Side Madeleine.「あいの子」
※マドレーヌ視点の三人称です。
ひとしきりマドレーヌの相手をしたルシールが、バイターと呼ばれた男に排除命令を出した理由など、もちろんマドレーヌの知ったことではない。ただ、ルシールとの魔術の応酬に起因しているのは確かだった。
終始顔色を変えなかったルシールだったが、内心では歯噛みするような思いだったのである。特に『とんでもない不幸を抱えていても、清らかな心を保っていれば、その生は満ち足りたものとなる』という言葉には明確な危険を察知した。
ルシールはイアゼルにとっては使用人であり、乳母である。長らく彼の身辺の世話を焼いた者として、人となりも境遇も万事心得ていた。イアゼルがマグオートに拘った理由も痛いほど知っている。流刑地の地下都市ヘイズにいる実母に会うためだということを。ヘイズへの訪問の如何にかかわらず、この場に戻ったイアゼルがどれほどの失意を抱えているかも見通している。傷付いたイアゼルの耳に、もしかすると心に、マドレーヌの言葉が食い入ってしまう可能性があった。彼女が自分本位で、窮状打破のためだけに言葉を弄しているのであればその気遣いは無用だが、少なくともルシールはマドレーヌが正真正銘の平和主義者であることを実地で確認したのである。炎柱をあえて防御しなかったのは最終確認として充分だった。
彼女は敵を徒に傷付けることはない。それよりも説得に重きを置く。我が身可愛さの繰り言や、敵を屈服させた上で吐かれる台詞ならまだしも、窮地を脱する機会を手放してまで語られるそれは芯がある。芯に裏打ちされた思想は、傷心のイアゼルならば届きうる。ゆえにルシールはマドレーヌを脅威だと判定したのだ。イアゼルの下した命令に背くことはこの際問題ではない。ルシールがそのまま戦うという選択肢もないではなかったが、無傷で殺せる手合いでないことは先刻承知している。討ち果たせたとしても相応の傷を負うだろう。帰還したイアゼルを余計に揺さぶる材料は忌避すべきだった。
ルシールがバイターという男を選んだのは、単なる気まぐれではない。この軍において随一の戦闘能力を有している点も多いに手伝っていたが、もっとも重視したのは人格だ。出生も育ちも特殊なこの男なら、マドレーヌに絆されることなく殺しおおせるとの読みである。
かくして、マドレーヌはバイターと相対すこととなった。半分に減った円筒形の防御魔術がそのまま維持されているのは、人間たちに危害がおよばないための計算である。幸福の洗脳にかかった者まで牙にかけてしまったら、イアゼルの不興を買うだけだ。
マドレーヌから約五メートルほどの距離を置いて、バイターの歩みが止まった。脱力しているくせに、口角だけは嬉しげに上がっている。戦いたくて堪らなかったのだろう。あるいは殺したくて堪らなかったか。
そんな彼に対しても、マドレーヌが態度を崩すことはなかった。一種異様な違和感を覚えながらも口を開く。
「始末だとか喰うだとか、穏やかじゃないわね。アタシはアンタたちと平和的に話し合いたいだけなんだけど」
「さっきからずうっと聞いてたけどよぉ」バイターの口から舌が覗く。異様に細長く、先端だけが分かれたさまは蛇そのものだ。「愛だの幸せだの、なに平和ボケしてんだ。俺たちはグレキランスを潰しにきた。人間狩りだよ、人間狩り。イアゼル様の方針で大人しくしてたけどよぉ、俺は暴れたくて仕方ねえんだ。俺の領地の連中はそんな奴ばっかだよ。だから、イアゼル様の目の届かない今が絶好の機会なんだ。ルシール婆さんも目ぇ瞑っててくれる。最高だ」
バイターの、袖に隠れた右手が持ち上がる。
次の瞬間、マドレーヌは咄嗟に真横にステップしていた。彼の袖から得体の知れない物体が伸びたのが見えたから。
最前までマドレーヌの立っていた地面に灰色の物体が突き刺さっている。バイターの袖から一直線に伸びたそれは、粘液に濡れ、鱗に覆われていた。
それが大蛇であると気付くまで、そう時間はかからなかった。大蛇は地面に突き立てた牙を抜き、マドレーヌへと顔を向ける。
「アンタ……体内に魔物を飼っているの?」
バイターと相対してから覚えた違和感は、今やマドレーヌのなかで明確な輪郭を帯びていた。彼には血族特有の気配がありながら、それと混淆する別種の気配があったのだ。魔物と血族の気配が入り混じっている。そんな具合。
「飼う? そんな必要ねえよ。俺は魔物とのあいの子だからよぉ」
蛇行しながら迫りくる大蛇の牙を躱し、マドレーヌは今耳にした言葉を反芻する。魔物と血族のハーフ。聞いたこともない。が、気配を読む限り事実らしく思える。
「俺みたいな化け物を領地経営者にしてくれたんだ。イアゼル様は聖人君子だろうよ」
領地経営者という単語はマドレーヌの耳に馴染まないものだったが、ラガニアの統治制度を知らない彼女には無理もない話だ。それがどれほどの地位なのかも具体的なところは分からない。が、町長や村長みたいなものだろうと漠然と察した。
実際、マドレーヌの推測は正しい。複数の町や村を擁する広大な領地を持つ者が、直接その地を統括するのは不可能だ。手のおよばない町や村には代理の統治者を置く。名目上、土地の所有者が別人でも、その地の実質的な支配者は領地経営者となる。一般的には家督として継承されるものだが、イアゼルは或る町の支配者としてバイターを名指しした。忌々しい出自を持つ彼が選ばれたのは、イアゼルの洗脳に非常によく馴染んだからである。イアゼルのもたらす幸福への飢えが、この獰猛な男に忠実さを与えたとも言える。
「どんな生まれだろうと、どんな立場だろうとかまわないわ。アタシはアンタを受け入れる」
鋭さを増す大蛇の動きを見切って躱しつつ、マドレーヌはバイターを見つめて断言した。魔物と血族のハーフだからといって排斥するなんてありえない。それは教義に反する。
「受け入れるってんなら、俺の喰い物になれよ。優しく喰ってやるからよぉ」
バイターの左の袖が持ち上がり、同系色の大蛇が現れる。二匹の蛇の猛攻を回避しながら、マドレーヌは言葉を続けた。バイターの売り言葉に食ってかかるつもりは毛頭ない。
「人間を狩ったってちっとも幸せになれないわよ。喰うのも同じこと。暴れるのもそう。いっときは満足するかもしれないわね。でも、すぐにまた渇くわ。本当に幸せになりたいのなら、真逆のことをしなさい。誰かを愛して、親切にしてあげて、心正しく生きさえすれば、きっと満たされる。暴力は自傷と同じよ」
「救いがたい平和ボケだ。清く正しく生きたって、ちっとも報われねえんだよ」
バイターの衣服の裾から、ぼとぼとと大蛇が現れる。彼の袖と同じく、尾は持っていない。肉体と直結しているのだろう。
急激に数を増した大蛇たちが、一斉にマドレーヌへと飛びかかった。躱す隙間もない。普通なら。
「炎雷の霊道」
呟きと同時にマドレーヌの身体が消え、火炎の筋が空中を鋭角に流れ去り、バイターの真横の地面に突き立ち、そこに彼女の姿が出現した。またたく間の出来事である。
火炎の道は大蛇をことごとく避ける軌道だった。余計に傷付けまいとする意志を見るには充分だろう。
「いつか報われるのよ。大丈夫。保証する」
一瞬で間合いを詰められたバイターが多少なりとも動揺したのは当然のことである。が、マドレーヌに抱きしめられたのは、それ以上の揺さぶりをもたらしたかもしれない。
バイターの顔は一瞬にして、闘争のそれではなく、唖然としたものに変わっていたから。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マドレーヌ』→炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出た。現在はマグオートに滞在。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




