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不屈の葵  作者: ヌマサン
第3章 流転輪廻の章
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第67話 冷徹な裁きと政の選択

 永禄元年も秋も深まり、冬の気配がちらつくようになった頃。年が変われば二十六となる織田信長は先日、使者を派遣してきた武田家臣・秋山善右衛門尉虎繁に宛てた書状をしたためていた。


 そこへ、信長の七ツ年上の黒母衣衆筆頭・河尻与四郎秀隆が早足でやってきた。その様子からして、何か変事があったのだと、信長は持ち前の野性的な感性でもって察知する。


「殿、書状をしたためておられる折に申し訳ございませぬ」


「よい、おれの最古参の家臣である河尻与四郎ゆえ、許す。して、末森で何か変事でも起こったか」


「はっ、先日、武蔵守信成さまが岩倉に書き送った書状を草の者が入手いたしましたゆえ、ご披見くださいませ」


「で、あるか。末森から岩倉へとは剣呑至極。おれが上洛し、軍勢を岩倉へ派したならば、末森の軍勢をもって那古野、清洲を脅かすとでも記してあったのであろうが」


「ご、ご推察の通りにございまする……!」


 河尻与四郎は若き主君の鋭い観察眼に驚かされていた。その洞察力と、決断力。先代信秀を上回っているのではないかと、彼の近くに侍れば侍るほど、感じてしまうのである。


「やはり、か。まったく武蔵守もつまらぬことを考える」


「はっ、つまらぬことと仰せられても、そう楽観視もできぬことかと」


「で、ある。河尻与四郎、まだ何か隠し事をしておろう」


「はっ、ははっ!書状を殿にお渡しすべく登城してきた折、意外な人物が訪ねて参りましたゆえ、刀を預かったうえで隣の間にて控えさせておりまする」


「ほう、どこぞの家来でも参ったか」


 信長は視線の動きで、河尻与四郎にその人物をここへ連れてくるように指示。察しのいい河尻与四郎はすぐにも隣の間へ向かい、その人物を連れてきた。その人物は、さしもの信長であっても予想すらできなかった人物だったのである。


 信長よりも十二、河尻与四郎よりも五ツ年上の武士は蓄えた虎髭と日焼けが印象的な古強者は信長の前にどかりと着座すると、礼儀正しく一礼してみせた。


「上総介殿、お久しゅうございます。柴田権六勝家にございまする」


「ほう、よもやこの清洲に鬼が来るとは思わなんだ」


「はっ、これには相応の理由がございまする」


 鬼柴田の異名をとる柴田権六。彼の真っ直ぐな瞳を信用に足ると判断した信長はすぐにも仔細を述べさせた。


「近頃、武蔵守さまは津々木蔵人を重用なされ、某の言葉に耳を傾けてもくださらず」


「うむ、弟が津々木蔵人なるものを重用しておること、おれも存じておる。よもや、そなたほどの古強者がそれだけの理由でおれの元に参ることはなかろう」


「はっ!実は、岩倉城の織田伊勢守家と結び、武蔵守さまは再び上総介殿への謀反を企てておりまする!」


「で、あるか」


「謀反だけでなく、二年前に押領せんと謀った上総介殿が直轄地、篠木三郷を再び押領せんと企てておる由。某は諫止いたしましたが聞き入れられず、ついには津々木蔵人と某の謀殺を企てている風説を耳にいたし……」


 信長はついに柴田権六の言葉を遮った。必要な情報はすでに得られた。それゆえの制止であったのだ。


「今よりおれは風邪を召す。ゴホッゴホッ」


「は……?」


「与四郎、おれを寝所まで連れていけ。そして、おれは重体、これはひょっとすると逝ってしまうのではないかと末森近辺に流布させよ」


「しょ、承知仕りました!権六どのは殿が清洲城にて病に倒れられたこと、そっと武蔵守さまへお伝えあれ」


 信長の意図を汲んだ河尻与四郎秀隆はすぐ隣にいた柴田権六へと伝え、それを見届けた信長はその場でバタリと倒れ込むのであった。


 ――そして、十一月二日。


 その日の清洲城には織田武蔵守信成の姿があった。


「河尻与四郎、兄上の容態やいかに?」


「はっ、まこと芳しくなく、薬師の見立てでは今晩が山である、と」


 河尻与四郎の言葉を複雑な面持ちで受け止めた織田武蔵守は同母兄・信長の寝所へと通された。


「兄上、武蔵守信成が参りました」


「おお、武蔵守か。近う寄れ」


「ははっ!」


 灯りも最低限しか灯されていない空間の中、織田武蔵守はほとんど足音を立てずに信長へと近づいた。わずかな灯りに照らされる信長は、頬が瘦せこけているようにも見えた。


 しかし、それを見て油断したのもつかの間、布団を蹴って飛び起きた兄の横薙ぎの一閃が武蔵守の腹部に一文字の傷を刻み付けていた。


「あ、兄上……!な、何ゆえこのような……!」


 信長はそれ以上、弟に喋らせる様な真似はしなかった。信長の目くばせにより、傍に控えていた河尻与四郎、青貝某からも一太刀浴びせられ、何の抵抗をすることもできず、血だまりの中に突っ伏したのであった。


「と、殿。終わりましてございます」


「両名ともご苦労であった。下がってよいぞ」


 織田武蔵守信成、死す。享年二十三。


「勘十郎、すまぬ……!まことすまぬ……!」


 誰もいなくなった寝所にて、信長は事切れている弟の遺体にすがって嗚咽する。


 弟に一太刀浴びせた後、それ以上何も言わせなかったのは苦しむ弟への慈悲でもあり、何より弟を手にかけた信長自身が罪悪感で押しつぶされそうであったからに他ならない。


 何より、織田武蔵守信成の処断はその子供や家臣たちにまで類が及ぶようなことはなかった。武蔵守の遺児・坊丸は助命され、信長の命令により柴田権六が養育することとなった。


 そんな柴田権六も正式に信長の臣下となり、以後は信長の下で活躍していくこととなる。


 そうして、信長が苦渋の決断で弟を処断した十一月。畿内情勢にも大きな変化が表れていた。


 南近江の六角義賢が和睦を仲介したことで、将軍・足利義輝と三好長慶の和睦が成立。翌十二月には五年ぶりの入洛が実現し、足利義輝は直接的な幕府政治を再開したのである。


 足利義輝は三好長慶や細川藤賢、伊勢貞孝を従え、二条法華堂こと妙覚寺に入り、ここを御座所とした。そのことは、将軍との謁見を望む信長の耳にも入ることとなった。


「左様か。公方様が京に入られたのならば、上洛は予定通りのことといたそう」


「では、それまでは岩倉城は力攻めにはせぬ、と」


「いかにも。兄者には岩倉城の包囲を任せたい」


「うむ、承知。公方様が入洛されたと聞けば、他の大名らも上洛を試みましょうゆえ、早い方がよいでしょうな」


 信長としても、異母兄・三郎五郎信広と同じことを考えていた。しかし、上洛の準備ともなれば、そう簡単に整うものでもなく、一刻も早く上洛したいと願っても資金調達の問題は容易く解決するものではなかった。


「兄者は上洛してくる大名は誰であると思うか」


「それは殿と対立している美濃の斎藤治部大輔、越後の長尾景虎あたりでしょうや。あとは、駿河の今川治部大輔義元もそうでしょうか」


「今川はともかく、斎藤と長尾はおれも上洛してくると考えておる。斎藤家は幕府政所頭人である伊勢貞孝とは縁戚」


「確か斎藤治部大輔の娘が伊勢貞孝の子・貞良に嫁いでおりましたな。その縁もあって織田に対して良からぬことを謀る恐れはありましょう」


 信長の側にいるうちに戦略眼が磨かれてきた三郎五郎は的確に信長の心中を言い当ててみせる。そのことに感心しながらも、信長は発言を続ける。


「うむ、長尾景虎は遠国越後にあるが、六年前に一度上洛を果たし、天子様への拝謁も叶っておる。ゆえに、上洛への足取りは軽かろう」


「でしょうな。初めて上洛するのと、一度でも上洛したことがあるのとでは雲泥の差。ましてや、長尾景虎は公方様とも親しき間柄。来年早々に上洛してくるは必定かと」


 三郎五郎の言葉に、信長は静かに頷く。それだけでよいほど、今の三郎五郎信広と言う男は信長の意図を汲み取ることができる存在になっていた。


 かくして、改元において一悶着あった永禄元年は暮れ、永禄二年となった。織田信長が上洛を試み、誰よりも早い上洛を目指して支度を進める頃。東の駿府では相も変わらず畿内情勢に影響されない平和な秩序が維持されていた。


 元旦の駿府館には正装に身を包んだ松平蔵人佐元康の姿もあった。


「御屋形様、あけましておめでとうございます」


「おお、松平蔵人佐。よくぞ参った。本年もよろしく頼むぞ」


「ははっ、この松平蔵人佐元康、御屋形様の御為、今川家のために今後とも変わらず奉公して参る所存にございます!」


「うむ、期待しておるぞ」


「はっ!」


 今川家の人質となり、毎年の恒例行事として行われてきた出仕。これで駿府にて元康が今川家当主に出仕するのも今年で十回目となっていた。


 屋敷へ帰った元康はともに駿府館へ参った重臣・酒井雅楽助政家と屋敷の縁側に腰かけ、澄み切った寒空を眺めながら、ぽつりぽつりと話し始める。


「雅楽助、わしが今川家の人質として駿府で生活するようになり、はや十年。ここまで長かったような、短かったような、不思議な心地がする」


「はっ、左様にございまするな。あの折はまだ八ツであらせられた殿も十八になられ、この雅楽助も二十九であったのが、三十九となっておりまする。まこと、月日が経つのは早うございまするな」


 感慨深そうに成長した元康の横顔を眺める酒井雅楽助政家。元康の初陣での手並みに感嘆し、子供の頃に見た先々代の清康の面影を重ねて見てしまうようになっていた。


「そうじゃ、確か雅楽助。そなたの奥方も懐妊しておったな」


「はい。産み月まであと半年ほどにございまする」


「そうであったか。であれば、今瀬名の腹の中におる子の良き話し相手ともなろう」


「殿の御子が嫡子で、某の子もまた男であったならば、近侍させたく存じます。そうじゃな。そうなれば、近侍させるのも悪くはないの」


 互いに生まれてくる子のことを考え、あれやこれやと談じていると、三河より渡辺半蔵守綱が弟を伴ってやってきたという一報がもたらされたのであった。


「ほう、渡辺半蔵が参ったか。よし、これへ通せ」


 元康の許可を得て、書院へと入室してきたのは元康と同じく十八となった渡辺半蔵守綱と、その弟で十六歳となった渡辺新左衛門政綱の兄弟であった。


「おお、半蔵ではないか。その手に持っておる書状は誰ぞから文を預かって参ったか」


「はっ、こちらは鳥居伊賀守さまから預かって参りました」


「うむ、後ほど返書をしたためるゆえ、しばし待ってはくれまいか」


「もとよりそのつもりにございまする!」


 ひとまず、近侍の鳥居彦右衛門尉元忠の実父・鳥居伊賀守忠吉が書状を書見台へ置き、改めて渡辺兄弟へと向き直った。


「半蔵。そちの隣におるのは、わしが墓参した折に大樹寺で会うた渡辺半十郎ではないか?」


「はっ、その通りにございます!」


「殿!お久しゅうございます!渡辺新左衛門政綱にございまする!」


 二年前の墓参りの折よりも大人びた容姿となった新左衛門。それを元康は心の底から頼もしく思った。


「そなたら兄弟はまこと武芸に優れておる。日々鍛えておることは体の肉付きをみれば、わしにも分かる」


「はっ、すべては殿の矛となり、盾とならんがためにございまする!」


「ははは、実に頼もしい。わしもお主ら兄弟もまだまだ若い。ともに切磋琢磨し、武士としてさらなる高みを目指して参ろうぞ」


「「は、ははっ!」」


 思いがけない主君・元康からの激励に、渡辺半蔵・新左衛門兄弟は驚き入ったものの、その表情は実に喜びに満ちたものであった。


 元康は一通り渡辺兄弟を褒め、ここまで書状を届けてくれたことの労をねぎらうと、書見台の前へと座りなおした。それは、七十近い鳥居伊賀守よりの書状を読み、急ぎ筆と硯を持ってこさせて返書を認めていく。


「殿、一体どのような内容であったので?」


「うん?ああ、この元康が岡崎を留守にしておるゆえ、重臣らに政治運営は任せっきりじゃ。ゆえに、重臣らによる政治運営と元康の関係性について、改めて定書さだめがきを下してほしいとのことじゃ」


「な、なるほど……?」


「ははは、お主らには難しかろう。この返書には、御屋形様の許可なく行うことはできぬゆえ、しばし待ってくれと、かように記してある。鳥居伊賀には駿府の御屋形様からの許可と指示を得た暁にはすぐにも定書を下すと言伝を頼む」


「しょ、承知いたしました!」


 渡辺半蔵は弟ともに元康からの伝言を胸に刻み、手渡された返書を持って三河への帰途についた。


「殿、何ぞ調整が必要なことなどございましたら、この雅楽助にもお申し付けくだあれ。某ならば三河へ赴き、直に会って内容をすり合わせることもできまするゆえ」


「そうじゃな、その必要があれば頼むことといたそうぞ」


「御意!」


 かくして、元康は新年早々政に関することで駿府館へお伺いを立てに向かうのであった。

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