第40話 三河忩劇、いまだ収まらず
越年してなお、いまだ鎮まる気配を見せない三河での反今川勢力。大給松平家と滝脇松平家の抗争をはじめ、『三河一のおとな』こと酒井将監忠尚の離反と、十五歳となった松平次郎三郎元信にとって他人事とは呼べない事態も発生していた。
寒さも厳しくなる中、作手奥平氏や田峯菅沼氏、牛久保牧野氏へも造反は飛び火していくのであった。
そんな三河情勢は逐一、駿府に在府の元信の元へも報せられていた。
その日、十八歳の鳥居彦右衛門尉元忠、十六歳の阿部善九郎正勝と植村新六郎栄政、二十歳の天野三郎兵衛景能、元信と同じく十五歳の平岩七之助親吉、平岩善十郎ら若者らと鷹狩でに出ていた元信。
元信が近侍らとともに屋敷へ帰ると、貫禄が増した三十六歳の酒井雅楽助政家、三十歳になり沈着さを帯びてきた酒井左衛門尉忠次、二十七歳となった優しい兄貴分・高力与左衛門清長、二十四歳となった石川与七郎数正ら頼れる重臣らが出迎える。
しかし、その表情は暗く、今から伝えんとしている事態の深刻さがそれだけでも伝わってきそうである。
「雅楽助、いかがいたした?その面持ち、ただ事ではあるまい」
「はっ、三河にて新たな離反者が出た模様で……」
「むっ、酒井将監の他にも当家から離反者が出たと申すか!」
「さにあらず!作手の奥平、田峯の菅沼が反今川を掲げて挙兵、牛久保の牧野でも反今川を掲げて挙兵する者が現れたとのこと!」
誰ぞ岡崎の重臣が離反でもしたのかと冷や汗たらたらであった元信。されど、離反したのは作手奥平氏、田峯菅沼氏、牛久保牧野氏の一部であると知り、心の内ではほうっと安堵の息を漏らしていた。
「して、設楽郡の作手奥平氏が離反したのは何故か」
「仔細は存じ上げませぬ。ただ、緒川の水野下野守が調略に関わっていた様子」
「ほう、何故水野下野が調略に携わっておったと?」
「何分にも当主である奥平監物定勝殿のご正室は亡き水野右衛門大夫妙茂殿の妹御にございますゆえ」
そう、今より十三年の昔に亡くなった元信の外祖父・水野妙茂。彼の妹が作手奥平氏の当主・定勝へと嫁いでいた。その縁を利用して調略の手を伸ばした、というのが酒井雅楽助ら重臣の見解であった。
「草の者を潜らせたところ、此度の離反に当主の奥平監物殿は反対のお立場。反旗を翻したは嫡男の九八郎定能殿のようにございます。九八郎殿の生母は水野右衛門大夫殿の妹御にございますゆえ」
「ほう。つまり、奥平九八郎殿は水野下野守や我が実母の従弟にあたるわけじゃな」
「いかにも。ゆえに、調略に乗ってしまったのでしょう。さらに、作手奥平家中は九八郎殿に味方する者が多く、当主の意に反しての挙兵となったようにございます」
四十五歳の当主・奥平監物定勝は今川氏へ忠節を尽くしている。このことは元信も存じているが、その子である二十歳の奥平九八郎定能はそうではなかった。
「殿。さらには田峯菅沼の当主である大膳亮定継殿が離反したのは妹御が継室として奥平監物殿に嫁いでいる縁があったゆえ、ともに挙兵したのでございましょう」
「なるほど、妹の嫁ぎ先が今川を離反した故、これに加担したということか。されど、田峯菅沼氏は菅沼の惣領家。これを放置しては奥三河の戦乱は拡大するばかりぞ」
「その通りにございます。これを見過ごせば、さらなる大乱となるは必定!」
熱く三河情勢を語る酒井雅楽助。その場に控える者らもみな、息をひそめて三河情勢について理解しよう、話についていこうと必死なのが静寂からも伝わってくる。
「うむ、奥三河にて奥平と菅沼が離反したのはよう分かった。ならば、牛久保の牧野についても教えてはくれまいか」
「はっ、然らば言上仕る!」
続いて、東三河の牛久保牧野氏について。反今川を掲げて離反したのは牛久保牧野氏の一族・民部丞貞成。彼らも作手奥平氏や田峯菅沼氏の動きに呼応してのことであった。
「ふむ、三河での叛乱はそう易々と鎮まる気配はない、か」
「左様かと」
三河における忩劇。この相次ぐ今川離反に、当主・今川義元がどう動くのか。こればかりが元信の気がかりであった。
「殿。我が叔父、酒井将監が事について報告したき儀がございます」
「左衛門尉、聞かせよ」
「はっ、酒井将監が説得。近日中には叶いそうにございます」
「でかしたぞ!して、いかにして説得したというのじゃ」
「殿がまもなく先代の墓参のため、岡崎へ帰国する旨をありのまま伝えました。すると、手のひらを返したように態度が軟化し、矛を収めると申してきたのでございます」
元信は酒井左衛門尉の言葉から、酒井将監が離反した理由におおよその検討をつけることができた。
それは、松平宗家の主である元信が一向に本国三河へ帰って来る気配がない。否、返そうとしない今川家に対する不満の表れだったのであろう。
であるのに、当主・元信は近いうちに本国三河へ墓参のために帰国するというのだから、酒井将監が離反する必要がなくなったと言っても良い。それゆえに、矛を収める決断をしたのだろう。元信はそのように推測した。
「左衛門尉、まこと大儀であった。雅楽助、そちも三河でのこと、何ぞ進展があればただちにわしへ知らせるようにいたせ」
「委細承知仕りました!」
かくして元信が重臣らから近々の三河情勢について報告を受け、はたして三河での忩劇はいつになれば収まるのか。そのようなことを考えてしまう睦月も終わり、如月へと突入。
二月に入って好転したことの一つは酒井将監忠尚が帰参したこと。もう一つは先のは牧野民部丞貞成の反乱も鎮圧が成せたことであった。
此度の牧野民部丞の反乱鎮圧を経て、牧野氏の居城だった牛久保城は今川家の支城となり、牛久保領も今川氏の管轄する領域となっていく。
また、この三河忩劇において牧野貞成が今川氏に叛いたことから、今川義元は相続について新九郎氏成の子である二十八歳の牧野成定を後継とした。
こうして松平宗家から出た離反者は元の鞘に収まり、牛久保牧野氏で起こった叛乱も無事に鎮圧、戦後処理まで滞りなく進められた。しかし、奥三河での叛乱については収まる気配を見せなかった。
そう、今川家を造反した菅沼・奥平両氏が今川方である秦梨城への先制攻撃を敢行し、攻略。城主であった粟生将監永信を退散させたのである。
この事態に今川義元も黙ってはいなかった。ただちに、討伐軍を差し向けることを決定。
奥平監物貞勝の弟・日近久兵衛尉の拠る三河国額田郡日近城を攻めるが、奥平氏は籠城して頑強に抵抗。なかなか攻め落とせずにいた。この時の今川方の軍勢には当主・松平甚太郎忠茂自らが率いる青野松平勢も参陣していた――
「松井左近!」
「ははっ!」
「何故、あの日近城を陥落させられぬ!」
「日近城は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪を配した直線的な構造の山城。陥落させるは容易に見えても、容易ではございませぬ。さらに、敵方の士気が高く、城にまともに取りつくことすらできませぬ」
日近城を陥落させられず、苛立ちを抱える今川方。そのうちの青野松平家の陣営では当主・松平甚太郎忠茂と松井左近尉忠次が城攻めについての議論を交わしていた。
されど、いかに松平甚太郎が声を荒げようとも、落ちぬ城は落ちぬもの。松井左近は撤退するのも道理であると、懸命に説得しているところなのである。
「明日はこの松平甚太郎自らが指揮を執り、日近城を攻め落としてみせよう!松井左近、そちも臆病風に吹かれたのならば帰陣しても結構であるぞ」
「滅相もなきこと!殿が前へ出るのに、臣下が安全な場所へ下がるなどもってのほか!某もお供仕る!」
「よくぞ申した!明日中に城を攻め落とし、城で待つそなたの妹と亀千代に武勇伝を聞かせてやろうぞ」
この年、松井左近尉忠次の妹との間に嫡男が生まれた松平甚太郎忠茂。数えで一歳の我が子に自慢したい松平甚太郎はやはり焦っていた。そんな見えない焦燥感の中で、翌二十日。城攻めは開始されたのである。
「者共!今日の内に城を攻め落とすのだ!皆も故郷には帰りを待つものがおろう!その者らの顔を一日でも早く見るために、何が何でもこの城を攻め落とさねばならぬ!覚悟はよいな!かかれ!」
当主自らが前線へ赴き、兵たちを鼓舞する。その松平甚太郎の若く勇ましい声に青野松平家の兵らは獅子の如く闘争心をむき出しにして城へ取りついていく。しかし、気合いで簡単に落とせる城ではなく、それでも攻略は難航してしまう。
「殿、前に出すぎにございますぞ!これ以上前に出るは危険にございます!」
「左近、やはりそちは臆病風に吹かれておると見える!太守様を裏切った輩に臆するとは、それでもそちは太守様より派遣されし寄騎であるのか!」
前線に出すぎていることを危惧し、引き留めようとする松井左近尉の言葉を振り払うように叱咤する二十代半ばと若い松平甚太郎。そんな彼の元へ、城内から狙いすましたような矢が放たれる。
「ぐっ!」
「殿っ!?」
胸板を貫かれた松平甚太郎は馬より転げ落ちた。目の前で主君が射られたことに、さすがの松井左近尉も血相を変えて駆け寄っていく。
「左近、そちが忠告を聞かなんだ罰が当たったらしい……」
「と、殿っ!?お気を強くお持ちくだされ!傷は浅うございますぞ!」
松井左近尉は噓をついた。傷など浅いどころか、このような戦場では手当てすることも難しい重傷である。
「殿が射られた……?」
「殿が討たれたら一体どうなるんじゃ……」
当主が敵兵に射られたという事実は、周囲の青野松平兵に動揺を与えた。当主の傷も深かったが、軍勢が今まとまりを欠くことも避けなければならない状況。
「平岩権太夫元重はおるか!」
「はっ!これに!」
「そなたは殿を背負って退却せよ。ここにおっては殿の身が危うい」
「承知!左近殿はいかがいたす!」
「某はお味方の動揺を鎮め、殿軍を務める!必ずや城内の敵兵は追い打ちを仕掛けてくるゆえ、これを退けねばならぬゆえな」
そう言い残し、槍を片手に周囲の兵たちを統率し、退却の支度を整えていく松井左近尉。撤退を余儀なくされた青野松平勢を籠城していた奥平勢が追撃を敢行するも、松井左近尉忠次に阻まれ、戦果を挙げるには至らずであった。
そんな日近合戦の顛末は岡崎城代らによって駿府にいる今川家当主・今川義元の元へも届けられた。
その日は松平宗家当主にして親類衆の松平元信、遠江国懸川城主・朝比奈備中守泰能の両名を呼び寄せ、三河情勢への対応を協議していたところであった。
「なんと……」
「太守様、いかがなされました!?」
「うむ。次郎三郎、その書状を朝比奈備中守とともに目を通してみるがよい」
戸惑いながら義元から書状を受け取り、隣の老将と一緒に書状をのぞき込む。すると、そこには驚くべき内容が記されていた。
「御屋形様。青野松平家当主、甚太郎忠茂殿が討ち死にしたと……」
「そのようじゃ。家臣の平岩権太夫元重に背負われて退却中、近隣の保久大林で絶命したとのことじゃ」
落ち着いた声色で義元と話す朝比奈備中守。彼は太原崇孚とともに今川家の柱石として長らく今川家を支えてきた重鎮。落ち着き払った様子からは死に慣れてしまった風があった。
「しかも、松井左近尉忠次が殿軍を務めて奮戦したこともあり、青野松平勢は退却できたそうな」
「されど、書状にもある通り、松平甚太郎忠茂が子は亀千代のみ。一歳にして青野松平家を継ぐことになろうとは残酷な運命ですな」
「うむ。この亀千代の遺領相続も手抜かりのないよう進めねば、先に追放した甚二郎が旧領復帰を画策するやもしれぬ。ゆえに、この後すぐに遺領相続を認める旨の判物を発給するとしようぞ」
「それがよろしゅうございましょう」
次郎三郎を置いてけぼりに、三十八の今川義元と六十の朝比奈備中守とで青野松平家への対応策が練られていく。
「まだ亀千代は一歳。政務をみることなど到底できまい。じゃが、適任の者がおる。次郎三郎、誰か分かるかの」
「はっ、松井左近尉忠次殿ではございませぬか?松井左近尉殿は青野松平家と今川家との主従関係を併せ持つ同心にございますゆえ」
「そうじゃ。忘れてはならないのは松井左近尉は亀千代の伯父でもある点じゃ。伯父が甥を後見するなど、松平宗家でも見られたことであろう」
おそらく、義元は松平広忠と松平蔵人信孝のことを言っているのだろう。そう、元信は推測した。
こうして、青野松平家は一歳の亀千代が当主となり、名代を松井左近尉忠次が務めることと相成ったのである。




