幕間.「徒花の蹉跌⑫ ~やくざ者~」
フラティリアに帰り着いたのはすでに陽が昇ってからだった。すっかり寝入ってしまったイアゼルを起こさぬよう抱きかかえて離れに戻り、彼をベッドに横たえると、ルシールは大きく伸びをした。
寝室の小机に配した椅子に腰かけ、イアゼルの寝顔を見つめつつ、ウィステリアの経営者エンゾとのやり取りを思い出す。町長は想定通りの人格だった。こちらの演技を見抜いた様子など欠片もない。ウィステリア北部区域の富豪たちと、新米領主ならびに乳母の罵倒で大いに盛り上がったことだろう。そしてすぐにも上納品の量を目減りさせるに違いない。むろん、直轄地にされる気遣いのない程度には。
せいぜい侮ってくれればいい。将来安泰だとでも思えばいい。
ウィステリアの事情に関して、ルシールはアルブル以上に心得ていた。微に入り際に入り。まるで何年も暮らしたかのように。実際、暮らしているも同然だ。イアゼルにウィステリアが分与されるとアルブルから知らされた段階で、もう手は打ってある。かつてルシールの一家を零落に陥れた男の孫息子。祖父の罪を贖うと誓った義理堅い彼――ダンテは、イアゼルの出産が正式に発表される以前からウィステリアに移住している。ルシール同様、首都ラガニアで魔術を学んだ彼との手紙のやり取りは一度きりだ。それで充分。手紙に記したのは交信魔術の座標と時刻のみ。応じなければ、もっと分かりやすい手紙を追って出す予定だったが、その必要はなかった。彼は指定された時刻に、この離れへと交信魔術を飛ばしたのである。そこからは相互に交信を繋ぎ合わせれば事足りた。言うまでもなく、傍受対策は万全を期している。交信していること自体を悟られぬよう、可能な限りの隠蔽も施していた。
ダンテを経由したウィステリアの情勢は、さして複雑なものではなかった。町を十字に区切る大通りを境に、北区域は町長エンゾを筆頭とする富裕層が住み、南区域はエンゾと長年のライバル関係にある豪族が暮らしている。西区域は中間層が暮らし、東区域は貧者の巣窟だ。ダンテは表向き、故郷の領地経営のために一時的に政治を学びたいという名目で移住した。どの区域に住まわせるか、その差配は町長次第。結果的にダンテは西区域に居をかまえることになった。余所の領地経営者の孫を警戒しつつ、かといってライバルのそばに置くのは危険であり、貧民街に放り込むのも後顧に憂いを残す。かくして西区域に収まったわけだ。
離れに帰り着いて数時間後、『顔くらい見せてくださいよ、ルシールさん』なんてダンテの交信が飛んだ。下手に面会をする予定などない。そのあたりはダンテも心得ているだろう。ゆえに、これは単なる軽口であり、交信開始の挨拶のようなものだ。
『ごめんなさいね。どうしても無様に敗走したかったものだから。西区域を牛耳ってる貴方との面会なんて、疑惑の種を植えるだけよ。ところで、私の噂はどう?』
『順調ですよ。特に北の連中は貴女を扱き下ろして嗤っています』
『そう、良かった。せいぜい図に乗らせておくわ』
『それで、次の一手は?』
『内緒』
『相変わらずですね。まあ、結構です。なにか用向きがあればいつでもご連絡を。それではお元気で』
『期待してるわ。貴方も健康に過ごして頂戴』
交信の終わりと同時に、イアゼルが目を覚ました。彼のそばに寄り、頭を撫でる。
「イアゼル様。お疲れでしょう。もう少し休んでいてください」
「馬車で寝たから平気」
「わたくしは少し出かけてまいります。戻るまで、ヨームの言うことをしっかり聞くのですよ」
「どこに行くの? お邸?」
イアゼルはきょとんとした顔で問う。
「いいえ。街へ下りるのです。ちょっとした用事がございまして」
「ぼくも行く!」
イアゼルはベッドから跳ね起きて、あっという間にルシールの腰に抱きついた。
「街は危険です。イアゼル様。どうかここでお留守番をしていてください」
「嫌だ!」
こんなに我を張る子ではなかったはずだが、とルシールは当惑したが、次のイアゼルの言葉で得心がいった。
「またルシールがいじめられるかもだから」
「あら。いじめられたら守ってくださるのですか?」
「頑張る」
ルシールはイアゼルと視線を合わせ、小さな肩に手を触れた。今、この子は懸命になっている。エンゾにやり込められる乳母を見ていることしか出来なかった自分を恥じているのかもしれない。港街へ下りたところで彼が無力なのは知れたこと。
結局、ルシールはイアゼルを伴ってフラティリアの街へ下りることに決めた。自分の魔術なら、彼の安全確保は問題ない。街の治安の悪さを目にしてイアゼルが傷付いてしまわないか心配ではあったが、今の彼なら大丈夫だろうという判断である。大好きな乳母を守るために『頑張る』気持ちを育んでやりたい。ゆくゆくはこちらに利する感情だ。
フラティリアは港街といっても、漁港としては機能していない。年中荒れた海のせいで漁など出来ないのだ。一次産業として塩田を擁しているが、品質も生産力も下の下。そんな街で人々が生きていられるのは、ひとえにアルブル侯爵の直轄地であり、ほかの領地からの上納品である衣食や金品に頼っているからだ。それら上納品はいずれも荷馬車によって届けられ、侯爵直属の官吏によって仕分けが為されていた。五割がた直轄地の経営資金として侯爵の懐に入り、残り五割は住民に分配される。この分配に関して、官吏と地場のやくざ者が蜜月だった。というより、侯爵はそれを良しとしたのだ。五割のアガりは好きにしていいから、邸に無法者が寄り付かぬよう仁義を通せ、との黙約である。やくざ者は官吏経由で住民に最低限の衣食と金を定期的に渡しつつ、残りは懐へ。そしてその最低限の金銭も賭場や酒場や花街で吸い取ってしまうといった具合である。街は貧者で溢れかえっていた。石灰石で白く染まった直轄地フラティリアが汚濁にまみれていることは、領地内外の人々の耳にも入っている。ゆえに移住者など無きに等しいが、アルブルはそのような外聞などまったく気にも留めていなかった。
ところで、その無きに等しい移住者のひとりがほかならぬルシールである。邸の侍女に召し抱えられるまで、やくざ者の手引きを受けたのも事実だった。そして彼らへの手間賃はまだ支払っていない。彼女が奥方になったあかつきにはやくざ者の労苦に対し、数倍にして返すと約束したきりになっている。
街の中心部。ルシールとイアゼルが通された一室は、壁の一面がガラス張りになっており、階段状になった街を悠然と見下ろせた。遮るもののない眺望は海の果てまで続いている。夕暮れ時はさぞ絶景だろう。
室内の調度はいずれも白を基調にしており、色という色が失せた印象がある。それでいて殺風景に感じないのは、やはりガラスのおかげか。
真っ白に染められた革張りのソファに腰かけて、ルシールはピンと背を伸ばしていた。隣のイアゼルはウィステリアのときと同じく、周囲の人々をきょろきょろと見やっている。ガラス面を除く三方の壁にずらりと控えた黒服の男たちは、いずれも目をギラつかせていた。対面のソファで足を組んだ禿頭の男が、やくざの頭領である。年齢はエンゾと同じくらいだろうが、身体は痩せ型で、不遜なところなどひとつもない。ただただ無表情に訪問者を出迎えたのである。
「久しいな、ルシール。七年振りか」
「ええ。お久しぶりです」
「そちらが第二子のイアゼル様かね?」
「はい。イアゼル様、こちらは街の統括をされておられる方です。ご挨拶を」
そう促したところで、頭領が手を払って止めた。「挨拶なんて結構。侯爵閣下のお子に名乗られちゃあ、こっちとしても困る。恐縮だ。それに返す名がないんだから」
頭領の名はルシールも知らない。ここにいる部下たちの多くも――もしかしたら全員――知らないだろう。
頭領は心持ち身を乗り出してルシールを見つめた。相変わらず感情の読めない顔で。
「それで、今日は挨拶に来たわけじゃないだろう。借りを返しに来たはずだ。返すまで帰るつもりはない。ルシール。お前さんは義理堅い。七年分の利子もきっちり揃えて、オレたちの働きに相応しい返済をする。違いあるまい?」
恩義に相当する報酬を今ここで払わねば生きて帰すつもりはない。そのような羽目になるのを織り込み済みで、ルシールはここにいる。生憎ポーチには銅貨一枚たりともないが。
「ええ。そのつもりで参りました。ただ、持ち合わせはございません」
わざとらしく両手を開くと、室内のあちこちでやくざ者が一斉に抜刀した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




