Side Riku.「前線基地の隠し部屋」
※リク視点の三人称です。
どのくらい歩いたろうか。闇の先に薄い光が見えた。はじめ、リクはそれを眼球の機能障害だと思ったが、まばたきし、目を凝らしても光は増減することなく遠くの闇に滲んでいた。
「見に行ってくる。大人しく待っていろ」
カリオンが囁いたことで、それが錯覚などではなく紛れもなく現実の光であることを知った。
カリオンはその場に膝を突き、身を反転させ、ゆっくりとシャンティをその場に寝かせる。なるべく身体に衝撃を与えまいとするその動作に、リクは少しばかり驚き、カリオンの顔を見つめた。
「傷病者だからな」カリオンはリクを一瞬だけ見てから、すぐに目を逸らした。「慎重に扱うべきだろう。貴様らの肉体構造は知らんが」
「……感謝する」
ランプの光に照らされたシャンティは、顔を横に向けてうつ伏せになっている。滑らかな肌についた無数の傷が、生々しく膿んでいた。見れば見るほど、その痛ましさが目に焼き付いていく。
リクは自分の胸のあたりから、なにかしら込み上げてくるものを感じた。吐き気ではない。涙に近いが、微妙に違う。怒りと悲しみと不安がぐちゃぐちゃに混ざった、そんな代物だった。
唐突にランプの光が消え、自分が失明したように感じた。が、遠くの光は依然として存在する。音を立てないようにして、カリオンがランプを消しただけだった。
そばでひとまとまりの存在が身じろぎし、やがて遠ざかっていくのを感じた。ときおり、薄明かりが大男の背に遮られる。
あの光は通常、この洞窟内にはないものなのだろう、とリクはぼんやりと頭を働かせた。洞窟内にいた兵士がうっかり消し忘れた灯りであればいいのだが、そうでなかったらどうなるだろう。先に隠し通路に足を踏み入れた者がいて、戦場の混乱が収まるのを待っているとしたら。
リクはシャンティの手を探り当て、そっと触れた。
もし光の主が人間で、洗脳を施された武器を手にしていたら、と考える。カリオンひとりで御せるだろうか。そうでなければリクが相手にしなければならないが、狭い洞窟内で刀を扱うのは困難だ。加えて、彼自身の体調を鑑みれば戦闘など現実的ではない。ここまで歩めただけでも、彼自身不思議に感じるほど奇跡的なのだ。シャンティの存在が彼の肉体を駆動させているのは間違いなく、つまりは執着ともいえる。それを自覚しても自嘲的な思いに囚われなかったのは、ひとえに疲れすぎていたからだろう。ろくに思考する余裕もない。深呼吸ごとに視界で黒が滲み、瞼が閉じかけてしまう。眠ってはならない、と思った矢先に意識が一瞬途切れ、落ちかけた頭をビクリと持ち上げる。そして再び、眠るなと自分に命じる。その繰り返しだった。
やがて闇の先でランプが灯り、カリオンが戻ってきた。
「大丈夫だ。行くぞ」
そう言って、カリオンはゆっくりと、壁に身をぶつけないようにシャンティを背負った。リクは返事をする余裕がなく、頷くのも気怠く、歩き出したカリオンのあとを亡者のように追った。
闇の先の光は消えていない。段々と光に接近していくにつれ、それが洞窟に空いた横穴から漏れていることに気付いた。ちょうど人が通り抜けられるサイズの入り口から、濃い橙色の光の蜜が漏れている。
「あれは、隠し通路内に設けた部屋だ。食料もある」
すると、もともとその場所を目指していたのだろう。
カリオンが身を屈め、横穴へと入っていく。リクもそれに続いた。
すぐに視界が開け、内部の様子が目に映った。天井は低く、そのために圧迫感はあるものの、決して狭くはない。四方十メートルはあり、正面の壁にはいくつもの樽や木箱が積み上げられていた。向かって左は――。
それを見た瞬間、リクは思わず刀の柄を握っていた。抜刀しようと力を籠めたのだが、右肩に激痛が走り、その場に蹲ってしまった。
「大丈夫だ。彼女は洗脳を受けていない」
部屋の右奥からカリオンの声が流れてくる。しかしリクは、そちらを向くことなど出来なかった。両の目は部屋の左側に置かれた敷布――その上で、毛布に全身をくるんで縮こまっている女に固定されている。
女は明らかに人間だった。つまりは敵である。彼女にとっても、リクとシャンティは殺すべき相手として映っていることだろう。なぜなら彼女の瞳には、おぞましいものを見るような怯えの色がありありと浮かんでいたから。
「カリオンさん……!」女が叫ぶ。泣きそうな声だった。「ききき聞いてないですよ! なんで血族なんですか!? 負傷者を連れてくるって言ったから、てっきり人間なんだと……」
ひと悶着あるかもしれない。女が攻撃を仕掛けてくる可能性だってある。リクは地面からなんとか身を起こし、再び抜刀を試みた。が、今度も上手くいかない。右腕全体に痺れるような痛みが絶えず駆けており、まるで力が入らなかった。
「エイミー殿、彼らは捕虜だ。殺すだけが戦争ではない」
後方――部屋の右側で、カリオンの声とともに金属音が聴こえた。
嫌な予感がして振り返ると――。
「シャンティ様!!」
部屋の右側は全面鉄格子になっており、その内部にカリオンとシャンティの姿があった。彼は今しも、シャンティを地面に横たえたところである。
鉄格子へと駆け出した矢先、足元の石に躓き、リクは頭から転倒した。脳天で爆発的な音と痛みが弾けたが、歯を食い縛り、なんとか鉄格子を凝視した。シャンティの横で膝立ちになったカリオンが、リクを見下ろしている。
「貴様らは捕虜だ。勝手に動かれてはかなわん。檻に入ってもらうぞ」
道中でリクと会話していたときの口調とは打って変わって、カリオンは威圧的な調子で言った。
リクは膝立ちで鉄格子に擦り寄り、カリオンをじっと見つめた。
「捕虜であることを拒絶するのか?」
「……いや」
「なら貴様も入れ」
有無を言わさぬ口調だった。だからというわけではないが、気を鎮め、カリオンに従うことにした。今の自分に抵抗する力はない。それに、シャンティの命が彼によって救われたのも事実である。
檻の一部が開閉出来るようになっており、解かれた錠が地面に放置されていた。リクは痛みを堪え、入り口を潜る。檻の内部は剥き出しの岩に褪せた色合いの布が敷かれているだけだった。ほかにはなにもない。その布もかなり薄いようで、膝に伝わる感触は岩のそれだった。
リクがシャンティのそばまでやってくるのを確認し、カリオンは檻の外へと顔を向け、口を開いた。
「エイミー殿! 医療道具を取ってくれ。隅の木箱に入っているはずだ。包帯ふた巻きと、それから薬液と軟膏を」
呼びかけられた女――エイミーはびくりと身を震わし、信じられないといった顔でこちらをしばし凝視していた。
「早くしろ! 部隊長の命令が聞けんのか! 直属の部下でなくとも、役職の高低は把握しているだろう? それとも、伝書鳩と部隊長とでは、どちらが指導者にあたるか判断がつかんのか?」
「い、いえ、ですが、その二人は血族――」
「捕虜だと言ったろうが! さっさとしろ!」
やがてエイミーは半泣きで木箱をひっくり返した。二分ほどそうやって探しているうちに、ようやく目的の物を見つけたのか、彼女は腕一杯に治療道具を抱えて檻のそばまで恐る恐る寄ってきた。
「よし、それでいい。早く寄越せ」
「え、と、その、治療するんですか?」
「何度も言わせるな。捕虜相手なら深手を負っていても放置していいと誰かに学んだのか貴様は」
「カ、カリオンさんは治療法を存じていらっしゃるんですか……?」
「簡単な治療法なら把握している。部隊長を舐めているのか貴様?」
エイミーの指が、シャンティとリクを交互に指した。
「し、失礼ながら、どう見ても簡単な傷では、ないかと……」
「なら貴様はどうなんだ? 自分のほうが達者な腕と知識を持っていると? 血族に怖気づいている貴様が?」
エイミーはぎゅっと目をつぶり、それからおずおずと治療道具を鉄格子の間からひとつひとつ渡した。
「よし。エイミー殿は錠をかけて、檻の外で待機しろ。いいな。もしこいつらが妙な真似をしたら、俺ごと閉じ込めておけ。脅されても開けるな」
エイミーは渋い顔をしたが、しかしカリオンの言う通り、檻に錠をかけた。
カリオンのしようとしていることは、リクとしても素直にありがたかった。シャンティには適切な治療が必要だろう。浅い傷ならまだしも、腹部の切り傷は深く、傷口もひどい状態である。また、リク自身も、右肩と失った左腕の手当てが必要だった。
「全身の傷だな……脱がせるぞ」
カリオンがそう呟いた瞬間、リクは反射的に叫んでいた。「やめろ!」
「なにを気にしているんだ、貴様。今どんな状況か分かっているのか?」
充分承知しているつもりだった。この場では治療を優先すべきであり、リクはそれを肩代わり出来ない。満足に包帯を巻くことさえ出来ないだろう。
しかし、吐き気が込み上げてきて仕方なかった。
「カリオン。頼む。やめてくれ」そう呟いてから、リクはエイミーを見つめた。そして膝を揃え、激痛を堪えて身体を折り畳む。地面に額が触れた。「お願いします。女性の貴女が、どうか、シャンティ様の治療を請け負ってください。お願いします」
檻の内外にいる二人の人間は、どちらも絶句していた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




