113.「ゴーストノーツ」
ゴーストノーツ。『白兎』は確かにそう呟いた。
必死に記憶を辿ったが、そんな魔術は聞いたことがない。七発の魔球のことをそう呼んでいるのだろうか。
魔球は放たれる瞬間を待って宙に静止していた。七発分の魔球を維持するだけなら特に目を見張るような技術ではなかったが、彼女は同時に天の階段を使用している。相応の負担はあるはずだが、やはり無表情だった。
魔球は盗賊たちの目にも確認出来ているようで、彼らは徐々に後ずさりをしていた。
『白兎』の腕が持ち上がる。
もし七発の魔球が盗賊たちへ向かったら助けられない。冷や汗が頬を伝った。
次の瞬間、魔球は全てわたしへと放たれた。七発分全部弾けるかどうか――それを意識するより前に安堵が心に広がる。
そうだ。標的にするならわたしだけでいい。その敵意には充分応えてやれるから。
瞬時に集中力を高める。それとほぼ同時にサーベルを片手に持ち替えた。
重さは不思議と感じない。それどころか、しっくりと腕に馴染んでいる。
息を止め、次々とこちらへ向かう魔球を見極めてサーベルを振るう。
一発、二発、三発、四発、五発――。
五発目を弾く瞬間、脇腹に激痛が走った。そのために斬撃が乱れ、五発目が左肩に命中し、残る六発目と七発目はそれぞれ鳩尾と右太ももに激突した。
なぜ自分が吹き飛ばされて地を転げているのかが理解出来なかった。咄嗟に起き上がったが、痛みが鮮明にわたしを襲う。
即座に『黒兎』を見たが、彼は相変わらず頬杖を突いてこちらを見ていた。ただ、様子が違っている。先ほどまで退屈そうにこちらを眺めていた彼は、今や邪悪な笑みを浮かべていた。そして、舌なめずりをひとつ。
『黒兎』が援護したのだろうか。いや、考えづらい。彼が助力するなら魔具を使用するはずである。脇腹に激痛が走るまでは魔球七発分の魔力の接近しか感じなかった。
感知出来ない魔具なんて聞いたことがない。すると一体なんだったのか。
まずい。なにかがおかしい。
「逃げて……!!」
わたしが叫ぶと、盗賊たちは少しの躊躇を見せたのち、湿原へと一直線に駆けて行った。盗賊たちは怪我人を抱え上げ、互いに蛇行しつつ逃げていく。少しでも魔球の命中率を下げるためだろう。
彼らが逃げ切るまで、まだ時間がかかる。それまではわたしが相手をしなければならない。
『白兎』は魔力を練り、今度は三発分の魔球を生成した。そして間断なくわたしへと放つ。
一発目をかわし、二発目を弾き、しかし、三発目は左腕に直撃した。
動きが鈍っている。決して対応出来ない速度ではないはずだ。けれどもこうして後れを取ってしまうのは、先ほどの予期せぬダメージによって動揺しているからだろう。
歯噛みし、『白兎』を睨んだ。彼女は平然と、今度は二発分の魔球を創り上げる。
今度の二発はどちらもサーベルで弾いた。しかし、ぎりぎりだ。これ以上の攻撃はまずい。
なにより『白兎』は上空から魔球を撃つのに対し、こちらは回避するので手一杯である。
ただ、つけ入る隙はある。攻撃方法は頭にひとつ浮かんでいたし、奴の球数も減ってきている。次はおそらく魔球一発か二発――。
それが目に映った瞬間、愕然とした。
『白兎』の周囲に六発の魔球が練られたのである。そして考える余裕を与えまいとするように、それらは即座に放たれた。
六発の魔球が接近する。
こちらの想定を上回るべく六発の魔球を練り、思考を奪うために間を置かず放つ……もし『白兎』がそのように考えて攻撃したのなら、大成功だ。
しかし、対応不可能というわけではない。
既にこちらの行動は決まっている。そして、そのための覚悟は一瞬で決められる。本物の騎士を舐めるな。
六発の内のひとつに狙いを定め、渾身の力で弾いた。真っ直ぐ『白兎』へと向かうように。そして身を固くして直後の痛みを覚悟する。
五発分。それだけの魔球がわたしの身体に直撃した。吹き飛ばされ、痛みに揺れる視界の中で『白兎』へと直進する魔球が見えた。
が、それは『白兎』の顔に直撃する瞬間、バチンと大きな音を立ててかき消えた。
痛みの只中で理解する。『白兎』が弾かれた魔球の速度と大きさを計算し、それと相殺出来る魔球を一瞬で練り上げてぶつけたことを。
痛む身体を起こして『白兎』を睨む。彼女はやはり平然と宙に立っていた。
盗賊は既に『白兎』の射程圏を抜けたことだろう。身が焼かれるような屈辱だったが、踵を返し、可能な限りの速度で湿原へと駆けた。
歯噛みして逃走を続けると、やがて逃げ出した盗賊たちがひと塊になっているのを発見した。足を緩め、背後を見つめる。『白兎』の姿は霧の先に薄っすらと確認できるのみだった。
追撃はなかった。わたしには。
これだけの距離を置いているにもかかわらず、魔球は一直線に盗賊たちを襲った。全員が傷を受けるまでそれは続けられた。
わたしたちは痛む身体を引きずるようにして、『白兎』の姿が見えなくなる位置まで逃げる。
安全であろう距離まで来たところで、盗賊たちは湿原に身を横たえて荒く息をした。幸いなことに誰も死んではいない。大小様々な傷を負ってはいたが……。
「くそっ……!」
盗賊のひとりが悔しげに叫んだ。その場にいる誰もが同じ気持ちだったろう。無論、わたしもだ。
痛みを意識しないように、呼吸だけ整える。深呼吸を繰り返し、頭をクリアにしていった。
初撃。それが一番の問題だったことに気が付いて自分を呪った。突如襲った脇腹の激痛に気を取られた結果、魔球をまともに受け、動揺のうちに追撃を食らった。
そしてあまりに無謀な作戦を疑いなく実行した。いや、そうせざるを得ない状況に追い込まれたと言うほかない。あれだけしたたかな魔術師なら、魔球が弾き返されることも想定済みと考えるべきだった。
なら、どうすれば奴に有効打を与えられたのか。いやいや、そう考えること自体が間違っている。あの状況下では逃走が最善の選択だった。にもかかわらず一矢報いようとしたことで余計な傷を負ってしまったのだ。
なんて愚かで、なんて無謀なんだ。
沈んだ様子の盗賊たちを眺めて思う。彼らの無謀を、どうしてわたしが批判出来るだろう。首を突っ込むべきでない場面で出しゃばり、勝算の薄い賭けに出た。ヨハンなら呆れるだろうか。
こんな直情的な戦闘を続けていたら、きっと王都は遠ざかるばかりだろう。
「悪いな、姉さん……」
盗賊のひとりが苦しげに言った。
「気にしないで。命があるだけマシよ」
「ああ、姉さんのおかげで助かった……」
刹那――霧の向こうに人影が現れた。瞬時にサーベルを抜いて構える。左腕は斬撃を放つには心もとないほどの傷を負っていた。使い物にならない以上、右手のみでサーベルを振るほかない。
「か、勘弁してくれ。俺は敵じゃねえよぉ」
情けない声を出しながら近付いてきたのは粗野な服を纏った小男だった。
「お前……今までどこにいやがった! 門を襲撃する直前で逃げやがって……」と盗賊のひとりが叫ぶ。
「お、俺、ずっと湿原に隠れてたんだよぉ。で、遠くから戦ってるのを見てたんだ……ごめんよぉ」
「腰抜け野郎!」と怒鳴る盗賊を手で制した。この状況で仲間割れなんてしても得るものはない。寧ろ余計な体力を使うだけだ。
「やめましょう……。彼を責めても虚しいだけよ。今は生き延びることを考えましょう」
「ああ、姉さん、あんた優しいなぁ」
「優しいとか優しくないとかの問題じゃないわ。意味があるかどうかよ。あなたに怒鳴ったって状況は良くならないし、傷が治るわけじゃない」
言ってから、少し軽薄だったろうかと反省した。が、その小男はあまり気にしてはいないようだった。
「しかし、なんだってんだよ、あの魔術師……。勝てる見込みがねえ」と傷ついた盗賊は言う。他の男たちも頷いたり同意の言葉を口にした。
「ええ、同感ね。少し厄介だわ」
これからハルキゲニアに戻るのなら、間違いなく目をつけられる。少なくとも、あの場所にいた騎士全員がわたしの姿を見ているのだ。女王に謁見することはおろか、街を歩くことさえ出来ないだろう。
全く、思慮が欠けている。なんでわたしはいつも論理よりも感情を優先してしまうのだろう。しかし後悔したところで同じ轍を踏むのなら意味はない。きっと同じ瞬間が訪れても、変わらない行動をするに違いないのだから。
小男はおずおずとわたしの思考を遮った。「俺、遠くから見てたんだけど……姉さん、本当に強いなぁ。俺よぉ、視力には自信があるからよぉ、姉さんの勇姿がよく見えた」
「そう。ありがとう」
「けどよぉ」と小男は言う。「あんだけ早く剣を振れるのに、なんで全部弾かなかったんだぁ? あの速さなら全部弾けたはずだろうなぁ」
傍観していたなら分からないのも無理はない。
「最初の七発のことなら、確かに全部弾くことは出来たわ。ただ、途中でトラブルが起こったのよ」
小男は露骨に首を傾げて見せた。「七発? 八発でなく?」
「あなたの数え違いよ。あれは七発だった」
小男は「そうかなぁ」なんてとぼけた調子で首を捻る。
七発分の魔力しか感知していないのだし、両目で見たのも七発だった。
「なに言ってんだおめえ。あのとき俺たちが見たのも七発だ」
他の盗賊たちも、数えていた者は七発だったと口にした。
「まあ、数なんてどうでもいいわ。それより、これからのことを考えましょう」
「同感だ。……街道側にはきっと奴らが待ってるだろうから、暫くは身動きが取れねえな」と盗賊はため息混じりに零した。
確かに、街道に再び出るのはあまりにリスクが大きい。しかし、ここで時間を費やすのも悪手である。きっと奴らは夜が訪れるまで街道を塞ぎ続けるだろう。なぜなら、夜になれば巨大な魔力に寄せられた大量の魔物がわたしたちを襲うのは目に見えているからだ。
だとすると、選択肢はひとつだ。
「あなたたち、ハルキゲニアの騎士団に恨みがあるんでしょう?」
「そりゃ勿論。マルメロに集まってた盗賊団のメンバーを卑怯なやり方で襲いやがったからな」
すると、タソガレ盗賊団は現在勢力を落としていることになる。二十人程度でハルキゲニアを襲う無謀はさすがにどうかと思ったが、こうして生きている以上、彼らには然るべき機会が与えられるべきだ。
「ハルキゲニアに、騎士団とその親玉の女王を倒そうと考えてる勢力があるんだけど、あなたたちならきっと歓迎してくれると思うわ」
「願ってもない! ただ、どうやってハルキゲニアに入りゃいいんだ?」
目を閉じて、覚悟を決めた。これしか道は残されていないのではないだろうか。
「この湿原の先に、ハルキゲニアに続く洞窟がある。ただ、とても危険な道のりよ。全員で辿り着けるとは限らないかもしれない。……それでも行く?」
『吶喊湿原』、『毒瑠璃の洞窟』、『大虚穴』。危険極まりない道だ。
しかし盗賊たちは迷いなく頷いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『吶喊湿原』→ハルキゲニアの西に広がる湿原。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』にて
・『毒瑠璃の洞窟』→毒性の鉱物である毒瑠璃が多く存在する洞窟。詳しくは『102.「毒瑠璃の洞窟」』にて
・『大虚穴』→巨大な縦穴。レジスタンスのアジトへと続く階段がある。詳しくは『106.「大虚穴」』にて




