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335.祈りの山に別れを告げて


 かくして六聖日(ろくせいじつ)が明けると同時に、ジェロディらはビアンカともう一頭、昨年のクアルト遺跡調査にも同行していたアイーダという名の緑竜に(また)がって竜の谷(アラニード)を飛び立った。過酷な登山で疲弊し切っていた仲間たちも六日の間、至れり尽くせりの環境で休ませてもらったおかげか元気満タンだ。


 唯一骨折したゲヴラーだけは引き続き静養が必要だと谷の医者に言われたが、トラクア城へ戻ればあそこには光術使いのロクサーナやトビアスがいる。骨折のような体の内側の損傷を治すなら、彼らの力を頼るのが最も有効な早道だ。


 外傷を神気で塞いだり毒を薄めたりするのが得意な氷水系の神術とは違って、光輝系の癒やしの術は患者自らが持つ自己治癒力を高める方に働く。ゆえにゲヴラーには少々無理をさせてしまうが、共にトラクア城へ帰還して、光神真教会こうしんしんきょうかいのふたりに治療を頼もうという話になった。まあ、とはいえ竜の翼をもってすれば、およそ一〇〇〇(ゲーザ)(二〇〇〇キロ)にも及ぶ城までの道のりもひとっ飛びだ。


 ビアンカの話によれば、それくらいの距離なら急げば二日で到達できるという。

 ジェロディたちにとっては慣れない空の旅となる上に、真冬の空を飛ばなければならないため難儀するかもしれないとは言われたが、あの竜牙山(りゅうがざん)を踏破した仲間たちにかかればなんてことない道のりだ。決死の覚悟で冷たい岩に取りつき、どこにあるのかも分からない伝説の谷を探して彷徨(さまよ)った旅路に比べたら、ただ鞍に座っているだけでいい空の旅など、多少寒かろうと極楽だろう。


「ではな、アマリア。母上も、ジェロディたちをどうかよろしく頼みます」

「うむ、任せるがよい。されど竜父(りゅうふ)や、おんしの方こそくれぐれも気をつけてゆくのじゃぞ。おんしの身に万一のことがあればさしものわらわも、もはやアマリアを止めること(あた)わぬのでな」


 しかし竜父との別れ際には、彼とビアンカの間で交わされるそんな会話を耳にした。どうやら『翼と牙の騎士団』団長であるアマリアは、やはりまだ竜父のソルレカランテ行きに納得できていないようだ。おかげで数人乗りの鞍の先頭に跨がり、ビアンカの手綱を握る彼女は終始不機嫌で寡黙だった。


 竜父が黄都(こうと)へ向かう以上、現在トラクア城を攻囲しているガルテリオを止めるには竜母(りゅうぼ)であるビアンカが彼の名代を務めるしかない……という経緯で竜母の騎士たるアマリアもジェロディらと同道することになったのだが、竜父を守る立場にある自分が別行動を取らなければならないことに、彼女は今も強い不満と不安を感じているのだろう。


「すみません、アマリアさん。僕らが無理なお願いをしたばっかりに……」

「いえ。救世軍との同盟より、黄皇国(おうこうこく)救済の道を模索したいと言い出したのはウチの竜父様ですから、ジェロディ殿のことを責めるつもりはありません。ただ……」

「……ただ?」

「何か、こう……胸騒ぎがするんですよ。私が竜父様のお傍を離れるなんて滅多にないことなので、そのせいで過剰に不安になっているだけかもしれませんけど……そもそもバルダッサーレ陛下は本当に魔物に操られているのでしょうか?」

「え? ど……どういう意味です?」

「いえ……少なくとも我々が去年、ソルレカランテで陛下とお会いしたときには、魔のものの気配なんて一切感じなかったんですよ。ほら、竜騎士(わたし)(ビアンカ)と血の契約によって五感を共有していますから、彼女が魔物の臭いを嗅ぎ取れば、私にもすぐに分かったはずなんですけど……」


 という出発前のアマリアの話はジェロディも気がかりだったが、とにかく今は一刻も早く城へ帰って、父と救世軍の交戦を止めなくてはならない。

 ゆえにジェロディら竜牙山決死隊は、五人ずつに分かれてビアンカとアイーダの背に跨がり、救世軍宛の補給物資を満載した輸送箱と共にトラクア城を目指した。

 ひとたび竜に跨がれば、あんなに苦労して登ったはずの竜牙山が一瞬で遠のいていく。それが何だか拍子抜けであり、同時に名残惜しくもあった。

 何しろあの山は、ジェロディと仲間の絆をより強固にしてくれただけではない。

 こうして見ると竜牙山とは、かつての真帝軍(しんていぐん)と救世軍とが同じ理想のために戦った記憶が深く刻まれた、あまりに巨大な(いしぶみ)だ。


(……ありがとう)


 最後に(かえり)みた竜の(いただき)に胸中で別れを告げて、ジェロディは再び前を向いた。


 新年の到来を祝福するかのごとき蒼天を、二頭の竜が南へ向かってひた()ける。



              ◯   ●   ◯ 



 六聖日の間は停止していた黄皇国軍の攻撃が、新年の七日目を迎えるや否や再開した。六日間の休息はトラクア城を守る兵士たちの疲れをわずかばかり癒やしはしたが、今の救世軍には新たなる年の到来を祝っている余裕はない。


「軍師殿、先程デュランから報告がありました。やはり当初の想定よりも歩兵希銃(ミーレス)の消耗が激しいようです。このままではあと四、五日で希銃が尽きると……」

「……そうですか」


 そして九日目に当たる真神(しんしん)の日を迎えた今日も、トラクア城には早朝から歩兵希銃の銃声が(とどろ)いていた。トリエステが戦況を俯瞰(ふかん)する城門塔の麓では、城壁に梯子(はしご)をかける隙を(うかが)う黄皇国中央第三軍の工兵や、彼らのために隙を作ろうと押し寄せた弓兵、神術兵、竜騎兵が如才なくうろうろしている。


 一方壁上には彼らを近づけまいと矢や銃撃を浴びせる救世軍兵がずらりと並び、高所からの射程によって城を死守しているため、今のところは最前線に立つトリエステまで敵の矢が届く心配はなかった。


 されど開戦から日が経つにつれ、戦況は苦しくなるばかりだ。現にたった今、味方の最新状況を知らせに来たケリーの報告も決して明るい内容ではなかった。

 トリエステはジェロディら決死隊が城を発ってからほどなく、低迷する味方の士気を鼓舞するために、ジェロディが総帥自らツァンナーラ竜騎士領と同盟すべく竜牙山へ向かったことを公表したのだが、その話はどういうわけだか官軍の側にも伝わったらしく、以来敵の攻勢が激化したのだ。


(こうなることを予想していなかったわけではないけれど……やはり城内に、何らかの方法で敵軍に情報を流している者がいる)


 何せ現場はこの混乱ぶりだ。官軍との内通を望む者が、敵に射かける矢にこっそり文を結わえたとしても、味方がそれに気づくのは恐らく至難の技だろう。

 そして救世軍が竜騎士領に助けを求めていることを知ったガルテリオは、両者の同盟が成立する前に決着をつけるべく攻勢を強めてきた。

 おかげで当初の想定よりもずっと早く希銃や矢種の消耗が進んでいる。


 加えて決死隊が出発してから既にひと月あまり。にもかかわらず、未だに彼らが戻る気配がないことを受けて、救世軍の士気は再び低迷の兆候を見せていた。特にひどいのが、以前から懸念材料として上がっていた元地方軍の戦意阻喪ぶりだ。

 どうやら彼らにはやはり〝自ら望んだわけでもないのに、第六軍(マティルダ)の敗戦によって無理矢理反乱軍に加担させられている〟という強い被害者意識があるらしく、ともすれば敵に同盟の情報を与えたのも彼らではないかと思われた。


(おまけに、ジェロディ殿は竜騎士領へ向かったと見せかけて逃亡したのではないかという疑惑を流布したり、味方の兵糧庫に火をつけようとしたり……恐らく救世軍の内部から官軍の勝利に貢献すれば、落城しても黄皇国で再び返り咲けると思っているのだろうけれど、ほとほと愚かで浅ましい。味方を裏切って保身に走るような輩など、そもそもガルテリオ殿が生存を許すはずがないというのに……)


 とりあえず兵糧庫への放火は彼らを監視していた諜務隊(ちょうむたい)が未然に食い止め、首謀者の郷守(きょうしゅ)ごと処分したが、他にもまだ三人の非協力的な郷守が城内に留まっていると思うと正直頭が痛かった。いっそのこと降伏を望んでいる者はまとめて放逐してはどうかという意見もあるものの、さすがの郷守一同も手ぶらでガルテリオのもとへ駆け込めるとは思っていまい。トラクア城の戦いでの敗北を(すす)ぎ、一時的にでも反乱に(くみ)した責任を逃れるためにはその不名誉を打ち消すほどの功績が必要だと考えて、それが手に入るまでは城内に居座ることを選ぶだろう。


(彼らの思考回路は、私がかつて身を置いていた偽帝軍(ぎていぐん)の貴族とまるで同じ……おかげで何を考えているのか、手に取るように分かるのは有り難いけれど)


 されど彼らの存在はトリエステの脳裏にも、かつての苦い敗北の記憶を呼び覚ます。父の操り人形として偽帝フラヴィオに仕え、勝算など無きに等しかった戦いで多くの命を虚しく奪った、あの敗北の記憶を……。


(私は、また……同じ過ちを繰り返すのだろうか)


 そう思うと不安で足が震える。唯一の希望だった決死隊もとうの昔に壊滅し、あとは自分の失策が世に露呈するのを待つだけなのではと恐怖する。けれど、


「軍師殿」


 と、不意に至近距離から声をかけられて我に返った。

 見ればいつの間にか鼻と鼻とが触れ合いそうなほど近くにケリーの顔があり、草色の髪とよく調和する土色の()が、じっとトリエステの顔を覗き込んでいる。


「……あの、ケリー殿。そこまで接近していただかずともあなたのことは見えていますし、声も正常に聞こえていますが」

「ああ、すみません。ただ私もジェロディ様から頼まれたものでね」

「何を……頼まれたのです?」

「軍師殿が何か思い悩んでいる様子のときは、とりあえず気をまぎらわせてやってほしい、と。同じことを出発前、ウォルドやカイルにも頼んでいたようですが」

「……なるほど。どうりで私がカイルにまとわりつかれて辟易しているところを見ても、ウォルドは素知らぬ顔をして飲酒に(ふけ)っていたわけですね。まあ、あのときはターシャが文字どおりの天誅を下して下さいましたので不問としますが」

「ああ、こないだカイルが黒こげのまま路傍に打ち捨てられてたのはそういうことですか。六聖日の間は一切戦闘がなかったってのに、なんであいつだけ死んでるのかと不思議だったんだ」

「いえ。一応彼を発見したトビアス殿が大慌てで救護所へ担ぎ込んで下さったおかげで、辛うじて一命は取り留めたようですよ」

「そうですか。それはさぞかしラファレイが嫌な顔をしたでしょうね」


 と、ケリーが笑いもせず大真面目にそんな発言を繰り返すので、トリエステはついに(こら)()れなくなった。ゆえに思わず「ふ、」と、息を漏らして笑ってしまう。

 そこでトリエステに一瞥(いちべつ)をくれたケリーも、ついに口もとに笑みを作った。

 まったく、やはりヴィンツェンツィオ家の人間には敵わない。

 こんな状況でさえ不覚にも笑わされてしまうだなんて。


「で、どうです。少しは気がまぎれましたか?」

「ええ、おかげさまで。どうも私は昔から物事を悪い方へ、悪い方へと考えてしまうきらいがあるようで……お気を遣わせてしまい、大変失礼致しました」

「いいや。確かに何事も悲観的になりすぎるのは問題だが、軍師殿の場合はそうした思考の癖が、戦いの先を読む力にも作用しているのでしょう。でなければここまで救世軍が何度も直面した最悪の想定を見事に回避し、生き残ってこられたことの説明がつかない」

「……ケリー殿のそういった物言いは、ガルテリオ殿にそっくりですね。さすがはあの方のご息女といったところでしょうか」

「そうかな。こう見えてガル様には、私はアンジェ様の悪いところを継いでしまったと常々呆れられていたんだが。おかげで幼少期のジェロディ様が、今のお姿からは想像もできないほどやんちゃだったのも、姉である私の影響だろうと(なじ)られたこともありましたね」

「そういえばジェロディ殿は、ガルテリオ殿がグランサッソ城の城主になるまではずいぶん悪戯(いたずら)好きで、皆を困らせていたと聞いたことがありますね。真帝軍の拠点だったオヴェスト城ではヴィルヘルム殿までもがその悪戯に手を焼いていたとか」

「ええ。何度こっぴどく叱られても懲りない強情さは、当時から変わっていないとも言えますが……そういうある意味での頑固さは、確かに私もジェロディ様もガル様譲りかもしれません。もちろん、マリーも」


 そう言ってふと塔から戦場を見下ろしたケリーの眼差しは土煙の中、遠く(ひるがえ)る『竜守る獅子』の旗を見つめているようだった。赤地に天高く吼ゆる黄金竜が描かれた黄皇国軍旗とは違い、ガルテリオの掲げる軍団旗は青い。青地に銀の糸で縫われた二頭の獅子が向かい合い、唯一金色(こんじき)で描かれた黄金竜を守るように勇ましく咆吼している。あの獅子の片割れがガルテリオなら、もう一頭はジェロディであるはずだったのだろう。何の脈絡もなく、そんな思考が脳裏をよぎった。


 けれど、彼は──否、彼らは選んだのだ。


 同じ色の(こころざし)を掲げながらも、互いが互いの道を()く、と。


「ですから、軍師殿。ジェロディ様は必ず無事に戻られますよ。あの方はそういうお方です。血のつながらない私でさえこうなのですから、ガル様の実子であるジェロディ様はなおのこと、こんなところで容易に諦めるお方ではありません」

「……ええ、そうですね。私もそう信じます。現にジェロディ殿は一度、あなたと共に救世軍を去ったあとも、やはり戻ってきて下さいましたから」

「おや、軍師殿はあのときもジェロディ様のご帰還を信じていらしたのですか」

「たぶん、心のどこかでは。当時はとにかくジェロディ殿不在の救世軍を守ることで頭がいっぱいで、あまり考えが及びませんでしたが……いざ彼と再会したとき、私はこう思ったのです。〝ああ、()()()()()()()()()()〟と」

「……なるほど。ちなみに、私もまるで同じ気持ちでしたよ」

「では、やはりジェロディ殿はご無事ですね」

「ええ、きっとご無事です。今回はカミラやイーク、ヴィルヘルム殿まで一緒なのですから、なおのこと心配いりませんよ」

「……差し出がましいことを言うようですが、そこはオーウェン殿の名を挙げて差し上げるべきでは?」

「いや、私はむしろジェロディ様よりあいつの方が心配です。途中でへばって皆に置いていかれてるんじゃないかとね」


 と今度はケリーも露骨な呆れ顔を作って言うので、トリエステはまたしても笑ってしまった。オーウェンにとっては不本意極まりない発言だろうが、まあ、確かに彼とジェロディは時折どちらが兄でどちらが弟だか分からないようなときがあるから、ケリーの心配はあながちただの冷評とも言えないだろう。


「とはいえこの状況だと、歩兵希銃が尽きる前にジェロディ殿がご帰還されるかどうかが焦点になりそうですね。ジェロディ殿のご帰還が間に合わなかった場合に備えて念のため、やはり()()から話を聞き出しておくべきでしょうか」

「そうですね……しかしカミラ以外とは話さないと言っている以上、どうすれば口を割ってくれるのか……一応、ターシャは何か知ってる風だったが──」

「──お、おい、あれを……あれを見ろ!」


 ところが刹那、何か言いかけたケリーの言葉を遮って動転した声が響いた。

 何事かと目をやれば、壁上の矢狭間(やざま)に身を隠した兵たちが空を仰ぎ、何かをしきりに指差している。まさか。瞬間、トリエステは予感と共に天を振り仰いだ。そうして見上げた先に陽光を弾いてちかりと光る、真昼の星のごときものが見える。

 しかも星はこちらに向かってぐんぐんと接近し、よく見るとすぐ後ろに、緑色をした別の星も引き連れているのが分かる。

 途端にトリエステは言葉を失い、零れそうになったため息を微笑に変えた。


 ──ああ、そうだ。今回も、自分は()()()()()()()()()()


 あっという間にトラクア城の上空までやってきたふたつの星は、それぞれ背中に一対の翼を持ち、さらにその翼の間に皆が待ち焦がれた彼らを乗せている。


「みんな、ただいま!」


 やがて鞍の上へと立ち上がり、そう叫んだ彼の声が、城中に熱狂をもたらした。


 ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。


 トリエステが信じて待ち続けた、英雄の帰還だ。


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