Side Sinclair.「風の刃」
※シンクレール視点の三人称です。
茫然自失。シンクレールはまさしくそのような状態で、ただただ無傷のシフォンを眺めていた。いくつもの歯車が奇跡的な偶然によって噛み合い、ようやく手にしたはずの勝利。それが哀れな早とちりだと顧みるほどの冷静さは取り戻せていなかった。
他を圧倒する無類の剣術。常識を遥かに超えた魔力察知。その二点だけでも充分な脅威であり、それ以上のなにかがあるだなんて、シンクレールには思いも及ばなかった。否、考えが閉ざされていたとするほうが正確だろう。あまりに逸脱したふたつの能力が、未知の可能性へと至る思考を停止させていたのだ。
「風の貴品か……」
後方でリクの声が耳に届き、ようやくシンクレールは多少なりとも意識を現実へと回帰させることが出来た。シフォンを討ち取るべく前方で突きを放っていたリクが、今現在は後方の、おそらくは岩塊に叩きつけられたであろうことを察する。
「なんでシフォンが貴品を――」
そこまで口にして、シンクレールは唇を噛んだ。
騎士時代のシフォンが振るっていた剣は、今彼女の所持している針状の武器ではなかった。質は良いものの、ほとんど一般的と言って差し支えない剣だと記憶している。勇者とともに王都を旅立った際にも、特別な武器――魔具が献上されたなどという話は耳にしなかった。そして、凱旋した彼女の剣は針状のそれへと変わっていたのである。
そこから導き出される可能性はいくつかあるものの――たとえば旅の道中で職人と出会って特別性の武器を誂えてもらっただとか――、しかし、シンクレールの出した結論はひとつだった。
魔王の贈り物。
シフォンが望んでそれを受け取る様子はまったく思い描けないが、ニコルの後押しがあればなんの抵抗もなく拝受するだろう。シフォン自身が口にした通り、彼女はニコルに従うだけの存在なのだから。
不意に、シフォンに動きがあった。相変わらずの無表情で剣を眺めたのである。まるではじめて手にした道具を見るように。
自嘲気味な笑いが届き、よろめきを伴った足音がシンクレールの隣までやってきた。横目に見たリクの表情は、絶望を通り越して苦笑しているようにしか映らない。
「シフォンは、今さっきはじめて貴品の力を使ったんだろうな」
リクの言葉に、『なんでそう言い切れる?』と問う必要はなかった。シンクレールの見る限りにおいても、彼女がしげしげと剣を眺めやる姿はそうとしか思えなかったのである。
「風圧で窮地を凌いだわけか……」
自身の呟きに、なんの勇ましさも宿っていないことを自覚しても、シンクレールは疲弊ばかりを感じた。
シフォンがまだ貴品の能力を十全に把握していない状態で叩くのがベストなのは間違いない。間違いないのだけれど、肝心要の『リクの刃を届かせる』方法がもはや見出だせなかった。カリオンの存在は既にシフォンにインプットされているだろう。シンクレール自身の放った魔術も、実態が露見した以上、奇襲にはなってくれない。やっと手にしたチャンスはいくつかの偶然の一致と、シフォンの裏をかくことで成立していた。二度も同じ手段が通用する相手ではない。
「シンクレール」
隣でリクの声がする。
「なんだ」
「諦めるな。必ず機会はある。……それでも、どうにもならなかったとしても、おれたちはその覚悟でここに立っている。違うか?」
リクの言う通りだった。死と対峙する覚悟でここに来たのだ。ならば、諦めるなんてもってのほかだろう。それに、自分が死んだとしてもシフォンに一矢報いるかどうかで、今後彼女と相対するであろう者の負担が減る。
自分が抱いていたはずの心情をリクに諭されても、シンクレールの胸は昂ってくれなかった。ショックから立ち直れていない不甲斐なさすら、自覚するには遠い。
いまだぼんやりした意識で、しかしシフォンから逸らさなかったシンクレールの目に、異様な光景が展開されていた。彼女が剣をゆっくりと引き、構えたのである。こちらとシフォンの距離は十数メートルは離れていた。刃の届く範囲ではない。加えて、これまで予備動作を一切見せなかったシフォンが構えているという事実は、奇怪といって余りある。
直後、彼女の剣が真横を指していた。今しも横薙ぎをしたばかりとでもいうように。残像すら、シンクレールの目には捉えられなかった。
「シンクレール!!」
真横からリクに押し倒されたのは、それとほぼ同時だったと思う。
なにがなにやら分からずに、自分の身体の上に覆いかぶさったリクを見やると、彼は少しばかり後方を見やってから小さく舌打ちし、視線をシフォンへと戻したようだった。シンクレールはというと、リクの目にしたであろうものを、ただただ凝視していた。
後方に聳えていた岩塊。その地上一メートルの位置に真っ直ぐな切れ込みが入っている。ちょうど、さきほどまで二人が立っていた胴体あたりの高さだった。
風の貴品。
そう呟いたリクの台詞が耳に蘇る。
そしてシフォンがなにをしたのかも、ようやく悟った。
彼女は刃に風をまとわせ、それを放ったのである。
シンクレールが戦慄したのも無理からぬことだった。これで彼女の攻撃範囲は途方もなく広がったのである。リクによる近接攻撃とシンクレールの遠隔魔術。シフォンの魔力察知のせいで上手く機能していなかったものの、前衛と後衛という役割そのものが瓦解したのだ。もうシフォンは、一撃でシンクレールを葬れる。たとえ何メートル離れていようとも。
「シンクレール。おれの後ろへ」
リクは既に立ち上がっており、シンクレールの前に踏み出した。彼の背にはまだ、なにかが感じられる。勇猛さではない。無鉄砲さでもない。もちろん義務感でもなさそうだった。
まだ失われていない戦意。あえて名付けるなら、そのようなものが感じられたのである。
「戦略は……どうする」
ふらりと立ち上がったシンクレールの言葉に、リクは短く「ない」と返した。
戦略はなく、算段もなく、したがって勝算もない。
なら、なぜ立ち上がって戦おうとするのか。
「死は敗北を意味しない」
千載一遇のチャンスを作り出したカリオンの言葉を、なぞるように口に出す。すると胸の裡で、涼しげな風が通り抜けるのを感じた。リクも同じ気分を味わっているだろうか。だといいが。
シフォンにまだ動きはない。またぞろ貴品を眺めて、その具合を検分しているようだった。客観的には分からない、魔力の感触のようなものを確かめているのだろう。魔術の籠められた武器――魔具も貴品も実態は同じであり、その機構は使用者の魔力やその他の能力に依存する。どれだけ魔力を籠めればどの程度の出力になるか。魔力消費の負担はどれほどのものか。繊細微妙な察知能力を有するシフォンであるがゆえ、その検分は密に行われて然るべきものだろう。未知の能力の使用と、棒立ちになって効力の検分をするのは、彼女ほどの猛者にだけ与えられた特権的な時間といえる。
「なあ、リク」
「なんだ、シンクレール」
シンクレールは努力して微笑を作り上げた。
「諦めるつもりなんて最初からないさ」
自分が無理に言葉を紡いでいることぐらい、シンクレールは重々承知していた。しかしながら、ある種の物事は口にしてはじめて、意志、あるいはその萌芽となる。
シンクレールは、リクの頷きを背後から確認した。その表情が満ち足りたものだったか否かは分からない。
そんななか、シフォンの視線が不意に上空へと移った。視線をたどり、シンクレールは思わずぎょっと目を見開く。
紫色の肌が月光に濡れ、横に垂らした金の巻き髪が映えている。地下にいたはずの血族の少女、リリー。岩塊の上に立った彼女は、両手を天へと掲げていた。なにも言わず。唇をぎゅっと結んで。
リリーの頭上には、数個の巨岩が浮かんでいた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




