99.「街道~ハルキゲニアへ続く道~」
『ユートピア号』出発から約一時間後、わたしたちはハイペリカムを後にした。無論、行き先はハルキゲニアである。
「お嬢さんも鋭くなりましたなあ」
ニヤニヤと薄気味の悪い顔で呟くヨハンを無視する。この不健康な骸骨男の狡猾さに少しずつ同化しているのではないかと思うと背筋が寒くなった。
街道を馬で真っ直ぐ駆ける。握る手綱に物足りなさを感じるのはノックスの不在からだろう。道中殆どノックスと相乗りしていたので、子供ひとり分だけ操り易くなった事実に寂しさを覚えた。
とはいえ、いくらか安心して進むことが出来ているのはヨハンのおかげだ。
『ユートピア号』が見えなくなってから彼は「ご安心ください。坊ちゃんには頼もしい影がついていますから」と告げた。
本当にヨハンは狡猾だ。気取られることなく仕掛けを施している。
彼の二重歩行者がノックスについているとすれば、異常があればすぐこちらに伝わるというわけだ。「危険が迫れば、坊ちゃんと嬢ちゃんを抱えて逃げますよ。勿論、安全な場所まで」とも言った。
だからこそ、落ち着きを失って『ユートピア号』を追跡するような愚行は取らずに済んだわけだ。
王都方面に進行するためにはハルキゲニアを通過しなければならない。野営を覚悟するなら街を迂回することも可能ではあったが、魔術都市の近辺で一夜を過ごすことなど想像したくない。今までの夜とは比べ物にならない苛酷な戦闘が待っているだろう。
加えて、ヨハンは嫌な情報を与えてくれた。ハルキゲニアを囲う外壁付近――吶喊湿原と呼ばれる一帯には昼夜問わず活動する巨大な魔物がいるのだという。そんな危険地帯で野営となれば無事でいられるはずがない。
いくら剣術に自信があろうとも、キュクロプスやラーミアほどの魔物を連日連夜相手にするのは骨が折れる。リスクを負わずに済む方法があるのなら、それが一番だ。
やがて馬は海峡に渡された橋へ到達した。真昼の陽射しは温かく、風は湿っている。海峡を越えて一時間も走ればハルキゲニアが見えてくるらしい。
ヨハンの計画ではハルキゲニアの正門は避けて、ぐるりと左側に進行するとのことだった。吶喊湿原をひたすら駆けるとハルキゲニアへ続く洞窟があるらしい。
魔術都市ともあろう場所がそんな抜け道を放置しているのは実に奇妙だった。それに関して追求しても、ヨハンはへらへらと笑うのみで答えようとしない。この態度さえなんとかなれば、同行者としては申し分ないのだが。
海峡の青は、陽光を反射して鮮やかに煌めいていた。波音が耳に心地良い。
暫く走ると、前方に目的の大地が見えた。右手には峻厳な岩山と、濃い木々。左手には老人の腕のような枯れ木が広がり、そのまた先は霧に覆われていた。こんな晴天の日にかかる霧があるものだろうか。
「左でもやもやしている辺りが吶喊湿原です。年中霧に覆われた憂鬱な場所ですよ」
ヨハンはわたしの疑問を察したのか、先回りして答えた。あの霧を行くとなれば方向感覚を狂わされてしまいそうだ。
「吶喊湿原って変な名前ね」
「そうですねぇ。昔は領地を巡る戦いが方々でありましたから、その名残でしょうなぁ」
吶喊か。戦意を奮い起こすための叫びが谺した時代もあったのだろう。
海峡に渡された橋を抜けると、しみじみとした気持ちになった。そして右手にそびえる険しい岩山を仰ぐ。
アカツキ盗賊団。そのアジトの裏側にようやく辿り着いたのだ。予定よりも随分と時間がかかってしまったが、わたしは確かに進んでいる。それを誇らしく思うわけではなかったが、達成感がないわけではない。
辺りの湿気が強くなった。馬上で風を浴びていても、どこか不快な感覚になる。湿原が近いからだろう。
ハルキゲニアの使者、そして『ユートピア号』の馭者であるザクセンは、部外者が街に入ることは出来ないと暗に伝えてくれた。盗賊団への警戒心ゆえ、と。本当にそれだけだとは到底思えなかったが、正門を通過することが出来ないなら理由はどうあれ迂回しなければならない。
ヨハンが右手を挙げて速度を落とす。休憩の合図。こちらもそれに倣って手綱を引いた。
手綱を街道付近の木に縛りつけると、ヨハンは地面に腰を下ろした。そして心底疲れたようにため息をつく。
「ため息をつくと幸せが逃げるわよ」
「望むところです。幸せとは無縁の生き方ですから」
確かに、彼の落ち窪んだ眼は不吉な印象しかもたらさない。幸せを運ぶ使者がいるのなら回れ右して駆け去って行くだろう。
「ところで、ヨハンも元々はハルキゲニアから来たんでしょう?」
ハルキゲニアを出てダフニーまで遥々やって来たと聞いている。目的は知らないが、こうやって復路を辿っている以上、得る物はあったのだろう。
「ええ。ハルキゲニアから来ましたよ」
「そのときも『抜け道』を使ったの?」
彼は憂鬱そうに頷いた。その通り、ということだ。
「いやはや、もう通りたくはない道ですがね。帰還のためなら止むを得ません」
「ちゃんとエスコートしなさいよ。こっちはか弱い乙女なんだから」
冗談っぽく言うと、ヨハンは一笑した。張りつめたままの旅路は精神を疲労させる。せめて安全な街道では笑っていたいものだ。
再び馬で駆けると、やがて前方に魔力が視えた。遥か遠くに聳える壁が確認出来る。
視力に依存している部分が大きいからか、魔力の感知も距離による減退がある。離れれば離れるほど読み取り辛くなるものだ。
遥か遠くにちらりと見えるだけの壁から明確な魔力を感じるというのは、実物がそれだけ巨大な魔力を帯びている証明になる。壁全体に魔術を施してあるのだろうか。だとすると、ハルキゲニアはわたしが想像していた以上に発展している。
王都の外壁には魔物除けの細工が施されている。壁全面に防御魔術を張り巡らすことによって、迂闊に接近した魔物を爆散させるという仕掛けだ。言うまでもなく、その維持には膨大な魔力が必要である。それを可能な限り節約するため、出力の高い自動式の魔道具を楔のように打ち込んであるのだ。それであっても、毎年の点検は必須である。
巨大な都市にはそれだけ防衛力が必要になるのだ。
ハルキゲニアはそれなりの防御設備を有しているように思えた。少なくとも壁や、そこに施した魔術ないし魔道具は夜毎の襲撃を退ける程度には強靭だろう。
まだハルキゲニアの正門は見えなかったが、ヨハンは速度を緩めた。そしてわたしに並ぶ。
「そろそろ街道を外れましょう。ハルキゲニアの役人に見つかると面倒ですから」
確かに、行き先不明の旅人を放置するとは思えなかった。タソガレ盗賊団を警戒するなら尚更だ。
それよりも気になることがある。
「役人?」
「そうです。防御壁の技師だとか警備兵だとかですね。『ユートピア号』の馭者もそれにあたりますな。あとは……ハルキゲニアの騎士団ですね」
魔術都市の騎士団についてはクルスとの会話で一度出たきりだった。女王の護衛部隊。彼はそう認識していた。「女王様の側近でしょう? 騎士といえるようなものじゃないわ」
「まあ、お嬢さんは本場の騎士ですからそう言いますが、ハルキゲニアでは意味が少し違いますからね。女王の護衛もしますが、都市の防衛や施設の保護もします。言うなれば小回りの利く武装集団みたいなものです」
「なんだか物騒ね」
「ええ。実に」
ハルキゲニアの事情に関して、ヨハンは詳しく知っているような口振りだった。やはりハルキゲニアの出身なのだろう。
わたしたちは街道を逸れ、道なき道を進んだ。
骨ばった枯れ木が伸びる大地を抜けると、肌に湿り気を覚えた。不愉快で、鬱屈した空気。
ヨハンは馬を降りた。
「馬はここで置いていきましょう。この先は足場の悪い湿原になりますから、走らせるのは可哀想です」
彼に倣って馬を降り、その身に取り付けた馬具を外した。身軽になった二頭の馬は、解放感を味わうように機嫌よくいなないた。
馬の尻をぱしぱしと叩くと、二頭は連れ立って街道方面へと歩いて行った。ハルキゲニアの人間に発見されれば怪しまれるに違いないが、止むを得ない。
馬はミイナの贈り物であり、『関所』からの付き合いだった。
色々な物事が過ぎ去っていく。
「さて」とヨハンは呟いた。「ようこそ魔の径へ。……それでは行きましょう」
吶喊湿原。憂鬱な霧が立ち込める地。巨大な魔物の潜む危険地帯。
進むしかないのだ、わたしは。それが道と呼べないルートであっても。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」の舞台。
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。詳しくは第二話「アカツキ盗賊団」にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは第二話「アカツキ盗賊団」にて




