946.「愉悦の刃」
愉しい。気持ちいい。嬉しい。溢れる感情が心地良くて、笑って、嗤って、呵ってしまう。
アダマスの瞳に、いまだ闘志が消えていないことを心から祝福したかった。まだ戦える。戦ってくれる。
アダマスはわたしから五メートルほど距離を置いている。右手を庇った左手から、絶えず真っ赤な雫が零れ落ちて砂地に染み込んでいく。彼はもう、わたしを地面に叩きつけるゲームをやめてしまった。なぜって、わたしの斬撃でさっき右手を砕かれてしまったから。足首を掴み続けるのを諦めて、距離を取ったというわけ。
「アダマス様が血を……」
「まさか、ありえない……」
「なにかの間違いじゃ……」
間違いなんかじゃないわ。現実よ。
そんな気持ちを籠めて、声のした方角に微笑を投げる。すると、客席の竜人は冗談みたいに身を震わせ、目を逸らした。失礼しちゃう。ほんと、そういうのやめてほしい。血祭りにあげたくなっちゃうから。
「うふふふふ」
口の端から漏れる自分の笑いが、なんだかとっても面白い。ついさっきまで死んでいた心が、今やスキップをしている。感情のいっぱい詰まった塊が弾けたみたいな、そんな感じ。
「血族……」
アダマスが、食い縛った歯の隙間からそんな言葉を漏らした。
そう。わたしは血族。ほら、持ち上げた手のひらが紫一色に染まってる。これが本来のわたし。だから心も、あるがままに動いてるんだ。生きるって愉しい。愉悦の感情を加速させていくのはもっともっと愉しい。世界が『愉しい』で満ちていく。
『愉しい』を増幅させるには、生きてる実感が必要。それって命のやり取りなわけで、だからもっとわたしに命を感じさせてほしい。ねえ、アダマス。そうでしょ?
「貴様、人間ですらなかったか!!」
アダマスの口調には明らかな非難が混じっているけど、きょとんとしちゃう。
「人間じゃないからなんなの?」
「偽の姿で我々竜人を欺こうとしたのだな!!」
あらら。アダマス、すっかり変なスイッチ入っちゃってる。わたしのこと、竜人全体の敵だと思ってるって感じ。
「ゾラとの決闘で見た貴様の姿は、錯覚ではなかったのだな」
後ろのほうでサフィーロがそんなことを言ってる。というか、錯覚だと思ってくれてたんだ。人間だと思い込んでいたかったの? それってなんで? ちっとも分かんない。
でも、いいや。サフィーロはいい。だって一回倒してるもの。アダマスとの戦いはこれがはじめてで、ちゃんと強くて、嬉しい。だから、面倒くさいお話なんてしたくない。
「アダマスぅ」そう呼びかけてから彼の背後まで駆け、サーベルの柄で軽く小突いてあげた。「ほら、続き、しましょ?」
振り返った彼の顔は、ほとんど蒼褪めて見える。一瞬で背後を取るなんて造作もないことなのに、なんでいちいち驚くのやら。さっきだってそう。右手を砕かれただけで、せっかくの有利なポジションを簡単に捨てちゃった。腕一本くらい失う覚悟で殺しに来てよ。それともなに? 鱗を砕かれたのがそんなにショックだったの?
「あはっ」
笑っちゃう。確かにアダマスの鱗は硬かったけど、砕けない硬度じゃないわよ。今ならクッキーみたいに簡単に割れる。
アダマスの目が大きく見開かれる。瞬間、びり、とわたしの肌に痺れが走った。大音量の咆哮が空気の一切を震わせる。
そうそう、それでいいの。種族の敵でも最大の危機でもなんでもいいから、本気でかかってきてよ。わたしに、命を、感じさせて。
アダマスの姿が消えた。視界のどこにもいない。予備動作はなかった。風の音が轟々とうるさくて、それは、彼がわたしの周りをぐるぐるしてるからだ。離れたり近付いたりしながら、自分の位置を特定されないよう高速で動いてる。隙を見つけようとしてるのかも。でも、我ながら隙だらけに見せてるつもりなんだけど。
姿勢を落とし、後頭部へと伸びたアダマスの左手にサーベルを合わせる。透明感のある綺麗な音色が響いて、虹色の鱗が空中をひらひら舞った。
「ぐっ……!」
今度は十メートルほど距離を取ったアダマスが呻く。右手に続いて左手も駄目になったつもりなのかな。痺れてるかもしれないし、血も出てるけど、大丈夫でしょ。肘が動けば爪で攻撃出来るから。なんで大事みたいに思っちゃうかな。
「どうしてこちらの姿を……!」
冷めるから、そういうこと言わないでほしい。じっと直立してたのに背後の攻撃に気付けたのが不思議だなんて、冗談でしょ? 目だけで相手の位置を把握するわけないじゃない。他種族には多少なりとも魔物に近い気配がある。血族も同じ。たぶん、血のなかに溶け込んだ『アルテゴ』が存在を主張してるとか? 具体的なことは分かんないけど、アダマス含め全部の竜人の位置はバレバレなの。目を瞑ってても戦えるくらい分かりやすい。
うーん……駄目かも。アダマスから受け取る『命の実感』は、ゾラには遠くおよばない。速さだけなら凌駕してるのに、いちいち怯むんだから興醒め。
「この……化け物め!!」
二度目の咆哮が闘技場を震わす。
それを聞いても、さっきみたいな昂りは感じなかった。なんだろう、竜人って、こんな感じなの? 演技じみてるというか、本質以上にポーズばかり重視してるみたいで、ハリボテって感じ。本当は強いのに、演技にばかり労力を割いてて、肝心の部分が曇っちゃってる。
またぞろ周囲を満たした風音にも『もういいよ』って思う。どうせ鱗を砕かれたら退くんでしょ? そんなのつまんない。どうせなら、虹色の破片が花びらみたいに舞う只中で、一緒に命を感じたい。無理な注文だろうけど。
「サフィーロ!!」
アダマスってば、なんでサフィーロの名前を呼んだのかしら?
……ああ、なるほど。そういうことね。
闘技場の上空からわたし目がけて、いくつもの細く長い針が落ちる。否、全部サフィーロの爪だ。天井付近まで伸ばし、枝分かれさせ、一気に砂地まで伸ばす。そういう協力、出来たんだ。ちょっと感動。アダマスとサフィーロは本来決闘の場では敵同士なのに、わたしという第三勢力の出現で手を取ったんだ。これまでは自分たちの部下を使ってちまちました様子見の仕掛けしかしてこなかったけど、こんな協力技があるだなんて。はじめからそれをやってよ、もう。
身体に直撃する爪だけを弾く気なのだけれど、全部、見事にわたしを捉えていた。避けるのも野暮に思えて、ちゃんと全部をサーベルで砕いてあげる。そのせいでわたしの腕は随分と忙しい。アダマスの高速移動は肌で認識してるけど、タイミングによっては対処が間に合わない可能性もある。
なーんて、嘘。
「がっ!」
隙を縫って繰り出したであろう突進に、しっかり合わせた斬撃。その軌跡は七色の粒子と、真っ赤な飛沫を描いた。
また後退するんでしょ? と思ったけど、今度ばかりは違って、だからとっても嬉しい。
アダマスは吹っ切れたのか、両の翼と手足を駆使し、連続でわたしを攻撃する。そのたびごとにサーベルで弾き、鱗が割れて血が吹き出すのだけれど、彼はもう退かない。
それ。
そういうの、いい。
好き。
サフィーロの爪も依然として降り注いでいて、さっきのように全部をサーベルで砕くわけにもいかなくなった。必要なものだけを破砕し、ほかは回避する。でないとアダマスの攻撃にまで対処がおよばない。
「ラアアアアアアアアアアァ!!」
血まみれのアダマスの咆哮を聴きながら、わたしは嬉しくて、笑いが止まらなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて




