第32話 湊の権益をめぐって
水野家が今川を離反した三月。その月のうちに水野下野守信元は追い詰められていた。
牛田城と池鯉鮒城、沓掛城が立て続きに陥落。うち、沓掛城は城主・近藤景春が山口左馬助教継によって調略され、今川方によって転じたものであった。
さらには水野藤九郎信近の守る苅谷城と大高水野氏の大高城までもが包囲される状況に陥ってしまっていた。
それのみにとどまらず、緒川城と大高城の中間に位置する水野家従属国衆で寺本城主の花井勘八郎も今川家へ帰参する事態となり、水野下野守は離反した初月から早々に追い詰められることになってしまっていた。
「兄上。牛田城に続き、池鯉鮒城も陥落。沓掛城と寺本城も今川方へ転じ、大高水野も今川家へ帰参を願い出たとのこと」
「くっ、ここまで今川治部太輔義元が攻勢に出てこようとは思わなんだ……!今にして思えば、これまでの扱いも我らを征伐する機を待っておったのやもしれぬ」
弟・清六郎忠守からの報告を受けながら、歯ぎしりする水野下野。そんな彼の元へ、もう一人の弟からさらなる悲報が届けられる。
「兄上、申し上げます」
「吉報か、それとも凶報か」
「凶報にございます。苅谷も守り切れぬとのことで、藤九郎兄上も今川家へ帰参したいと」
「わしに許可してほしいということか」
水野下野からの返答に静かに首を縦に振るのみの伝兵衛近信。苅谷水野を継いだ頼れる弟・信近からの頼みに否と申せる兄ではなかった。
「承知した。じゃが、降伏するにあたって藤九郎に言伝がある」
「言伝……にございますか?」
「然り。此度の離反、水野下野守の一存であり、兄の申すことに渋々従ったまで。かように申して、再度今川へ従属するがよい」
罪を自分一人で背負い込む決意を弟へと伝えんとする水野下野。その借りを藤九郎が気に病むことを見越したうえで、もう一言。 『借りはいつか返してくれれば、それでよい』と付け加えるのであった。
兄からの言伝を受け、水野藤九郎信近は今川家へ降伏。苅谷城もまた、今川の支配下へ戻った。それは水野信元にとって、さらなる苦境に立たされることを意味していた……
そんな水野氏の今川離反が勃発した弥生の頃。岡崎の重臣・阿部大蔵は桜井寺に宛てた書状を認めていた。そこへ、石川安芸守忠成が三男坊が来訪する。
「大蔵さま、その書状は……」
「おお、彦五郎か。うむ、桜井寺に宛てての書状じゃ。なんでも桜井寺の山にて所々から伐採が行われたそうな」
「ほほう、それは岡崎城代のお歴々からも制札を出してもらわねばならぬな」
「うむ。ゆえに、糟屋備前守、山岡新右衛門景隆の両名に伐採を取り締まる制札を出してもらうよう働きかけたところ、すんなり制札が出されることと相成った」
石川彦五郎家成からの問いに応えながら、達筆な字で書状をしたためてゆく阿部大蔵定吉。彼は先代・広忠の頃より松平家重臣の筆頭として政務に携わってきた立場にかかる重責を一身に背負っていた。
「よもや此度の伐採、よもや岡崎城在番の軍勢によって行われたのではございませぬか?それゆえ、制札の発給を彼らに求めた」
「ほほう、よく分かったのぅ。おぬし、二十歳にしては聡い。さすがは石川安芸の子よ。いかにも、此度伐りだされたものは戦の備えに必要ゆえ伐りだされたのだ。いかに今川の城代とはいえ、当家の認可を得る必要があるゆえな」
阿部大蔵にべた褒めされ、照れくさそうに笑う石川彦五郎。一方の阿部大蔵は、これからの松平を担っていく若者らを伸ばしていくことも老いた者の務めと心得ているようでもあった。
そんな阿部大蔵を筆頭とした松平家重臣らと岡崎城代らの協調。それでもって、岡崎松平領の統治は成されていた。
糟屋備前守・山岡新右衛門ら岡崎城代は軍事力を補うだけが役割ではない。それを遂行するにあたって必要となる城や砦の普請や兵粮の調達といったの所務も彼らが果たす役割であった。
阿部大蔵の言うとおり、桜井寺の山での伐採は軍事施設を構築することを目的として城代の手勢によって行われたのである。
「ごほっごほっ……」
「お、大蔵さま!?」
突如、せき込んだ阿部大蔵。松平家の柱石たる彼が吐血しそうな勢いでせき込んだことで、石川彦五郎は血相を変えて駆け寄った。
「案ずるな。まだまだ若殿ご帰還までくたばるわけには参らぬ……!若殿の、松平の領地を守り通さねばならぬのだ」
「大蔵さま、御身をいたわり給え。大蔵さまがおらねば、松平の政は立ち行きませぬ……!」
「彦五郎。某がおらずとも文治においてはお主の父もおれば、酒井将監に鳥居伊賀守、青山藤蔵忠門。武においては大久保新八郎も大久保甚四郎、長坂九郎、本多豊後守広孝、米津藤蔵。人材が綺羅星のように集まっておる」
「ですが、大蔵さまがおらずともよい理由にはなりませぬ!」
強い語気に込められた石川彦五郎の想い。ここで否と申せば、目の前にいる若者の想いを踏みにじるに等しい。そのような真似は阿部大蔵には到底できなかった。
「そうか。そうまで言われては労わらぬわけには参らぬな」
静かに息を吐くとともに、筆を置く阿部大蔵。彼の文机の上には恐々謹言で締めくくられた書状が一つ。一仕事終えた阿部大蔵は帰路につき、花咲月の一日が終わっていくのであった。
こうして月は一つ先へ進み、四月。美濃の斎藤利政は娘・濃姫の婿たる尾張の織田信長と会見した。その折に舅の度肝を抜いた噂は遠く駿府の竹千代の耳にも入った。
「殿、酒井左衛門尉にございます」
「左衛門尉か。苦しゅうない、入れ」
竹千代より許可を貰い入室した酒井左衛門尉忠次はふと耳にした噂話を語り始める。
「巷の風聞によれば、織田上総介殿が美濃の斎藤山城守殿と尾張国富田の正徳寺にて会見に及んだとのこと」
「そうか。織田殿が舅御とお会いになられたか」
「はい。その折には舅である斎藤山城守殿の度肝を抜いたとのことで」
「それは気になる。いかにして度肝を抜いたというのか、聞かせよ」
酒井左衛門尉が語った内容は、竹千代を仰天させるには十分であった。織田信長という男は、正徳寺に向かうにあたり鉄砲百挺を調達し、朱塗りの三間束の長槍五百本を持たせて進んだというのだ。
「一挺すら貴重な鉄砲を百も揃えたと……!?」
「はっ、そのようでございます」
舅の斎藤山城守が手に入れるのに苦心している鉄砲。それを、これ見よがしに百挺も揃えていくとは。
さらに、左衛門尉から聞く限りでは、正徳寺へ向かう道中の信長の恰好は着物は片肌ぬぎ、虎と豹の皮を用いた袴、腰まわりには瓢や火打ち袋などをぶらさげ、帯は縄おびという恰好であったという。
竹千代にとって、熱田の加藤図書が屋敷で会うた時の信長の出で立ちが瞼を閉じれば思い返される。あの時のような格好で馬にまたがり舅へ会いに行く。その光景を思い浮かべるのもそう時はかからなかった。
「その折の織田上総介殿を隠れてご覧になっていた斎藤山城守殿は、いざ正徳寺で会見した際に正装で現れたのには仰天したとも……」
「左様か」
「斎藤山城守殿が述懐なされるには、『我が子たちはあのうつけの門前に馬をつなぐようになる』と、かように申したとのこと」
その言葉からも、斎藤山城守が織田上総介という男を高く評価していることが窺える。そうなれば、尾張と美濃の同盟はより強固なものとなったといえよう。
竹千代が気がかりであるのは、背後固めを済ませた織田信長という男が尾張・三河の今川方にどのような手を打ってくるのか、ということであった。
「左衛門尉、岡崎では変事などは起こっておらぬか」
「はっ、変事が起こったとの知らせは受けておりませぬ。強いて言えば、阿部大蔵殿が時おり体調を崩すことがあると国元よりの文に記されていたことでしょうか」
「そうか。阿部大蔵なしには岡崎の政は立ち行かぬ。しかと養生するよう、竹千代が申しておったと伝えておくように」
「委細承知仕りました!」
酒井左衛門尉からの報告も終わり、一息つく竹千代。そんな彼の元へ石川与七郎数正が左衛門尉と入れ替わるようにやってきた。
「殿。桜井松平と青野松平のこと、聞き及んでございましょうか」
「桜井松平と青野松平のこととはなんじゃ?」
「ご存じありませんでしたか。然らば、仔細を申し上げまする」
石川与七郎が語るには、かつて松平広忠と広畔畷にて争った桜井松平の当主・松平監物が三河国下和田の所領の帰属をめぐり、今川治部太輔義元に訴え、青野松平家の松平忠茂と争っているのだという。
「ここへ来て、松平同士の内輪もめか」
「はい。事がこじれればこじれるほど、織田の介入を受けることともなりましょう」
下手な裁定を下せば、不満を持った一方が織田と通じる恐れがある。そのことを石川与七郎は言及しているのであった。
「むぅ、こればかりは太守様がお裁きになること。太守様の沙汰を待つほかなかろう」
「そうですな。されど、与七郎めは気がかりでなりませぬ」
「案ずるな。太守様は智勇に優れた当代の名君主、必ずや見事な裁定を下される」
竹千代は桜井松平と青野松平の所領をめぐる訴訟について、それ以上触れようとしなかった。石川与七郎も竹千代の心中を察して、それ以上深く踏み込むようなことはしなかった。
こうして季節は移り変わり、蒸し暑さが目立つ溽暑が到来。懐紙で汗を拭う頻度がめっきり増える季節となった。
――七月十二日。尾張では一大事が勃発した。
織田信友として知られる尾張下四郡を支配する守護代・織田勝秀が宿老・坂井大膳らの主導のもと、尾張国内の対処をめぐって対立した守護・斯波義統を清洲城内で殺害してしまったのである。
斯波義統の嫡男・斯波義銀が手勢を率いて川狩りに出かけている隙を衝かれる形で怒った謀殺。これには斯波義統が信長方についたと勘繰られたことも影響していた。
そんな斯波義統の嫡男・義銀は斯波氏と良好な関係を維持していた織田信長を頼りに落ち延び、信長は清洲の守護代家を謀反人として糾弾する大義名分を手に入れたのだ。
これより信長と信勝の兄弟が協力する織田弾正忠家と、織田勝秀の織田大和守家の抗争は激化していくこととなるのである。
時を同じくして、京では細川晴元を赦免した将軍・足利義藤が三好長慶を将軍の「御敵」に指名。三好長慶の猛攻を前に、八月には足利義藤が京を離れ、近江へ逃れる結果に終わった。またしても、戦乱が拡大する事態となっていたのである。
尾張であろうと京であろうと、争いが一つ鎮まれば新たな争いが起こる。乱世とはそのようなものであるが、そこに暮らす人々は塗炭の苦しみを味わうこととなる。
そんな乱世は尾張において、兄弟間の対立をも生みだそうとしていた――
「甥っ子よ。勘十郎めが何の断りもなく判者を発給しているとは真のことに!?」
「孫三郎叔父か。そうじゃ、加藤図書の東加藤家にたびたび判物を発給しておるらしい」
「そういう殿とて、西加藤家へ判物を発給しておられる」
「おれも勘十郎も商業が盛んな熱田の権益を欲しておるのよ。さすがは我が弟、目の付け所が良いわ」
そう言って豪快に肩を揺らして笑う信長。だが、心中穏やかというわけではなかった。
織田弾正忠家の信長・信勝の兄弟が揃って目を付けたのは竹千代が織田家の人質として生活していた商業地・熱田。そして、駿府の今川義元が目を付けたのも熱田湊、津島湊、蟹江湊であった。
織田・今川の両氏が揃って商業地や湊が喉から手が出るほど欲している。大高までも今川方に転じた状況下においても、兄弟で熱田の権益をめぐって争っている場合ではない。
しかし、弟にはいそうですかとくれてやるわけにもいかない。そうした想いが混じり合い、二十歳の信長を精神的に苦しめてしまっていた。
「甥っ子、ひとまず兄弟相争う事態だけは避けねばなるまい。まずは清洲の大和守家を打破することが最優先であろう」
「うむ、それは孫三郎叔父の申す通りよ。その清洲の件で、叔父御には一肌脱いでもらわねばならぬ」
「ほほう、お主がその表情をするとは、さぞかし痛快なことを企んでおるのであろう。よし、詳しく聞かせてくれい」
孫三郎信光という男は、敬服していた兄・信秀が目をかけた跡取りのことを大層気に入っていた。そんな可愛い甥っ子の「我に策あり」という表情をするとき、突拍子もないことをしでかすため、楽しみでならないのだ。
時は逢魔が時。薄暗くなる那古野城中にて甥と叔父は清洲城奪取の謀を密談し、別れていくのであった――




