第79話 松平一族との交流
小夜時雨の中、大樹寺へ入った元康一行。最後に岡崎城の北に位置する菩提寺に入ったのは永禄元年の初陣の時。ゆえに、もう二年も前のこととなる。
「殿、寺部城攻めから早くも二年経とうとしておるのですな」
「そうじゃな。あの戦で善九郎も初めて知行地を得たのじゃ。さぞ思い出深かろう」
「思い出と一口に申しましても、良いものばかりではございませぬ。多くの者が亡くなった合戦でございまするゆえ」
そう言って声を落とす阿部善九郎。西加茂郡の制圧そのものは成功裏に終わり、元康は奥平家に与えられていた旧領の山中郷三百貫文が返還され、義元より腰刀まで賜った。
しかし、そのために払った犠牲もまた測り知れなかった。足立右馬之助遠定の弟・甚尉、本多作左衛門重次の弟・九蔵重玄が討ち死に。能見松平家からも松平般若助重茂、その家臣・名倉惣助が戦死している。
二年が経とうとしているということは、かの者らの三回忌法要が近日中に行われるということでもあるのだ。
「うむ。本多九蔵と松平般若助は、わしと同じ齢十七であった。これからを担う若武者も大勢亡くなった戦であった」
亡くなった者らへ思いを馳せる元康。彼がそっと目を閉じて虚空に合掌し始めると、傍にいた阿部善九郎、天野三郎兵衛、鳥居彦右衛門尉、平岩七之助も動作を共にした。
「三郎兵衛、たしか本多九蔵と渡辺半蔵は殊の外昵懇であったな」
「はい。合戦の最中、本多九蔵を看取ったは半蔵であったと聞いておりますれば」
「そうか、そうであった――」
戦場にて戦友を看取る。その出来事を抱えたまま、戦場に出て誰かを殺し、殺さなければならない。武士とはなんと辛い生物であるのか、元康は心の内で考察してしまう。
そんな元康へ、恐る恐る天野三郎兵衛が伝えねばならぬことを申し述べる。
「そうじゃ、先ほど岡崎の石川安芸守殿より使者が参り、植村新六郎と渡辺半蔵、石川彦五郎で手分けして各松平家へ大樹寺へ集まるよう書状を届けさせたとのこと」
「左様か。取次、まことご苦労である。そうじゃ、彦右衛門尉のところへ、酒井将監より便りは届いておらぬか」
「ははっ、駿府出立前に送った書状に返信がございました。明日、殿へ挨拶に伺いたいとのことにございました」
「ほう、明日か。酒井将監とも寺部城攻め以来会うておらぬゆえ、楽しみじゃ。彦右衛門尉も取次ご苦労じゃ」
天野三郎兵衛と鳥居彦右衛門尉は労をねぎらわれ、内心では喜びつつも破顔することはなかった。
そこへ、大樹寺から見ても岡崎城から見ても東に位置し、松平家の中で最も近くに位置する能見松平家。そこへ走っていた平岩善十郎が息を切らして戻ってきた。
「殿!遅くなり申し訳ございませぬ!」
「謝るな、さほど時はかかっておらぬ。何事かあったか」
「はっ、能見へ赴きましたところ、すでに準備を整えておられた当主の二郎右衛門殿がまもなく到着いたしまする由!」
「なにっ、もう来ると申すか。報せ大儀であった。七之助は善十郎に水を。声が枯れておるわ」
元康は平岩七之助に水を取りに走らせ、善十郎には今いる部屋にて休むよう申し付けた。
そうして、元康自身はまもなく到着する能見松平家当主・松平二郎右衛門重吉を出迎えるべく、門前へと急ぐ。
「殿、能見松平がすでに支度を終えていたとは、まるで我らの到着を見越していたかのようですな」
「予知夢でも見たのであろうか」
「ははは、そうやもしれませぬな」
急ぎつつも、元康は阿部善九郎からの問いかけにクスリと笑える内容で返しつつ、足早に門の方へと向かう。すると、開かれた門扉の向こうに、五葉雪笹の紋付羽織袴姿で馬に乗る老人と数名の供廻り、そして二人の童の姿が目に映った。
「おおっ!これは、殿!お久しゅうございまする!」
「松平次郎右衛門殿、よくぞ参られた。よくぞ某が参ることをご存じにございましたな」
「それは駿府におる孫からの便りで知りましてございます」
「孫?」
――駿府に松平某という孫などいたであろうか。
眼の前で主君の元康が思い出すのに苦労しているのを見て、松平次郎右衛門はニコリと笑いながら、意外な人物の名を口にした。
「石川与七郎数正は某の外孫にございまする。与七郎の父、石川右馬允の妻は某の娘にございまするゆえ」
「おお、そうであったか。それはさすがのわしも知らなんだ」
「ははは、娘が石川右馬允に嫁いだ頃、先代広忠公も元服前の若武者にございましたからな」
「そうじゃな。与七郎が生まれる前のことゆえ、それくらいになろうかの」
そうか、父がまだ幼少の折の話か。そう思うだけで、元康にとって太古の出来事のような気がしてくる。
「はい。ゆえに、殿がご存じでしたら、驚きのあまりこの老いぼれはくたばっておったやもしれませぬ」
「次郎右衛門殿、そのようなこと、冗談でも言われぬがよろしい」
「左様にございまするな。これは殿に一本取られましたわい」
「では、次郎右衛門殿。積もる話は寺内にて伺うといたしましょうぞ」
「そういたしましょう」
元康は次郎右衛門重吉の手を取り、共に門をくぐり、建物の内へと移動していく。そんな二人の当主の後ろを近侍らとともに、二人の少年少女が続いていく。
場所を門前より寺内の一室へと移した宗家と能見松平家の面々。元康はふと気づいたように、松平次郎右衛門重吉が連れている少年少女へ視線ともども話題を転じていく。
「次郎右衛門殿。そちらの少年は般若助が弟であろう。齢だけ答えて走り去ったのをよう覚えておる」
「おお、覚えていてくださったとは、ありがたきこと。齢も十二になりました」
「そうであったか。ふむ、あと二、三年もすれば元服となるか。能見松平家の通字は『重』ゆえ、重の後ろにもう一字つくこととなろうか」
「はい。元服後の諱についてはいずれ、考えようかと思うておりまする」
元服後の諱。元康が烏帽子親の今川義元より『元』を賜り、元信と名乗ったように、武士にとっては名こそ命。実に大切なものである。おそらく、松平次郎右衛門も父として、さぞかし悩んでいることであろうと、元康は推測した。
「某にとっては、五十二の年に生まれた子。それゆえに、可愛がりすぎた節がございまして」
「ははは、それは年齢に限ったことではなかろう。親が子に抱くごくごく自然な感情、それが愛情にございまするゆえ。わしも竹千代が可愛くて仕方がないのじゃ」
「おお、竹千代君。お会いする機会がございませぬが、ぜひ一度お目にかかってみとうございまする」
「実現できるよう、取り計らおうぞ」
すでに六十三の老体である松平次郎右衛門重吉。己の余命を考え、生あるうちに時代の松平宗家の主に一目会いたいと思っての言葉であった。それゆえに、元康も実現できるよう前向きに考えたいと思って出たのが今の返事であった。
「そうじゃ、彦右衛門尉。そなた、般若助の弟よりいくつか齢が下の妹がおると申しておらなんだか」
「はっ、おりまする」
「うむ。どうじゃ、そなたの妹と般若助が弟を娶わせるというのは」
元康からの思いがけない提案に、鳥居彦右衛門尉はもちろん、松平次郎右衛門も驚きに目を見張っていた。
「殿、鳥居彦右衛門尉殿の妹御となれば、あの鳥居伊賀守忠吉殿の娘御となるわけですな」
「うむ、さすれば本多作左衛門重次とも相婿の間柄となる。宗家と能見松平家の縁を強める、まことに良き縁談と心得るが」
「某としては異存ござらぬ。後は、鳥居伊賀守殿のご存念次第にございましょうな」
「父も殿御発案の縁組と聞けば、喜んで首を縦に振りましょう。ただ、父が別に嫁がせる相手を考えておるやもしれませぬゆえ、すぐにも問い合わせておきまする」
「かたじけない」
意外にとんとん拍子に話が進みそうな状況に、元康としても安堵していた。これで「ならぬ!」などと言われた暁にはどうしようかとまで考えていたほどなのだ。
「そうじゃ、そちらに控えておられる少女は初対面じゃ」
「はっ、こちらは我が兄、阿知和玄鉄が一人娘にて、於久と申しまする」
「お殿様、於久と申します」
「これは礼儀正しい子じゃ。要するに、次郎右衛門殿の姪ということじゃな」
「はい。今日は能見の館へ遊びに参っておりましたゆえ、せっかくだからと思い、勝手ながら連れて参った次第にございまする」
元康から見て、一回りほど下であろうか。まだ十もいかぬ少女は落ち着き払った風であり、礼儀作法がしかと身についている点も心証がよかった。
「於久、わしが松平蔵人佐元康じゃ。存じておるか」
「はい。叔父上からよくお話を伺っております」
「そうかそうか」
元康が「姪っ子にわしの話をしておるのか」と言いたげな視線を送ると、照れくさそうにする松平次郎右衛門。なんとも可愛げのある老人だと思い、元康は自然と笑いがこみ上げてくる。
「いずれは主君である今川家より許可をいただき、岡崎へと帰って参るつもりじゃ。その折には、城勤めなどしてみるか」
「はい。お殿様がせよと申すならば、於久は喜んでお受けいたします」
何とも素直な少女であった。三河武士の気風を受け継いだ感じのする少女に、心打たれる何かがあった。
「よし、そなたの夫もわしが見繕おう。次郎右衛門殿、それでもよろしいか」
「はっ、ありがたいことにございまする。兄も喜びましょう」
自分で娶りたいとは思わなかったが、誰か良い夫を見つけてやりたい。そんな風に思えてならない少女、それが於久であった。
「殿、此度の三河入り。やはり、織田攻めにございまするか」
「さすが、百戦錬磨の古強者は気づいたか。いかにもそうじゃ。どのような陣立てになるかは分からぬが、出陣の命があれば受けられるよう、支度を進めておいてはくれまいか」
「はっ、承知いたしました」
かくして、能見松平家へ出兵の心積もりをしていくよう伝えたところで、会見は終了。たちまち能見松平家の人々は能見館へと帰還していったのである。
そして、陽が傾き始めた頃。能見松平家に続き、岡崎の南西、矢矧川を隔てた対岸に位置する桜井松平家の一行が到着した。山桜の家紋の入った旗を掲げ、百にも満たない手勢で大樹寺へとやってきたのである。
当主・松平監物は一人の男子を連れ、寺門の前にて元康へ面会を申し入れ、返答を静かに待っていた。
「殿、松平監物殿が参られました」
「おお、急ぎ出迎えるとしようぞ」
元康は天野三郎兵衛、阿部善九郎、鳥居彦右衛門尉らを引き連れて、桜井松平家当主・松平監物を出迎える。
「これは、松平監物殿。よくぞお越しくださった」
「蔵人佐殿が大樹寺に参られると耳にいたしましたゆえ、馳せ参じました」
「品野城を織田軍より死守した武勇、さすがというほかございませぬ」
「ははは、西加茂郡を瞬く間に制圧した蔵人佐殿に比べれば大した武功ではござらぬ」
談笑しながら場所を屋内へと移し、ここ数年の織田方の動きについて談じていく。とはいえ、互いの武名を持ち上げ合うばかりで、互いに謙遜する様はかえって嫌味の要素を大きくしていく。
「そうです、出発前に福釜と藤井より使者が参り、大樹寺には明日参るとのことにございました」
「左様にございましたか。明日は他にも大草と滝脇、あとは上野城の酒井将監も参ると報せを受けております」
「ほう、酒井将監殿も参ると」
桜井松平監物と酒井将監はともに広畔畷の戦いにて、協力して元康の父・広忠と合戦に及んで以来の間柄である。
松平監物はその折の話を、まるで子供に昔話でも聞かせるように穏やかな声色で話していく。
「なるほど、父は桜井松平監物殿を相手に勝利を収めていたのですな」
「いかにも、あの折の広忠公の雄姿が瞼の裏に焼き付いて、今でも夢に見まする」
「ははは、左様にございまするか。父は監物殿の心の中で生きておる。それを聞き、この元康も嬉しき限り」
もはや広畔畷の戦いも天文十四年、今より十五年も前に行われた合戦ということもあり、松平宗家当主と桜井松平家当主とで笑い話にできるような話題となっていた。
「そうじゃ、蔵人佐殿。こちらへ参る道中、深溝よりも使者が参り、共に大樹寺へ参らぬかと誘われ申した」
「ほう、誘われたと?」
「はい。されど、大樹寺まであと一里半ほどにございましたゆえ、丁重に断り、今に至りまする」
「なるほど、そうでございましたか。深溝松平には確か、監物殿の妹御が嫁いでおるとか」
「いかにも。妹の光が今の当主である大炊助好景に嫁いでおりますれば」
松平監物と話す中で、深溝松平と桜井松平のつながりを再確認した元康。その後も桜井松平監物とのやり取りの中で、松平の事情を知っていくのであった――




