幕間「或る少女の足跡⑪ ~旅の約束~」
シフォンとジョゼとの剣術修行は、いつしか手合わせも含まれるようになった。基本的な動きはもちろん、咄嗟の判断を要するような応用的な技術、臨機応変な対処のほとんどをシフォンが会得してしまったからだ。教えることはなにもないと言えるほどではないにせよ、彼女の技術は日増しに上昇しており、ジョゼから見て、手合わせしても遜色ないレベルには到達していた。
剣を模した木刀。ジョゼが旅の合間に手作りしたそれで、二人は何度も刃を重ねた。シフォンの斬撃は卓越していたものの、少女には違いない。手加減しつつ、頃合いを見て彼女の武器を弾き飛ばすことは造作もなかった。
そうした剣術指南の日々を送っていても、ジョゼはほとんど実践の機会を与えなかった。町や村に泊まることがあれば、必ずシフォンを宿屋に置いて夜間防衛に出かける。野営のときでさえ、半径五メートル以内に敵が入らない限りは刃を振るうなと命じられており、彼女は忠実にそれを守った。そしてジョゼもまた、いつかの洞窟でのような失態を演じることもなかった。
ジョゼと旅して一年になる頃、ようやくシフォンは与えられた武器――エストックを振るう機会を得た。彼が危険を呼び込んだわけではない。野営での夜明け間際、一体のグールを残して魔物を殲滅した頃、シフォンを呼びつけたのである。
『グールを倒してみるか?』
シフォンは頷くと即座に疾駆し、そのまま駆け抜けるようにグールを切断した。胴を寸断された直後、敵は蒸発した。
朝陽が昇る。その晩の魔物は、それが最後の一体だった。
二時間の仮眠を取り、簡単な食事を済ますと、すぐに出発する。それが普段の旅程だったが、その日、ジョゼは食事を終えても地面に座ったきり、ぼんやりと空を眺めていた。
空に浮く綿雲も、下草のそよぎも、太陽の温かさも、シフォンになんの情ももたらさなかった。それはこれまでの旅でも同じである。氷の大地を目にしても、砂漠の嵐にさらされても、宿屋の窓外で雷が鳴っても、なにも感じない。魔物が出るまでの束の間の時間、ジョゼに誘われて眺めた満天の星空も、同じだった。
『シフォン。おじさんと旅するときの約束を覚えてるか?』
出し抜けに、ジョゼが言う。これまでも何度か、刷り込むように確かめられたことがあった。
シフォンは頷き、口を開く。
『ジョゼが倒れたら、近くの町まで走る』
『そうだ』
『町に着いたら、これを渡す』
言って、シフォンは腰に下げた布袋から一通の手紙と、口を結んだ小袋を取り出して見せた。どちらも、一度も開いたことはない。だからシフォンには、中身がなにかなんて知らなかった。小袋には数枚の金貨が入っていることも、手紙の中身が、シフォンの身の上と、一時的な保護を依頼する内容だということも。
シフォンが約束を覚えていることを確認し、ジョゼは満足そうに頷いた。
一生彼女の面倒を見てやれるのなら、こんな約束は不要だった。どこかの町に定住して、職を見つけ出し、二人で安定した生活を送ればいい。
そうできない理由が、ふたつあった。ジョゼにとってはどうにも出来ない理由が。
ひとつは、彼の魔力含有量の膨大さだ。あまりに多くの魔力を持つがゆえ、多くの魔物を引き寄せてしまう。量だけならまだしも、厄介な手合いを招き入れてしまうこともありうる。特に、ひとつところにとどまるとリスクが増大するのは知識としても体験としてもジョゼは知っていた。彼の魔力はその土地にいくばくかの残滓を残してしまうのである。ひと晩やふた晩程度の宿泊ならば些細なものだったが、一週間や一ヶ月ともなれば無視出来ない。
そしてふたつめの理由は、彼自身の体質にあった。
魔力を吸収してしまう特異体質。彼の故郷である王都では、生活の多くに魔力が用いられている。永久魔力灯がその筆頭だろう。彼の体質はそれさえも吸収する。無論、微量ではあるが。吸収された魔力は彼の身体に蓄積され続け、やがて肉体の崩壊を招く。ゆえに、王都をはじめ、発展した街で生活することは叶わず、遍歴の身の上となった次第である。
もちろん、彼が最初からそのことを知っていたわけではない。魔術訓練校に通っていた頃、偶然出会った魔術師から教えられたのである。そしてその日のうちに退学し、彼女に師事したものの、遂には溜め込んだ魔力を抜くすべは見つからなかったのだ。遍歴の道を歩むことに決めたのはジョゼ自身の意志である。
かくして、辺境ばかりをめぐる旅がはじまったのだ。魔物のなかには呪術――魔術と同義――を扱う連中もいる以上、それらを相手取る生活では長生き出来ないと言われたのだが、今日まで生き延びている。ただ、それも永遠ではない。じき限界が訪れることくらい、ジョゼにも分かっていた。
『約束、ちゃんと覚えておくんだぞ』
ジョゼは依然としてぼんやり空を眺めたまま、口にした。シフォンの『分かった』という返事を耳にして、思い出したように笑いかけたのは、彼の精一杯の優しさだったかもしれない。
それから半年――つまりジョゼに引き取られて一年半が経った頃である。
この日も野営だった。時刻はまだ夕方で、魔物が出るにはまだまだ早い。日課のトレーニングであるランニングを終えて戻ってきたシフォンに、水筒を渡して労いながら、ジョゼは切り出した。
『シフォン。これからどうしたい?』
似た問いは、これまで何度もあった。今なにをしたいか。そのいずれの質問にも、シフォンは首を傾げるだけだった。したいことなどなにもなかったからである。ただ、今後どうしたいかを訊かれたのははじめてのことだった。
『将来、どうなりたい?』
ジョゼは言い直す。
その問いもまた、シフォンにとって意味を為していなかった。彼女の世界には、ある意味で彼女すらいない。喋れるようになったからといって、感情も思考もないのだから。
『分からない』
『そっか……分からないよな。変なこと訊いて悪かった』
ジョゼは繕うような笑みを見せて、シフォンに丸パンを手渡す。
最近の手合わせでは、シフォンは急成長を見せていた。それこそ、ジョゼが本気になっても食らいついてくる程度には。最後には決まってジョゼが勝つのだが、もう実力は同等と言っても差し支えないだろう。
自分の身を守るくらいなら、彼女は造作なくやれる。そして、それ以上のこと――他者の、ひいては街の守護さえ可能に違いない。
王都の学校――魔術訓練校ならびに魔具訓練校に具体的な年齢制限は課せられていない。しかしながら、子供を対象としている点はどちらも相違なかった。
もしシフォンが学校に入るなら、ちょうど頃合いか、少し遅いくらいだろう。正確な年齢こそジョゼには分からずとも、シフォンが十歳前後であることはなんとなく分かってはいた。事実、彼女はまだ十歳である。
ただ、問題は彼女自身の意志にあった。自分がどうしたいか。どうなりたいか。それを無視して他者が進路を決めてしまうのはエゴ以外の何物でもない。しかしながら、シフォンには将来の展望以前に、将来について想像するだけの根本的な力が欠けている。その萌芽さえあれば育ててやれそうなものだが、ジョゼにとっては甚だ残念なことに、シフォンにはついぞ、その種すら見出せない。
生きてさえいればいい。
それはジョゼ自身の本心であり、彼にとっての信念でもあったが、彼女の道のりを示すことなくこの世を去るのは、あまりに無責任に思えてしまった。決して軽い気持ちで預かった命ではないものの、シフォンの比重は日増しに大きくなっていったのである。親になったことのないジョゼには決して知り得ない感情だったが、きっとこれが親心なのだろうという確信めいたものはあった。
『シフォン。これからどうすればいいのか、決めるための旅に出ようじゃないか。なに、行くべき場所は決まってる。ここからずっと東の町だ。名前は――』
ジョゼが立ち上がると、シフォンも間を置かず立ち上がった。彼女の髪も目も、夕陽色に染め上げられている。この世界の色に溶け込んでいる。
『――イフェイオン』
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する学校。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士団や内地の兵士になる。
・『呪術』→魔物および『黒の血族』の使う魔術を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照




