第41話 浅瀬に仇波
日近合戦によって青野松平家当主・松平甚太郎忠茂が討ち死にし、その遺児・亀千代が一歳にして当主になった。その名代を伯父・松井左近尉忠次が務め、甥の亀千代の成人まで青野松平家の諸事を取り計らうことを認められた。
そんな青野松平家において当主交代が行われた頃、三河情勢はどうであったかと言えば。
奥平九八郎定能は今川から離反したものの、父・監物定勝が今川方に留まる事態に。そして、菅沼大膳亮定継には実弟らが同調せず、今川方に残留。一家を挙げて惣領家である定継に味方する分家はなく、宗家としての面目を完全に失墜していた。
それでもなお三河での忩劇は鎮圧に至らないまま、三月となり、松平家同士の争いが勃発した。
去る一月に激突した滝脇松平家と大給松平家が再び合戦に至ったのである。嫡男・松平正乗を失い、失意のうちにある松平乗遠の滝脇城を松平和泉守親乗率いる大給松平勢が攻撃したのである。
そして、三月二十五日には滝脇城が陥落。当主である松平乗遠とその父・乗清の両名が討死する事態となり、奇しくも二ヵ月前に亡くなった子や孫の後を追うこととなったのである。
親今川方の滝脇松平家の敗北という事態もあり、同月には織田信長は三河国幡豆郡荒川を攻撃。
しかし、この織田軍の攻撃は青野松平家の名代・松井左近尉が碧海郡野寺原にて迎撃し、撤退へと追い込んだ。この際の戦功により、松井左近尉は今川義元より感状を与えられている。
まさしく一進一退の戦況が続く中、義元としても決定打に欠け、鎮圧には至らず。かといって、不利な情勢というわけでもない。ただただ戦争が長引くだけという、現地住民にとっては甚だ迷惑な情勢が続いていた。
そんな三河情勢の傍ら、美濃国では四月に入り一大事件が勃発。それは三月に三河国幡豆郡荒川を攻撃した織田信長にとっても深く関わってくる事柄であった。
「なにっ!舅御が……!?」
「はっ、斎藤新九郎義龍率いる一万七千五百の軍勢と長良川河畔にて対峙しておられるとのこと!」
「あの耄者如きにそれだけの兵数を集める信望があったというのか……!?」
「申し上げにくきことではございまするが、それほど斎藤道三殿の求心力が低下していることの表れではございますまいか」
信長に対して、誰しもが言いづらそうにしていることをずけずけと申した武将。彼は武勇の誉れ高く「攻めの三左」という異名を誇った槍の名手、森三左衛門可成であった。
元は斎藤道三に滅ぼされた土岐氏に仕えていた者であり、土岐氏が滅ぼされた後に信長に仕えるようになった武辺者である。そんな彼を信長は気に入り、重用していた。
「ふふふ、耳の痛いことを申す。三左、ならば舅を見捨てるべきか」
「殿、お心がすでに決まっているというのに、某の心を図るような言動はおやめくだされ。この森三左衛門、殿の進む道にどこまでも付き従いまするぞ」
「よし、ならば出陣するといたそう。聞くところによると、舅の元に集まった味方は二千五百だそうな。長良川で対陣しているというならば、舅に万に一つも勝ち目はあるまい」
「然らば、急ぎ援軍に向かう部隊を編成せねばなりますまい」
「うむ。じゃが、行軍速度を上げねばならぬゆえ、美濃まで走れる健脚な者を中心に選抜せよ」
信長の言葉を最後まで聞き届けた森三左衛門は軍編成を急いだ。そうして編成された援軍は信長自らに率いられ、疾風迅雷、美濃へと向かった。
悲しいかな、娘婿よりの援軍到着前に戦は決着。美濃の蝮こと斎藤道三は戦に敗れ、戦死することとなった。享年63。戒名は円覚院殿一翁道三日抬大居士神儀。
斎藤道三は息子・義龍を無能であると評していたが、長良川の戦いにおける義龍の采配を見て、その評価を改め、後悔したという。
事実、斎藤新九郎義龍は明智氏など父・道三に味方した勢力も、別動隊を用いた迅速な用兵でほぼ同時期に攻め滅ぼしている。そして、その牙は舅の援軍のため、木曽川を越えて美濃の大浦まで出陣した織田信長にも向けられた。
「殿、敵は勢いに乗っておりまする!すでに援軍先が潰された今、戦う意味はございませぬ!」
「その程度のこと、おれとて理解しておるわ。ここは撤退するほかあるまい」
さすがの信長も勢いに乗った義龍軍には苦戦。道三敗死の知らせを受けて、信長自らが殿をしつつ退却することとなった。
この退却中に森三左衛門は斎藤方の千石又一と激しく渡り合い、肘を負傷。されど、撤退のための時間稼ぎには成功し、無事に織田全軍を退却に導いたのであった。
かくして織田信長にとって、頼れる味方であった舅の斎藤道三はこの世の人ではなくなり、美濃とは明確な敵対関係となったのである。今川だけでなく、斎藤とも戦うこととなった信長はまさしく四面楚歌。
さらには、もう一つの守護代家・岩倉織田家などの敵対勢力も活発に動き始め、信長は苦境に立たされていた。さぁ、どうする信長――
そんな織田弾正忠家の情勢悪化は、遠く駿府の今川義元にも届けられていた。
「ほほう、美濃では親子喧嘩が起こったとな」
「そのようでございます。勝利した斎藤新九郎義龍は織田上総介信長と敵対する意思を鮮明にしております。四面楚歌となりし織田を討つは今をおいてほかにはございますまい」
「関口刑部少輔、お許の申すことはその通りじゃ。じゃが、その前に三河で騒いでおる不届き者を成敗しておかねばならぬ」
「そうでしたな。奴ら、今ごろ後ろ盾が窮地に陥っていると聞き、焦っていることでしょうゆえ」
織田上総介信長と敵対する今川治部太輔義元は、三河での叛乱鎮圧を成し遂げる決断を下した。
「無駄にしぶとい奥平への討伐には野田菅沼の新八郎定村、三河国宝飯郡伊奈城主・本多彦八郎忠俊、最後まで予に抗った戸田尭光が弟・甚五郎宣光ら東三河衆を派遣することといたす」
「そうなれば、菅沼新八郎は離反した弟らと干戈を交えることとなりますな」
「いかにも。離反者を出した責めは戦にて返してもらうとしようぞ」
菅沼新八郎としては弟と戦う残酷な戦となる。されど、戦わなければ今川家と戦うこととなり、滅亡は免れない。複雑な立場であった。
そして、今川義元が口にした戸田甚五郎宣光という名。彼こそ、今川と戦った戸田宗光の次男であり、松平広忠に嫁いである田原御前の兄にあたる者。つまり、元信にとっては継母の実弟という関係になる人物であった。
ともあれ、そんな東三河衆による奥平討伐軍が差し向けられ、戦意を失いつつある奥平・菅沼の両氏であったが、降伏はせず、引き続き抗い続けることを選択。翌五月には布里合戦にて菅沼大膳亮定継は弟たちと一戦交え、これを撃破している。
そうして尾張での情勢悪化が尾を引く奥三河での戦乱。一方、尾張では父を討った斎藤新九郎の魔の手が伸びつつあった。
「三郎五郎殿、まことに清洲城を乗っ取るおつもりで?」
「いかにもじゃ。斎藤道三という後ろ盾なき今、上総介も落ち目よ。ならば、長子である、この三郎五郎が織田弾正忠家を率い、父の目指した尾張統一を成し遂げてみせる」
「されど、斎藤新九郎は父をも討つ不孝者。そのような輩、信用してもよろしいので?」
「信用ならぬ。だが、利用はできようぞ。すでに清洲城の乗っ取りについて、日時まで打ち合わせておる」
城内にて家臣と打ち合わせているのは、織田備後守信秀が庶長子・三郎五郎信広。長男ではあるが、正室の生まれではないことから家督を継ぐことができなかった男が今、動き出そうとしていた。
「上総介は敵が来たと知れば軽々しく出陣するであろう。その折には、この三郎五郎が後詰めをいたす。すると、留守居役の佐脇藤右衛門は必ず接待をするゆえ、そこで佐脇藤右衛門を殺害に及び、清洲城を乗っ取る。どうじゃ、完璧な策であろうが」
三郎五郎信広は自信に満ちた面持ちで家臣へと密謀を語っていく。それを聞かされる家臣としても、どこで誰が聞いているかとひやひやしているようで、落ち着かない様子であった。
そんな三郎五郎が斎藤新九郎と謀った清洲城乗っ取りの計画。清洲城を乗っ取ったのちは斎藤勢と対峙する信長の背後を衝けば、三郎五郎が織田弾正忠家の当主となれる。
そのような未来を夢想しながら当日を迎えた。その日、示し合わせたとおりに尾張方面へ美濃の斎藤勢は攻め寄せ、その一報は信長の元にもたらされた。
「ほう、斎藤の軍勢が尾張へ向かってきておるか」
「はっ、物見によれば、どこか戦意が薄いように感じられ、陽動ではないかとのこと」
「事実と憶測を混ぜるでない。その物見より直に確かめるとする。連れて参れ」
物見からの報告内容を伝えた小姓を信長はしかりつけるような口調で、物見を呼びに行かせた。そして、その物見から直に情報を仕入れ終わると、信長はニヤリと口角を上げた。
「それほどの数でありながら戦意を感じられないとは、おおよそ二つの可能性があるであろうな」
信長が感じた可能性の一つ目。それは数が多いことから来る慢心。だが、報告に上がった兵数からはそこまで慢心するほどの差はない。
となれば、可能性の二つ目。進軍してくる軍勢は陽動で、本命が別にあるということ。
「たとえば、家中で何者かが謀反を企んでおり、その者の合図で清洲城を攻めとるといった浅はかな企みでもあるのやもしれぬ。留守居役の佐脇藤右衛門にはおれが帰陣するまで人を入れないように厳命しておくとしようぞ」
自身が出陣する間の指示まで飛ばし、それから出陣していく信長。何も知らない織田三郎五郎信広は後詰めと称して手勢を残らず率いて清洲城へ。
されど、信長よりの厳命に従った留守居役の佐脇藤右衛門によって、閉められた城門が開くことは決してなかった。
「さては、謀反の企みが看破されたやもしれぬ。者ども、撤収するぞ!」
しかし、この不審な撤退が美濃勢の退去と奇しくも同時に行われたことで、織田三郎五郎の謀反は信長の知るところとなってしまうのであった。
「兄者。清洲城を乗っ取り、おれへの謀反を企むとは良い度胸だ」
「ふん、命乞いなどせぬ。疾く首を打つがよいわ」
捕らえられ、信長の前に引き据えられた三郎五郎はしょげる様子はなく、胸を張り堂々とした態度で早く打ち首にするよう発言していた。そんな異母兄の様子に、信長は微笑を讃えながら見下ろしている。
「まぁ、待て。先刻も達成を擁立せんと謀りし曲者がおれを暗殺しようと試みていた」
「なに、勘十郎めが手の者にまで命を狙われておるとか!?」
「いかにも。兄者が手を汚さずとも、この信長の首を欲しがる者は数多おる」
自分のほかにも、信長を討ちたいと思っている者は数えきれないほどいる。その事実を聞くと、織田三郎五郎信広はどうしてか胸が締め付けられる思いがした。
「兄者、おれは兄者を打ち首にするつもりはない。兄者は戦には不向きじゃ。されど、年下の者から好かれる天賦の才がある。それをこの上総介がためでなく、織田弾正忠家がために発揮してはくれませぬか」
「己がためでなく、織田弾正忠家がためと来たか。そう言えば、この三郎五郎が逆らわぬと思っておるのか!」
さすがの三郎五郎も激昂した。自分をそう簡単に丸め込めると思うなよ。そのように言い返したつもりの言葉であった。
「ええ、逆らうことなどありますまい」
「い、いかにしてそれを保証すると?」
「信長が首!」
「み、自らの首をかけると申すか!」
信長の眼は本気であった。その眼を見て、三郎五郎は心の底から敵わないと思った。いや、思わされてしまっていた。
「兄者は親父殿の長子、直系で一番の年長者であろう。ゆえに、織田家連枝衆をまとめる役をお任せしたいと思っております。この信長にはできぬ役割を――」
「それを己自身で分かっている。やはり、殿は恐ろしい。うむ、承知した。織田一族がまとめ役、しかと全うして見せようぞ」
かくして、信長は謀反を企んだ異母兄・三郎五郎を許し、以後は二心無く信長に仕えていくこととなる。
しかし、三郎五郎を屈服させたものの、同母弟である弾正忠達成を未だ屈服させられていない状況であり、まだまだ信長が尾張一統を成し遂げるのは先のこととなる。
そうして、時は過ぎていき、斎藤道三が討ち死にした四月より二月が経過した弘治二年六月。
松平宗家の当主にして今川家親類衆である松平元信の名で黒印が押された寄進状が発給されようとしていた。




