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不屈の葵  作者: ヌマサン
第3章 流転輪廻の章
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第52話 福谷城の戦い

 ここは岡崎の北、三河国福谷(うきがい)。元信が駿府へ帰って数日が経過したこの日、この地に築かれた福谷城に織田軍が攻撃を仕掛けてきていた。


「柴田様!あの程度の小城、一気に踏みつぶしてしまいましょうぞ!」


「無論じゃ!とっとと陥落させて、我らが主に良き報告をしようではないか!」


 攻め寄せる織田軍二千の大将は柴田権六勝家。若い頃から数多の戦場を往来し、三十五歳となった猛将の視線の先にある城。それこそが、福谷城であったのだ。


 そんな福谷城を守るのは酒井左衛門尉忠次、福谷城を居城とする土豪の原田氏重らであった。


「酒井様!敵数およそ二千!織田木瓜の旗を確認いたしました!」


「よし、敵は我らを侮っておろうで、その傲慢さに付け入るぞ。そなたは岡崎へ走り、援軍を求めて参れ!そして、原田殿には城を固く守るように伝えてくれ」


「委細承知!酒井様はいかがなされるので?」


「某は兵三百を率いて打って出る。残る二百は原田殿の手勢ゆえ、このまま城の守りを委ねる所存。そうじゃな、今申したことも原田殿に伝えてくれ」


「ははっ!」


 酒井左衛門尉忠次は一通り指示を出し終えると、出撃準備に入った。そうしている間に柴田権六に率いられた織田勢は福谷城郊外へと殺到した。


「柴田様!どうにも敵は籠城の構え、我らの数に恐れをなしたのでございましょうや」


「そうであろう。時をかけては今川の援軍が来るやもしれぬゆえ、城攻めに時はかけられぬ。力攻めで攻略することといたそうぞ」


 どのように城を攻めるか、誰と誰がどこを受け持つかなどの軍評定いくさひょうじょうを開いていると、慌てた様子で一人の伝令兵が駆け込んできた。


「も、申し上げます!」


「おお、いかがした」


「て、城方が打って出て参りました!その数、およそ数百!」


「ははは、血迷って打って出てきたか。こちらは二千おるのじゃ。陣形を整えて迎撃。その打って出てきた者共を殲滅次第、城攻めを開始するといたそうぞ」


「おうっ!」


「者共、支度にかかれ!」


 鬼柴田、かかれ柴田と呼ばれる男が開戦を決断するのにそう時はかからなかった。瞬く間に全軍へ指示が行き渡り、酒井左衛門尉率いる松平勢と正面から激突。激しい斬り合いとなった。


「敵は数が多いが、我らは少数精鋭!敵本陣に斬りこみ、敵将を討ち取る!さすれば有象無象は四散するゆえ、ここば正念場と心得よ!」


 自ら太刀をふるい、織田兵へと斬りこんでいく酒井左衛門尉。その勇敢な姿に松平兵は奮起し、その気迫に織田兵が気押され始める。


「ええい!何をしておるか!この柴田権六が来たからには退くことは許さぬ!」


 煙と土埃が舞う中、柴田権六の振るう槍が一人、また一人と松平兵を打ち倒していく。


「柴田様、馬を!」


「おうっ、ご苦労!このまま前進し、酒井隊を蹴散らすぞ!我に続け!」


 酒井左衛門尉率いる松平勢の攻勢に押されつつあった織田軍。しかし、柴田権六が前線へ出てくると戦況は織田軍優位に傾いていく。


「酒井様!さすがに数が違いすぎまする!」


「このままでは支えきれなくなりまする!」


「くっ!しかし、ここで退いては追い討ちを受けて被害は甚大なものとなろう。されど、そなたらの言うようにこれ以上戦を継続するのは――」


 ――撤退。


 この二文字が脳裏に浮かんだ酒井左衛門尉の視界の右に、原田氏重の旗が飛び込んできた。


「酒井様!どうやら原田殿も打って出て参った様子!」


「あれは敵側面に突っ込むつもりのようじゃ。よし、敵の注意をこちらに引き付けよ!それこそ、織田軍を崩壊させる決定打となろう!皆、もうひと踏ん張り、織田に我ら三河武士の戦ぶりを見せつけてやろうぞ!」


 織田軍の猛攻に押されていた酒井隊であったが、もうひと踏ん張りだと織田兵へと果敢に向かっていく。三河武士たちの気迫に織田兵も気おされ、織田勢の注意は完全に目の前の酒井隊へと釘付けとなる。


 そこへ、城の守りを捨てて過半の兵を率いてきた原田氏重の号令一下、一斉に織田兵めがけて引き絞られた矢が放たれる。矢が織田兵に命中した直後、時の声を挙げての突撃が開始される。


 この異変に、織田兵に動揺が走る。大将・柴田権六は前線で槍を振るうよりも、味方を統制する必要に迫られることとなってしまう。


 そんな混乱する織田軍の目に飛び込んできたのは数百の松平兵が南から向かいつつあり、さらにその後ろからは今川赤鳥の旗が向かってきている事実であった。


「今川の援軍だ!はや城の救援に来たものらしいぞ!」


「ここへ来て今川軍とも戦うなど無理じゃ!」


 足軽らはたちまち逃げ腰となり、逃亡兵が一人また一人と出るなど、柴田権六にとって悪い状況へと事態が転がり始める。


「早川藤太!そなたの手勢で向かってくる酒井隊を足止めせよ!その間に態勢を整えるゆえ、しばらく時間を稼いでくれい!」


「承知いたした!権六殿はお味方の立て直しをお願い申す!」


 柴田権六は早川藤太と役割を分担し、部隊の立て直しを図る。そして、早川藤太はわずかな手勢で向かってくる酒井忠次・原田氏重両隊と戦端を開いた。


 早川藤太が福谷城に詰めていた松平勢と交戦する中、立て直しを図る柴田権六の本隊へ援軍に駆けつけた松平勢が迫る――


「大久保七郎左衛門どの、織田兵は混乱状態のようじゃが、いかがいたす」


「うむ、我らの隊が弓を射かけるゆえ、それにて敵が崩れたところへ、大原左近右衛門惟宗さまは阿部四郎五郎忠政、筧平四郎正重、杉浦八郎五郎勝吉らと柴田権六めがけて突撃を頼みまする」


「よしよし、これは楽しい戦になりそうじゃ!大原隊、突撃の支度をせよ!阿部四郎五郎どの、筧平四郎どの、杉浦八郎五郎どのの部隊へも突撃の支度をするよう伝令を!」


 数多の合戦にて槍働きをしてきた四十一歳の大原左近右衛門惟宗(これむね)。久しぶりの大戦おおいくさに歓喜している様子であった。その熱は松平兵に伝播し、士気はうなぎ登りとなる。


「よしっ、我らは弓の支度じゃ。弓隊、構え!よし――今じゃ、放て!」


 大久保七郎左衛門忠勝の号令で一斉に放たれた矢。次々に織田兵の胸板や頭部を射抜き、柴田権六隊の混乱に拍車をかけた。そこへ、待ちかねたとばかりに松平勢の突撃が決行される。


「筧平四郎、見参!雑魚に用はない!大将との一騎打ちを所望いたす!」


 配下の兵たちよりも先に敵兵に槍をつけたのは筧平四郎正重。三十四になる一人の三河武士は織田兵を槍にて突き伏せ、側面から組みつこうと試みた織田兵に蹴りを食らわせて転倒させたところを返す刀――いや、返す槍で仕留めてしまう。


「おう、今日も見事な槍裁きじゃな」


「おお、杉浦八郎五郎どのではないか。貴殿も存分に功名を立てられるがよかろう」


「ふっ、言われぬでもそうするわ!やあやあ、織田の者共!蟹江七本槍の一人、杉浦八郎五郎はこれにおるぞ!我こそはと思う者はかかって参るがよい!」


 筧平四郎正重に負けるとも劣らない槍技にて一人、また一人と織田兵叩き伏せていく杉浦八郎五郎勝吉。そんな槍にて敵兵と近接戦を繰り広げる彼らの横を弓を片手に走り抜けていく男が一人。


「へっ、あやつらと同じような戦いをしていては大手柄は上げられぬ!ここは得意の弓を用いてこそ、功名を成せるというものぞ」


 そう、弓に長じている阿部四郎五郎忠政であった。さすがは二十代という身のこなしにて敵兵の間をすり抜け、瞬時に狙いを定めて馬上の武者を狙撃。


「よいか!ここで退いては殿らに合わせる顔がないわ!戻って戦え、戦わんか!うぐっ!」


「し、柴田様!?」


 偶然にも阿部四郎五郎が射た馬上の武者は柴田権六勝家その人であった。肩を射られた柴田勝家は馬から転がり落ち、それがさらに織田兵の動揺を誘う結果となる。


「よしっ!敵将、この阿部四郎五郎忠政が射止めたり!この調子で殿の御心も射止めて見せようぞ!」


 まさか弓で射た相手が、寄せ手の大将・柴田勝家などとは露知らず、次なる獲物を求めて駆け出す阿部四郎五郎忠政。だが、阿部四郎五郎忠政の軽率な行動に、柴田権六は救われることとなった。


「し、柴田様!」


「う、うむ。肩を射られただけじゃ。泣くでない。じゃが、旗色は悪くなるばかり。これ以上無理に戦ったとて勝ち目はあるまい。殿軍しんがりはこの権六が務めるゆえ、順次撤退するよう各隊に指示せよ」


「されど……」


「されど、ではない!これは大将のめいぞ!それに従わぬというのなら、この場でそなたから切り伏せねばならぬ!」


「で、では、ご指示を伝えて参りまする!」


 傍にいた家臣が走り去るのを見届け、柴田権六は近くで落ち着かない様子の愛馬へ駆け寄る。素早く馬を落ち着かせると、再び騎乗。馬上にて撤退戦の指揮を執り始める。


 一方その頃、柴田隊に真正面からぶつかっていく酒井隊でも動きがあった。


「酒井左衛門尉どの、渡辺八右衛門義綱にござる!」


「おおっ、渡辺八右衛門どの!ご覧あれ、鬼柴田率いる織田勢が壊走し始め申した!」


「うむっ、しかと見ておったゆえ案ずるな」


 白髪頭の老将。弓を得意とする渡辺老人は酒井左衛門尉が追い討ちを仕掛けようとする様子を見て、城内からすっ飛んできたのであった。


「じゃが、追い討ちしようにも、あそこで奮戦する武士を倒さねば満足に追い討ち仕掛けることも叶うまい」


「いかにも。無策に近寄ろうとも屍を重ねるのみ。ゆえに、対策を練っておったところ」


「ははは、左衛門尉よ。お主は事を難しく考えすぎじゃ。儂が弓にて射止めてくれようぞ」


「この距離から、狙うおつもりで?」


「そうじゃ。まぁ、見ておれ」


 本当に当たるのかと不安げな眼差しを向ける酒井左衛門尉忠次。そんな若手を見返してやろうと意地になった弓の名手・渡辺八右衛門義綱の放った矢はものの見事に敵将を射抜いた。


 その敵将こそ、柴田権六から酒井隊を足止めするよう頼まれた早川藤太なのであった――


 かくして、福谷城を攻撃した柴田権六勝家率いる織田軍であったが、酒井左衛門尉をはじめとする守備兵らの奮戦と、今川方の速やかな援軍派兵により不首尾に終わったのである。


 その福谷城における合戦の戦果を報告する文書は駿府に帰還したばかりの元信の元にも届けられていた。


「殿、酒井左衛門尉どのより書状が届きましてございまする」


「おお、与七郎。ご苦労であった」


 元信はちょうど今川義元より通達された下和田の領地を巡る桜井松平家と青野松平家の争いの裁決が記された文書に目を通していたところであった。


「殿、その書状は……」


「うむ、太守様よりの書状じゃ。件の桜井松平と青野松平の下和田をめぐる一件は桜井松平の敗訴に終わったことが記されておる」


「なるほど、それは桜井松平監物は不平不満を抱いておることでしょうな」


「で、あろうな。これまた争いの火種にならねば良いのじゃが」


 この裁決の結果によって青野松平と桜井松平が不仲となり、一悶着起こったとなれば元信も無責任ではいられない。何とかして鎮める手立てを講じなければならなくなってしまうのだ。


「じゃが、弱音を吐いてもおれぬ。わしは今、十五の年じゃ。この年には父は織田軍の三河侵攻に抗い、祖父は当主として敵対勢力を屈服させておった。この程度のことでくよくよしておっては父にも祖父にも笑われよう」


 弱きを吐きたい己の気持ちを叱咤し、宗家の主として強くあろうとする元信。


 ――十五の年でこのようなことを考えられるとは、一体これから我が主君はどこまで成長なさるのか。


 そんな若き主の姿に、感銘を受け、将来が楽しみに思えてならない石川与七郎数正なのであった。


「殿!一大事にござる!」


「おお、いかがした雅楽助。そのように血相を変えて……」


「国元の舅より便りがあり、先日、阿部大蔵どのが亡くなったと……!」


 舅である石川安芸守忠成からの書状を持ってきた酒井雅楽助政家はすでに泣いていた。それもそのはず、松平の柱石ともいえる阿部大蔵定吉が亡くなったというのである。


「雅楽助、それは真か……?」


「はい。偽りで、このようなことは申しませぬ」


「そうか、そうであるな」


 元信自身、そこまで阿部大蔵と深くかかわりがあったわけではない。しかし、父祖を支えていた者が自分が留守にしている国元を守ってくれているという芯のようなものが地震のように揺さぶられたような心地であった。


「殿、お気を確かに。阿部大蔵どのが亡くなられたは大きな痛手にございまする。されど、まだまだ岡崎には忠臣が多くおりますゆえ、ご案じなさらず」


「あ、ああ。与七郎の申す通りであった。うむ、そうであった」


 元信は石川与七郎へ言葉を返すと、すっと西へ居直り、頬に伝う雫とともに静かに左右の手を合わせるのであった――

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