959.「双子の警告、足の裏」
ハルキゲニアをかつて支配していた『女王』。彼女の自治を下支えしていた武力が『騎士団』であり、わたしの左右にそれぞれ現れた双子の姉弟もそこに属していた。『女王』を打ち破らんとするレジスタンス側に協力していたわたしは、当然のごとく彼らともぶつかったのである。
二人ともレジスタンスに敗北したはずだった。すると改心して、ハルキゲニアの領主ドレンテに仕えているのだろうか。そしてこの場にいるということは彼らも、直接的にか間接的にかはさておき、ロジェールの申し出に応じてくれたのかもしれない。
「質問に答えなよ、オネーサン。でないと全身切り裂いちゃうよ?」
左側――『黒兎』のほうを見ると、彼の手元で銀色の刃が鈍い光を湛えていた。今さっきわたしが掴み取ったナイフも、彼の手元にあるそれも、魔力は視えない。彼がアリスに魔具を没収されたことは知っている。つまり『黒兎』は今、ただのナイフ使いでしかないのだろう。
一方。
「ここから出て行って」
『白兎』の周囲に、合計七つの魔力球が浮かんでいた。こちらは相変わらず魔術師として健在らしい。
さて。
どうして彼らが今この場でわたしを敵視し、排除しようとしているのか。質問すれば素直に教えてくれるだろうか。ひねくれ者の弟と寡黙な姉から真摯な答えを引き出すのは容易ではない。
ここは、わたしのなかに蓄積されたコミュニケーション能力の見せ場かもしれない。
よし。
「久しぶり~。しばらく見ないうちに二人とも大きくなったわね。元気だった?」
ざわわ、と頭上で葉の擦れ合う音がした。左右それぞれを一瞥したけれど、彼らの様子に変化はない。
「二人とも元気そうで、お姉さんとっても嬉しい。あ! 干し肉食べる?」
布袋から、葉っぱにくるんだ肉を取り出してみせる。そういえばこれ、だいぶ前にルーカスからもらったやつだ。臭いは……微妙。色も若干黒ずんでる。でも食べれないことはない、はず。胃の能力と運次第で、腹痛は避けられるだろう。
「オネーサン、滑稽だよ」
くすりともせず、『黒兎』がそんなことをこぼした。『白兎』のほうは沈黙を貫いている。
滑稽なら少しは笑ってくれてもいいのに。
どうやら迂遠なコミュニケーションは不要らしい。
「それじゃ、本題。あなたたちが敵意剥き出しなのはどうして?」
「その前に、オネーサンはこっちの質問に答えなよ。大人なのに、そんな礼儀もないんだ?」
今のわたしに礼儀がないのは自覚している。そもそも礼節に価値を感じていない。けれど、彼らと出会った頃のわたしは果たしてどうだったろうか。少なくともこの双子よりは、礼儀の点では勝っていたように思う。
しかしながら、それを指摘する意味もない。質問に先に答えろというなら、そうしてあげよう。
「わたしがここに来た理由?」
「そうだよ、オネーサン」
「気球職人ロジェールの集めた戦力が『鏡の森』で音信不通になったから、様子を見に来ただけよ」
嘘偽りない真実だ。返答に満足するかは別として。
『黒兎』は随分と疑り深い目つきでわたしを見ながら、右手でナイフを弄んでいる。
『白兎』はというと――なんの変化もなかった。人形みたいにじっとたたずんでいる。魔力球はきっちり維持したまま。
襲う気なら早くすればいいのに、彼らはどちらも動こうとしない。
やがて『黒兎』のほうが「必要ない」とひと言だけ口にした。
……必要ない。それは、ロジェールたちの捜索が、ということだろうか。あるいはもっと広い意味かもしれない。わたしの介入自体が不要だとか。いずれにせよ、ハルキゲニアで敵同士だったという因縁だけが理由ではないように感じた。
なら、もう話すこともない。この二人とやり取りを続けるよりも、てっとり早い方法がある。
「待ちなよ、オネーサン。ボクの話聞いてた?」
歩き出したわたしに『黒兎』が近寄り、ナイフの切っ先を首から数センチの距離に突きつける。足を止めずにいると、彼は一定の距離にナイフを保ったまま隣を歩いた。
魔力球が三発、わたしの鼻先をよぎる。『白兎』の魔術だ。精度の高さを見せつけるような威嚇射撃である。
それでもわたしは、足を止めない。
「無視すんなよ!」
脇腹に小さな拳が突き刺さる。どうせならナイフで刺せばいいのに、わざわざ殴るなんて。それに、彼の拳は貧弱すぎてよろめくことすらない。却って、殴りつけた彼のほうが顔を顰めていた。
「ねえ」と、か細い声が後ろのほうから聴こえた。『白兎』である。「私もクラウスも、貴女を心配して言ってるの」
まず、彼女が人を心配するような性格だったことが意外である。そして『黒兎』の名前がクラウスだというのも初耳だった。
心配してる。
そう、よかったわね。
以上。
返す言葉なんてない。
仮に彼女の心配が本心からだとしても、大人しく従うつもりはないので、やはり対話は必要ない。
「このまま進んだら、オネーサンは死ぬよ」
低い、演技がかった声色で『黒兎』が言う。彼はわたしの歩調に合わせて、ナイフを喉の先の五センチ程度に維持し続けている。脅しが無意味なのにナイフを突きつけ続ける意味はないだろうに。
死ぬという言葉にも引っ掛かりは覚えない。実態不明の言葉を真に受けるのは無駄だからだ。ましてやそれで踵を返すなど、愚行にもほどがある。
不意に、首元のナイフが消えた。そして膝のあたりに衝撃が走る。『黒兎』が蹴ったのだろう。
どうでもいい。
「警告したからな!」
その言葉を最後に、彼は足を止めた。靴音がひとり分――わたしだけになる。
このまままっすぐ進めば『聖樹宮』にたどり着く。『黒兎』が『必要ない』と言った理由も、警告の意味も、そこで明らかになるだろう。
二人には確かに敵意があったが、戦闘してでもわたしを止めるほどの動機はなかったらしい。もし二対一での戦いになったとしても、二人を無力化するのにそう長い時間はかからなかったろうけど。『黒兎』に関しては身のこなし、『白兎』に関しては魔力。どちらもハルキゲニアで相対したときよりは習熟している様子だったが、苦戦はしないだろうというのが率直な印象だった。
歩いているうちに、やがて周囲が靄がかってきた。進むにつれ、徐々に靄が濃くなっていく。
じきに、道の微光がすっかり白に塗り潰されるほどになった。
水滴が服を湿らせ、肌に貼り付く。水分を含んで束になった前髪から、雫が落ちた。息を吸うたび、胸の奥が不要な潤いを獲得する。足元の苔もすっかり濡れているようで、一歩踏み出すごとに、ぐしゅっと音を立てて沈んだ。
自分がどこにいるのか分からない。先の見通せないほどの霧に囲まれているがゆえの錯覚ではなかった。わたしは今、木々のアーチの下を歩んでいない。もっとずっと広い空間にいる。
遮るもののほとんどない丘で、風はたまたま死んだように絶えている。比喩ではなく、そうした場所に自分がいるのだと理解していた。
「グレガー」音が濃霧に吸われ、反響することなく消えていく。「小細工はやめて出てきなさい」
森の主、グレガー。『幻術』の異名を持ち、得意としていたのは洗脳魔術。つまりこの状況は彼の演出したものだろう。どこかでわたしの姿を見ながら、濃霧に閉じ込めたのだ。
不意に、頭上でなにかが動くのが見えた。ごうごうという音が、上のほうからしている。
動くものの正体が巨大な足で、例の音は風を切る音なのだと気付いたときには、もう手遅れだった。足はわたしの知る巨人の魔物――キュクロプスのそれよりもずっと巨大で、何百メートルもの大きさだった。それがわたしのいる地面を踏みつけようとしている。
全力で走った。後退はせず、前へ前へと。横に逸れることなく。なぜならここは本来『聖樹宮』へと向かう道の上であり、直進以外に正しい道はないからだ。
わたしの疾駆は実を結ぶことなく、頭上数メートルまで足の裏が迫ってきている。サーベルを抜き、切りつけても足の降下は止まらなかった。
左腕で頭部をかばい、右手のサーベルを巨人の足に突き立てる。が、刃は皮膚に浅く刺さっただけだった。足は下がり続け、右手が圧力に負けて自然とサーベルから離れる。地面と足とに挟まれて、刃が真っ二つに砕けるのが見えた。
空いた右腕でも頭部をかばい、降下する足になんとか抵抗しようとしたが――。
バキ、と嫌な音がした。
身体のどこかで。
たぶんそれは骨の砕ける音色だろう。音は続けざまに鳴り、視界が地面すれすれまで落ちていく。そして、爪先から頭まで満遍なく圧迫感が襲う。
頭の裏側で致命的な破砕音が轟いた瞬間、視界が蕩けた。
ああ、そうか、と思う。
『黒兎』の言ったことは本当だ。
わたしは間もなく、死ぬだろう。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ドレンテ』→ハルキゲニアの元領主。レジスタンスのリーダーであり、アリスの父。詳しくは『107.「トラスという男」』にて
・『エリザベート』→ハルキゲニアの元女王。高慢で華美な人間。ルイーザの母。詳しくは『174.「ハルキゲニアの女王」』にて
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて
・『白兎』→ハルキゲニアの元騎士。魔術師。本名はルカ。ハルとミイナによって撃破された。現在は『黒兎』とともにハルキゲニアの夜間防衛をしている。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』『幕間.「それからの奇蹟~ある日のハルキゲニア~」』にて
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『聖樹宮』→『鏡の森』の中心にある領域。詳しくは『202.「聖樹宮の王様と、眠りの揺り籠」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




