくような返事を寄越した。
『少しくらい今後の計画を教えてくれてもいいじゃないですか。貴女の損になるようなことが起こるかもしれませんよ』
『そのときはそのとき考えればいいわ。……ダンテ。貴方には本当に感謝してるのよ。五年近くもウィステリアに潜伏してもらってるんですもの』
『感謝なんてしないでください。こっちは罪滅ぼしの――』
ダンテの声が途絶えたのは、交信魔術に問題が起きたわけではない。ただ言い淀んだのだ。いや、失言に気付いて言葉を切ったというのが正確なところだろう。
一家を壊滅させ、幸福を奪い取った罪。それに見合う罪滅ぼしなどない。
『ごめんなさい。交信魔術の調子が悪いようだわ。今夜はここまでにしましょう』
『……はい。それでは、おやすみなさい』
『おやすみ、ダンテ』
交信が途絶え、ルシールは窓外の暗闇を眺めた。敷地の外縁に植わった木々の枝葉が風に揺れている。分厚い雲が垂れ込めていて、星はひとつも見えなかった。
今夜中に書物のリストをまとめるつもりだったが、ダンテの声を聞いたからか、どっと疲労が押し寄せてきた。リストは明日の仕事にしよう。
イアゼルを起こさないようベッドに入り込むと、ルシールはすぐに眠りに落ちた。寝返りを打った少年が、胎児のように身体を丸めて彼女の胸に額を寄せたのは偶然だ。彼女がイアゼルの背に腕を回したのも無意識の行動である。
翌朝、ルシールは起き抜けのイアゼルからずっと質問攻めに遭った。朝食を摂っている間はもちろん、歯を磨いているときでさえ。
「神様はどこにいるの?」
神に関する質問ばかりだ。神について触れた書物は離れにもいくつかある。絵本にも登場したはずだ。知的好奇心が旺盛なのは喜ばしいが、神となるとルシールも困惑してしまう。顔には出さなかったが。
フラティリアでは生憎、特定の宗教を信仰しているわけではない。めいめいが信じたいものを信じている。首都ラガニアではおおむねユグドラシルを信仰しているが、強く推し進めてはいない。そもそも信仰としてのユグドラシル自体、あらゆる種が共生する楽園を意味している。神の有無は前提としていない。
「神様がどこにおられるのか、わたくしは知りません。イアゼル様。わたくしにも知らないことがたくさんあるのです。だから、もしイアゼル様が神様の居場所を見つけたら、わたくしにも是非教えてくださいね」
こんなふうにはぐらかすことしか出来なかった。イアゼルは真に受けてにっこり頷くのだが、少しすると同種の質問を投げてくるのだから、何度苦笑を噛み殺したことか。
神様か、とルシールはぼんやり考える。一度も真面目に向き合ったことがない。七十年以上、現実と格闘してきたのだ。抽象的な概念に取り組む余地などなかったし、今後もきっとそうだろう。いるかどうかも不明な神様よりは、目で見て、触れることの出来る物事のほうが遥かに重要。しかしイアゼルはその限りではない。この子がなにを考え、学びたいのか。その自由は確保してやりたいと思う。自分のように、定かならぬ地位を目指して血眼になるような人生は送ってほしくない。侯爵の第二子なのだから、殊更心配せずともそんな憂いは無用だが。とりあえず、作成途中のリストには神学と哲学の初歩を加えておこうと決めた。ついでに主要な宗教史と、各地の民間信仰をまとめた大全も入れておこうかと思案する。
朝食の皿を洗っていると、離れの扉がノックされた。遠慮のない叩き方だ。ヨームではない。
手を拭ってドアを開けると、思いも寄らぬ客人がいた。
ブルーの絹のドレスを召した侯爵の奥方――元侍女のレベッカである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『ユグドラシル』→魔王の城の存在するラガニア地方に伝わる、伝説上の大樹。また、大樹ユグドラシルを中心として広がる空想上の国を指す。その国では、あらゆる種が平穏に共生している。『幕間.「魔王の城~書斎~」』『862.「ユグドラシル」』参照




