幕間.「徒花の蹉跌⑬ ~なんらかの事由により~」
周囲が殺気立ったなか、頭領が右手を上下にひらひらと振り、いたって冷静な声で告げた。
「テメェら、得物は仕舞え。誰の前だと思ってんだ。侯爵のご子息を恐がらせてどうする」
イアゼルはやくざ者たちが抜刀した瞬間には、ルシールの手を握ったのだ。全身をぷるぷる震わせて。しかし、泣いたり青褪めたりはしていない。五歳にしては上出来だ。
「さて、ルシール」部下が武器を収めたのを確認し、頭領は手を膝で組むとソファに深くもたれた。「お前さんはオレたちに返済をするためにここまで来た。にもかかわらず無一文。どういう料簡かは察しがつく」
ルシールが侍女になるためにやくざ者どもに作った貸しは金に換算出来るようなものではない。相手の言い値で決まってしまう。死ぬまでタカられる未来も容易に想像出来る。それを承知で頭領の根城まで足を運んだのは、なにも恩義に報いようとする殊勝な動機ではない。そもそもルシールは恩だの情けだの、そんなものに価値を見出していなかった。生家が崩壊したきっかけが、恩を仇で返された結果なのだから。
ルシールが黙っていると、頭領はやや不満そうに鼻を鳴らして言葉を続けた。
「領地からのアガりで払うつもりだろう。分与されたことは耳に入ってるからな」
イアゼルに土地が与えられた事実は公表されている。頭領が知らぬはずはない。ルシールが恩義を無視したならば、いつかは取り立てにやって来たことだろう。
ルシールはにこやかに笑んで小首を傾げた。
「確かに、表向き領地はイアゼル様に分与されました。それはご長男のブラン様も同様です。しかしお二人ともまだ幼いですから、アルブル様が取り仕切っていると見るのが自然ではないでしょうか」
「つまらない演技で煙に巻こうとしてるわけじゃねえだろ? アルブル侯爵が仕切ってるなら、ハナからお前さんがここに来る理由がないじゃねえか。領地の管理はお前さんに任されてる。そうだろう? ルシール。オレはお前さんの性質を弁えて、侍女までの道を整えてやったんだ。乳母に甘んじるような女じゃねえ」
ルシールの腕を掴むイアゼルの握力が強くなった。頭領の言葉の意味はほとんど理解していないだろう。またいじめられているとでも思ったのかもしれない。
ルシールはイアゼルの頭をそっと撫でた。一定の間隔で、まだ小さな頭部の輪郭をたどるように、あるいは髪を梳くように手指を動かす。
「なにもかもお見通しですね。お察しの通り、領地の管理はわたくしに一任されております。ただし一介の乳母ですから、利益を独り占めというわけには参りません。例年以上の利益が発生した場合に、余剰分がわたくしの手元に入ることになっております。逆に例年を下回るようであれば負債を抱える。これは事前にアルブル様と取り決めております」
三年。それがルシールに許された領地管理の期間である。三年後、利益の平均値がアルブルの管理下にあった時代を下回っていた場合は、ルシールは領地管理の権限を失う。口約束ではあるものの、アルブルは取り決めを違える男ではない。要するに三年間はルシールの試用期間であり、アルブルにとってのゲームなのだ。
そのあたりの事情を、ルシールは頭領相手に包み隠さず明かした。いずれ露見する事柄を隠しておく理由はない。厳密には、手の内を晒してはじめて交渉が開始するとルシールは踏んでいた。むろん、言わずにおいた物事もある。三年契約はイアゼルが五歳を迎えた時点――つまりルシールがイアゼルを伴って領地に踏み込める段階になってから開始される点は伏せておいた。イアゼルの実年齢に関わる事実は秘中の秘である。
「お前さんの事情は把握した。嘘の臭いもしない」
「あら、臭いで嘘がお分かりになるのですね」
「ああ。嘘は下水みてえな臭いがする。それで、だ。オレとしちゃお前さんの有能さに乗るほかない。お前さんが上手いこと領地を切り盛りして、例年以上のアガりが出れば、そのうち五割をこっちに回してもらう。そんな大儲けは出来ないだろう。五割ったって、換金すりゃあ、いいとこ金貨五十枚程度だ。お前さんに売った恩に比べりゃ一割にも満たない。だから、お前さんが領地管理を続ける限り支払い続けてもらう」
「なるほど。一括で恩義に報いるには、おいくら必要かしら?」
平然と問うルシールに、頭領もまた平然と返す。
「金貨千枚。それだけ出しゃ、手を引こう。イアゼル様には健全に育っていただきたいからな。本来ならこんな銭金の話なんぞしたくない。ところがこっちにはこっちの事情ってモンがある。即金で千枚。アルブル様に泣きついたりせず、お前さんだけで出せんのかい?」
恩義は金に換算出来ないが、明らかに過剰要求だろう。もとよりやくざ者どもはアルブルの邸に伝手を持っていたのだから、侍女のひとりやふたり送り込むなど造作もない仕事だったはずだ。庭師のヨームが彼らと通じていることくらい、とうに気付いている。敷地内に黒服が出入りすることはなかったものの、門のあたりで囁きを交わしている現場は何度か目にしたことがあった。
とはいえ、だ。
ルシールはイアゼルの頭を撫でながら、空いた片手を顔の横で開いて見せた。その仕草に頭領は失笑する。
「金貨五百枚で勘弁してくれってか? お断りだ。値切りたいならもっとマシな額を言うのが筋ってモンだろう。第一、そこまでの金子はないんだろ?」
「ええ。無一文です。お邸に戻っても私財なんてございません」
「ならなんだい、お前さんのその手は。平手打ちでもしようってか」
ぐい、っと頭領が身を乗り出し、イアゼルの震えが強くなった。彼の肩を抱き寄せ、『大丈夫です。ご安心ください』と交信を送る。それでやや、震えが収まったようだった。安心はしていないだろうが。
ルシールは開いた手を心持ち突き出して口角を上げた。
「金貨五千枚分の上納品をお渡しするとしたら、いかがでしょう。厳密には、上納品を得る権利をお渡しするとしたら」
やくざ者どもが顔を見合わせる。頭領も怪訝な表情になった。
「……そいつはどういうことだ?」
「ウィステリア。イアゼル様に分与された領地のひとつ。そこからの上納品を換金しますと、おおむね金貨五千枚になります」
「そいつをそっくりオレたちに渡すってか? そりゃ矛盾してる。お前さんが受け取る利益は例年を超えた分だけだろうが」
「ええ。わたくしは数字の話をしただけです。次は契約の話をしましょう。領地経営者と領主が結んでいる契約のことです。……なんらかの事由により上納品が滞った場合、不払いと見做す。どの領地との契約書にもこの一文がございます。不払いのペナルティは町村ごとに異なりますが」
ルシールはイアゼルの肩をさすりながら、頭領の目を見つめたまま続ける。
「先ほど申し上げた『なんらかの事由』は色々ございます。飢饉や紛争、領地経営者の謀反というケースもありえますね。それ以外にも、もちろんございます。たとえばウィステリアからの上納品を積んだ荷馬車がことごとく賊の襲撃に遭って強奪される、とか」
「……お前さん、アルブル様に弓を引けって言ってんのか」
頭領の目付きは真剣そのものだ。獰猛とも言える。一方、ルシールは涼しい顔をしていた。
「あら。アルブル様は今現在ウィステリアと無関係ですよ。領地の所有者はイアゼル様で、管理をしているのはわたくし。仮に弓を引くのであれば、その相手はわたくしということになりますね」
「……そうなりゃ、負債はお前さんにのしかかってくるわけだ。その段階でアルブル様との三年契約が反故にされりゃ、お前さんはタダじゃ済まねえぞ」
「しかし賊は丸儲けですね。金貨五千枚。人材や換金の諸経費、危険を冒す手当てを含めても、先ほど話題になった恩義の代金を軽く凌ぐでしょう」
頭領の顔は険しいままである。なんの得があってこんな提案をするのか皆目見当がつかないのだろう。それほどまでに縁を切りたいと願っているのか。――そうではない。
多くの場合、ひとは理解出来る範囲の物事しか理解しようとしない。それを弁えていれば、いくつかの材料をぶら下げてやることで『ああそうか』と納得させるのは容易である。
「これも約定の話ですが、ウィステリアの領地経営の契約において、十年平均の三分の一を下回った場合、その町を領主の直轄地にすることが可能です。加えて、ウィステリアは開墾でより利益を出せる土地にもかかわらず、上納額の対策として町の総面積を絞っていると見受けられます。もったいない話ですね」
ようやく話が見えたのか、頭領は身を引いて腕組みをした。ウィステリアの規模が二倍三倍となれば、収める上納品も比例して増加する。否、増加させなければならない。仮に初年度の収益がゼロだったとして、直轄地となり一気に開墾をおこなえば、アルブルと決めた三年間のうち、二年目三年目で初年度の損失は補填される。
頭領はそれで納得したに違いない。何度か頷き、物騒な言葉を吐いた。
「今年は賊が出るかもしれねえな。気をつけたほうがいい」
「ふふ、恐いですね」
これで一件落着――とはいかない。ルシールは冷えた眼差しで頭領を見やった。
「金貨五千枚はやはり過分ですね。ですので、ひとり人材を工面していただけません?」
「なんのためだ」
「ウィステリアに移住させるため」と言って、ルシールはポーチから一枚の封筒を取り出した。侯爵の封蝋で閉じてある。宛名はウィステリア町長エンゾ。差出人はイアゼルとルシールの連名となっていた。
「なぜ移住を?」
「領地の監査です」
監査、が頭領の脳内で監視という語に変換されたであろうことを、ルシールは即座に察した。初老のやくざ者の口が、底意地の悪い笑みを描いたから。荷馬車のルートと出立のタイミングは、内通者がいなければ把握出来ない。
「それじゃ、一年経ったらフラティリアに戻っていいわけだな」
「いいえ。土地の開墾が完了してウィステリアが正常に機能するまで留まっていただきます。それが監査というものですから」
「……直轄地になったあと、うちのモンを経営者に仕立てようってか?」
「どうなるかは風向き次第です。それで、監査の人材を見繕っていただけますか? この場で。今すぐ。出発は明日の明朝で結構です」
陽が傾き、海面の光の反射が強くなった。遠目には穏やかな海だが、その実、手に負えないほど荒れている。得てして、遠景と近景にはそのような趣の差異があるものだ。
やがて頭領はひとりのやくざ者を指名した。痩せぎすで長髪の男である。目尻が垂れており、一見とぼけた顔をしているようだが、眼光には確かな知性が感じられた。
「さて、それではわたくしはお暇します。お元気で」
「お前さんも達者でな。イアゼル様も、どうかご健康に」
イアゼルの手を引き、ルシールが辞去する。
二人が去ってしばらくすると、頭領はソファに埋もれるように沈み込んだ。そして部下たちに疲れた笑みを向ける。
「よく覚えとけよ。あれが悪女の手本だ。気を抜いたら骨までしゃぶられる。ああいうのを女房に選ぶなよ」
言い得て妙、ではない。頭領の比喩を借用するなら、ルシールは骨も残らず食い尽くす。頭領は、彼女がウィステリアを直轄地にするつもりだと断定していたが、実情は異なる。より複雑な画を描こうとしていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて




