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320.あの伝説をもう一度


 それは今から三百年以上前のこと、この地がまだエレツエル神領国(しんりょうこく)によって治められていた頃に『炎王(えんおう)の乱』と呼ばれる乱が起こった。


 他でもない神領国の侵略によって滅亡したフェニーチェ炎王国の残党が、打倒神領国を掲げて起こした反乱である。彼らを率いて立ち上がったのはフェニーチェ王家の末裔であるアルナルド・レ・ソルフィリオ。彼は祖国の滅亡時、戦火を逃れてルミジャフタに(かくま)われた王族の子孫であり、フェニーチェ炎王国の建国者にして郷の英雄でもあるタリアクリの子孫として、キニチ族から手厚い庇護を受けていた。


 されど神領国による支配が強まるにつれ、かつては炎王国の民であった人々がエレツエル人の暴虐に苦しむさまを目の当たりにしたアルナルドは王家の血を引く自らを旗頭に、王国の復興と民の救済を目的とした戦いを起こしたのである。

 しかし彼が戦力として頼れたのはわずかな家臣の生き残りと、フェニーチェ王家への助勢を申し出たルミジャフタの戦士のみ。一千にも満たない手勢では到底神領国と渡り合えるはずもなく、アルナルドは慎重に策を模索した。

 そうして出した結論が、当時トラモント地方で唯一エレツエル人の侵攻を退け続けていたツァンナーラ竜騎士領との同盟だったのである。


 遥か北方の竜牙山脈(りゅうがさんみゃく)で暮らす竜たちは、人間が束になっても太刀打ちできないほどの強さと、大義を重んじる清廉な心を持つことで有名だ。ゆえに彼らも神領国の暴政に苦しむ民の窮状を知れば、自分たちに力を貸してくれるはず。

 そして一騎当千の勇猛さを誇る竜さえ味方になれば、王家にも勝算はある。

 そう信じたアルナルドは、自身が全幅の信頼を置く仲間を集めてこう告げた。


 竜騎士領に同盟を申し入れるため、私は竜の谷(アラニード)を目指そうと思う、と。


「かくして通暦一一四一年の春、アルナルドを始めとする王家一行は竜の谷のある竜牙山脈を目指し、太陽の村(ルミジャフタ)を出発しました。ところが北へ向かう道中で想定外の事態が重なり、一行が竜牙山の麓へ着く頃には、季節はすっかり冬になってしまっていたのです」

「だが炎王は救いを求める民のため、悠長に雪解けの季節を待つわけにはゆかぬと覚悟を決めて真冬の竜牙山を登ることを決意した。自殺行為だと口を揃える家臣らの反対を振り切り、吹き荒ぶ吹雪の中、標高六〇〇〇(ゲーザ)(三〇〇〇メートル)もの彼方にある竜の谷を目指してな」


 やがてトリエステの解説を引き取ったギディオンが話をそう()(くく)れば、軍議室には再び静寂が降り積もった。

 おかげでカミラには生唾を飲み込む自身の喉の震えがやけに大きく感じられる。

 フェニーチェ炎王国の再興を目指した太陽の神子(タリアクリ)の子孫、アルナルド・レ・ソルフィリオの物語。それは太陽神シェメッシュの名に懸けて、彼と共にエレツエル神領国と戦ったルミジャフタでも現代(いま)に語り継がれる伝説だった。


 ゆえにカミラはその伝説の結末を知っている。たった数名の家臣と共に真冬の竜牙山に挑んだアルナルドは何人もの仲間を失い、また自身も繰り返し生命の危機に瀕しながら、しかし最後にはあの天嶮(てんけん)を登り切り、生きて竜の谷へと辿(たど)()いた。

 そしてかの地で出会ったのがのちに非業の死を遂げるアルナルドの遺志を継ぎ、エレツエル神領国からの独立を勝ち取ったトラモント黄皇国(おうこうこく)の初代黄帝(こうてい)、フラヴィオ・レ・バルダッサーレだったのである。


(当時竜の谷の竜たちは、下界のいざこざに巻き込まれることを嫌ってアルナルドへの協力を拒んだ。だけどただひとり、若き竜騎士フラヴィオだけが谷の決定に異を唱え、愛騎である黄金竜(オリアナ)と共にアルナルドへ手を差し伸べた……だったわよね。結果フラヴィオはアルナルドの死後、ルミジャフタでシェメッシュの神託を受けて《金神刻シェメッシュ・エンブレム》に選ばれた神子になった。そこまでは私も知ってるけど、まさかトリエステさんは……)


 エレツエル神領国の暴虐から人々を救うべく立ち上がった古き英雄たちの伝説。

 トリエステがジェロディに「辿る覚悟はあるか」と問うたのはそういうことかとカミラは息を呑んだ。確かにアルナルドたちの(つむ)いだ物語は、今の救世軍が置かれた状況と一部重なるところがある。けれど──


「……なるほど。つまりトリエステ、あんたはツァンナーラ竜騎士領の竜どもを味方につけられれば、大昔の伝説を再現できると言いてえわけだな。だがまさかそのために、ティノにも真冬の竜牙山を登れとか言うつもりじゃねえだろうな?」

「いえ、そのまさかです。幸いにしてジェロディ殿は既に生命神(ハイム)の恩寵を(たまわ)っており、冬山の過酷な寒さは問題になりません。だからと言ってまったく危険がないというわけではありませんが、人の身でかの山に挑んだアルナルドの無謀な登山よりは成算があるかと」

「そうだな。おまけにジェロディは僥倖(ぎょうこう)にして、竜の谷の長たる竜父(りゅうふ)殿とも面識がある。竜牙山の踏破さえ叶えば、ツァンナーラ竜騎士領の助力を乞うことも決して不可能ではないだろう」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って下さいよ、ギディオン殿! 確かに竜と竜騎士が味方につけば百人力ですが、そもそもツァンナーラ竜騎士領は黄皇国の同盟相手でしょ!? おまけに竜父様は陛下の無二のご親友で、いくらジェロディ様と面識があるとはいえ、俺たちに加勢してくれるとは……!」

「ですが竜は神々に創造された天界の生き物であり、ジェロディ殿は《命神刻(ハイム・エンブレム)》を宿す神子です。神話によれば、彼らは天空を()ける術を持たぬ人類を憐れんだ自由の神ホフェスが《白き剣峰(ラヴァン・サイフ)》で見つけた美しい蜥蜴(とかげ)に、自らの翼とハイムの血を与えて生み出したとか。とすれば今ジェロディ殿の右手に宿るハイム神は、彼らの始祖(おや)とでも呼ぶべき存在です。加えて黄皇国の民が置かれた現状を知れば、我々の切願を決して無下にはできないのではないかと思われます」

「……確かに竜父様なら、ジェロディ様のお話に耳も傾けず追い返すなんてことはなさらないだろう。だけどここから竜牙山までは、どれだけ急いでもひと月はかかる。そこからさらに山を登るとなると、仮に竜父様の説得に成功したとしてもジェロディ様が戻るまでトラクア城を守り切るのは難しいんじゃないのかい?」

「それについては考えがあります。ときに、ジェロディ殿。ジェロディ殿は、ターシャが時折遠く離れた地点から一瞬にして別の場所へ移動するという奇妙な術を用いていることをご存知ですか?」

「ああ……何となくだけど、ターシャが何もないところから突然現れることがあるのには気づいてたよ。ポンテ・ピアット城でカイルを助けに現れたときや、ソルン城でハクリルートを追い払ってくれたときもそうだったよね」

「はい。あの空間転移とでも呼ぶべき術も、原理としては希術(きじゅつ)の一種なのだそうです。デュラン殿のお話では、たとえ希石(きせき)の力を用いても常人には真似できない術だそうですが、アビエス連合国の希術の祖である口寄せの民も同じように空間を飛び越えることが可能だとか……つまりあれはターシャだけが特別に使えるものではなく、一定の条件さえ揃えば誰でも再現可能な術ということになります」

「じ、じゃあその術を使えば、竜牙山にも一瞬で移動できるってことですか?」

「理論上は。ターシャにも術の可不可について尋ねたところ、数人程度の移動であれば不可能ではない、との回答でした」


 そう告げたトリエステの眼差しを受け止めて、カミラはまたしても息を呑んだ。

 希術による空間転移。確かにそんなことが可能なら、トラクア城が落ちる前に竜騎士領へ(おもむ)き、竜たちの協力を取りつけることも不可能ではないのかもしれない。常勝無敗のガルテリオに唯一対抗できる手段がそれだと言われれば確かにそうだ。

 竜騎士領との同盟が成れば、帰りは竜の背中に乗って飛んでくるだけでいいわけだから、行きの問題さえ何とかなれば可能性はある。絶望的と思われた状況に射し込んだひと筋の希望(ひかり)に、カミラは思わず膝の上の両手を握り締めた。


「いや、だがよ。仮にここから竜牙山までティノを飛ばすことが可能なら、何も苦労して山を登らなくたって、直接竜の谷に乗り込めばいい話だろ。伝説を忠実になぞることで、救世軍こそが炎王や黄祖(こうそ)の遺志を受け継ぐ存在だって正統性を世間に示せると言われりゃ確かにそうだが……」

「いいえ、それだけではありません。陛下のご親友であらせられる竜父殿を説得するにはジェロディが自らの足で山を登り、竜の谷へ辿り着くことが最低条件……貴女もそう考えているということですね、オーロリー嬢?」

「……はい、マティルダ将軍のおっしゃるとおりです。何故なら正黄戦争(せいこうせんそう)の折り、陛下が竜騎士領との同盟を勝ち取り、竜父殿と固い信頼で結ばれることとなったのも、陛下が自らあの山を越え、アルナルドの伝説に倣って竜たちに助力を乞うという最大限の礼を尽くしたからこそなのです」


 まるで予想もしていなかったトリエステの答えに、カミラは目を丸くした。

 ──黄帝もまた竜たちを味方につけるために、自らの足で山を登った?

 しかし竜牙山脈は、名前のとおり巨大な竜の牙が天に向かって屹立(きつりつ)している岩嶺で、切り立った崖が()()わされたような急峻な地形が続くと聞く。


 その険しさはまるで人間が近寄ることを拒むかのごとく、当然ながら山頂へ至る道らしき道は存在せず、あんな山を登るのは官軍に追い立てられた竜牙山の山賊くらいなものだろうと言われていた。それほど危険な山を黄帝が自力で登っただなんて、にわかにはとても信じられない。されど驚くカミラに追い討ちをかけたのは、ふむ、と息をつきながら顎髭(あごひげ)(しご)いたギディオンのひと言だった。


「確かに一理あるな。あのときは(わし)も陛下に供として付き従い、死を覚悟して山を登ったが、竜父殿は左様な危険も(かえり)みず、アルナルドの故事に(なら)った陛下のご英断にいたく感じ入っておられた。そしてこうおっしゃったのだ。〝君が自らの命を惜しみ、形ばかりの家来(つかい)を寄越しただけだったなら、谷の民を預かる私の心は決して動かなかっただろう〟とな」

「えっ……じ、じゃあギディオンも黄帝と一緒に山を登ったの……!?」

「ええ。当時儂は他でもない近衛軍の長でしたからな。あのような危険な山に陛下をおひとりで向かわせるわけにはゆかぬと同行を願い出たのです」

「他にも十数名の供が随行しましたが、生きて戻られたのは陛下とゼンツィアーノ将軍……そしてガルテリオ殿以下二、三人の供だけでしたね」

「ああ。他には俺とマナ、あとは──」

「──トリエステさま、お連れしマシタ」


 ところが刹那、ヴィルヘルムの言葉を遮って軍議室の扉が開いた。廊下から現れたのは先刻トリエステから何らかの指示を受けて出ていったシズネだ。

 戻った彼女の後ろには数人の人影が見える。

 一体誰を連れてきたのかと目を凝らし、カミラはまたしても驚いた。何故ならシズネに続いてやってきたのは、かつて竜牙山で山賊をしていたゲヴラーとパオロ、そして何故か人によって違う名前で呼ばれているジャックという男だったから。


「ジェイク……!? ゲヴラーさんやパオロはともかく、どうしてあなたまで──」

「ああ、そうだ。ロベルト、お前もあの登山の数少ない生き残りだったな」

「え?」

「〝ロベルト〟?」

「……いや、なんか、このふたりと一緒に呼び出された時点で嫌な予感はしてたんだが、あんたらさては不吉な話をしてるな?」


 と、ヴィルヘルムの呼びかけに答えたのは、口もとをわずか()()らせたジャックだった。どうやら〝ロベルト〟というのもまた彼の数ある名前のうちのひとつらしい。最初に紹介を受けたとき、彼と親しいロクサーナやトビアスが〝ジャック〟と呼んでいたからカミラもそれに倣ったが、本当にいくつ名前を持っているのかとさすがに眉をひそめたくなった。


「──いや、冗談じゃねえ。なんでついこないだまで極楽隠居生活を満喫してた俺が、今更あの地獄の山をまた登らなきゃならねえんだ? 竜の谷までの道案内ってんなら元山賊のふたりとヴィルヘルムがいりゃ充分だろ。俺は絶ッ対に嫌だね!」


 ほどなくトリエステの口から説明を受けたジャックの反応がこれだ。彼は見るからにいい年をした大人であるにもかかわらず、子供が駄々をこねるようにそっぽを向いた。何でも正黄戦争の際、彼もまた黄帝の供として竜の谷まで同行したそうなのだが、竜牙山の踏破は思い出したくもないほどの苦行であったらしい。

 そんなジャックの様子を見て、いくら神の恩寵があるとはいえ、そこまで過酷な旅をジェロディに強いるのは……とカミラも不安になってきた。

 するとかつて竜牙山で暮らしていたという理由でトリエステに呼び出されたらしいゲヴラーが、難しい顔をしながら言う。


「しかしな、ジェイク。おれやパオロは確かに竜牙山を根城にしちゃあいたが、一味の砦があったのは中腹よりずっと下の麓付近で、あれより上のことはほとんど知らんのだ。心得てるのはあくまで山の歩き方だけで、道案内となると……」

「んなこと言ったって、俺だって竜牙山を登ったのは陛下の供としてついてった一回だけだ。それも十年も前のことで、竜の谷までの道なんざ覚えてねえし、あのときはマナの先導があったから何とか辿り着けたようなもんで……」

「〝マナ〟ってのは誰のことだい?」

「正黄戦争中、俺と共に真帝軍(しんていぐん)に雇われていた傭兵だ。そしてそこにいるカミラと同じ、星刻(グリント・エンブレム)の使い手だった」


 と、そのときゲヴラーの疑問に答えたのは、ジャックではなくヴィルヘルムだった。途端に皆の視線が自分に集まり、カミラはどぎまぎしてしまう。


「え、あ、えっと……マナさんの先導があったっていうのは、つまり星刻の先見の力で、ってこと……?」

「ああ、そうだ。麓から竜の谷へ続く道というのは記録も何も存在しない。竜の谷の正確な位置すらも、知っているのは谷で暮らす者だけだ。だから俺たちにはマナの案内が不可欠だった。今回も同じように谷を目指すというのなら、お前の力に頼ることになるだろう」


 と、ヴィルヘルムが深刻な表情で告げるのを聞いて、カミラは思わず自身の左手に触れた。そこにある革の手套(しゅとう)の下には、先代の渡り星であるマナから受け継がれた星刻がある。だが果たして自分に彼女と同じ役目が務まるだろうか?


(確かに星刻を受け取った直後に比べたら、だいぶ力を使いこなせるようになってきた手応えはあるけど……でも先見や過去視の力はまだ思いどおりに操れないことも多いわ。おまけに先見の力はとんでもなく神力を食うし……ティノくんに神力を分けてもらいながら進めば、ある程度は何とかなるかもしれないけど……)


 だとしても途中で星刻が言うことを聞かなくなれば、カミラは共に谷を目指す仲間を危険に晒すことになる。

 炎王の伝説でも十年前の真帝軍による登山でも同行者から死者が出たということは、竜牙山ではそれほどまでに過酷な道のりが待ち受けているということだろう。

 そんな山を仲間の命を背負いながら登るというのは、重い。とてつもなく重い。

 だがここで竜騎士領との同盟が結べれば、絶体絶命の窮地から救世軍を救い出せるかもしれない。『常勝の獅子』たるガルテリオを相手にするからには、きっとこちらも相応のリスクを背負わなければ勝ち目はない……。


「いや、けど、ちょいと待ってもらえるか。そもそもジェイク、俺らはあんたが正黄戦争中、真帝軍にいたってとこから初耳なんだが?」

「ああ。私もあんたみたいな男をオヴェスト城で見かけた覚えはないね。一体いつから真帝軍に紛れ込んでいたんだい?」

「紛れ込んだとは失敬な。俺ァもともと陛下の忠実な家来(げぼく)だったって話を、そこのジェロディから聞いてねえのか? ま、戦時中はほとんど陛下の密命を受けて動いてたから、あんたらに顔を覚えられてないのも無理はねえが」

「密命?」

「……ロベルトは救世軍にとっての諜務隊(ちょうむたい)のようなもの、すなわち陛下が裏で使役されていた隠密だった。ゆえに黄臣(こうしん)の中にも此奴(こやつ)の存在を知る者はほとんどおらんのだ。此奴に与えられていた任務の大半は敵対勢力への潜入や工作といった諜報活動で、陛下のお傍にいないことも多かったからな」

「あ……そ、そっか。だから名前がいくつもあるの? 行く先々で偽名を使って正体を隠してたから……」

「ま、そういうこった。ちなみにあんたの親父さんと一緒にルエダ・デラ・ラソ(れっ)(こう)(こく)で動いてたときには〝ジャック〟と名乗ってたぜ」

「じゃあ、お父さんも……それなら私は引き続きジャックって呼ばせてもらうわ。なんかもうその名前で馴染んじゃったし」

「好きに呼べばいいさ。所詮俺は〝名無し(ジョン・ドゥ)〟だからな」


 と気怠げに頬杖をつきながら、相変わらずそっぽを向いてジャックは言った。

 されど呼ばれるのは偽名ばかりで、誰も自分の本名を知らないというのはどういう気持ちがするのだろうとカミラは思う。自分がもし彼と同じ境遇に置かれたら、次第に存在がバラバラになって、己が何者か分からなくなってしまいそうだ。

 偽名の数だけ別人になりすましてきたというのなら、なおさら。


「で、結局どうすんだ? ツァンナーラ竜騎士領に同盟を申し込むってのは俺も名案だとは思うが、ほんとに行くのか? まあ、俺からは行くならどうぞご自由にとしか言えねえけどな。さっきも言ったとおり、俺はこの歳でまたあの山を登るなんざ絶対に御免だから、同行は鄭重(ていちょう)にお断りするぜ」

「しかし、ロベルト。お前もジェロディと共に赴いたクアルト遺跡の調査では竜父殿を欺き、あの方のご威光を散々に利用したのだろう? ならばまずは竜の谷へ顔を出し、当時の不敬を詫びるのが筋ではないのか。だいたいお前はことあるごとに歳だ歳だと言い訳するが、まだ儂よりひと回りも若いのだから、もう一度竜牙山を登るくらいどうということはなかろう」

「お言葉ですがね、ギディオン殿。つい最近まで隠居の身だった俺を、六十過ぎても現役張ってるあんたみたいな化け物と一緒にせんで下さい。自慢じゃありませんが、こちとら引退してから自堕落な生活を満喫してたおかげで未だにカンがにぶったままなんですからね」

「ですが、ジェイク。あなたは雇い主からジェロディ殿を守るよう言われてここにいるのではないのですか? ならば今回もジェロディ殿に同行し、この方を危険からお守りするのがあなたの役目なのでは?」

「いや、そりゃものは言いようってもんだろ、軍師殿。俺の仕事はあくまでジェロディが黄皇国を打倒できるよう陰ながら支援することで、直接傍で守りゃいいなんて単純な話じゃあ──」

「ええ。ですから()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()、竜騎士領行きを支援していただきたいと申し上げているのですが」

「そ……そうは言ってもだな。さっきも言ったとおり、俺は竜の谷までの道なんざまったくもって覚えてねえし、仮に同行したところで手伝えることは何も……」

「私は谷までの道案内ではなく、一度あの山を踏破した経験を活かしてジェロディ殿に助言をしてほしいと申し上げているだけです。無論、同様に竜牙山を登られたご経験のあるヴィルヘルム殿にもご助力をお願いしますが、山では何が起きるか分からない以上、ひとりでも多く経験者を同行させた方が成功の確率が上がることは言うまでもないでしょう」

「……」

「まあ、あなたがどうしても行きたくないと言うのなら、こちらも無理にとは言いません。ですが山でジェロディ殿に万一のことがあった場合、あなたが雇い主にどう言い訳するつもりでいるのかを──」

「あーっ、分かった、行けばいいんだろ行けば! あんたのそういうところ、父親にそっくりだな! おかげで従わねえと何をされるかまで見事に想像できちまうから行くよ、行きますよ! はあ……ったく、これだからエディアエルの一族とは関わり合いになりたくなかったんだ……」

「ありがとうございます。そちらは褒め言葉として受け取っておきますよ」


 と、終始涼しい顔をしているトリエステとは裏腹に、末席でがっくりとうなだれているジャックを見やり、カミラは思わず苦笑した。

 まあ、今の救世軍に口でトリエステに敵う者など居はしまい。つまりジャックの運命は、彼女の呼び出しに応じた時点で決まっていたということだ。

 しかし彼が誰かに雇われて救世軍(ジェロディ)を支援しているというのは初耳で、どういうことだろうと内心首を傾げてしまった。カミラはてっきり、ジャックはトビアスやロクサーナのツテで救世軍に入ったものだとばかり思っていたのだが、今の話を聞く限り、彼の背後では誰かしらの思惑が動いているということだろう。


「では話は決まりだな。あとはジェロディ、お前の心次第だ」

「僕は……」


 やがて外野の話がまとまると、これが最終確認だというようにギディオンがジェロディへ意見を仰いだ。選択を迫られたジェロディはしばしの間、じっと視線を落として黙り込む。ガルテリオの意表を()き、救世軍を勝利へ導くための唯一の道。

 敵もまさかトラクア城から出られないはずの救世軍が、ツァンナーラ竜騎士領に同盟を申し込むなどとは夢にも思っていないだろう。

 だがその勝機を掴むには、どうしても大きな危険が伴う。ジェロディが気にしているのも恐らくそこだ。自分ひとりが命を懸けるだけならいい。されど自らの足で竜の谷を目指すとなると、どうしても仲間の知識や力を頼らざるを得ない。


 つまり生きて帰れる保証のない旅に、仲間を道連れにしなければならない……。


(いくら救世軍を守るためとはいえ、そんな危険な旅に仲間を連れていくなんて、私だって迷うに決まってるわ。だけど──)


 ──大丈夫だ。ジェロディひとりにすべてを背負わせたりはしない。

 昨夜彼の本心に触れて、改めてそう思った。

 そしてここにいる皆もきっと多かれ少なかれ、同じ気持ちを抱いているはずだ。

 ゆえにカミラも覚悟を決めて、言う。


「ティノくん、竜の谷までは私が必ず連れて行くわ。正直、マナさんほどうまくできるかは不安だけど……それでも絶対、谷までの道を見つけてみせるから」

「カミラ」

「だから行きましょう、一緒に。竜が戦場に現れれば、さすがのガルテリオ将軍も勝ち目はないと悟って、もう一度話を聞いてくれるかもしれないし……そう思えば命を懸ける価値は充分あるわ。だって私、約束したから。何があっても必ずティノくんを助けようって──マリーさんと」


 そう告げた刹那、ジェロディの青い瞳が揺れたのを、カミラは確かに見た。

 だから敢えてニッと笑って「大丈夫」と伝えようとする。

 するとジェロディもつられたように、ほんの少しだけ口の端を持ち上げた。

 かと思えばふーっと深く息をつき、ついに腹が決まった様子で、言う。


「……うん。ありがとう、カミラ。危険と分かっている旅にみんなを巻き込むのは本意じゃないけど……だけどここで何もしなければ、結局みんなに死んでくれと言うのと同じだ。何よりこうしている今も、それぞれの場所で精一杯戦ってくれている仲間のために──僕も、今の自分にできる限りのことをやりたい」


 固い決意の宿ったその言葉が、救世軍の総意だった。

 ゆえにカミラも仲間と共に頷き合う。方針は決まった。ジェロディの答えを聞いたトリエステは静かに立ち上がり、軍議室に集った仲間へ向けて宣言する。


「では、これよりただちに竜の谷を目指す決死隊を組織します。ジェロディ殿が不在の間、城に残る皆さんには全力で防衛に当たっていただくことになりますので、どうかお覚悟を」

「応!」

「それから……カミラ。先程ヴィルヘルム殿からもお話があったとおり、谷までの道のりはほとんどあなた頼みになってしまいますが……どうかジェロディ殿を、よろしく頼みます」

「はい。任せて下さい!」


 かくしてジェロディ率いる竜牙山決死隊は、翌日ツァンナーラ竜騎士領を目指して城を発つこととなった。食糧や防寒着や登山道具など揃えなければならないものは山積みだが、何もできずに指を(くわ)えているよりずっといい。

 そう思いながら軍議室を出たカミラはふと、廊下の窓から冬の曇天を仰ぎ見た。

 遥か彼方で、敵軍の進軍開始を告げる(かね)()が鳴っている。


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