第93話 大高城への兵糧運び入れ
曇天模様の五月十八日夜。つつ闇の中、幾多の松明を灯しながら沓掛城を出る一軍があった。
先頭きって進んでいくのは丸に三つ葉葵。それに、奥平唐団扇や重ね扇、庵に三階菱、花丁子、丸に鳩酸草などの旗が順次続いていく。
「松平蔵人佐さま、この東浦街道を抜けますと、次は大高道へ入りまする」
「左様か」
奥平監物より派遣された道案内の者から話を聞きながら大将自らが率先して馬を駆って進んでいき、奥平家人の道案内もあって大高城を双眸で捉えられるまでの距離まで接近していた。
「殿、暗くてよく見えませぬが、松明の数からして数百の織田兵がおるのではないかと」
そう申してきたのは石川十郎左衛門知綱。元康よりも遥かに戦の経験がある者の声を無視することなどできようはずもなく。
「そう申すのであらば、石川十郎左衛門。そなたが物見をして参れ。そうじゃな、杉浦藤次郎、杉浦八郎五郎、鳥居四郎左衛門ら武芸者も添えるとしよう。弓の使い手である内藤甚五左衛門とその次男である内藤四郎左衛門も同行するがよい」
石川十郎左衛門知綱は物見を命じられた者たちとともに闇夜へ紛れていく。共に物見へ向かった杉浦八郎五郎勝吉は五年前の織田勢との合戦で手柄を立てて蟹江七本槍の一人に数えられた指折りの猛者。
今年で齢三十六となった杉浦藤次郎時勝も八郎五郎の叔父であり、母が十三年前にこの世を去った大久保左衛門五郎忠茂の娘なのである。すなわち、松平家の老臣である大久保新八郎忠俊らから見れば甥にあたる者。
鳥居四郎左衛門忠広はいつぞやの墓参の折に、大樹寺で石川彦五郎とともに食膳を運んできた者である。そんな彼は元康の近侍・彦右衛門尉元忠が弟にして、若いながら武勇に優れた豪の者。
加えて、内藤甚五左衛門忠郷はかつて元康の大叔父・蔵人信孝に仕えており、阿部大蔵に勧誘される形で広忠に従った武士。五十となった老骨に鞭打って参戦した者であった。
その子・四郎左衛門正成は父に勝るとも劣らない弓の名手であり、他ならぬ石川十郎左衛門の娘婿であった。まだまだ健脚を維持している三十三の彼は父の手を引いて駆け出していく――
そんな編成で送り出した物見の一行は元康がうたた寝する間もなく戻ってきた。
「殿!今日の兵粮入れはいかがなものでしょうや」
……と開口一番に言うのである。だが、そう聞かされて大人しく引き下がる元康ではなかった。いや、義元から兵粮搬入を仰せつかった以上は引き下がるわけにはいかないと言う方が正しかった。
「それは何故か」
「敵は我らの旗を見て、慌てて備え始めておる由。敵に備えあるところへ突っ込むのでは、犠牲が計り知れませぬ」
「あいや待たれよ!殿!ここは一刻も早く兵粮をお入れなされよ!」
石川十郎左衛門がそう言い終わるなり口を開いたのは蟹江七本槍の一人・杉浦八郎五郎勝吉であった。
「八郎五郎は何を言うか、敵の方が優勢じゃ。見よ、敵の旗に動きが見られる。これは我らに気づき、備えておる証じゃ」
「ははは、十郎左衛門さまは年老いて敵の旗の動きすらも読めぬ腑抜けになられたらしい。されば、敵の旗は文字通り右往左往しておりまする。我らの方へ向かってくる旗の数を一とすれば、三は反対方向へ動いており申す。すなわち、強者と呼べるは全体の二割程度。これを蹴散らせば、残る雑魚は雲の子散らすように逃げていくであろう」
「されど……」
「十郎左衛門、やめよ。我が心は決まった。そのような腰抜けに怯えておめおめと沓掛城へ逃げ帰っては武門の名折れ。耐え難い屈辱を味わうこととなろう。臆病風に吹かれたならば、陣を抜けても結構である」
十九の若大将に役立たずと言われたに等しい言葉に、かえって石川十郎左衛門ら撤退を進言した者らはかえって奮い立った。
「よし、者共!一挙に敵の中央を突破するぞ!奥平勢は右手の敵勢へ、青野松平と深溝松平の隊は左手の敵勢へ当たるよう伝令せよ!皆の者、我が背を見失うでないぞ!かかれ!全軍突撃じゃあ!」
太刀を抜き払い、全軍を叱咤激励するとともに自らが馬を躍らせて敵中へ駆けていく。
暗闇ゆえに誰にも気づかれなかったが、元康の手足は小刻みに震えていた。それすなわち、先ほどかけた勇ましい号令は他ならぬ弱気自分を叱咤するための言葉であったのだ。
「一番手柄はこの杉浦八郎五郎がいただく!」
手にした槍をぶんぶん振り回して馬上の元康に置いていかれまいと懸命に追走していく。
「それっ、八郎五郎ばかりに調子づかせるでないぞ!皆も続けぇ!」
槍を引っ提げて現れた騎馬武者――今村彦兵衛勝長も四十一の体に鞭打って馬を駆けさせる。かくして、松平勢は前進を再開し、大将一人を敵中へ飛び込ませるなと血相変えて松平宗家の軍勢は進軍速度を上げていく。
「敵襲じゃ!弓隊放て!」
先頭きって突っ込んでくる元康めがけて幾筋もの矢が飛来するも、慌てて放った矢がそう簡単に当たるものではない。義元より出陣前に賜った金溜塗具足を身に纏って疾駆する様はひとかどの大将であった。
接近した元康の前を槍を持った織田兵が行く手を遮ろうとするも、突進してくる馬の勢いに恐れたこともあり、これまた失敗。
織田兵の注意がひときわ目立つ鎧兜で身を固めた元康に集まるところへ、杉浦八郎五郎ら松平兵が乱入し、織田兵を槍で突き伏せ、鍔迫り合いで押し合いへし合いとなったり、早くも組み伏せて敵将の首を上げる者が現れる。
「殿!」
「おお、今村彦兵衛か。わし自ら敵中突破した結果はどうであったか」
「ご覧くだされ、向かってきた敵兵数十を討ち取り、残りは四散してゆきました。八郎五郎の読み通りにございますれば。また、殿の下知に従い、奥平勢や青野、深溝の松平勢が両翼の敵に追い討ちをかけております」
「よし、敵を追い散らした勢いで、大高城へ兵粮を運び入れることとしようぞ。また、奥平勢と青野、深溝の両松平勢にも追撃を中断し、周囲の敵を警戒しながら合流するよう命じよ」
「承知いたしました。そのように手配いたしまする!」
今村彦兵衛へと今後の方策を伝えた後、元康は遅れてやって来た本隊と合流し、堅く閉ざされた大高城の城門へと到着。すると、そこへ櫓へ登ってきた甲冑姿の武者から先頭の元康へと声が投げかけられる。
「その旗を見るに、貴殿が松平蔵人佐元康殿であられるか!」
「いかにも!某が松平蔵人佐元康にございます!太守様直々に大高城へ兵粮を運び入れよとの御下知を賜り、敵の囲みを破って馳せ付けましてございます!」
「それはかたじけない!おいっ、門を開けろっ!開門!」
櫓の上から怒鳴った武将への返事が門の向こうより聞こえた後、すぐに閉ざされていた城門が重い音を立てながら開かれる。
守備している鵜殿藤太郎長照の許可もなく門が開いた状況に、入って良いのか戸惑う元康。松平勢も主君を守るべく、周囲に木楯を持った兵や長槍を構える者たちが現れる。
そこへ、先ほど櫓の上から元康と問答していた鎧武者が城門の内より大勢の武者を引き連れて姿を現した。
ますます警戒感を高める松平勢であったが、元康はその鎧武者の顔が松明の灯りで確認できたところで下馬したのである。
「これは先ほど櫓におわしたは鵜殿藤太郎殿にございましたか」
三年前に一度、顔を合わせたことのある元康はその折の事を覚えていた。ゆえに、見知った顔が城門の内より現れたことで、自然下馬しないわけにはいかなかったのだ。
「松平蔵人佐殿、鵜殿藤太郎長照にございます。よもや、某の顔を覚えておられたのでございましょうや」
「ええ、同じ三河の国衆であり、太守様より覚えめでたき鵜殿藤太郎殿のことを忘れようはずがございませぬ」
「ははは、これはまた嬉しいことを仰ってくださった。先ほど櫓より深溝松平家の旗も見受けられましたが……」
「ええ、姻戚関係にある鵜殿藤太郎殿を見捨てられぬと、率先して合力してくださったのです」
「それは有り難きこと。ささっ、ひとまず城内へお入りくだされ。当家の者も兵粮の運送はお手伝いさせていただきまする」
鵜殿藤太郎が家人らに対して顎をしゃくると、畏まった面持ちで鵜殿家の者たちも兵粮を運び入れるのを手伝い始める。
かくして、元康が夜の内に大高城へ兵粮を運び入れたことは直後にやってきた朝比奈丹波守親徳が家臣・江尻民部少輔親良によって沓掛城北東に位置する義元の宿所・祐福寺へ届けられた。
「左様か。蔵人佐は見事に大高城へ兵粮入れを成したか!」
「はっ、某の家臣が直に松平蔵人佐殿より言伝を承って帰還いたしましたゆえ、まことのことにございます」
「それは祝着至極。これで大高城の救援は成せた。あとは、朝比奈備中守が鷲津砦を、蔵人佐が丸根砦を攻め落とすのみ。さすれば、岡部丹波守が守備する鳴海城を救援することに全力を注げるというもの」
眼下に広げた地図を見やりながら、手にした白扇で大高、鷲津、丸根、鳴海を指し示しながら独り言を発する義元。
「早暁からの鷲津砦、丸根砦の攻撃が上首尾に参るか否か。それによって、太守様の動きも変わって参りましょう」
「うむ。織田方の大将はいずれも強者揃いであるが、この状況下で兵卒の士気を維持するのは至難の業。攻めかかる当家の大将も両名とも若いが、名将の器。何より、数的には有利なのじゃ。攻め落とすのにも、そう時はかかるまい」
「で、ありましょうか」
「うむ。予の見立てに狂いはない。朝比奈丹波守。そちは井伊信濃守や松井左衛門佐らに進軍の支度に入っておくよう伝えておくがよい」
「しかと心得ました。葛山左衛門佐氏元、蒲原氏徳、由比美作守正信らにもこのこと、伝えて参りまする」
「それでよい」
朝比奈丹波守が一礼して退出した後、義元はじっと地図を睨み続けていた。朝比奈丹波守の前では勝敗は決したかのようなことを言ったが、その実不安をぬぐい切れてはいなかったのだ。
「備中守、蔵人佐……。砦攻め、抜かるでないぞ」
誰にも聞こえない総大将の呟きは夜闇に吸い込まれていくように消えていくのであった――
一方その頃、尾張国清洲城では夕刻に丸根砦の佐久間大学盛重、鷲津砦の織田玄蕃允秀敏、飯尾定宗・尚清父子より芳しくない戦況を伝える使者が入っていた。
それを受けて、柴田権六勝家や林佐渡守秀貞をはじめとする重臣らが当主・織田信長の元に集まり、軍議を開いていた。
「なんでも今川軍は二万を超える大軍だという。加えて、緒川の水野下野守は今川に内通しておると聞く」
「当家は美濃も敵となった今、尾張中の砦の守備に兵を回しておるゆえ、三千も清洲に集められぬ。野戦での勝ち目がない以上、この林佐渡守は籠城しかあるまいと考える」
「なんじゃと!仮に籠城したとして、いかがするのじゃ。周囲に援軍を派遣してくる当てもなく籠城するなど、どのみち兵粮が尽きて飢え死にじゃ。この権六は打って出て、華々しく散るよりほかはないと思うぞ」
「ぐぬぬ、殿!殿はいかが思われまするか!」
柴田権六と激しく言い合う林佐渡守からの言葉に、信長はほじった耳垢を飛ばして応じる。
「まったく梅雨に入ると空気が湿気ていかんな。お濃の鼓でも聞くとしよう。皆の者、これにて下らぬ軍議などしまいじゃ。各々屋敷へ立ち戻り、家族とのひとときを楽しむがよかろう」
そういって、今度は鼻をほじりながら大広間を去っていく。そんな大将の様子に重臣一同はあっけにとられながら、織田家の終焉を悟った。
信長の言う軍議の終わりを軍議などする必要がない。すなわち、出陣はしない、籠城戦だと解釈したのである。何より、大将がはなから諦めた様子なのであるから、籠城戦を展開したとて、数日と持たずに落城。
織田弾正忠家は滅亡するのだ。そうなれば、重臣らへ屋敷へ帰って家族と過ごすようにという信長の言葉も、家族と最後のひと時を過ごすがよいとの気遣いとも取れた。
「権六殿、何のために信勝様は殺められねばならなかったのじゃ。これでは、無駄死にではないか」
「まったくじゃ。これまで尾張一統のために駆け回り、討ち死にしていった者らに顔向けできぬわ。何より、先代の信秀公に何と詫びれば良いのじゃ……!」
林佐渡守と柴田権六のひと際大きな言葉を聞きながら、信長は上機嫌で寝所のある居館へと姿を消していく。
その寝所に待機する濃姫は興奮冷めやまぬ夫の様子に、袖で口元を隠しながら笑うのであった――




