Side Shanti.「死の国の使者」
※シャンティ視点の三人称です。
シンクレールとリクがキュクロプスにより戦線離脱してから三十分。前線基地の岩場は様変わりしていた。地表を覆っていた魔物の大軍勢は当初の頭数と比較すればほんのひと握り――百程度の勢力しか残っていない。
血の嵐。
この地で起きた事象を形容するには、その言葉が相応しい。シフォンを中心として、切り殺された魔物の残骸が蒸気とともに散じ、血液が四方八方へと噴霧する。そんな状況がかれこれ三十分も継続されていた。ごく数体を除くすべての魔物が彼女目がけて一直線に襲撃を仕掛け、無残に消滅していく。シフォンの姿は魔物たちの影になってほとんど確認出来ないが、そこに在り続ける嵐が生存の証明だった。
種々雑多な魔物があらゆる方向から襲いかかる状況を凌げるほどの猛者など、たとえ血族であってもそうはいない。それも、大規模な魔術を用いることなく、たった一本の武器のみで対処し続けるなんて誰がどう見ても異常だろう。その武器がなんらかの特殊な力を宿していたとしても。しかもシフォンは、徐々にではあるが前進しているのだ。標的である血族――シャンティへと。距離にしてまだ二百メートルほどはあるが、着実に血の嵐は接近している。
死と破滅を運ぶ嵐を、シャンティはただ静かに見つめていた。キュクロプスに指示を与えたときに立っていた場所からほとんど動かずに。
シャンティは傍らに待機させたキマイラの前脚に手を伸ばし、硬く逆立った毛を指先で弄んだ。魔物の皮膚が――というよりキマイラの肌が――通常の生物のそれと同じくらい温かい事実を、このとき生まれてはじめて意識した。手のひらに伝わる温度が自分のそれよりずっと高いことも、同時に感じていた。シンクレールの――あるいはすべての人間の体温に似ている。
「お前は怖くないの?」
シャンティの問いに、キマイラは反応を示さなかった。キマイラは人語を解する魔物ではない。そして、たとえ言葉を理解していたとしても、返答に困ったろう。ほぼすべての魔物は、多かれ少なかれ魔力を有する存在に惹き寄せられる。つまり、人間と血族、そして他種族に惹かれる。同類を食うような魔物や家畜を襲う魔物もいたが、それらは少数の例外だった。魔物が魔力に寄せられるのは本能であり、襲う先の相手が誰であれ恐怖の有無は問題にならない。そもそも、ラーミアやアラクネといった知能を有する魔物を除き、彼らは感情を持たないとされている。仮に心が内奥にあったとして、それが行動を左右することはない。そのような生き物でしかないのだ。より厳密に言うならば、そのような生き物になってしまったのだ。人間から、魔物へと。
「お前たちは哀れだね。怖がることすら出来ない。喜ぶことも、きっとないんだね。善いと悪いの区別もつかず、ただ命令に従ってる。私の命令、イブちゃんの命令……魂にこびりついた汚物の命令……」
血の嵐は、時々刻々とシャンティに迫ってきていた。魔物の数も、殺戮劇が開始された頃から一定の速度で目減りしている。
「故意にせよ過失にせよ、人を脅かせば罰が下るんだよ、キマイラちゃん。だから君は死の国で責め苦に遭う。哀しいね。君だって本当は、こんなことになるだなんて思ってなかったのに。君が昔どんなだったか私は知らないし、もう誰も知らないだろうけど、きっと今よりは善かったはずだよ。でも、そんなことは関係なしに裁かれる。罪はそういうものだからね」
でも、とシャンティは続ける。聞く者のいない対話を織りなしていく。
「君をこんなふうにした奴は、もっとひどい責め苦に遭うから、それだけは安心していいよ。オブライエンは彼専用の拷問部屋に招かれる。とびっきりの罰が待ってるんだ。……ねえ、知ってる? 悪い奴にもランクがあるんだよ。小悪党は死んでから裁かれる。それだけ。ただの悪党は、そのうち勝手に破滅する。でも、とんでもない大悪党には、死の国の神様が使いを出すの。そいつを死の国に送るための使者……死神だよ」
嵐は百メートル先まで接近していた。ときおりシャンティの肌に魔物の血が飛んできたが、それは彼女の肌を染めることなく、蒸発して消えていった。魔物の血液は、その肉体と同じく、死によって蒸発を迎える。
「死神はね、誰かに憑りついて行動する。直接悪党に憑いたりはしない。誰かさんとしてやってくる。……オブライエンが今日まで生きてたのは驚きだけど、いつか彼にとっての死神が現れる。そして、なんの感情もなく死の国に送るの。死神に許された仕事はそれだけだから。裁きは死の国で受ける。死ぬこと自体は裁きでもなんでもなくて、輸送手段みたいなものね。すべては運ばれてからはじまって、永遠に終わることはない。悪に相応しいだけの罰を永遠に受けるのよ。たとえば、そう、デコピン一回分の悪さしかしなかったひとは、死の国でずっとデコピンされる。ふふ……これはマナスルで子供相手に大人が話す喩え話だよ。私もよくお父様から聞かされたっけ……。『聖印紙』を持っていれば楽園に行けるけどね。でもそれだって、死の国の神様のお目こぼしなの。ちょっと贔屓してもらえるだけ。悪いことばかりしていたひとは、いくら神聖な捧げ物をしても許してもらえない」
魔物の大軍勢が、間もなく終わりを迎えようとしている。
空を領していたハルピュイアも、爪と牙を闇に閃かすグールも、その多くが嵐の犠牲になった。遠距離攻撃に徹していたタキシムは全滅している。おおかた、自ら放った魔力の塊が弾き返され、身体の中心を吹き飛ばされたのだろう。
「反面、善いひとは楽園で生活出来る。そこには争いなんてなくて、誰かの物を奪う必要も、誰かを傷付ける必要もない。なにもかも満たされた場所だから。……お父様は楽園にいる。ハイデア様も。その奥様も。ブロンのひとたちは楽園に行くんだよ。ほとんど……」
言い淀んだシャンティの目に、血の嵐が映っている。
間もなく嵐は止むだろう。
「私は死の国で裁かれる。キマイラちゃんよりもずっとずっと悲惨な目に遭うのが約束されてる。だってそうでしょ? 簒奪卿だっけ、私の悪名。その通りだよね。奪って、殺して、踏みにじって……不当なことばっかりしてきたんだ。でも、よかった。その証明が今なんだもの」
シャンティが手のひらでキマイラの前脚を二度、軽く叩いた。すると四つ脚の魔物の目の色が真っ赤に染まり、五十メートル先で巻き起こる嵐へと飛びかかっていった。
「さよなら、キマイラちゃん。話し相手になってくれてありがとう」
キマイラの振りかざした爪は、嵐に突っ込むや否や肉片となって飛び散った。バランスを崩しながらも後ろ脚で地を蹴り、シフォンを食らおうと開けた大口もまた、一瞬のうちに赤の塵と蒸気に変わってしまった。
最後の魔物が消えると同時に、嵐も止んだ。
四十メートルの距離を置いて、銀の鎧を纏った少女がゆっくりと歩んでくる。右手には針のような先細った剣。
魔物の軍勢をたったひとりで殲滅した少女の顔には、感慨の欠片もなかった。
「ごきげんよう、私の死神ちゃん」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場
・『アラクネ』→蜘蛛の大型魔物。上半身が女性、下半身が蜘蛛の姿をしている。人語を解し、自らも言葉を発することが出来る。知恵を持ち、呪術の使用もこなす。暗闇を好む性質から、人前に姿を現さないと言われている。詳しくは『219.「おうち、あるいは食卓、あるいは罠」』にて
・『イブ』→魔王の名。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『タキシム』→人型の魔物。全身が黒い靄に覆われている。指先から高速の呪力球を放つ。警戒心の強い魔物で、なかなか隙を見せない。詳しくは『341.「忘れる覚悟」』にて




