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不屈の葵  作者: ヌマサン
第3章 流転輪廻の章
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第60話 長い戦人生の幕開け

 まだまだ寒さが厳しい時期ため、更に衣を重ね着するという意味から「衣更着きさらぎと名付けられたという如月。


 寒さが答える二月四日の明六つ。松平蔵人佐元康率いる松平勢は岡崎城下に集結。元康の手勢一千。そこへ、齢六十一の松平二郎右衛門重吉率いる能見松平の手勢五百が加わり、都合一千五百。


「殿、いよいよ御出陣にございまするな!」


「うむ。此度の戦、是が非でも勝たねばならぬ。この戦の先鋒は石川彦五郎。本隊には酒井雅楽助、阿部善九郎、平岩七之助、鳥居彦右衛門尉、渡辺半蔵、本多作左衛門・九蔵兄弟、足立弥一郎・甚尉兄弟、内藤弥次右衛門、内藤三左衛門を伴うことといたす」


 元康は参集した家臣らの顔を流し見ながら臍を固める。能見松平家からは松平二郎右衛門の他に、次男・般若助重茂、家臣・名倉惣助らも同じく、元康の決意を帯びた瞳に、静かにうなずき返すのであった。


「よろしいか!我らはこれよりただちに出陣する!古より兵は神速を貴ぶと申す。ゆえ、行軍は迅速を心掛けていただきたい!」


 元康は平岩七之助に命じて広げさせた地図の上に進軍路を示していく。


 岡崎城を出た後は、能見松平家の能見館と大樹寺を経由し、かねてより松平和泉守親乗より城を使用しても良いと許可を得ている大給松平家の支城・細川城に入る。そのような行軍路となっていた。


「殿。細川城へ入りし後、いかにして寺部城を攻められまするか!」


「おお、渡辺半蔵か。良き質問ぞ。細川城へ入りし後には川を押し渡り、北上。南の野見山砦攻めをもって開戦の烽火といたす」


 元康の言葉に、全員が聞き入った。そうして全軍は陽が昇る頃、細川城へと入城。そこに、酒井将監からの使者・榊原七郎右衛門長政が到着した。


「これは松平蔵人佐さま。お久しゅうございます」


「おお、榊原七郎右衛門か。早速本題じゃが、ここまで来られたわけを聞かせてくれぬか」


「はっ、我が主は上野城より北進。寺部城とは川を挟んで南西に位置する拳母砦を攻め落とす所存にございます。その点、松平蔵人佐さまより異存ございませんでしょうか」


「異存ない。酒井将監には互いに首尾よく事を進めようと伝えてくれよ」


 酒井将監よりの使者、榊原七郎右衛門は元康に一礼して退出。それから細川城は慌ただしくなった。


 細川城を発った松平勢一千五百は疾風のごとく突き進み、寺部城南の野見山砦を視界にとらえた。


「さぁ、皆の者!この野見山砦陥落を持って、開戦の狼煙といたす!一刻のうちに攻め落とすのだ!かかれぇ!」


 元康の号令一下、野見山砦南より鬨の声が上がった。獲物を捕らえた猛虎の如き勢いで野見山砦へと矢を射かけ、我先に突撃していく。


 攻め寄せる松平勢が一千五百。対して、野見山砦の守備兵はわずかに百。兵力差は十五倍であったうえに、完全な奇襲攻撃であったため、まともに防衛することも、狼煙を上げる暇もなく砦は陥落してしまったのであった。


「殿、初手の野見山砦攻めは我らの勝利にございます!」


「おう、彦右衛門尉。ここで手を止めてはならぬ。敵が野見山砦陥落を知るよりも早く、寺部城を目指さねばならぬ!」


 元康は鳥居彦右衛門尉を叱咤し、緒戦の勝利に歓喜する松平兵を制止する。そうして、砦の陥落から時を置かず、北上した松平勢は寺部城から半里南の曽根という地へ布陣したのである。


 そんな松平蔵人佐元康率いる松平勢の動きはすぐにも寺部城主・鈴木重辰の元へと届けられた。


「なっ、なんだと!?野見山砦が陥落し、曽根に布陣しているじゃと!?」


「はっ、その数一千五百!」


「くっ、なんという迅速な行軍……!おのれ、戦経験のない若造と侮っておったわ!」


 歯ぎしりしながら伝令からの報告を受け止めた鈴木重辰。櫓の上から南の方角を眺めてみれば、木々の隙間から悠々と丸に三つ葉葵と五葉雪笹の旗が風に靡いているのが視界に入る。


 知らず知らずのうちに初戦が敗退に終わったことに焦りを覚えている鈴木重辰の元へ、伝令が血相を変えて駆け込んでくる。


「殿!」


「いかがした!」


「川を挟んで南西の拳母砦が上野の酒井将監率いる一千の奇襲を受けて陥落!酒井隊は同じく川を挟んで城の西北西に位置する梅坪砦を包囲したとのこと!」


 梅坪砦から今さら空へと打ちあがる狼煙に鈴木重辰の怒りと焦りは頂点に達した。今から三宅高貞が狼煙を確認したとしても、狼煙の上がった梅坪砦の方面へと出馬してしまう。


「あの三河一のおとな、酒井将監忠尚が相手では高貞殿では相手にならぬ!うぬっ、お主はすぐにも広瀬城へ走り、敵本隊は城南の曽根に着陣しておると伝えて参れ!」


「はっ!承知仕りました!」


 先ほど走り込んできた伝令は、またもや任務を全うするべく広間を飛び出していく。


「誰かおらぬか!」


「これに!」


「佐久間右衛門尉殿にもこのことをただちに報せ、援軍を要請して参れ!」


「拝命仕りました!」


 正午の寺部城から急使が飛び出していく。なんとも慌ただしいものであったが、あまりに急な事態に、広瀬城主・三宅高貞はまったく対応できずにいた。


「なんと!?寺部城すぐ南まで松平勢が来ておるとか!?」


「はっ!おそらく、降伏勧告の使者を出してくるものと思われまする!」


「承知した。じゃが、この距離を行軍するだけでもざっと一刻はかかる。これより出陣の支度をいたすゆえ、それも鑑みれば二刻は見ていただきたい!それでは申の刻!夕刻ではございませぬか!」


「それくらい見てほしいと申したまで。多少の前後はお許し有れと重辰殿へお伝えあれかし!」


 使者は悔しさを噛み殺しながら広瀬城を退去。ただちに寺部城へと引っ返していった。


「何っ!高貞殿の援軍は申の刻到着になりそうじゃと!」


「はっ、何分にも急なことゆえ、お許しあれと……!」


「話にならぬわ!」


 手にした扇子を床にたたきつける鈴木重辰。彼は先ほど勇ましく元康からの降伏勧告の使者を追い返した後なのである。松平勢の思惑通り、敵方が狼狽えていることを降伏勧告の使者を務めた者から聞き出した元康はほくそ笑んだ。


「殿。ここは我ら能見松平の軍勢に後を任せてはいただけませぬか。先ほど、当家の斥候がしきりに使者が寺部城と広瀬城の間で行き来しているところを目撃しました。おそらく、こちらへの奇襲でも考えておるのでしょう」


「さすがは老練な次郎右衛門殿。じゃが、奇襲が真であったら、能見松平勢五百だけでは防ぎきれまい」


「なんのなんの。鈴木や三宅の小倅どもに退けは取りませぬ。この周囲の森や川の地形を活かして迎撃するつもりにございますれば。何より、当家が広瀬城の三宅勢を食い止めている間、広瀬城を攻め落とす絶好の好機にございますぞ」


 能見松平次郎右衛門重吉が申していることはまさしく『攻撃は最大の防御なり』であった。


「よし、ではここは能見松平勢に託すといたす。我らは西の川を渡り、梅坪砦の酒井隊と合流するぞ!」


 元康は松平次郎右衛門からの進言を容れ、西へと移動を開始。その際、少しでも数を多く見せられるように丸に三つ葉葵の旗も数多く預けていったのであった。


「殿、某は一足先に酒井将監殿が陣へ赴き、このことを伝えて参りまする」


「うむ、頼んだぞ善九郎」


「はっ!では、行ってまいります!」


 元康の近侍、阿部善九郎正勝は馬に一鞭当て、酒井将監が元へ、主・元康が梅坪砦へ向かってきていることを報じた。


「阿部善九郎、ご苦労であった。主力が曽根に集結しているように見せ、その間に寺部城の周辺を制圧してしまう松平次郎右衛門殿の策もお見事。そして、殿もよくぞご決断なされた!ならば、殿が合流なさりし後、梅坪砦を攻め落とすことといたそう」


 酒井将監へ今後の動きを伝えた阿部善九郎は再び馬にまたがり、元康の元へと引っ返していく。


「殿、何やら嬉しそうにございますな」


「おお、大須賀五郎左衛門尉か。なに、此度の殿の勢いはまさしく小覇王といえよう」


「小覇王と申さば、後漢の孫策のことでしょうや」


「まさしく。若者らが多数を占める殿の本隊が時流の読めぬ者らを蹴散らしていく。まさしく、古の孫策と重なるものがあるであろう」


 大須賀五郎左衛門尉は主・酒井将監の申すことはもっともだと思った。何せ、初陣とは思えぬ迅速行軍にて寺部城へと迫り、力攻めを行うかと思えば矛先を転じていく。類まれな決断力であると言えた。


 そんな元康率いる本隊一千は一刻とかからず、酒井将監隊が包囲する梅坪砦へと到着した。


「殿。では、始めまするか」


「うむ。織田の援軍が入らぬうちに一挙に攻め落としてしまおうぞ」


「で、ありまするな。然らば、我らが先鋒を承りまする!」


 梅坪砦攻めは意気軒昂な酒井将監隊を先鋒としたこと、兵力差二十倍ということもあり、瞬く間に梅坪砦は陥落。守備兵の大半が討ち死にし、残りは四方八方へと逃げ散っていった。


「さすがは三河一のおとな、見事な采配であった」


「いえいえ、殿の本隊が援護してくださったおかげにございます。さぁ、このようなところで歩みを止めている暇はございませぬぞ」


「もっともじゃ。ならば、次は伊保砦となろうか」


「そうなりまする。されど、織田の援軍が動くことも考えられまするゆえ、殿は

 この梅坪砦を本陣として今しばらく戦況を眺めし後に出陣していただきたい」


 たしかに、酒井将監の申すことはもっともであった。伊保砦ともなれば、織田領からもすぐに駆け付けられる。ひとまず、援軍が来ないかどうかだけでも様子を見る必要は大いにあった。


「うむ、酒井将監が進言を聞き入れ、本隊はこの梅坪砦を本陣とし、今しばらく戦の成り行きを見てから行動を起こすことといたす!者共、良いな!?」


「「おうっ!」」


 元康の声に反応して、あちこちからそれに応える声が上がる。その声に込められた勇ましさたるや、強兵の証であった。


「然らば、我らはこれより伊保砦へ進軍いたします」


「うむ、頼んだぞ」


「はっ、お任せくだされ」


 戦場の風に白髪をなびかせながら、手勢一千を率いて梅坪砦を出撃した酒井隊は一直線に伊保砦へ向けて進軍していく。勇ましく片喰紋の旗をなびかせながら北進する酒井隊の姿が小さくなった頃、内藤弥次右衛門が元康の前へと進み出た。


「いかがした、内藤弥次右衛門」


「ははっ、岩崎城を含め、尾張方面へ風説を流布することで来援を防ぐ妙案がございます」


「ほう、風説とな」


 内藤弥次右衛門清長が提案した風説によって援軍が来ることを阻む策。


 それは寺部城主・鈴木重辰と広瀬城主・三宅高貞はすでに今川方に降っており、織田軍を三河の地におびき出して、松平勢とともに完膚なきまでに葬り去る企てがあるといったものであった。


「うむ、それならば織田方も警戒して迂闊には動けまい。その疑念が晴れるまでに加茂郡制圧を成せば我らの勝利である。そう申したいわけか」


「はい。殿のおっしゃる通りにございます」


 元康は内藤弥次右衛門からの進言を聞き入れるなり、迅速に行動を開始した。まずは陣営でしゃべりの上手い物を十数名選抜し、尾張国へと解き放ったのである。あとは、噂が短期間でどこまで広まるか、それ次第であった。


 また、尾張へと続く街道にも人を何人か走らせ、織田の援軍が来る気配はないとの情報を得た後、ついに本隊も行動を開始。


「よし、我らも伊保砦へ向け出陣する!梅坪砦同様、伊保砦もあっという間に攻略してやろうぞ!」


 そうして、さほど時を置かずして梅坪砦を出立した元康本隊は北上して酒井隊と合流。伊保砦もまた、ろくに防衛することも叶わず、陥落と相成った。


 しかし、その伊保砦から上がった狼煙が寺部城へ向けて出陣中の三宅勢の動きを大きく変えることとなる。


「なにっ、伊保砦方面から狼煙じゃと!?」


「はっ、おそらく敵勢は寺部城をすぐには攻めず、周辺の砦攻略を始めたのではないかと!」


「むむむっ、ならば我が広瀬城とて危うくなるではないか。こうなれば、向かう先は寺部城ではなく、波岩砦へ急行することといたす!皆の者、急げ!急ぐのだ!」


 あと半刻で寺部城に着くというところで、三宅高貞率いる三宅勢八百は進路を大きく変えた。向かう先は伊保砦と居城・広瀬城の間に築いたばかりの波岩砦。


 その波岩砦には片喰紋の旗指しをつけた一団が進軍していたのだが、はたして波岩砦をめぐる攻防戦がどのように推移するのか。


 今、上野城の酒井将監忠尚と広瀬城主・三宅高貞の間で戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた――

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