第88話 迫る出陣と産み月
宿所である大樹寺にて、随念院と田原御前と数年ぶりの再会を果たし、彼女たちの言葉に喜びと感謝を抱えていた。
そこへ、田原御前は自らの両脇に控える姫君たちの背中を押し、元康へ挨拶させようとしている様子を元康の双眸は見逃すことはなかった。
「二人とも、久しいが壮健であったようで、何より。某がそなたらの兄、松平蔵人佐元康である」
「お、お兄様。や、矢田にございます。こちらが於市にございます」
「い、市場にございます。皆からは於市と呼ばれております」
異母兄・元康が先に名乗ったことが良い影響をもたらしたのか、矢田姫と市場姫はぎこちないながらも名乗ることができた。そんな可愛らしい妹たちの様子に、元康も思わず頬の筋肉が緩んでしまう。
「矢田に於市、こうして言葉を交わせたこと、嬉しく思うぞ。そちたちは十四になったと聞くが、勉学には励んでおるか」
「はい。矢田とともに御前様から読み書きや算術を教わっております」
「そうか。そなたたちの母と離れて暮らすは辛くはないか」
「はい。辛くはございませぬ。時折、お手紙もいただきますし、御前様も随念院様も優しくしてくださいます」
矢田姫と市場姫の生母は平原勘之丞正次の娘である。産みの母親が何故彼女らの教育に当たらないかと言えば、しっかりとした理由があった。
「継母上、まこと妹らの勉学を見てくださっておること、感謝の念に堪えませぬ」
「いえいえ、これもまた先代の継室としての務めにございますれば」
そう、生まれた子供らの面倒を見るのもまた、正妻の務め。そうした事情もあり、矢田姫と市場姫は田原御前のもとで養育されているのである。
「姫らもいずれは誰か嫁ぐこととなろう。わしがしかと家柄や人柄を見て選ぶゆえ、案ずることはない。要望があれば、わしは駿府におるゆえ、継母上より習った成果を発揮して書状を送って参るがよいぞ」
「は、はい!」
「そういたします!」
市場姫の方は少々遠慮がちであったが、矢田姫の方は近いうちに本当に書き送ってきそうだと元康の直感は告げていた。十四という年頃になれば、姫は他家に嫁がされることも多い。
そうなれば、元康としても誰に嫁がせるのか、候補を一、二年のうちに目星をつけておかなければならない。
「兄上」
「おお、於市か。いかがいたした」
「まもなく戦が始まるのですか?」
小さなこぶしをぎゅっと力を籠め、より小さくしている市場姫。そんな彼女の様子に元康は言葉の詰まる想いであった。年端もいかぬ少女たちに戦の話など、重すぎる話題であると感じてしまうゆえである。
「ああ、始まることとなろう。この元康も真っ先に敵へ向かっていく役目を与えられておる。じゃが、ここが戦場になるようなことだけは決してさせぬ。いかなる敵にも岡崎へ踏み入らせることはさせぬ」
「まことにございますか」
「於市、わしを、この兄を信じてたもれ。きっとそなたらを守護してみせよう」
「わかりました!兄上を信じまする!」
素直に己の言葉を聞き入れた市場姫の頭を優しく撫でる元康。何があっても、この岡崎へ敵を踏み入らせることだけは避けねばならない。そう改めて決意させられるやり取りでもあった。
「大叔母上、継母上。そして、可愛い妹たちよ。某は明日にはここを発ち、駿府へ戻らせていただきまする。三河の情勢を把握でき、当初の目的も達せられましたゆえ」
「元康殿。戦というものは何が起こるか分かりませぬ。我が弟も、陣中にて家臣に斬られて命を落としたこともございます。くれぐれもご用心のほどを」
「大叔母上。しかと心得申した。用心に用心を重ねて、戦に臨んで参りまする。何卒、吉報をお待ちくださいませ」
元康は名残惜しいと思いながらも、家族との対面もこれまでとし、その日のうちに出立できるよう急ぎ身支度にかかった。
「皆の者、急ではあるが、明日に岡崎を発つことといたす。本日中に城代の皆々様への挨拶を済ませて参るゆえ、残りの者は支度を進めておいてくれよ」
時刻はまだ午の刻。この時刻ならば、岡崎城へ赴いて挨拶を済ませてくるとしても、遅くとも申の刻には大樹寺へ戻って来れよう。
その考えの元で元康は岡崎城へと赴き、大樹寺に残された者たちは荷物をまとめ、帰り支度を進める。そうして分割してすべきことをしていくうちに陽も傾いていき、夜を迎える。
夜には住職である登誉天室をはじめ、大樹寺の僧侶たちへ別れを告げるなど、立つ鳥跡を濁さずといった具合に抜かりなく支度を進めていった。
そうして夜が明けると、元康一行は出立。いつぞやの墓参の時と同じく、吉田城、懸川城にてそれぞれ一泊して、駿府へと帰着した。
駿府へと帰着した元康は真っ直ぐに自邸へ。ここにも家族がいる以上、会いたいという気持ちは抑えられるものではなかった。
「殿、長旅ご苦労様にございました」
さすがの瀬名も出迎えができる状態ではなく、彼女の居室にて夫婦は再会。瀬名の腹部は出立した時よりも、大きくなっており、わずかな期間でも変化があるのだということが元康の記憶に刷り込まれていく。
「瀬名、苦しくはないか」
「ええ、近ごろは少々息苦しさを感じてもおりまする。少し動いただけでも動悸や息切れいたしまするゆえ、出迎えもできず申し訳ございません」
「よい。そなたの健康が第一じゃ。瀬名の苦しみをわしは分つことはできぬ。じゃが、何か不都合があれば、すぐに申し出るがよい。できる限りのことはいたすつもりじゃ」
「ええ、その折には殿を真っ先に頼らせていただきまする」
ここ最近ではお腹の中の児の動きが感じられるといった話など、留守中にあったことを瀬名から元康へ。元康からは西三河にて他の松平一族と大勢会ったことや、大樹寺で随念院をはじめとする家族に数年ぶりに会えたことなどを語っていく。
そうして互いの近況を報告し合ううちに夜も更け、瀬名も元康も就寝する時刻となった。そんな夫婦の仲睦まじい様子に、屋敷に勤める者たちは普段の日常が帰ってきたことを実感してもいた。
翌日の天気は木の芽雨。冬から春へと一日、また一日と近づいていることを感じさせるものであった。
降りしきる雨の中、元康はわずかな供だけを連れて駿府館へと出仕。岡崎を発つ直前に、隠居屋敷の今川義元と駿府館の今川氏真に宛てて、報告したいことがある旨は伝えてあり、この日に駿府館にて他の重臣らを交えて話し合う運びとなっていた。
「松平蔵人佐元康。此度の三河視察、まこと大儀であった」
「ははっ!」
真正面に控えるは今川家当主・五郎氏真。その傍らには春の尾張表への出兵の総大将たる前今川家当主・治部太輔義元。
他にも、朝比奈備中守泰朝、朝比奈丹波守親徳など、出兵に大いに関係している重臣たちも席を同じくしていた。
「して、蔵人佐。緒川の水野下野守が従属を願い出ているとは真のことか」
「はっ、真のようでございます。人質として水野下野守が末弟の藤十郎忠重を、苅谷水野からは嫡子である信政を出し、起請文も緒川と苅谷の両名より改めて提出いたすとのこと」
「やはり水野は信用できぬ。これまでの行いを鑑みれば無理もなかろう」
「はっ、仰る通りにございます。岡崎の重臣らからも水野家は信用ならぬ、との意見が数多ございました。されど、某は今一度水野を信じ、寛大なる処置をもってご当家の威風を示すべきではないかと心得まする」
元康としても完全に信用しているわけではない。しかし、苅谷城で水野藤九郎から伝えられた言葉を今一度信じて、救いの手を差し伸べても良いのではないかと考えている。
問題はその言葉が、願いが、今川家の人々に通じるか否かであった。
「蔵人佐殿。さまで水野を庇いだていたすとは、やはり生母の実家であるからであろう。そのような私情を当家の政に持ち込まれては困りまするぞ!」
真っ先に元康に食ってかかったのは朝比奈備中守。しかし、それを朝比奈丹波守が擁護する姿勢を取り、朝比奈の両名同士で言い争いとなる。
それを見て、どう鎮めるべきか戸惑う氏真を見かねて、義元が二人を鎮める。その間、口をつぐんでいた元康に、今度は義元から問いかけがなされる。
「蔵人佐」
「は、ははっ!」
「予が尾張へ赴く途上、岡崎城へと立ち寄る。その折に水野下野守、水野藤九郎の両名が記した起請文を持参させよ。さすれば、ひとまず従属は認めようぞ。人質については、織田が片付き次第徴収することとしようぞ」
「然らば、遠征の途上にて起請文の提出。凱旋の途上にて人質を徴収し、ともに駿府へ帰還するという流れにございましょうか」
元康が義元の腹案を復唱すると、これに異議を唱えたのはやはり朝比奈備中守であった。
「されど、水野など従属させるまでもなく、織田攻めの行き掛けの駄賃として攻め滅ぼしてしまえば、禍根を残すことなく処理できましょうぞ!」
「なるほどの。じゃが、水野ごとき弱小国衆など恐れるほどのこともない。ぶら下がる腰を失った腰巾着など、いかようにでも扱えよう」
義元の言葉に、さすがの朝比奈備中守も、それ以上は何も申すことはできなかった。そこで、元康は朝比奈備中守を納得させるためにも、義元にあることを申し出る。
「太守様!万が一にも、水野が要請に応じない場合には、この松平蔵人佐元康がその責めを負い、先陣きって緒川を攻め滅ぼしまする!」
「うむ、それならばよかろう。朝比奈備中守、いかがじゃ」
「異存ございませぬ」
かくして、水野家を従属させることで折り合いがついた。
そのことに元康はほっと胸を撫でおろしながらも、万が一従属が不首尾に終わった場合にはどのようにして水野を攻めるかについても今より想定しておいた方が良いのであろうか、などと考えたりしていた。
「また、この場におる一同には先に申し付けておく。出陣は五月吉日といたす。何日といたすかは、ただいま母が吉凶を占っておるゆえ、その日が定まれば改めて家中に布令を出すこととなろう。しかと備えておくように」
「「「ははっ!」」」
今川家の御隠居・義元の言葉に、元康だけでなく、朝比奈備中守・丹波守が平伏したことにより、その日の集まりは解散となった。
中でも、元康は出陣が五月と明確に定まったことに、戦が迫りつつあるのだと改めて思い知らされていた。
「五月の出陣となれば、まだ二月半ほどある。まだ時はあるのだ」
そう自分に言い聞かせながら少将宮町にある自邸へと戻った。すると、隣の屋敷に住まう義弟・北条助五郎氏規と舅の関口刑部少輔氏純が訪ねてきていたのである。
「これは助五郎殿に舅殿。お二人が揃ってのお越しとは驚きました」
「ははは、これは申し訳ない。元々、舅殿が某の屋敷を訪ねて参られましたゆえ、それならば蔵人佐殿にも会っていかれてはどうかと某が提案したのでございます」
「なるほど。たしかにそれは良いやもしれませぬ。されど、突然の訪問ともなりますれば、御満足いただけるようなもてなしなどできませぬが、何卒お許しいただきたく」
元康は整った所作で一礼すると、関口刑部少輔も北条助五郎も笑って袖を振っていた。もとより両名とも、もてなしを期待して訪問したわけではないのである。
「して、蔵人佐殿。瀬名の具合はどうじゃ?」
おそらく、そのことが聞きたくて参る気になったのであろう。そう推測して、元康は会話に応じていく。
「近頃はお腹も大きゅうなり、少し動いただけで動悸や息切れがいたすと昨晩も申しておりました。また、乳母どもの見立てでは、産み月は六月になろうと、かように申しておりました」
「左様か」
「はい。ただ、先ほど太守様直々に尾張への出陣が五月吉日と仰せられましたゆえ、お産に立ち会うことが難しくなるやもしれませぬ」
「なんと、出陣が五月と……!?ならば、瀬名のお産には当家からも手伝いの人を出そう」
「ご配慮、かたじけなく存じます」
「蔵人佐殿、何かあれば我らにも申してくだされ。すぐ隣の屋敷におりますれば、瞬く間に駆け付けましょうぞ」
「助五郎殿のお言葉、瀬名が聞けば心強く思いましょう。舅殿の言葉も、某から瀬名へ打診しておきますれば」
元康は実に良い姻族に恵まれていた。これならば、自分が出陣している最中のお産であっても、さしたる不都合も起きないであろうということが、肌身で感じられたからである。
それからは、心ばかりのもてなしとして蔵に納めていた酒を振舞い、両名とは別れたのであった。




