995.「殺戮未遂」
「話は変わるが」と話頭を転じたのはユランである。彼は器用に飛行速度を保ったまま、目を瞑り、やけに爽やかな顔をしていた。「王に成り代わっていた大臣は素晴らしいな。そのまま影武者にするのを良しとしなかった少年も勇敢だ」
「ええ。大臣――デミアンさんとしては一世一代の大芝居だったでしょう。ノックス坊ちゃんも誠実ですが、それでもユランさんを騙しおおせたあたり、見事です」
ユラン相手なら誰でも騙せそうな気がするけど。
二人に口を挟んだのは、ナルシスだった。
「事の次第はなんとなく私にも理解出来ているが、不明な点がふたつある。ひとつ目は、なぜクロエ氏をあえて血族化させたのか。ふたつ目は、寝返るとまで言って現王の身の安全を保証させた点だ」
「慧眼ですね、ナルシスさん」とヨハンは愉快そうにわたしの頭上で答える。「ご賢察の通り、クロエお嬢さんを戦わせたのは、ユランさんを排除するためでもなんでもありません。お嬢さん自身が血族の血を引いていることを知らしめるためです」
「薔薇の交信相手にかい?」
「その通り。まず前提として、奴は血族の殲滅を標榜しています。少なくとも、グレキランス一帯の血族はすべて対象でしょうな。私も例外ではありません。が、今のところ捨て置かれている。彼の言葉によると、その理由はクロエお嬢さんの協力者だからです。クロエお嬢さんが裏切りの勇者――ニコルさんのお気に入りであり、なおかつお嬢さん自身がニコルさんの討伐を目的としているのが根底にあるのでしょう。でなければとっくに私は殺されていますよ」
「そんなクロエ氏が血族だと明かすのは、悪手だったのでは?」
「いえ、あの場ではそうするのが最善手だと思いました」
「なぜ?」
「これは二点目の疑問にも繋がる話です。私の推測でしかありませんが、奴はユランさんを殺す気だったでしょうね。ただ、ユランさんが不殺の意志を貫いたので、一旦は様子見に徹した。ユランさんの標的が王だったから、というのもあるでしょう。奴にとっては王の首なんて安いものです。なにがなんでも守るほどのものではない。交信を妨害して王城に援軍が向かわないようにしたのも、そんな意思が透けてみえます」
「……どうりで援軍の姿がなかったわけだ」
やり取りを聞きながら、そっか、と思う。ノックス、実は殺されそうになってたのか。ユランによってではなく、オブライエンによって。
怒りはない。わたしは冷静だ。それを望ましく思う。
「ユランさんが王を殺しおおせたあかつきには、奴がユランさんを排除したことでしょうな。それくらい手強い相手です。そして狡猾だ。王都を丸ごと洗脳するのは無理でも、城内の人員をすべて洗脳するなんて簡単でしょう。王は健在だと思い込ませる程度、造作もありません」
「しかし、むざむざ王を討たせるなど……」
「どちらでもいいんですよ、奴にとっては。ただ、ユランさんが王の首を手に王都陥落の宣言をするのだけは良しとしないでしょう。交渉が決裂し、王が討たれるか、あるいは手ぶらでユランさんが帰還すると決めるか。どちらかの段階でユランさんの命は刈られたはずです」
ユランは無言で聞き入っていた。反論する気がないあたり、オブライエンを見くびっているわけではないらしい。現に、彼の脇腹にはささやかながら傷が見える。壁上の砲台によるものだろう。堅固な防御を打ち破るだけの技術は証明されているわけだ。
「肝心なのは、我々が現れたことで状況がどう転ぶかにありました。無論、奴の心ひとつでしたが。クロエお嬢さんを血族化させたのは、奴に対する抑止力です。私とユランさんが交渉を進めている間に邪魔が入るような事態はなにがなんでも避けたかった。奴としては敵――つまり血族がユランさんと私だけなら、玉座にいた者のうち、クロエお嬢さん以外を皆殺しにすることだってあり得た。お嬢さんは洗脳に弱いですからね。操り人形にはもってこいです」
散々な言われようだが、事実だ。わたしは洗脳に類する魔術に免疫がない。以前ならばケロくん相手に手も足も出なかったし、直近だとグレガーの幻覚から抜け出せなかった。
「しかし、クロエ氏が血族化しても前提は変わらないのでは?」
「いいえ。奴は血族を甘くみてはいません。万全を期して事に臨む……そんなタイプでしょう。ゆえに、お嬢さんが血族だったという事実を明かすことで、奴の計算を狂わせようとしたわけです。玉座にいる血族が二人から三人になるだけでは効果は薄いでしょうが、ニコルさんご執心の相手が血族だったとあらば、おいそれと手出し出来ません。先ほど言った皆殺しのプランも実現性が未知数になってしまいます。なにしろ、血族のなかには固有の異能を有する者がいますから。というわけで、賭けに出るには実入りが少ない状況を演出したわけです。私とユランさんとの交渉を傍観させる程度の効果が得られれば御の字。実際、邪魔は入りませんでした。奴としてはユランさんが人間の味方をするケースは考えていなかったのでしょう。仮に我々が登場せず、王の説得によってユランさんが人間側につくと宣言したところで、奴は信を置かなかったはずです。身も蓋もなく言うと、やはりユランさんは殺された可能性が高い。我々が交渉した結果、人間の協力者になったという状況で、ようやく奴の殺戮劇を思い留まらせることが出来たわけです」
「なるほど、ヨハン氏の狙いは理解した。それが結果的に功を奏したことも。しかし現王の身の安全を約束させたのは、いささか過剰では? 相手を刺激する結果になったかもしれない」
ヨハンの危惧していた殺戮劇が本当にオブライエンの頭にあったのなら、ナルシスの指摘通りだ。ノックスの無事を約束させるのは過剰な要求と言える。
「先ほど言った通り、奴にとって王の命は安い。逆もまた然りです。わざわざ手出しするほどのものでもない。王城が血気盛んな血族に占拠されれば、奴は平然と傍観するでしょう。まあ、そのときはそのときです。王を守れと言ったわけではありませんから。ただ、奴の手で殺されるのは許しがたいわけでさあ」
ヨハンはいつものごとく軽薄な口調だった。もし顔が見えたなら、どんな表情をしているだろう。別段気にはならないが、さっぱりした表情ではないと思う。これは暇に任せた想像だ。
実の親から売られ、『最果て』の盗賊団で虐待じみた扱いを受けた少年。彼を保護し、ハルキゲニアの施設に引き渡したのは当のわたしだ。そこが悪質な実験施設と知らずに。ヨハンやアリスと手を組んでハルキゲニアで革命を起こし、ノックスを保護してグレキランスへと連れてきた。ヨハンの裏切りによってノックスは瀕死の状態になったものの、ヨハン自身はそうなることを望んではいなかったように思う。たぶん。少なからず思い入れがあったと、以前のわたしは感じていたはずだ。無駄で無意味な感情の残滓だけど。
それから王都襲撃があり、ノックスが王位を継承することになった。もしヨハンに思い入れが残っているのなら、彼に降りかかる火の粉は防ぐだろう。力のおよぶ範囲で。
「それで、奴というのが何者か……私に教えてはくれないわけだね?」
ナルシスが訳知り顔で言う。彼は鋭い。自分が知るべきことと、知らずにいるべきことをちゃんと分けていられる男だ。
「ええ。ただ、時期が来たらお伝えしますよ。グレキランスの人々すべてに」
時期か。オブライエンを討ち果たし、戦争に勝利する。そのうえでグレキランスとラガニアの真の関係――そして魔物や血族、他種族のルーツを明かすと言いたいのだろう。
ひとは信じられる範囲の物事か、自分にとって都合の良いものしか信じない。精神的な意味においても、物理的な意味においても。真実の歴史を認める度量が、今のグレキランスの人々にあるのか疑問だ。少なくとも王都で騎士をやっていた時代のわたしは頑固に否定するに違いない。
――魔物が人間だったなんてありえない。
――血族はすべて敵だ。
――グレキランスは遥か昔から国であり、ラガニアは魔物に滅ぼされた。
なにが妄言かは、当人の立っている場所や姿勢で変わる。見える景色が異なれば、自然、考え方も変わるだろう。
やがて夜が来て、朝に向かって群青へと変わりゆく頃、ヨハンが「高度を下げてください」と命じた。雲間を突き抜けた先に、遠く広がる木々の海と、切り立った尾根が見えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的な青年だが、センスは壊滅的。代々、ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』にて
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入り。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




