339.超えてゆくために
《ぼくらはこれを神術兵器と呼んでいた》
とテレルがジェロディたちの前に示したのは、彼らが手がけた一枚の設計図だった。フェルドリンク。確かそれは古代ハノーク語で〝天地を拓くもの〟を意味する言葉だったはずだ。
《現代人はよく古代兵器って呼び方をするけどな。……ぼくたちを狙う人間が、喉から手が出るほど欲しがっているものだよ》
そう言って彼らが広げた設計図には、ふたつの兵器の製造法が書かれてあった。
が、恐らくここにいる誰にも中身を読むことはできない。何故なら設計図に添えられた説明書きがすべて、古代ハノーク文字で記されているためだ。
「て、テレル……まさか君たちは古代ハノーク文字の読み書きができるのかい?」
《当たり前だろ。むしろぼくらは現代ハノーク文字を知らないし、古代文字で筆記すれば解読もされにくくなる。だから角人は今でもみんな古代文字を使うのさ》
「じゃあ、これは一体どういう兵器なの?」
《こっちの兵器は火焔槍。見てくれはただの直槍だけど、実はこの袋部にある房飾りを引っ張ると、穂先の先端が開いて中から炎が噴き出す仕組みになってる。で、こっちの剣は火焔剣。こいつも見た目はただの剣だけど、柄頭についてる装飾を引くと刀身が炎をまとって、ひと振りで一枝(五メートル)の射程を出せる。まあ、早い話が刀身から炎が伸びるようなイメージだ。で、炎身部は触れた相手を切り裂けはしないけど、燃やせる。亜竜だって所詮は獣だからな。いくら人間に飼い馴らされて訓練を受けたとしても、やっぱり火は怖がるだろ》
ゆえにどちらも火炎系の武器にした、と、腕を組んでさも当然そうに話すテレルに、ジェロディはますます呆気に取られた。
神術兵器。確かにこんなものが手に入れば、戦況を一変させられる。
見た目はどちらもただの槍や剣にしか見えないというのならなおさらだ。
敵もまさか原始的な武器のごとく見せかけた古代兵器が待ち構えているなどとは夢にも思わず、油断して向かってくるはず。テレルたちは彼らの手持ちの希石と火刻、そして素材となる槍及び剣があればすぐにでも製造に取りかかれると言った。本当は素となる武器も用途に合わせてイチから製作するのが理想的らしいが、今の救世軍にはそんな時間も余裕もないので、普通の武器を改造して何とか間に合わせるという。
「け、けど、古代兵器を現代に甦らせるだなんて……僕たちにとっては確かに必要なものだけど、角人は構わないのかい?」
《ハッ、構うに決まってるだろ。一族の間では〝決して造り出さないこと〟が暗黙の了解になってる兵器を、よりにもよって神子のために造って渡したなんて知れたら、ぼくたちはきっと仲間から袋叩きに遭うだろうさ。だけど救世軍には、ぼくらの女王に見込まれた守護者の娘がいる……って言い訳をすればまあ、一度くらいは許されると思うし……》
《何より救世軍の皆さんは以前、どこへ行っても迫害されるわたしたちを、見返りも求めず助けて下さいました。だから今度はわたしたちが皆さんを助ける番です。みんなでそう覚悟を決めてここへ来ました》
そう言ってじっとこちらを見つめたルエラの瞳は、人間のそれとは違う真っ黒な異形でありながら、並々ならぬ決意を湛えていることが窺えた。
以前は何度見ても〝顔面にふたつの虚が開いているようだ〟と思えて、不気味でならなかったはずの角人の顔の造形も、今なら目を背けることなく正視できる。
かくしてテレルたちが用意してくれた神術兵器は、火焔槍が二十本と火焔剣が二本。数だけ見ればあまりに少ないものの、人間を生け贄に捧げて創られた希石は在庫が限られている上に、あまり量産しすぎるとのちに災いを招く、とテレルたちは考えているようだった。ゆえにこれが最大限譲歩して提供できる数量だと言われたが、救世軍にしてみれば充分すぎる力添えだ。
何しろ火焔槍と火焔剣の威力は、贋作の希石で造られた兵器の比ではない。選抜された兵に使い方を教えるため極秘で行われた訓練にはジェロディも同席したのだが、二種の兵器は鉄をも瞬時に溶かすほどの火力を見せて一同を唖然とさせた。
(この兵器さえあれば、確かに竜騎兵団も敵じゃない。だけど亜竜たちはきっと無事では済まないだろう……)
そう考えたときジェロディの脳裏には、父との最初の戦いで手にかけてしまったとある亜竜の姿が甦った。
ジェロディがまだ幼かった頃から、共に育った兄弟のように無邪気になついてくれたステファノ。彼らには何の罪もないことを知りながら、それでも、自分は。
(たとえ何を犠牲にしても救世軍を守る。そう決めたんだ──父さんを超えていくために)
そうして最後の迷いを振り切り、顔を上げて眦を決したジェロディの視界に、見えた。竜騎兵団。城の正面で繰り広げられる騎馬隊同士の乱戦を迂回して、一気にこちらへ迫ってくる。かかった。どうやら父は、もはや救世軍には竜騎兵団を止める術はないと判断し、勝負を決めにきたようだ。
確かに味方はまんまと騎兵隊の機動力を殺され、神術兵も投石を止めるために駆り出され、壁上の弓兵はまともに弓を構えることもできないほどの落石の雨に晒されている。我が父ながら、やはりさすがだ。圧倒的すぎる。
越えてゆくにはあまりに高く、大きすぎる背中。
されど自分は今から彼を超える。超えてみせる。
緊張で心臓がどうにかなりそうだった。全身が燃えるように熱く、口が渇く。
真冬の空の下だというのに、体中を濡らす汗が止まらない。
「鏑矢を!」
瞬間、傍らで騎乗したトリエステが声を上げ、本隊の頭上に聳える城門塔から一本の矢が放たれた。と同時にウィルの騎馬隊を食い止めていたマティルダ隊が弾かれたように退却の鉦を打ち、乱戦からの離脱を開始する。さらに城内からも、待機していた鈴の騎士たちが一斉に飛び立った。黒い翼を広げた翼獣の群が、前線まで出ている味方の歩兵部隊のもとへと急ぐ。ところが皆がそれぞれの役割を懸命にこなしている間にも、亜竜の群は獰猛な牙を剥き、刻一刻と肉薄していた。
(まだだ)
自分自身に言い聞かせるようにそう念じる。
次第に恐怖で体が震え始めるも、まだだ、と口の中で繰り返す。
自由と希望を謳う牙旗の下、騎乗したジェロディの眼前には、城門を塞ぐように展開した槍兵隊。その中にケリーやオーウェンもいる。
彼らは自ら隊長格の目印である馬を下り、兵と共に槍を握ることを選んだ。
ただしふたりの握る直槍は、当然ただの槍ではない。火焔槍。横列を組んだ槍兵の中には、通常の槍兵にまぎれてこの槍を構えた者が二十名いる。
可能な限り広範囲に炎を撒き散らせるように、間を開けて数人置きに配置した。
あとはどこまで竜騎兵団を引きつけられるかだ。ひとりでも焦って炎を噴射してしまったら、槍の中に兵器がまぎれていることが露見し、作戦は失敗してしまう。
「まだだ」
今度はケリーが震える部下を宥めるように、声に出して呟いた。
そう、まだだ。まだ火焔槍の射程じゃない。
「まだだ!」
次にそう声を上げたのは、オーウェン。
そうだ。まだ亜竜の跳躍が届く距離じゃない──
「ジェロディ殿」
そこから呼吸にして三つ。
両者の距離はついに半枝(二・五メートル)のところまで迫った。
トリエステが祈るように背中を押してくれる。
だからジェロディも大きく息を吸い、ついに、言った。
「──火焔槍、発射!」
ジェロディの号令一下、槍兵たちが腹の底から咆吼し、自ら一歩踏み出した。
と同時に火焔槍の袋部に下がる房飾りがぐいと引かれ、穂先に偽装した噴射口が口を開ける。そうして姿を現した筒の奥で、埋め込まれた希石がカッと閃き──直後、想像を絶する灼熱の炎が真っ赤に燃えて噴き出した。
「おらあああああああああッ!!」
オーウェンを始め、雄叫びを上げた二十人の火槍兵が火を噴く槍を構えたまま、大きく穂先を左右に振る。その動きによって炎は燃え盛る大蛇のごとくうねり、広範囲に噴き荒れた。当然、不意討ちを受けた亜竜たちはひとたまりもない。
今にも踏み込み、跳躍して槍衾を越えようとしていた先頭集団は一瞬にして炎に呑まれた。途端におぞましい絶叫が轟き渡り、鎧をまとった亜竜諸共、騎手までまとめて燃え上がる。太古の希術によって生まれた炎は凄絶な勢いでもって鋼鉄の鎧をも溶かし、後続の竜騎兵も急制動が間に合わず次々と火勢に呑まれた。
「火槍隊、前進!」
されどジェロディは攻撃の手を緩めず、戦線を押し戻す。
陣列の背後に控えていても汗が吹き出すほどの熱気を上げながら、号令を受けた火槍隊が前進を開始した。あたりには既に生き物の焼ける激臭が漂っている。
それでも怯まず、火槍隊は自ら竜騎兵へと肉薄する。当然ながらその猛火を前にしてもなお敵に牙を剥けるほど、亜竜も恐れ知らずではなかった。
彼らは目の前で群の仲間が炎に巻かれ、たちまち焼け死ぬのを見るやじりじりと後退を始める。そこへ追い討ちをかけるかのごとく迫る炎の壁に、怯えた一頭がついに身を翻し、騎手が止めるのも聞かず逃げ出した。すると最初の一頭を皮切りに他の亜竜もつられて算を乱し、最後には銀色の怒濤となって走り出す。
「お、おい、待て、おまえたち! 止まれ……!」
という騎手の叫びも虚しく、恐慌した亜竜の群は一気に斜面を駆け下り始めた。
生き物の群というのは、一度こうなってしまえば簡単には止まれない。そしてこの作戦を採ると決めたときから、ジェロディたちにはこうなる未来が見えていた。
ゆえに事前に合図を出して、逃げる亜竜の進路から仲間を退避させたのだ。
「あ、あぁ、竜騎兵団が──うわあああああ……っ!」
果たしてジェロディたちの読みどおり、暴走した亜竜の群はあっという間に味方であるはずの第三軍を呑み込んだ。
合図を受けた救世軍が一斉に戦場を離脱したために、遮るもののなくなった竜騎兵団は逆落としの勢いを駆って第三軍の将兵を撥ね飛ばしていく。鋼と肉の濁流と化した彼らは、台地の中腹に盾を敷き詰め、後軍を守る壁と化した盾兵隊をもものともせずに突き崩した。マティルダの騎馬隊を止めるべく、盾の間から無数に突き出された長槍をも跳び越えて、死に物狂いの亜竜の群は麓を目指そうとする。
「カミラ隊、イーク隊、今です! 手筈どおり、竜騎兵団を追撃して下さい!」
「了解!」
瞬間、トリエステが次なる指示を飛ばし、本隊後方に待機していた第二の奥の手が動き出した。他でもない、火焔剣を手にしたカミラとイーク率いる二百騎ずつの騎馬隊だ。先の野戦で壊滅的被害を受けたふたりの隊は現状、ただちに再編することが難しかったため、マティルダ麾下の騎馬隊から人数を借り受けた。
その合わせて四百の騎兵を連れて、カミラとイークが両翼から飛び出していく。
ふたりの役目は二本の火焔剣を操り、亜竜をさらに追い立てることだ。
数の上でも練度の上でも圧倒的に勝る第三軍に痛撃を与えるにはこれしかない。
すなわち今日まで黄皇国最強の名を恣にしてきた竜騎兵団を暴走させ、第三軍を襲わせる……。
(父さん──)
亜竜の絶叫轟き渡る戦場は、竜騎兵団と味方の騎馬隊が蹴立てた砂煙で視界がきかなくなっていた。おかげで父の行方を確かめたくとも、ここからでは術がない。
「ジェロディ殿、敵の投石が停止しました。敵軍は亜竜の暴走により総崩れとなったと見てよさそうです。我々もこのまま前進し、味方の士気を押し上げましょう」
ほどなくトリエステから告げられた進言に頷き、ジェロディは本隊に前進を命じた。槍兵隊に混ざって竜騎兵団を撃退したケリーとオーウェンも、号令を聞くや火焔槍を背負って素早く騎乗し、ぴたりとジェロディの傍につく。本隊が背にしたトラクア城では、作戦の成功を確信した城兵が歓呼の声を上げていた。
されどケリーとオーウェンの表情は硬い。そして恐らくは自分もまた、ふたりと同じ顔つきをしているのだろうとジェロディは思った。
「ティノ様」
ところが不意に、ケリーが久しく口にしていなかった幼名でジェロディを呼ぶ。
はっとしたジェロディが振り向けば、彼女は立ち込める砂塵の先をじっと見つめて言葉を継いだ。
「この先にどんな結末が待ち受けていようとも……我々はティノ様のお傍におります。ティノ様は決してひとりではありません。どうかそのことをお忘れなきよう」
そう告げたのち、こちらを顧みたケリーの瞳には、軍人としての彼女ではなく、ヴィンツェンツィオ家の養女としての意思が宿って見えた。
それにはっと胸を衝かれたジェロディの逆隣では、オーウェンも唇を引き結び、覚悟を決めたように頷いている。
「……ありがとう、ケリー、オーウェン。──行こう」
そんな彼らと同じ想いを胸に秘めながら、ジェロディもついに前を向いた。
母の形見に縫いつけられた涙滴型の金細工が、戦場の風に吹かれてチリチリと鳴るのを聞きながら。




